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高山の雪(こうざんのゆき)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-5 8:57:46 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 

鳥海山(二千百五十七米突) 十月 二日  戸隠山(二千四百二十五米突) 十月 九日
妙高山(二千四百五十四米突)十月 九日  黒姫山(一千九百八十二米突) 同上
八ヶ岳(二千九百三十二米突)十月 十日  刈田岳(一千八百二十九米突) 十月十四日
岩木山(一千五百九十四米突)十月十五日  八甲田山(一千八百五十二米突)同上
槍ヶ岳(三千百八十米突)  十月十九日  白馬岳(二千九百三十三米突) 同上
吾妻山(一千八百六十米突) 十月二十日  大日岳(一千三百九十米突)  同上
四阿山(二千三百五十七米突)十月二十日  阿蘇山(一千五百八十三米突) 十一月廿五日
この標高は槍ヶ岳と白馬岳とを除いて、従来の地理書に従ったのであるから、当にならないものである。

で、北から中央、それから南と及ぼして雪の遅速が解る。そうして多くは、その前年または前々年と比べても、同一山において、十日内外の遅速があるのに過ぎないというのであるから、先ず大概の見当はつくであろう。
 富士山の如きは、十月より四月頃までは不断の降雪があるが、一昨々年は五月十二日に五合目以上に降雪あり、一昨年は五月二十六日には山巓さんてんに降雪があり(信州浅間山にも同年五月二十四日九合目以上に約四、五寸の降雪があった)、六月十日に三合目以上に降雪があり、七月十七日午後二時頃から八合目に降雪があり、一昨年は、八月十六、七日に降雪があったほどで、甲斐、信濃、飛騨、越中、越後辺の日本アルプス帯にも、ただ報告がないというだけで、矢張り同じような降雪があったろうと思われるから、要するに日本の高山は、一年中、量の多少はあっても、降雪は絶えずあるものと信じていて、差支さしつかえはなかろう。随って厳格に言えば、初雪という語は意義を成さないのである。

      三

 次に、高山の氷雪が、如何いかばかりの造山力を有するかを語ろう。人は山頂の雪を、千古不滅と形容する。富士山には消えないという意味の「万年雪」の名がある。欧洲アルプス地方では、仏蘭西フランス語のネヴェ N※(アキュートアクセント付きE小文字)v※(アキュートアクセント付きE小文字) を、万年雪というところに用いている、厳格にいうとネヴェとは、雪線以上の氷河地方にある不滅の雪で、グレシア(Glacier 普通「氷河」と訳す)とは、雪線以下の氷河地方に限られたもののようであるが、日本の山岳地には、雪線も、氷河もないために、ネヴェという語を、固まった半雪半氷状態の万年雪に擬している、しかし単に状態の上からめた名とすれば、さしたる不都合はなかろうと思われる。しかし地熱の反射から、雪は次第に下から溶解し、上からは新しいのが供給されるから、一見不滅のようでも、それは絶えず新陳代謝しているので、山峰や山稜の上に雪が積ってはまた積り、それが千年も万年も経つとしたら、早い話が、一年に雪が三尺ずつ積れば、五千年で一万五千尺になる計算で、山の上には遥かに高大なる雪の山が出来て、地上の湿分は永久に、山上に閉鎖されて、下界は乾燥になるわけである。しかし世界の何所どこにも、そんな現象がないのは、山頂の積雪は、それ自身の圧力で表面は融解し、時々の雨や雲霧で氷に固形し、これらがそれ自からの重量のためにこおれる河(即ち氷河)または短かい舌状の氷流となり、徐々そろそろと低地に向ってれ下り、または融解蒸発して再び雪となり、山頂に下って、前の通りを循環するからである。そうでなかった日には、雪ばかりの山が、大崩雪おおなだれとなって、日本のように山岳が多くて平原の狭い国は、平原中が雪で埋没されるわけになってしまうのである。
 山岳に登ったことのない人は、山の頂点に行けば行くほど、寒いから雪が多量に積むものと考えているらしいが、事実はそうでない。頂点は風力が強くて、雪を飛散させるためと、傾斜急峻で雪の維持力に乏しいためとで、かえって雪は少量または稀有である。その少量の取り残された残雪も氷河となって、遅緩なる運動を以て、山から下りて来るのである。またあまり高層へ行くと、空気は乾燥して水分を含むことが少ないから、雪はかえってないものである。近頃では展覧会などで見る「高嶺の雪」などいう日本画には、空気を絶したような峻急な高嶺に、綿帽子のように、むやみに雪を盛り上げたのがあるけれども、あれは誤りである。
 もし毎年の雪の量を、測量して見たいと思う人があったら、雪の上に、適宜な印をつけて置くことだ、勿論その雪は、万年雪か、一カ年で溶解しないものでなければならぬ、そうして一年二年と経るうちに、印が次第に深いところへ埋没陥落して行くようなら、その山の雪は、融解の量より、堆積する方の量が多いものと見なければならぬ、勿論これは至って簡単な方法を選んだのである。
 日本の山岳は、日本アルプスあたりでは、大洋より来る湿気を含める風が当って、降雪量は充分であるが、融ける分量の方が積る分量より多いのであるから、氷河という現象を作らない。富士山は日本では三千七百七十八米突という抜群の標高を有しているが、太平洋方面は黒潮が流れるほどの暖かさで、かつ冬季はれて雨量が少なく、山腹以上の傾斜が急峻であるから、これも氷河を作る資格がない。これに反して日本海方面の北アルプスは、冬季氷雪の多いこと無双であるが、山の標高は辛うじて三千米突を出入するに過ぎない。もし富士山の位置を、北アルプスに移し換えて、その痩削そうさく的の山容を改めたらば、あるいはどういう雪の結果をもたらしたか、あらかじめ知り難いのである。
 これを、も一つ別の意味から言い換えると、日本アルプスは、南北によって雪の分量を異にしている、たとい厳格に言う雪線がなくても、夏日の残雪で、比較的常住の雪線を仮定して見ると、北は雪線が低くて、南が高くなっている、冬季多量なる湿分は、雪線を低くするが、これに反して乾燥な生暖かい風は、雪線をたかめる結果になる、日本アルプスを仮に最北を白馬岳から、最南を富士山より少しく以南(赤石山系の最南端は低いから除いて)までとすれば、おそらく雪線高低の差は、三百米突以上に及びはしまいかと思われる、ヒマラヤ山は、日本アルプスとは反対に、南の方に雪が多量で、雪線が低く、北方は少量で、雪線が高い、即ち南は実際において、赤道に近いにも拘わらず印度洋を払拭ふっしょくして来る風が、多量の水蒸気を齎らすのに反して、北は西蔵チベット高原から吹きつける暑熱の乾燥した風であるために、南と北では、雪線の差が一千四百米突にも及んでいる、日本アルプス南方に、雪の少ないのは、太平洋方面が冬季に、比較的温暖であるばかりでなく、日本海からの凜烈りんれつなる北風は、多量の雪を北アルプスの斜面や、山頂に振り落して、南アルプスには、その剰余を、分配するに過ぎないからではなかろうか。
 雪が氷河になると、その山側を擦り下りる圧力で山体を銷磨しょうまして行く。欧洲アルプスの山岳の概して三角形をしているのは、氷河が山の表裏や側面に向って整斉的に作用したからで、その斧痕ふこんは岩壁に示されている。しかし氷河を欠いた日本アルプスには、それほど雪の働きを示さないから、岩石は鋭い山稜リッジや、尖ったピークとなって、粗硬な形態を示している。それはおもに風化作用の力であるから、山は岩石の性質によって種々雑多な形容をしている。硬い岩石は、例えば、甲州アルプスで金峰山(二五五一米突)の五丈石、鳳凰山(二七七九米突)の地蔵仏は、結晶岩なる花崗石で、飛騨山脈の槍ヶ岳(三一八〇米突)は石英斑岩の硬石である。また粘板岩や砂岩のような比較的柔かいのは、最後まで残存して孤立することがむつかしいので、石板が墜落堆積して、登るには困難する。その好例は赤石山(三一二〇米突)の赤石沢などで、およそ山巓から三百米突も下まで、大崩石で埋まっている。
 しかし、そういう岩石は、風化の作用だけで、雪の力を借らないものかというと、決してそうではない。夜は冷気のために雪が岩石の膚肌に凝結し、昼はそばから蒸発して行くので、冷熱の変化から岩石を破壊し、山体を陶器の破片のように滅茶滅茶にして散乱させる。飛騨山脈の槍ヶ岳から鎌尾根という山稜にかかる辺に、その岩石は洪水のように溢れている。それを破片岩デブリィ(Debris)と称している。
 雪のある地方より高く抜いた山は、風化作用という破壊力のために、次第に低く削られるけれども、それが雪の多いところまで低下して来ると、かえって雪氷のために風化作用の爆裂から保護されて、傾斜も柔和になって、相応に高い平均高度を有することになる。日本アルプス飛騨山脈が平均三千米突の高度を有しているのはその好適例で、雪によって美しく、白馬岳(二九三三米突)のように高山植物に豊富で、雪に依ってその全体の高峻を、或程度までは保護されているのである。
 日本アルプスの中で、最も山形に変化の多いのは北アルプスで、それには乗鞍岳(三〇二六米突)や御嶽(三〇六五米突)のように、富士山を除いて、日本第一の大火山の噴出があったためもあるが、御嶽頂上の五個の池、乗鞍岳頂上の火口湖などに、絶えず美しい水をたたえているのも、また信飛地方の峡谷の水が、純美であるのも、雪から無尽蔵に供給するからである。
 氷河は勿論だが、雪すべりが山側を磨擦する時は、富士山の剣丸尾けんまるび熔岩流のように、長い舌の形によって、そのめた痕跡が残る。私が富士山の御殿場口と、須走すばしり口の間で見たのは、雪解の痕が砂を柔かく厚く盛り上げて、幾筋ともなく流れているのが、二合目または一合目辺で、力が尽きて停止したままの状態を示していた。その停止している所は、舌の先のようで、お正月の海鼠餅なまこもちの格好だ。ただ比較にならぬほど長くて幅が大きいのである。雪解の水にされて沈澱した砂は、粒が美しく揃って、並の火山礫などとは、容易に区別が出来る。また富士山の「御中道めぐり」と称して、山腹の五、六合目の間を一匝いっそうする道がある。これを巡ると、大宮口から吉田口に到るまでの間に殊に多く灰青色の堅緻なる熔岩流があり、漆喰しっくいで固めたように山を縦に走っている。これは普通火山で見受ける、あかく焦げた熔岩とは思えないので、道者連は真石と称えているが、平林理学士に従えば、橄欖かんらん輝石富士岩に属しているそうだ。この熔岩の上を雪が辷った痕を見ると、滑らかな光沢があって、鏡のように光っている。これは御殿場口から須走口に入ろうとする森林の側の、大日沢という所にも発見される。

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