その後阿利は薪を取らんと山に行きしが、道にて一匹の兎を見ければ杖ふり上げて丁と撩ちしに、忽ち兎は死人と変じて阿利の項に搦み着きたり。これはと大きに驚き呆れて、推し剥がさんと力を出せど少しも離るることなければ、人を頼みて挽却らしめしも一向さらにその甲斐なし。是非なく夜に紛れて我家に帰れば、こはまた不思議や、死人の両手は自然に解けて体は地に堕ち、見る見る灼々たる光輝を発して無垢の黄金像となりけり。阿利は大きに驚きながらその像の頭を截り取りしに、頭はまた新に自然と生じ、また截り取ればまた生じぬ。手を截り去れば手また生じ、脚を截り去れば脚また生じ、金の頭金の手金の脚家充満となりて、爛々燦々と輝きわたりければ、この事王の耳に入りしが、仔細を問ひ玉ふに及びて、これ善行の報なりと知れ、福人なりとて売薪者を急に一聚落の長に封ぜられしとぞ。眼前には利ありとも不善によりて保ちたる利は終に保ちがたく、眼前には福を獲ずとも善心によりて生ずる福は終に大きなるものなり。
むかしむかし棄老国と号ばれたる国ありて、其国に住めるものは、自己が父母の老い衰へて物の役にも立たずなれば、老人は国の費えなりとて遠き山の奥野の末なんどに駆り棄つるを恒例とし、また一国の常法となしゐけるが、ここに一人の孝心深き大臣ありけり。日頃やさしく父に事へて孝養怠りなかりしが、月日の経つは是非なきことにてその父やうやく老いにければ、国法に順はむには山にもせよ野にせよ里距れたる地へ棄つべくなりぬ。されども元来孝心深き大臣の、如何で然る酷きことをなし得べき。事露はれて国法に背きたる罪を問はれなばそれまでなりと、深く地を掘りて密室をその中に造り設け、表面は那処へか棄てたるやうにもてなして父をば其室に忍ばせ置き、なほ孝養を尽しける。 時にたまたま天の神ありて突然に棄老の王宮に降り、国王ならびに諸臣に対ひて、手に持てる二の蛇を殿上に置き、見よ見よ汝ら、汝らこの蛇のいづれか雄にしていづれか雌なるを別ち得るや、別ち得ばよし、別ち得ずんば国王よく聞け、汝を亡ぼし、汝の国をも我が神力もて滅すべし、七日の間にこの棄老をば殄ぼすべきぞ、と厳然として誥げければ、王は大きに驚き畏れ、群臣と共に頭をあつめて答弁をなさんと議れども、誰とて蛇の雌雄をば見定むべくもあらぬままただ当惑するばかりなり。国の大事ぞ、等閑になせそ、もし何者にもあれ天神の難問を能く解き開き得ば厚く賞与をすべきなりと、一国内に洽く知らしめて答弁を募るに応ずるものも更になし。彼の大臣は家に帰りて、もし我が父の知ることもやと例の密室に至りてこの由を述べけるに、そは難渋きことにあらず、軟にして細きものを蛇に近づけてその躁ぐを雄と知り、静かなるを雌と知るべしと教へければ、大臣は急に王宮に行きてこの旨をいひ出で、試しみるに果してその言の如く、雄雌紛るるかたもあらず。王は悦びて天神に対ひ、これは雌にしてこれは雄なりと答ふるにその答誤りなければ、天神はまた一大白象を現して、この象の重さ幾斤両ぞ、答へ得ずんば国を覆さん、と難題を出しぬ。 王も諸臣も、如何にして秤皿にも載せがたきこの大象の重さを知り得んと答へ迷ひけるが、彼大臣はまた父に問ひ尋ぬるに、そは易きことなり、象をば船に打乗せて水の船を没すところに印をつけ置き、さて象の代りに石を積みて先の印のところまで船の水に没るるを見計らひ、一々石の量目を量り集めなば即ち象の斤両を得べしと教へられ、道理なりと合点してこの智をもつて天神に答へける。よしよし、さらばまた問はむ、一掬の水の大海より多きことあり、この理を知るや、と天神の例の如くに難問を下すに、例のごとく王らはまた答へを為し得で困りけれど、彼大臣は例のごとく老父の教を得て、その語は極めて解きやすし、もし人ありて慈悲心をもて父母乃至世の病人なんどに水を施さば、仮令その量少くして僅に掌に掬びたるほどなりとも、その功徳広大無辺にして大海といへども比ぶるに足らじといひければ、この度は天神忽ち身を変じて、眉うつくしく色あざやかに、玉とも花ともいふべきまで麗き女と化けながら、世間に我ほど端厳きものあるべきやと尋ねたり。 王らは例の如く答なかりしが大臣はまた父にききて、世間にはなほ端厳く妙なるもののなきにあらず、道を守りて心を正し、父母に事へては孝に君に事へては忠に、他に対しては温和にして、心に大なる慈悲を懐くものあらばその端厳さ千万倍なり、今の汝をそれに比べば猴の如くに劣りなんと答ふるに、天神はまた栴檀の木の頭尾知れざるものを出して、いづれの方が樹の根のかたにていづれの方が樹梢の方ぞ、疾く答へよ、と問ひ詰りぬ。王らはまた答へ得ざりしが彼大臣はまた父に教へられて、木を水中に投げ入れつ、浮きたる方こそ樹末なれ、根の方は木理つみて自然と重ければ下に沈むなりと答へけるに、天神はまた同じやうなる牝馬二匹を指して、那箇が母か那箇が子か、と詰り問ひぬ。君臣共に例の通り答へ得ざれば、彼大臣はまたもや父より教へられて、草を一時に食はせんに母の馬はかならず先に子に食はせ、子の駒は母より後に食ふことなからむ、と道理を詰めて答へけるを、天神大きに賞讃なし、幾番の我が難問を一々申し開き得たれば、国王ならびに群臣とも心易かれ、今より後は我この国を護りやりて外敵侵害し能はざらしめん、といひ置きて天に上りける。 国王大きに悦びて、これも皆彼者の智慧ありし故なればと、彼大臣を呼び出して恩賞の沙汰ありけるに、この御恩賞としては願はくは臣が罪を免したまへ、実は臣国法を破りて老いたる父を棄てざりしが、その父に尋ね問ひて一々答を得しなり、といひければ王は大きに感歎なし、その老父を召出して師となし、大臣を厚く賞し、なほ国中に令を下して老いたるものを棄つるをば厳しく禁じ、四民に孝行を篤く勧められけるとぞ。老いたるものとて侮るべからず、無用に似たる人をも物をも浪に棄てずば、また益をなすことあるべし。
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
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