二
両人は、息子のために気まずい云い合いをしながらも、息子から親を思う手紙を受け取ったり、夏休みに帰った息子の顔を見たりすると、急にそれまでの苦労を忘れてしまったかのように喜んだ。初めのうち、清三は夏休み中、池の水を汲むのを手伝ったり、畑へ小豆の莢を摘みに行ったりした。しかし、学年が進んで、次第に都会人らしく、垢ぬけがして、親の眼にも何だか品が出来たように思われだすと、おしかは、野良仕事をさすのが勿体ないような気がしだした。両人は息子がえらくなるのがたのしみだった。それによって、両人の苦労は殆どつぐなわれた。一年在学を延期するのも、息子がそれだけえらくなるのだと思うと、慰められないこともなかった。 「清よ、これゃどこの本どいや?」為吉は読めもしない息子の本を拡げて、自分のものゝように頁をめくった。彼には清三がいろ/\むずかしいことを知って居り、難解な外国の本が読めるのが、丁度自分にそれだけの能力が出来たかのように嬉しいのだった。そして、ひまがあると清三のそばへ寄って行って話しかけた。 「独逸語。」 「……独逸語のうちでもこれは大分むずかしんじゃろう。」 「うむ。」 「清はチャンチャンとも話が出来るんかいや?」おしかも楽しそうに話しかけた。清三は海水浴から帰って本を出してきているところだった。 「出来る。」 「そんなら、お早よう――云うんは?」 「……」 「ごはんをお上り――はどういうんぞいや?」 「えゝい。ばあさんやかましい!」 「云うて聞かしてもよかろうがい。」おしかはたしなめるように云った。 「えゝい、黙っとれ!」 「お、親にそんなこと云よれ、バチがあたるんじゃ。」おしかは洗濯物をつゞくっていた。 清三は書物を見入っていた。ところが、暫らくすると、彼は頭痛がすると云いだした。 「そら見イ、バチじゃ。」おしかは笑った。 だが清三の頭痛は次第にひどくなってきた。熱もあるようだ。おしかは早速、富山の売薬を出してきた。 清三の熱は下らなかった。のみならず、ぐん/\上ってきた。腸チブスだったのである。 彼女は息子を隔離病舎へやりたくなかった。そこへ行くともう生きて帰れないものゝように思われるからだった。再三医者に懇願してよう/\自宅で療養することにして貰った。 高熱は永い間つゞいて容易に下らなかった。為吉とおしかとは、田畑の仕事を打ちやって息子の看護に懸命になった。甥の孝吉は一日に二度ずつ、一里ばかり向うの町へ氷を取りに自転車で走った。 おしかは二週間ばかり夜も眠むらずに清三の傍らについていた。折角、これまで金を入れたのだからどうしても生命を取り止めたい。言葉に出してこそ云わなかったが、彼女にも為吉にもそういう意識はたしかにあった。彼等は、どこにまでも息子のために骨身を惜まなかった。村の医者だけでは不安で物足りなくって、町からも医学士を迎えた。医学士はオートバイで毎日やってきた。その往診料は一回五円だった。 やっと危機は持ちこたえて通り越した。しかし、清三は久しく粥と卵ばかりを食っていなければならなかった。家の鶏が産む卵だけでは足りなくって、おしかは近所へ買いに行った。端界に相場が出るのを見越して持っていた僅かばかりの米も、半ばは食ってしまった。それでもおしかは十月の初めに清三が健康を恢復して上京するのを見送ると、自分が助かったような思いでほっとした。もう来年の三月まで待てばいいのである。負債も何も清三が仕末をしてくれる。…… 為吉が六十で、おしかは五十四だった。両人は多年の労苦に老い疲れていた。山も田も抵当に入り、借金の利子は彼等を絶えず追っかけてきた。最後に残してあった屋敷と、附近の畑まで、清三の病気のために書き入れなければならなくなった。 清三は卒業前に就職口が決定する筈だった。両人は、息子からの知らせが来るのを楽しみに待っていた。大きな会社にはいるのだろうと彼等はまだ見ぬ東京のことを想像して話しあった。そのうちに、両人も東京へ行けるかも知れない。 三月半ばのある日、おしかは夕飯の仕度に為吉よりも一と足さきに畑から帰った。すると上り口の障子の破れから投げ込まれた息子の手紙があった。彼女は早速封を切った。おしかは、文字が読めなかった。しかし、なぜかなつかしくって、息子がインキで罫紙に書いた手紙を、鼻さきへ持って行って嗅いで見た。清三の臭いがしているように思われた。やがて為吉が帰ると、彼女はまっ先に手紙を見せた。 為吉は竈の前につくばって焚き火の明りでそれを見たが、老いた眼には分らなかった。彼は土足のまゝ座敷へ這い上ってランプの灯を大きくした。 「何ぞえいことが書いてあるかよ?」おしかは為吉の傍へすりよって訊ねた。 「どう云うて来とるぞいの?」 しかし為吉は黙って二度繰りかえして読んだ。笑顔が現われて来なかった。 「何ぞいの?」 「会社へ勤めるのに新の洋服を拵えにゃならん云うて来とるんじゃ。」為吉は不服そうだった。 「今まで服は拵えとったやの。」 「あれゃ学校イ行く服じゃ。」 「ほんなまた銭要らやの。」 「うむ。」 「なんぼおこせ云うて来とるどいの?」 「百五十円ほどいるんじゃ。」 「百五十円!」おしかはびっくりした。「そんな銭がどこに有りゃ! 家にゃもうなんにも有りゃせんのに!」 「洋服がなけりゃ会社イ出られんのじゃろうし……困ったこっちゃ!」為吉はぐったり頭を垂れた。
三
学校を出て三年たつと、清三は東京で家を持った。会社に関係のある予備陸軍大佐の娘を妻に貰った。 為吉とおしかは、もうじいさん、ばあさんと呼ばれていいように年が寄っていた。野良仕事にも、夜なべにも昔日のように精が出なくなった。 債鬼のために、先祖伝来の田地を取られた時にも、おしかはもう愚痴をこぼさなかった。清三は卒業後、両人があてにしていた程の金を儲けもしなければ、送ってくれもしなかった。が、おしかは不服も云わなかった。やはり、息子が今にえらくなるのをあてにして待っていた。 それから一年ばかりたって、両人は田舎を引き払って東京へ行くことになった。 村の百姓達は為吉を羨しがった。一生村にくすぶって、毎年同じように麦を苅ったり、炎天の下で田の草を取ったりするのは楽なことではなかった。谷間の地は痩せて、一倍の苦労をしながら、収穫はどればもなかった。村民は老いて墓穴に入るまで、がつ/\鍬を手にして働かねばならなかった。それよりは都会へ行って、ラクに米の飯を食って暮す方がどれだけいゝかしれない。 両人は、田舎に執着を持っていなかった。使い慣れた古道具や、襤褸や、貯えてあった薪などを、親戚や近所の者達に思い切りよくやってしまった。 「お前等、えい所へ行くんじゃ云うが、結構なこっちゃ。」古い箕[#ルビの「み」は底本では「みの」]や桶を貰った隣人は羨しそうに云った。「うら等もシンショウ(財産のこと)をいれて子供をえろうにしといた方がよかった。ほいたらいつまでもこんな百姓をせいでもよかったんじゃ!」 「この鍬をやるか。――もう使うこたないんじゃ。」為吉は納屋の隅から古鍬を出して来た。 「それゃ置いときなされ。」ばあさんは、金目になりそうな物はやるのを惜しがった。 「こんな物を東京へ持って行けるんじゃなし、イッケシ(親戚のこと)へ預けとく云うたって預る方に邪魔にならア!」 「ほいたって置いといたら、また何ぞ役に立たあの。」 「……うらあもう東京イ行たらじゝむさい手織縞やこし着んぞ。」為吉は美しいさっぱりした東京の生活を想像していた。 「そんなにお前はなやすげに云うけんど、どれ一ツじゃって皆な銭出して買うたもんじゃ。」 じいさんはそんなことを云うおしかにかまわず、篩いや、中古の鍬まで世話になった隣近所や、親戚にやってしまった。 老いた家無し猫は、開け放った戸棚に這入って乾し鰯を食っていた。 「お、おどれがうま/\と腹をおこしていやがる。」ばあさんは、それを見つけても以前のようにがみ/\追い払おうともしなかった。 ラクダの外套を引っかけて、ひとかどの紳士らしくなった清三に連れられて両人が東京駅に着いたのは二月の末のある晩だった。御殿場あたりから降り出した雪は一層ひどくなっていた。清三は駅前で自動車を雇った。為吉とおしかは、生れて初めての自動車に揺られながら、清三と並んで腰かけている嫁の顔をぬすみ見た。嫁は田舎の郵便局に出ていた女事務員に一寸似ているように思われた。その事務員は道具だての大きい派手な美しい顔の女だったが、常に甘えたようなものの言い方をしていた。老人や子供達にはケンケンして不親切であったが、清三に金を送りに行った時だけは、何故か為吉にも割合親切だった。 両人は、それぞれ田舎から持って来た手提げ籠を膝の上にのせていた。 「そりゃ、下へ置いとけゃえい。」 自動車に乗ると清三は両親にそう云った。しかし、彼等は、下に置くと盗まれるものゝように手離さなかった。 「わたし持ちますわ。」嫁はそれを見て手を出した。 「いゝえ、大事ござんせん。」おしかは殊更叮寧な言葉を使った。 「おくたびれでしょう。わたし持ちます。」 「いゝえ、大事ござんせん。」おしかは固くなって手籠を離さなかった。為吉はどういう言葉を使っていゝのか迷っていた。 やがて郊外の家についた。新しい二階建だった。電燈が室内に光っていた。田舎の取り散らしたヤチのない家とは全く様子が異っていた。おしかはつぎのあたった足袋をどこへぬいで置いていゝか迷った。 「あの神戸で頼んだ行李は盗まれやせんのじゃろうかな?」お茶を一杯のんでから、おしかは清三に訊ねた。 清三は妻を省みて苦笑していたが、 「お前、そんなに心配しなくってもいゝよ!」と苦々しく云った。 「荷物は、おばあさん、持ってきてくれますわ。」嫁はおかしさを包みきれぬらしく笑った。
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