四
五百米ばかり横に掘り進むと、井村は、地底を遠くやって来たことを感じた。何か事があって、坑外へ出て行くにも行かれない地獄へ来てしまったような心細さに襲われた。鉱脈は五百米附近から、急に右の方へはゞが広くなって来た。坑壁いっぱいに質のいゝ黄銅鉱がキラ/\光って見える。彼は、鉱脈の拡大しているのに従って、坑道を喇叭状に掘り拡げた。が、掘り拡げても、掘り拡げても、なお、そのさきに、黄銅鉱がきら/\光っていた。経験から、これゃ、巨大な鉱石の大塊に出会したのだと感じた。と、畜生! 井村は、土を持って来て、こいつを埋めかくしてやろうと思った。いくら上鉱を掘り出したって、何も、自分の得にゃならんのだ。たゞ丸の内に聳えているMのビルディング――彼はそのビルディングを見てきていた――を肥やしてやるばっかしだ。この山の中の真ッ暗の土の底で彼等が働いている。彼等が上鉱を掘り出す程、肥って行くのは、自動車を乗りまわしたり、ゴルフに夢中になっているMの一族だ。畜生! せめてもの腹癒せに、鉱石をかくしてやりたかった。 女達は、彼の背後で、ガッタン/\鉱車へ鉱石を放りこんでいた。随分遠くケージから離れて来たもんだ。普通なら、こゝらへんで掘りやめてもいゝところだ。喋べくりながら合品を使っていた女達が、不意につゝましげに黙りこんだ。井村は闇の中をうしろへ振りかえった。白服の、課長の眼鏡が、カンテラにキラ/\反射していた。 「どうだい、どういうとこを掘っとるか?」 採鉱成績について、それが自分の成績にも関係するので、抜目のない課長は、市三が鉱車で押し出したそれで、既に、上鉱に掘りあたっていることを感づいていた。 「糞ッ!」井村は思った。 課長のあとから阿見が、ペコ/\ついて来た。課長は、石を掘り残しやしないか、上下左右を見まわしながら、鑿岩機のところまでやって来た。そして、カンテラと、金の金具のついた縁なしの眼鏡を岩の断面にすりつけた。そこには、井村の鑿岩機が三ツの孔を穿ってあった。 「これゃ、いゝやつに掘りあたったぞ。」 彼は、眼鏡とカンテラをなおすりつけて、鉱脈の走り具合をしらべた。「これゃ、大したもんに掘りあたったぞ、井村。」 井村は黙っていた。 「どうもこゝは、大分以前からそういう臭いがしとりました。」「うむ、そうだろう。」と阿見が答えた。 阿見は何か、むずかしげな学問的なことを訊ねた。課長は説明しだした。学術的なことを、こまごまと説明してやるのが、大学で秀才だった課長はすきなのだ。阿見は、そのコツを心得ていた。 「全く、私も、こゝにゃ、ドエライものがあると思って掘らしとったんです。」 「糞ッ!」 又、井村は思った。 課長の顔は、闇の中にいき/\とかゞやいていた。 間もなく、八番坑には坑夫が増員された。 課長は、鉱石の存在する区域をある限り、隅々まで掘りおこすことを命じた。井村の推定は間違っていなかった。それは、恐ろしく巨大な鉱石の塊だった。 「あんたは、自分の立てた手柄まで、上の人に取られてしまうんだね。」 タエは、小声でよって来た。カンテラが、無愛想に渋り切った井村の顔に暗い陰影を投げた。彼女は、ギクッとした。しかしかまわずに、 「たいへんなやつがあると自分で睨んだから、掘って来たんだって、どうして云ってやらなかったの。」 なじるような声だった。 「やかましい!」 「自分でこんな大きな鉱石を掘りあてときながら、まるで他人の手柄にせられて、くそ馬鹿々々しい。」 「黙ってろ! やかましい!」 黄銅鉱は、前方と、上下左右に、掘っても/\どこまでもキラ/\光っていた。彼等はそれを掘りつゞけた。そこは、巨大な暗黒な洞窟が出来て来た。又、坑夫が増員された。圧搾空気を送って来る鉄管はつぎ足された。まもなく畳八畳敷き位の広さになった。 それから十六畳敷き、二十畳敷きと、鑿岩機で孔を穿ち、ダイナマイトをかけるに従って洞窟は拡がって来た。 「これゃ、この塊で、どれ位な値打だろうか。」 「六千両くらいなもんだろう。」 彼等は、自分で掘り出す銅の相場を知らなかった。 「そんなこってきくもんか、五六万両はゆうにあるだろう。」 「いや/\もっとある、十五六万両はあるだろう。」 彼等は、この鉱山から、一カ年にどれだけの銅が出て、経費はどれだけか、儲けはどうか、銅はどこへ売られているか、そんなこた全然知らなかった。それからは、全然目かくしされていた。彼等はたゞ、坑内へ這入っておとなしく、鉱石を掘り出せばいゝ、――それだけだ。採掘量が多くなるに従って、運搬夫も、女達も増員された。市三は、大人にまじって土と汗にまみれて、うしろの鉱車に追われながら、枕木を踏んばっていた。 坑夫は洞窟の周囲に、だにのように群がりついて作業をつゞけた。妊娠三カ月になる肩で息をしている女房や、ハッパをかけるとき、ほかの者よりも二分間もさきに逃げ出さないと逃げきれない脚の悪い老人が、皆と一緒に働いていた。そこにいる者は、脚の趾か、手の指か、或はどっかの筋肉か、骨か、切り取られていない者は殆どなかった。家にはよろけた親爺さんか、不具者になった息子か、眼が悪い幼児をかゝえていた。女達はよく流産をした。子供は生れても乳がなくなって死んで行くのが少くなかった。 役員はたび/\見まわりに這入って来た。彼等の頭上にも鉱石は光っていた。役員は、それをも掘り上げることを命じた。 「これゃ、支柱をあてがわにゃ、落盤がありゃしねえかな。」脚の悪い老人は、心配げにカンテラをさし上げて広々とした洞窟の天井を見上げた。 「岩質が堅牢だから大丈夫だ。」 老人はなお、ざら/\に掘り上げられた天井の隅々をさぐるように、カンテラを動かした。キラ/\光っている黄銅鉱の間から、砂が時々パラ/\パラ/\落ちて来た。 「これゃ、どうもあぶなそうだな。」 「なに、大丈夫だよ。」 彼等は左右に掘り拡げた。同時に棚を作って天井に向って掘り上げた。そして横坑は、そのさきへも掘り進められて行った。天井からは、なおパラ/\/\と砂や礫が落ちて来た。 昼食後、井村は、横坑の溝のところに来て、小便をしていた。カンテラが、洞窟の土の上や、岩の割れ目に点々と散らばって薄暗く燃えていた。 「今頃、しゃばへ出りゃ、お日さんが照ってるんだなア。」声変りがしかけた市三だった。 「そうさ。」 「この五日の休みは、検査でお流れか。チェッ。」 又、ほかの声がした。 食後の三十分間を、皆は、蓆を拡げ、坑木に腰かけなどしてそれ/″\休んでいた。カンテラは闇の晩の漁火のようなものだった。その周囲だけを、いくらか明るくはする。しかし、洞窟全体は、ちっとも明るくならなかった。依然として恐ろしい暗は、そこに頑張っていた。 井村は、もう殆んど小便をすましてしまおうとしていた。と、その時、突然、轟然たる大音響に彼は、ひっくりかえりそうになった。サッとはげしい風がまき起った。帽子は頭からとび落ちた。カンテラは一瞬に消えてまッ暗になった。足もとには、誰れかゞ投げ出されるように吹きとばされて、へたばっていた。それは一度も経験したことのない恐ろしく凄いものだった。ハッパの何百倍ある大音響かしれない。彼は、大地震で、山が崩れてしまったような恐怖に打たれた。 湿った暗闇の中を、砂煙が濛々と渦巻いているのが感じられる。 あとから、小さい破片が、又、バラ/\、バラ/\ッと闇の中に落ちてきた。何が、どうなってしまったか、皆目分らなかった。脚や腰がすくみ上って無茶に顫えた。 「井村!」奥の方からふるえる声がした。 「おい土田さん。」 「三宅! 三宅は居るか! 柴田! 柴田! 森!」 助けを求める切れ/″\の呻きが井村の耳に這入ってきた。彼も仲間の名を呼んだ。湿っぽい空気にまじって、血の臭いが鼻に来た。女の柔かい肉体が血と、酸っぱい臭いを発しつゝころがっていた。 井村は恐る/\そこらへんを、四ツン這いになってさぐりまわった。 ……暫らくして、カンテラと、慌てた人声が背後に近づいて来た。ほかの坑道にいた坑夫達がドエライ震動と、轟音にびっくりして馳せつけたのだ。彼等も蒼白になっていた。 井村は新しいカンテラでホッとよみがえった気がした。今まで、鉱車や、坑木に蹲った坑夫や、女達や、その食い終った空の弁当箱などがあったその上へ、いっぱいに、新しい、うず高い岩石の山が落ちかゝっていた。そして、多くの人間は見えなかった。山のような岩の大塊のかげに、蒼白にぶるぶる顫えている幽霊のような顔が二ツ三ツちらちらしたばかりだ。「これだけしか生き残らなかったんだ!」突嗟に井村は思った。大塊の奥の見えない坑道からふるえる声がきこえて来た。それが土田だった。そこは、出て来る道をすっかり山にふさがれていた。カンテラの光は、そこへ届かなかった。 「おや、脚がちぎれとるぞ。」若い一人がとび上った。 生ぐさい血に染った土が薄気味悪く足に触れた。小間切を叩きつけたような肉片や、バラ/\になった骨や肉魂がそこらに散乱していた。吹き飛ばされると同時に、したゝかにどっかを打ったらしい妊婦は、隅の方でヒイ/\虫の息をつゞけていた。 二十一人のうち、肉体の存在が分るのは、七人だった。 七人のうち、完全に生きているのは四人だった。廃坑で待ちほけにあった、タエは、猫のように這いおりて来た。 「柴田だ!」 脇腹から××が土の上にこぼれている坑夫は一本残っている脚をぴく/\顫わしていた。彼等はカンテラを向けながら、ぞッとして立すくんだ。二人は、半身を落盤にかすり取られていた。 「まだ息があるじゃないか。早くしろ!」 人を押し分けて這入って来た監督は顫える声でどなった。彼等が担架に乗せるとて血でぬる/\している両脇に手をやると、折れた骨がギク/\鳴った。 「まだ生きとる。」 監督は念を押して、繰かえした。 三ツの屍は担架に移された。それから竪坑にまでかついで行かれ、一ツ/\ケージで、上に運びあげられた。 坑内で死亡すると、町の警察署から検視の警官と医者が来るまで、そのまゝにして置かなければならない。その上、坑内で即死した場合、埋葬料の金一封だけではどうしてもすまされない。それ故、役員は、死者を重傷者にして病院へかつぎこませる。これが常用手段になっていた。 「可愛そうだな!」坑夫達は担架をかついで歩きながら涙をこぼした。「こんなに五体がちぎれちまって見るかげもありゃせん。」 「他人事じゃねえぞ! 支柱を惜しがって使わねえからこんなことになっちゃうんだ!」武松は死者を上着で蔽いながら呟いた。「俺れゃ、今日こそは、どうしたって我慢がならねえ! まるでわざと殺されたようなもんだぞ!」 「せめて、あとの金だけでも、一文でもよけに取ってやりたいなア!」 坑外では、緊張した女房が、不安と恐怖に脅かされながら、群がっていた。死傷者の女房は涙で眼をはらしていた。三ツの担架は冷たい空気が吹き出て来る箇所を通りぬけて眼がクラ/\ッとする坑外へ出た。そこには、死者が、しょっちゅうあこがれていた太陽の光が惜しげなく降り注いでいた。死者の女房は、群集の中から血なまぐさい担架にすがり寄った。 「千恵子さんのおばさん死んだの。」 「これ! だまってなさい!」 無心の子供を母親がたしなめていた。 井村は、自分にむけられた三本脚の松ツァンの焦燥にギョロ/\光った視線にハッとした。 「うちの市三、別条なかったか。」 市三は、影も形も彼の眼に這入らなかった。井村は、眼を伏せて、溜息をして、松ツァンの傍を病院の方へ通りぬけた。 「市三、別条なかったかな?」 不安に戦慄した松ツァンの声が井村の背後で、又、あとから来る担架に繰りかえされた。 「…………」 そこでも、坑夫は、溜息をついて、眼を下へ落した。 「うちの市三、別条なかったかなア!」 石炭酸の臭いがプン/\している病院の手術室へ這入ると、武松は、何気なく先生、こんな片身をそぎ取られて、腹に穴があいて、一分間と生きとれるもんですか、ときいた。 「勿論即死さ。」 医者は答えた。武松は忽ち元気を横溢さした。 「じゃ、先生、この森と柴田の死亡診断書にゃ、坑内で即死したと書いて呉れますね。」 「わしは、坑内に居合さなかったからね。」あやしげな口調になった。「こうして、監督がここへかついで来さしたんだから、勿論、まだ、命はあったかもしれんな。」 「先生が見て即死なら、見られたその通りを書いて呉れりゃいゝじゃありませんか。」 返事がなかった。 「わしら行って見た時にゃ、もう息はなかったんですよ。」 「村上先生じゃったらなア!」隅の方で拇指のない坑夫がさゝやいた。村上という医者は、三年前、四カ月程いて、坑山病院から頸になって行ってしまった。その村上も、決して坑夫に特別味方して呉れた医者じゃなかった。たゞ事実を有る通りに曲げなかった。そして、公平に、坑夫でも手子でも空いていさえすれば、一等室に這入らした。その事実を曲げない、公平なだけでも、坑夫達には親のように有難かった。だが、それだけに、この坑山では、直ちに、追い出される理由になった。 「糞ッ!」 彼等は、坑内へ引っかえしながら、むしろ医者に激しい憎悪を燃した。 「町が近けりゃ、ほかの医者にかつぎこんで見せてやるんだがなア!」 「なに、どいつに見せたって同じこったよ!」武松が憎々しげに吐き出した。「今に見ろ! 只じゃ怺えとかねえから。」 妊婦は、あとで「脳振盪」と、病床日誌に死の原因を書きつけられていた。
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