即ち普通の風化作用では、岩石の性質によっては凸凹が烈しく、あるいは岩石の節理が膨くれ立ちて、木輪が、磨滅した木の肉から浮ぶように、抓み上がって見えたりするが、雪の動作は、それとは反対に岩石を擦り円め、滑らかにさせ、磨き上げるのである。ただ岩石の硬軟に依って、時間の相違はあるが、結局同一相を呈する。山崎理学士は信州白馬岳の葱平(海抜約二千九百米突)近傍において、擦痕ある岩壁を見られ、それを氷河の遺跡と判断せられて、表面が丸く滑っこく、その上に擦痕があるのを特徴に挙げた。氷河の遺跡ということが、確説であるか否かは、氷河を見たことのない私は知らぬが、雪辷りの痕も、岩壁の擦面は婉曲になって、また擦痕も谷の方向に走っていることは、例を示すことが出来る。 ただしかし一口に雪辷りと言っても、その雪は水に近い普通の雪解であるか、または氷に近い万年雪であるかによって、痕跡の状態に多大な相違を来すのである、両者の主なる相違は、水は低いところ、窪んだところに、活溌に働作をするのであるが、万年雪や氷は、寧ろ凸出した表面に働作をするのである、それだから、その擦痕も、水のは凹形になっているが、万年雪や氷河のは、凸形になっている、白馬岳の擦痕は、やはりこの凸形の方に属するらしく、富士で見たのは、いずれかと言えば凹形の方に属している。
四
山上において、積雪がどういう状態をしているかという事は、下界の人々には解らぬことであるから、最後にこれを説こうと思う。高峰の雪というと、誰でもその高潔を予想するが、新雪はともかく、いわゆる万年雪の状態にあるものは、表面は雨水が流れたり、崖の砂が塗られたり、偃松の枯枝が散ったりして、存外に汚ないものが多い。それも、一皮剥けば純白である。それは上皮の雪は、気泡を含むことが多いから、白いのであるが、下の方まで穿って見ると、圧搾のために、白さが次第に減じて、氷粒になりかけて、普通の氷に見られるような透明な碧さを有っている。「万年雪」の氷っているものは、幾らかの碧味を見る。しかし大石の下になって凍っている雪などを見ると、内部からの光の反射を妨げるために、暗黒で透明で、瀝青の色に見えることがある。 また万年雪を、半氷半雪状の凝河として観察すると、中央は一体に、両側より高く盛り上って、両側から見ると、中央が高いために、視線が中断されることがある、どうしても山の両斜面は、夏は暖かであるため、近い雪を融解減退させ、中央よりドカ落ちをさせている、但し狭い窪地などで、両側の崖に倚った方の雪が、高くて中央の雪が窪んで低くなっていることもあるから、要するに地形の支配を受けることは免かれない、ただ原則としては、事情が平斉である限り、中央が高くなるべきことと思えば宜しい。 日本高山の雪は、一体にどの方面に多いかというと、私が十月の末に富士山に登ったときの経験で見ると、この山は北の方面よりも、南の太平洋面に多い。それは、北風が強くて、雪を南に吹き飛ばすからである。日本北アルプスなる飛騨山脈を観ると、ここは冬は西風が強くて、東の方へ吹きなぐるため、夏日の残雪も、東の方に多量に堆積している。それのみならず、日光の融解力を考えると、朝の日は東の方面に当るが、その光線の力が微細であるに反し、昼は北や南に、午後は主として西が強い光線を受ける、即ち東は融解の力を受けることが弱いから、雪が多量に留置されるのだ。 そこで雪は、如何なる地点に最も多く残存するかというに、前に述べた如く、余り傾斜の峻急な尖った所には住まえないから、多くは緩傾斜の崖、または谷や盆地に留まる。しかし谷や盆地のは夏になると大概解けてしまうが、崖の雪は盛夏でも日本アルプスのは、半里から一里位の長さで繋がっていることがある。かかる所には怖ろしい罅穴(Crevasse)が出来て、穴の深さは二、三丈位に達するのを往々見受ける。欧洲アルプスではこれが三百米突位な深さに達し、登山者のみならず、羚羊までが踏み落ちると、そのまま氷漬けになり、自然の墳墓になるということであるが、日本ではそのように深奥なのはない。 日本山岳における万年雪の罅穴の標本としては、信州白馬岳の大雪田の末、白馬尻に見ることが出来る、日本山岳会員辻村伊助氏の説明によると、この罅穴は幅約一米突深さ五米突に及んでいるそうである。どうしてかかる穴が出来るかというに、雪や氷も眼に見えないが絶えず動いているので、傾斜地を辷り落ちる時、その速力が凡ての方面に同じなら差支ないが、雪の流れも河水と同じく、河岸に沿うた所は、多少の抵抗を受けるので遅緩であるが、中央は比較的早く進むので、その速力の不平均から、前へ出る力と、同伴を遅滞する両側の拒む力とが、均衡を失って、自ずと破れ目が出来る。しかしそればかりで出来るのではない、万年雪や氷は、塑造的物質になって、その通過する地床の傾斜に、少しでも変化があれば、氷雪はそれに応じて裂罅を作ること、渓流の「渦巻き」が、いつ見ても一つところに、居据わりのように出来ているのと同じく、クレッヴァスも毎年同一の地点に出来る現象を呈する。でなくとも、また大きな岩石が雪中に落ちると、石の吸収した熱の発射のために、石の四周の雪だけが溶けて、そこに狭い溝が出来ることがある。また雪のある地形によっては、石を擡げた雪だけが、石の影になっていて、光線を吸収しないために、その左右の方が早く解けてしまい、石が卓子で、下の雪がその脚となって、支えているようなこともある。 次に雪の面は、必ずしも板のように平面でなく、風の吹き荒れたままに漣波状をして、湖水のおもてに尖波が立ったような状能になり、そのまま凝っているのがある、また円い輪が幾つも列なって、同心円が出来ているのもある。ちょうどボートレースに、櫂からの雫が、河面にポタポタして、小さな円い輪を描いたのに似ている。これも風力が、雪片を飛散させて作ったのであろうと思われる。 最後に雪の「カアル」(Kar)またはサアカス(Cirques)というものについて述べる。これは雪が深く、岩壁に喰い入って、そこだけを、虫歯の洞のように、深く刳るので、刳られた崖が、椀を半分欠いたようになって、立っているのがそれだ。そこを刳りつくすと、また雪がずり下りて、一段低い所へ同じものを作るので、日本北アルプスにはそれが頗る多い。その最も標本的に現われているのは、越中薬師岳(二九二六米突)、信州黒部の五郎岳(二八四〇米突)などで、一体に槍ヶ岳から以北、即ち立山山脈、または後立山山脈に頗る多い。私が薬師岳で観察した所に依ると、凡べてのカアル皆然りとは言われないが、カアルの初期は、雪が横一文字に堆くなっているに過ぎないが、その両端の垂下力が遅く、中央が速いためか、第二期には三日月形に歪み、更に拡大して勾玉形になって来ている。中には勾玉形が、岩石の硬軟その他の関係から、逆さになっているのもある。そうなると両端から包囲するように、中央部までを喰い取って刳るから、一方の外壁を残して一方を欠いた噴火孔のようになる。しかしその岸側でなく、平坦地にあるものは、浸蝕力を逞しゅうすることが出来ないで、雪堤となって、一定の高さに達すると風に吹き落されてしまうのである。下から仰ぎ視て、黒い岩石の山稜に、白胡麻でも蒔いたように、細い雪が入っていると思われるのは、傍へ行くと、十町も二十町もある雪田であり、または山稜の窪みに喰い入った雪堤である。その雪田もズッと裾の方へ行くと、雪の穹門から水が滾々と湧き出ていて、洞内に高山植物などが美しく咲いている、但し夏日うっかり奥まで深く這入ると、雪がくずれて圧倒する危険がないとも限らぬ。 以上は雪そのものの美と作用を略説したのであるが、雪に依って保護される生物に、雷鳥や高山植物などがある。就中高山植物の美麗は熱帯の壮大華麗なる花を凌ぐのであるが、高山植物の美観は他日題を改めて説くつもりである。 山岳を建築とすれば、高山植物は、この建築内部の装飾絵画のようなもので、その美術家は雪である。山という建築が、高く大きく発達するほど、雪という美術家が多くなり、高山植物という補助の絵画が立派に製作される。高山の雪は、あながち死を連想するほどに、冷酷、寂寞、荒廃ではないのである。
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