日本児童文学名作集(上) |
岩波文庫、岩波書店 |
1994(平成6)年2月16日 |
1994(平成6)年2月16日第1刷 |
2000(平成12)年1月14日第10刷 |
露伴全集 第10巻 |
岩波書店 |
1953(昭和28)年7月 |
いづれの邦にも古話といふものありて、なかなかに近き頃の小説家などの作り設くとも及びがたきおもしろみあるものなり。されど小国民を読むほどの少年諸子には、桃太郎猿蟹合戦の類も珍らしからざるべく、また『韓非子』『荘子』などに出でたるも珍らしからざるべければ、日本支那のは姑く措きて印度の古話を蒐め綴り、前に宝の蔵と名づけて学齢館の需めに応じ出版せしめしに、おもひのほかに面白しとて少年諸子の、なほその他にも話ありや、あらば聞かせよといひ越し玉ふもあるまま、今また一条の物語りをここに載すべし。印度は諸子が父上母上の頃には天竺と呼びたる最早くより開け進みし国にて、今日よりして評するも世界の文明の母ともいふべきところなれば、従つて趣味ある古話にも富みたり、御望みならむには随分諸子のために珍奇なる話を取り出して一年や二年の間はこの紙上に掲げん。さてこの号には、利、阿利兄弟の譚を載すべし。
むかしむかし、一人の長者ありて二人の子を有てり。兄を利といひ弟を阿利といひしが、長老は常々二人に対ひて、高きものは堕ち、常なきものは尽き、生あれば死あり、会へるものは離るることあらむと諭しける。されど一家は常に富み栄えて別に忌はしきことにも遇はず、世を楽しく過ごし行きけるに、長老が諭しのあたるべき時は来りて、老の身に病を得しより長者は枕つひにあがらず、いよいよ生命終るべく定まりたり。時に長者は二人の子を枕辺に招きて、死するも生くるも天命なれば汝等みだりに歎くべからず、ただ我終焉に臨みて汝等に言ひ置くことあれば能く心に留めて忘るるなかれ、我が亡き後は汝等二人決して分れをることをすべからず、譬へば一条の糸にては象を係ぐこと難けれど多くの糸を集めて縄となさば大象をも係ぐを得べきがごとく、兄弟力を併せて家を保たんには家も無事長久なるべけれど汝等互ひに私慾を図りて分れ分れとなりなば、一条の糸の弱きがごとくなりて家も衰へ亡ぶべし、この我が訓を能く記えて決して背くことなかれと苦ごろに誡め諭して現世を逝りければ、兄弟共に父の遺訓に随ひて互ひに助けあひつつ安楽に日を消しけり。 さるほどに弟も生長して年頃となりしかば、縁ありしを幸として兄はそのため婦を迎へ遣りしに、この婦心狭くして良からぬものなりしゆゑ夫に対ひて、汝はあたかも奴隷のやうなり、金銀用度も皆兄まかせにて我が所有といふものもなく、唯衣ることと食ふこととに不足なさざるばかりなれば奴隷といふても宜かるべし、汝如何ほど働きたりとて唯この家を富ますのみにて汝の所有の殖ゆるにもあらねば、まことに以て楽み薄し、と賢顔に説きければ、弟はこれより分居の心を生じて、兄に財産を分ちくれむことを求めける。兄は、亡き父上の御遺言をも忘れて汝は分居せむとや、さても分別違ひのことを能くも汝はいひ得るよ、と度々弟を誡め諭して敢て弟のいふところを許さざりしが、弟の堅く分居せんといひ張りて已まぬに打負けて、遂に一切の財産を正半分にし、その一方を弟に与へぬ。 弟夫婦は年少きまま無益の奢侈に財を費し、幾時も経ざるに貧しくなりて、兄の許に合力を乞ひに来ければ、兄は是非なく銭十万を与へけるに、それをも少時に用ひ尽してまた合力を乞ひに来りぬ。一人の弟のことなればと、苦き顔もせで兄はいふまままた十万を与へしに、またそれをさへ遣ひ果して、例の通りに無心に来ること前の如し。前後合せてかくの如きこと六反に及びけれど、その度ごとに十万づつ与へて兄は惜ともおもはざりしが、七反目にいたりてさすがに堪へきれずなり、父上の遺訓にも背きしのみか数次来りて財を乞ふ段、弟とはいへ奇怪なり、貧しくなりて苦むも皆自らの心がらぞ、この度だけは十万銭を例のごとくに与ふべけれど以後は来るとも与ふまじきぞ、能く心して生活の道を治めよ、と苦ろに説き示しければ、弟はこれを口惜く思ひてその後生活の道に心を用ひ、漸く富を致しけるが、それに引替へ兄はまた数次弟に財を与へしより貧しくなりて自ら支へがたきに及び、かつて与へしこともあれば今は弟に少時のところを助けてもらはむと、弟のところに到りて、我この頃は大きに財に乏しきゆゑ何卒合力してくれよといひけるに、弟は答へて、先に我が窮困して汝が許にいたり僅の合力を乞ひしとき汝は何といひ玉ひし、貧しくなりて苦むも皆みづからの心がらぞと情なく我を責め玉ひしにはあらずや、我今汝にその語を返さん、貧しくなりて苦むも皆みづからの心がらぞ、我は汝を助けがたし、と恩を忘れて謝絶りける。 兄は弟のあさましき言葉に深き愁を起し、血統の兄弟にてすらもかくまでに酷く情なければまして縁なき世の人をや、ああ厭はしき世の中なりと、狭き心に思ひ定めて商買を廃め、僧と身をなして、ひたすらに悪き世を善に導かんと修行に心を委ね、ある山深きところに到りて精勤苦行しゐたりけるが、年月経て一旦富みし弟の阿利は、兄に対して薄情なりし報いのためにや損毛のみ打つづきてまた貧者となり、薪を売りて辛くも活くる身となりけり。時に兄の利は托鉢なして食を得んと城中に入りしが、生憎布施するものもなかりければ空鉢をもて還らんとしけるが、途にて弟に行遇ひたり。弟は兄を剃髪染衣の身ならむとは思ひもかけず、兄は弟を薪売り人になりをらむとは思ひもかけず、かつ諸共に窶れ齢老いたればそれとも心づかざれど、弟の阿利は尊げなる僧の饑ゑたる面色して空鉢を捧げ還る風情を見るより、図らず惻隠の善心を起し、往時兄をば情なくせしことをも思ひ浮めて悔いつつ、薪に代へて僅に得し稗のあるを与へんと僧を呼び留め、尊者よ、道のためにせらるる尊き人よ、幸ひに我が奉つる麁食を納め玉はむや、と問へば僧はふりかへりて、薪を売る人よ、世の慾を捨てし我らなればその芳志を受るのみ、美味と麁食とを撰ばず、纔に身をば支ふれば足れりといふにぞ、便ち稗のを布施しけるに、僧は稗のを食し訖りて去たりける。
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