主人は公方や管領の上を語るのを聞いている中に、やや激したのであろう、にッたりと緩めて居た顔つきは稍々引緊って硬ばって来たが、それを打消そうと力むるのか、裏の枯れたような高笑い、 「ハッハッハ。其通り。了休がまだ在俗の時、何処からか教えられてまいったことであろうが、二ツの泥づくりの牛が必死に闘いながら海へ入って了う、それが此世の様だと申居った。泥牛、泥人形、みんな泥牛、泥人形。世間一体を良くしようなどと心底から思うものが何処にござろう。又仮令然様思う者が有ったにしても、何様すれば世間が良くなるか、其様な道を知っているものが何処にござろう。道が分らぬから術を求める。術を以て先ずおのが角を立派にし、おのが筋骨を強くし、おのが身を大きくしようとする。其段になればやはり闘だ。如何に愛宕の申子なればとて、飯綱愛宕の魔法を修行し、女人禁制の苦を甘ない、経陀羅尼を誦して、印を結び呪を保ち、身を虚空に騰らせようなどと、魔道の下に世をひれ伏さしょうとするほどのたわけ者が威を振って、公方を手づくねの泥細工で仕立つる。それが当世でござる。癪に触らいでか。道も知らぬ、術も知らぬ、身柄家柄も無い、頼むは腕一本限りの者に取っては、気に食わぬ奴は容赦無くたたき斬って、時節到来の時は、つんのめって海に入る。然様したスッキリした心持で生きて、生きとおしたら今宵死んでも可い、それが又自然に世の中の為にもなろう。ハハハハハハ。」 「それで世の中は何時迄も修羅道つづきで……御身は修羅道の屈原のような。」 「ナニ、屈原とナ。」 「心を厳しく清く保って主に容れられず、世に容れられず、汨羅に身を投げて歿くなられた彼の。」 「フ、フ。ヤ、それがしはおとなしくは死なぬ、暴れ屈原か。ハハハハ。」 「世を遁れて仏道に飛込まれた彼の了休禅坊はおとなしい屈原で。」 「ハハ、ハハ。良い男だが、禅に入るなど、ケチな奴で。」 「失礼御免を蒙りまするが、たたき斬り三昧で、今宵死んで悔いぬとのみの暴れ屈原も……」 「貴様の存分な意見からは……」 「ケチではござらぬかナ。と申したい。」 「アッハッハ。何でまた。」 「物さしで海の深さを測る。物さしのたけが尽きても海が尽きたではござらぬ。今の武家の世も一ト[#「ト」は小書き]世界でござる、仏道の世界も一ト[#「ト」は小書き]世界でござる、日本国も一ト[#「ト」は小書き]世界でござる。が、世界がそれらで尽きたではござらぬ。高麗、唐土、暹羅国、カンボジャ、スマトラ、安南、天竺、世界ははて無く広がって居りまする。ここの世界が癪に触るとて、癪に触らぬ世界もござろう。紀伊の藤代から大船を出して、四五十反の帆に東々北の風を受ければ、忽ちにして煩わしい此の世界はこちらに残り、あちらの世界はあちらに現われる。異った星の光、異った山の色、随分おもしろい世界もござるげな。何といろいろの世界を股にかける広い広い大きな渡海商いの世界から見ましょうなら、何人が斬れるでも無い一本の刀で癇癪の腹を癒そうとし、時節到来の暁は未練なく死のうまでよと、身を諦めて居らるる仁有らば、いさぎよくはござれど狭い、小さい、見て居らるる世界が小さく限られて、自然と好みも小さいかと存ずる。大海に出た大船の上で、一天の星を兜に被て、万里の風に吹かれながら、はて知れぬ世界に対って武者振いして立つ、然様いう境界もあるのでござりまするから」 と言いかけたる時、狗の鈴の音しきりに鳴りて、又此家に人の一人二人ならず訪い来れる様子の感ぜらる。 此時主人は改めて大きくにッたりと笑って、其眼は客を正目に見ながら、 「如何にも手広い渡海商いは、まことに心地よいことでござろう。小さな癇癪などは忘るるほどのことでもござろう。然しナ、其の大海の上で万里の風に吹かれながら、真蒼の空の光を美しいと見て立っている時、これから帰り着くべき故郷の吾が家でノ、最愛の妻が明るうないことを仕居って、其召使が誤って……あらぬ男を引入れ、そして其のケチな男に手証の品を握って帰られた……と知ったなら、広い海の上に居ても、大腹中でも、やはり小さな癇癪が起らずには居まいがナ。」 と、三斗の悪水は驀向から打澆けられた。 客は愕然として急に左の膝を一ト[#「ト」は小書き]膝引いて主人を一ト眼見たが、直に身を伏せて、少時は頭を上げ得無かった。然し流石は老骨だ。 「恐れ入りました。」 と、一句、ただ一句に一切を片づけて了って、 「了休禅坊とは在俗中も出家後も懇意に致居りましたを手寄りに、御尋致しましたるところ、御隔意無く種々御話し下され、失礼ながら御気象も御思召も了休御噂の如く珍しき御器量に拝し上げ、我を忘れて無遠慮に愚存など申上げましたが、畢竟は只今御話の一ト[#「ト」は小書き]品を頂戴致したい旨を申出ずるに申出兼ねて、何彼、右左、と御物語致し居りたる次第、但し余談とは申せ、詐り飾りは申したのではござりませぬ、御覧の如くの野人にござりまする。何卒了休禅坊御懇親の御縁に寄り、私の至情御汲取り下されまして、私めまで右品御戻しを御願い致しまする。御無礼、御叱りには測り兼ねまするが、今後御熟懇、永く御為に相成るべき者と御見知り願い度、猶不日了休禅坊同道相伺い、御礼に罷出ます、重々御恩に被ますることでござりまする。親子の情、是の如く、真実心を以て相願いまする。」 と、顔を擡げてじっと主人を看る眼に、涙のさしぐみて、はふり墜ちんとする時、また頭を下げた。中々食えぬ老人には相違無いが、此時の顔つきには福々しさも図々しさも無くなって、ただ真面目ばかりが充ち溢れていた。ところが、それに負けるような主人では無かった。 「いやでござる。」 と言下に撥ねかえした。にッたりとはして居なかった、苦りかえっていた。 「おいやと御思いではござりましょうが、何卒御思い返し下されまして、……何卒、何卒、私娘の生命にかかることでござりまする。」 「…………」 「あの生先長いものが、酷らしいことにもなりまするのでござりまするから。」 「…………」 「何としても、私、このままに見ては居れませぬ。仏とも神とも仰ぎたてまつります。何卒、何卒、御あわれみをもちまして。」 「…………」 「如何様の事でも致しまする。あれさえ御返し下さりょうならば、如何様の事を仰せられましょうと、必ず仰のままに致しまする。何卒、何となりと仰せられて下さりませ。何卒何卒。」 「…………」 「斯程に御願い申上げても、よしあし共に仰せられぬは、お情無い。私共を何となれとの御思召か、又彼品を何となさりょう御思召か。何の御役に立ちましょうものでもござりますまいに。」 「御身等を、何となれとも、それがしは思っておらぬ。すべて他人の事に差図がましいことすることは、甚だ厭わしいことにして居るそれがしじゃ。御身等は船の上の人が何とか捌こうまでじゃ。少しもそれがしの関からぬことじゃ。」 「如何にも冷い厳しい……彼の品は何となさる思召で。」 「彼品は船の上の人の帰り次第、それがしが其人に逢い、かくかくの仔細で、かくかくの場合に臨んだ、其時の証として仮りに持帰った、もとより御身の物ゆえ御身に返す、と其人に渡す。それがしの為すべきことはそれだけのことじゃ。」 「何故に、然様なさりませねばならぬと固くは御思いになりまする?」 「表裏反覆の甚だしい世じゃ。思うても見られい、公方と管領とが総州を攻められた折は何様じゃ。総州が我を立てたが故に攻められたのじゃ。然るに細川、山名、一色等は公方管領を送り出して置いて、長陣に退屈させて、桂の遊女を陣中に召さするほどに致し置き、おのれ等ゆるゆると大勢を組揃え、急に起って四方より取囲み、其謀計合期したれば、管領は御自害ある。留守の者が急に敵になって、出先の者を攻めたでは出先の者の亡びぬ訳は無い。恐ろしい表裏の世じゃ。ましてそれがしが、御身の妻女はこれこれと、其の良からぬことを告げたところで、証拠無ければただ是讒言。女の弁舌に云廻されては、男は却ってそれがしをこそ怪しき者に思え、何で吾が妻女を疑い、他人を信としようぞ。惣じてかかる場合、たといそれがしが其家譜代の郎党であって、忠義かねて知られたものにせよ、斯様の事を迂闊に云出さば、却って逆に不埒者に取って落され、辛き目に逢うは知れた事、世上に其例いくらも有り。又後暗いことするほどの才ある女が、其迷いが募っては何ぞの折に夫を禍するに至ることも世に多きためし。それがしが彼人に証を以て告口せずに置かば、彼人の行末も空恐ろしく、又それがしは悪を助けて善を助けぬ外道魔道の眷属となる。此の外道魔道の眷属が今の世には充ち満ちている。公方を追落し、管領を殺したも、皆かかる眷属共の為たことである。何事も知らぬ顔して、おのが利得にならぬことは指一ツ動かさず、ぬっぺりと世を送りくさって、みずから手は下さねど、見す見す正道の者の枯れ行き、邪道の者の栄え行くのを見送っている、癇に触る奴めらが世間一杯。一々たたき斬って呉れたい虫けらども。其虫けらにそれがしがなろうや。もとよりとげとげしい今の此世、それがしが身の分際では、朝起きれば夕までは生命ありとも思わず、夜を睡れば明日まであたたかにあろうとも思わず、今すぐここに切死にするか、切り殺さるるか、と突詰め突詰めて時を送っている。殊更此頃は進んでも鎗ぶすまの中に突懸り、猛火の中にも飛入ろう所存に燃えておる。癪に触るものは一ツでも多く叩き潰し、一人でも多く叩き斬ろうに、遠慮も斟酌も何有ろう。御身は器量骨柄も勝れ、一ト[#「ト」は小書き]風ある気象もおもしろいで、これまでは談も交したなれど、御身の頼みは聴入れ申さぬ。」 と感慨交りに厳しくことわられ、取縋ろうすべも無く没義道に振放された。 「かほどまでに真実を尽して御願い申しましても。」 「いやでござる。」 「金銀財宝、何なりと思召す通りに計らいましても。」 「いやでござる。」 「何事の御手助けなりとも致しましても。」 「いやでござる。」 「如何様にも御指図下さりますれば、仮令臙脂屋身代悉く灰となりましても御指図通りに致しまするが……」
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