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待つことおよそ小半とき――。日はうららにもうららかな
「偉い! さすがに目が高い!」
肩息で駆けかえりながら、汗もふかずに、まず伝六がずぼしの的中を証拠だてたので、右門もようやく手から毛抜きを放しました。しかし、ことばは氷のごとく冷ややかでした――。
「どうだ。さかなは大きかったろう」
「大きいにもなんにも、まるで怪談ですぜ」
「つじ切りか」
「どうしてどうして、これですよ。これですよ」
話すまもぶきみにたえないといいたげな身ぷりをしながら、手まねでこれといったので、そのこれといった伝六の指先でさし示している方角を見守ると、右門の眼光は同時にぎろりと光って、ことばに鋭さが加わりました。
「首?」
「さようで、それもただの首じゃごわせんぜ。まだ血のべっとりと流れている生首ですぜ」
「どこかにそいつがころがってでもいたというんか」
「ところが、そいつがただのところにころがっちゃいないんだから、まるで怪談じゃごわせんか。ね、肝をすえてお聞きなせえよ。お屋敷は番町だそうで、名まえは
「胸のうえに、生首が置いてあったというのか」
「さようで、お約束どおりのざんばら髪でね。青黒いその生首に、べっとりと、いま出たばかりと思われるようなまだ少しなまあったかい血がしみているというんですよ。しかも、そいつが女の首で、おまけに片目えぐりぬいてあるっていうんですよ」
「なるほど、少し変わってるな」
「変わってる段じゃない。いまにおぞ毛が立ちますから、もう少しお聞きなせえよ。ところでね、その生首がひと晩きりじゃねえんですよ。あくる晩にも、やっぱりまた胸もとが変に重くなったから、ひょいと目をあけてみるてえと、今度は座頭の坊主首――」
「なに、座頭? めくらだな」
「さようで。ところが、その生首のめくらの目玉が、やっぱり片方えぐりぬいてあるっていうんだから、どうしたってこいつ怪談ですよ」
「目はどっちだ。左か、右か」
「そいつが、女の生首のときも、座頭の生首のときも、同じように左ばかりだというんだから、いよいよもって怪談じゃごわせんか、だからね、騒ぎがだんだんと大きくなって、三晩めには屋敷じゅう残らずの者が徹夜で警戒したっていうんですよ。するてえと、三晩めにはいいあんばいに生首のお進物がやって来なかったものでしたから、ちょうどきのうです、ご存じのように、きのうはいちんち朝から陰気なさみだれでしたね。ほんとうに降りみ降らずみっていうやつでしたが、つい前夜の疲れが出たものでしたから、屋敷じゅうの者残らずがうたた寝をしているてえと、その雨の真昼間に寝ている旗本のだんなの胸先が、やっぱりまた急に重くなったんで、ひょいと目をさましてみると、今度は年寄りの生首のお進物が、同じように左の目をえぐりぬかれて、べっとりと生血に染まりながら胸先にのっかっていたというんですよ」
「ふうむのう」
二度まではさほどにぶきみとも思わなかったのですが、ついにそれが三たびも続き、しかもその三たびめは雨の日とはいいながら昼日中に行なわれて、加うるに三度が三度違った生首であることが奇異なところへ、いずれもその死に首の左目ばかりがえぐり抜かれていたといったのでしたから、さすが物に動じない右門も、はじめてそのときぞっと水を浴びながら、おもわず、うめき声を発しました。けれども、それはしかし、ほんの瞬間だけのうめき声でした。
「だが、一つふにおちないことがあるな。それほどの奇異なできごとを、小田切久之進とやら申すその旗本は、なぜ今日まで訴えずにいたのかな」
「そこでがすよ、そこでがすよ。あっしもねたは存外その辺にあるとにらんだのでがすがね。三百石の小身とはいい条、ともかくもれっきとしたお直参のお旗本なんだから、ご奉行さまだって、ご老中だって、身分がらからいったひにゃ同等なんでがしょう。してみりゃ、なにも三日の間それほどの化け物話を隠しだてしたり、ないしはまた遠慮なんぞするにゃあたらないんだからね。しかるに、おかしなことには、きょうそのお旗本のだんながこっそりお奉行所へやって来て、直接お奉行さまに会ったうえで、身分がらにかかわるんだから、事件のことも、探索のことも、ごく内密にしてくれろといったんだそうでがすよ」
「え? そりゃほんとうか」
「ほんとうともほんとうとも、そこは
聞き終わると同時に眼をとじてしばらく黙々と考えていましたが、まもなく右門の口からは、りんとして強い一語が放たれました。
「よしッ、そうと聞きゃ男の意地だ! 勝つか負けるか、功名を争ってやろうよ」
決心したとなれば、まことにはやきこと風のごとし――もう、かれの足は真昼中の往来を小急ぎに歩きつづけていたのでした。行く先はいうまでもなく番町の旗本小田切久之進方――目的は、これまたいうまでもないこと、どこからどういうふうに探索の手を下すにしても、まず小田切その人に当たる必要があったからです。会って、そしてまず第一に、それが目的あっての犯罪であるか、それともただのいたずらであるか? 犯罪としたら、どういう目的のもとにかかる奇怪事を三たびまでも繰り返して行なったか? 第二には、疑問の中心点であるごく内密にしてほしいといったそのことの理由について、なんらかの糸口とひっかかりを発見しないことには、それこそ伝六のいいぐさではないが、このぶきみきわまる怪談のあばきようがないと思いついたからでした。
けれども、せっかく勢い込んでやって行ったのに、残念ながら右門の出動はひと足おそかったのです。
むろん、自分より先にあばたの敬四郎が手を下していることは知っていましたから、おおよその覚悟も予想もつけていったのでしたが、事実ははるかにそれを越えて、小田切方の屋敷内はすでにその直属の岡っ引き目あかしなぞ配下一統の者によつて、秘密に厳重な出入り禁止を施されたあとだったからでした。小しゃくなと思いましたが、目的は主人の小田切久之進にありましたから、かれらが町方の者ならば、自分も同じお公儀の
ところが――当然会わねばならないはずのものが会ってくれない! 不思議なことに、会ってくれない! もはや手配済みでござるから、このうえのご配慮は迷惑でござる――そういう理由のもとに、半ばお直参の威嚇を示しながら、ぴたりと面会を
「臭いな」
右門の疑惑は二倍に強まりましたので、その威嚇を犯して、あくまでも面談を強請いたしました。けれども、小田切久之進は顔さえも見せないで、いよいよ奇怪なことに、いっそうろこつなお直参の威嚇を示しながら、重ねて右門の申し入れを峻拒いたしました。これはどうしたって、会わないというその事がらに対して疑いを深めるより道はないのだけれども、相手は小身ながらともかくもお直参のかさを着たお旗本なんでしたから、右門は三倍に疑惑を強めながらも、第一段の方策は放棄するのほかはありませんでした。放棄すれば、いうまでもなく事件のいっさいについて、いたずらであるか、目的を持った犯行であるか、また何がゆえにそうまでも秘密を守り、かつまた会うことを避けねばならないのであるか、それらの糸口となるべき材料をつかむことも、その探索への順序を立てることすらも、なんら判断を下すことが不可能になったのですから、自然の結果として、かれに残された道はただ一つ、その事件から手を引く以外にはないことになりました。
しかし、そんなことで、さじを投げるような右門とは右門が違います。こうなれば、残らず物的証拠を洗いたてて、かれがつねに得意の戦法としているからめてから糸をたぐり、あくまでもこの怪奇な秘密に包まれた事件の底を割ってみせようと思いたちましたから、ふふんというように小気味のいい冷笑を敬四郎配下の小者どもに残しておくと、さっさと表へ出ていきながら、たこのように口をとんがらしてひとり腹をたてていた伝六に突然命じました。
「大急ぎで
「え? また駕籠ですか。南蛮幽霊のときもそうでござんしたが、あいつと同じ
「いやか」
「どうしてどうして、生まれつき、あっしゃ駆けまわるのが大好きですからね。回ってろといや、一年でも二年でも回ってますが、いったいきょうは、どこを探るんでげすかい?」
「きさまは南町ご番所配属の自身番という自身番を残らず改めろ。この三日以内に、生首をもぎとられた者はないか、行くえ知れずになったものはないかといってな、あったら、例の三つの首の主と思える者の素姓を洗ってくるんだ」
「ありがてえッ、じゃ、いよいよあばたのだんなと本気のさや当てになりましたね。ちくしょう! おしゃべり屋の伝六様がついてらあ。じゃ、ちょっとお待ちなせえよ。この辺は屋敷町で店駕籠はねえかもしれませんからね」
いうや否や、
順序として、右門はまず呉服橋の北町ご番所へ乗りつけました。だが、首を切られた、という届け出も、首のない死体があったという届け出も、行くえ知れずの者さえも、およそ事件に関係のあるらしい殺傷ごとはなに一つなかったのです。ではというので、ただちにもよりの自身番からかたっぱし当たってまいりましたが、しかし、どこの番所でも、答えたことばは、ただ次のごときあっさりとした一語のみでした。
「へえい、またですか。つい先ほど、あばたの敬四郎だんなもそんなことおっしゃって、目色を変えながら早駕籠で尋ねてまいりましたが、どこかで首を盗まれた人間でもあるんですか」
しかも、行った先、行った先の番所の者が異口同音にそういって、すでにひと足お先に敬四郎の回ったことを立証しましたものでしたから、心当たりのなかったことよりも、あてのはずれてしまったことよりも、敬四郎に先んじられたくやしさと、敬四郎と同じ方法で探索の歩を進めていることに対する焦燥とで、右門はことごとくがっかりとなってしまいました。しかたなくあきらめると、とっぷりとすでに暮れきった夜の町を、力なく駕籠にゆられながらお組屋敷へ引き揚げました。ところへ、同時のように伝六も引き揚げてまいりましたが、その報告はこれも同様、手がかりとなるべきものはなに一つなく、やはり敬四郎配下の者が、すでにひと足先に回っていたということだけがわかったばかりでしたから、右門はいよいよがっかりとなって、黙然と腕こまぬきながら、今後いかにすべきかその方法について、ひたすら考えを凝らしました。
だが、どれだけ考えてみても、この三日前後に江戸において行き方しれずになった者もなく、首を失った者の届け出もないとすれば、けっきょく探索の中心点を疑問の旗本小田切久之進において、事件の糸口をほぐし出すべく、詳細な犯罪調査と、同時に久之進その人の身がら調査を行なうよりほかには、もう残された方法がないわけでしたから、としたならば、いかにしてその二つの調査を進めていったらいいか?――右門は考えの中心をその一点に集めて、いかにすべきかの方法について、くふうをこらしました。その結果として案出されたものは、次の二つでした。知らるるとおり、正面から当たったのでは面会をさえも拒絶しているんですから、いずれもからめてから糸をほぐしていこうという方法でありましたが、すなわち第一は、なんびとか久之進一家の内情を熟知している者によって、あの疑雲に包まれている秘密の殿堂をあばこうという方法で、第二は、ほかならぬあばたの敬四郎に向かって間者か付き人かを放ちながら、その手中に納めている材料を巧みに盗みとろうという手段――。そこで、あらたに起こって来る問題は、一と二とのそのいずれを選ぶべきかという点でありますが、いうまでもなく二の方法は一の方法よりもたやすいのです。
「よしッ。おれはあくまでもおれひとりの力によって、正々堂々と天地に恥じぬ公明正大な道を選んでやろう!」
ですから、瞬時のうちに、迷うところなく進むべき道が決心つきましたので、右門は
案の定、伊豆守は老中という権職の格式を離れて、親しくそのご寝所に右門を導き入れながら、気軽に接見してくれました。けれども、たやすく引見はしてくれましたが、結果は案外にも不首尾だったのです。疑惑の中心人物小田切久之進については、次のごとき数点を語ってくれたばかりで、すなわちその素姓に関しては、ご当代に至って新規お取り立てになった旗本であるということ、それまでは
「ちくしょうめ。相手にことを欠いて、また悪いやつが向こうに回ったものだね。ほかのだんななら、それほどくやしいとも、しゃくだとも思いませんが、あのあばたの大将にてがらされると思うと、あっしゃ江戸じゅうの女の子のためにくやしいね。どこの女の子にしたって、いい男にいいてがらさせるほうが、夢に見るにしたって、話に聞くにしたって、ずっといいこころもちがするんだからね」
まったくそうかもしれないが、しかし、あばたの敬四郎がたとい日本第一の
「あした来な」
そして、ごろりそのまま横になってしまいました。