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反戦文学論(はんせんぶんがくろん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-9-4 6:22:49 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


      四

 なお、新しい帝国主義戦争の危機――即ち、三ツの帝国主義ブルジョアジーが××の××的分割をやろうとしていることゝ共に、ソヴェート・ロシアに対する他のもろ/\の帝国主義国家が衝突しようとする危機も迫りつゝあることに、注意を喚起しておきたい。これは、いろ/\な意味で、吾々の関心を最も強く引きつける問題である。

   三、反戦文学の恒常性

      一

 戦争反対の思想、感情を組織して、労働者農民大衆に働きかける文学は、戦争が行われている時にのみ必要であるか。戦争が起っていない平和な時期に於ては、戦争反対文学は必要ではないか? いや、必要である。
 資本主義制度が存続している限り、××が絶滅される時期はやって来ない。ひとたび××××戦争によって、世界が分割され、平和な時期がやって来ても、又、次の××××戦争がやって来る。欧洲大戦が終結して平和がやってきた。しかし、それから十年も経ないうちに、又、今度は××を中心にして資本の属領争奪戦が次第に鋭くなってきた。これは、新しい世界の分割に到る性質を持っている。而して、それは、戦争を引きおこさなければやまない。ブルジョア政府は、ひたすら、戦争の準備に余念がない。資本主義的平和は、その実質を見ると、次の戦争への準備にすぎないのである。科学的発明も、化学工業も、鉄道敷設も、電信も道路の開通も、すべてが、資本主義の下にあっては、戦争準備の目標に向って集中されている。それは直接間接にプロレタリアの生活に重大な関係を持っている。反戦文学の恒常性はこゝに存在する。資本主義制度が存在する限り、プロレタリアートの反戦文学も存在し、それに向って戦わなければならない。

      二

 反戦文学は、勿論、兵営や、軍隊生活のみを取扱う文学ではない。資本主義は、次の戦争に備えるために、あらゆるものを利用している。労働者、農民の若者を××に引きずりこんで、誰れ彼れの差別なく同じ××を着せる。人間を一ツの最も使いいゝ型にはめこんでしまおうとする。そうして、労働者農民の群れは、鉄砲をかついで変装行列のような行列をやりだす。――これは、帝国主義ブルジョアジーが××によって、プロレタリアートを搾取する、その準備にやる行為の一ツである。そのほか、学校も、青年訓練所も、在郷軍人会も、彼等の××のための道具となっている。製鉄所も、化学工場も、肥料会社も――そして、そこに働いている労働者が――戦争のために使われる。化学工場からは、毒瓦斯を、肥料工場からは――肥料会社は、肥料を高い値で百姓に売りつけるが、必要に応じて、そこから火薬が出来るようになっている。無線電信も、鉄道も、汽船も、映画や、演劇までも、帝国主義ブルジョアジーは、それを××のために、或は好戦思想を鼓吹するために使っているのである。あらゆるものがすべて軍事上の力を増大するために集中されている。が、それは、ブルジョアジーにとって、目的ではなく、手段である。彼等はその軍国主義によって、現在の搾取制度を一日でも長く、確実に維持しようとしている。そして、無産階級圧迫をどこまでもつづけようとする。それが彼等の目的である。だから軍国主義は、外国との××のためばかりでなく、国内に於ける、無産階級の××にも備えてあるのだ。農民の暴動や大ストライキに××が出動するのは、それを裏書きする一つの証拠である。
 そこで、そういう、帝国主義的、――軍国主義的実質を曝露し、労働者農民大衆に働きかけ、大衆をして×起させることは、プロレタリア文学の任務である。これは、戦争が起っていない平和の時期に於ても、常に継続しなければならないのは、云うまでもない。この場合、吾々の力点は主として、軍国主義の実質の曝露にある。つまり、反軍国主義文学にあるのだ。

      三

 平時に於ては、主として反軍国主義文学に力点を置く、ということを述べたが、しかし、勿論、それに限ったことではない。どういう内容を扱ってもそれは自由である。そして、なお、次に述べようとする内容をも併せて、取扱って一向差支ない。たゞ、主として、力点をアンチ・ミリタリズム文学に置くと云ったまでのことである。
 帝国主義ブルジョアジーは、平時から、殖民地の××他民族の隷属、労働運動の抑圧政策をとる。その政策が継続し、発展してついには、××手段による戦争が起ってくる。が、戦争が起ると、必ず帝国主義ブルジョアジーを代表する政府にとっても、危険な状勢が発生して来る。労働者、農民大衆の××に対する政府の不安は増大して来る。例えばロシアに於ては、日露戦争の後に千九百五年の××が起り、欧洲大戦の終りに近く、千九百十七年の××が起っている。パリー・コムミュンの例をとって見ても、この事実は肯かれる。プロレタリアートは、その時期を××しなければならぬ。
「××××戦争を××へ!」これを力説強調して、労働者、農民大衆を××せしめ、×××××××××××××。
 戦時に於ける、反戦文学の主要力点は、こゝに注がれなければならぬ。
 プロレタリアートは、××のために起って来る、経済的、政治的危機を××××「資本主義社会の××を迅速ならしめなければならない。」
 が、これも、これだけを独立して取扱うべきものと限ってはいない。たゞ、主として力点をそこに置くのである。





底本:「黒島傳二全集 第三巻」筑摩書房
   1970(昭和45)年8月30日第1刷発行
※底本には「植民」と「殖民」の二種類の表記が見られるが、統一しなかった。
入力:大野裕
校正:原田頌子
2001年9月3日公開
2005年11月11日修正
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  • [#…]は、入力者による注を表す記号です。
  • 「くの字点」は「/\」で表しました。

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