三
ブルジョアジーは、眼前の悲惨や恐怖から戦争に反対はしても、決して徹底的に戦争を絶滅することは考えてはいない。若し考えてもそれは生ぬるい中途半ぱなものであって、結局に於ては反動的な役割をしかなさない。理想主義か或は現状維持の平和主義である。そこで、ブルジョアジーは戦争反対の文学に於ても、明かに、その階級性を曝露している。 欧洲近代文学に於ても、戦争に反対しているものは、なかなかの数に上る。大体、その名前だけを挙げて、プロレタリアートの反戦文学に移りたい。 ジャン・ジャック・ルソオ――「恒久平和の企図」 エミイル・ヴェルハアレン――「黎明」(この戯曲に於て、ベルギイの詩人は人類社会の甦生の希望を述べている。オビドマアニュの市街が敵軍に包囲され、そのうちに、攻防両軍の革命家が叛乱を起したため、ついに戦いが終了するのである。) レオ・トルストイ――「セバストポール」「戦争と平和」「想いおこせ」等 フセオロド・ガルシン――「卑怯者」「愚かなイワノフの覚書」「四日間」 レオニイド・アンドレーエフ――「赤き笑」 それから仏蘭西の小説家ギイド・モウパッサン、ジョセフ・アンリ・ロスニイ、人道主義者ロマン・ロオラン、英吉利の戯曲家、バナアド・ショウ、アメリカの詩人、ホイットマン、等も、或は激烈或は皮肉、或は悲痛な調子で戦争に反対している。 独逸の表現派になると、世界大戦後に発生したものだけあって、戦争反対のものがなか/\多い。 ハアゼンクェフェル――「アンティゴオネ」(希臘劇を改作したものであるが、彼はこれを大戦に結びつけ、タレオンを、前の独逸皇帝ウィルヘルム二世に擬し、戦争のために寡婦となったもの、孤児となったもの、不具となったものをして王に向って飢餓と傷痍を訴えさせ、「将軍を市場に晒せ」と絶叫せしめている。) フランツ・ウェルフェル――「トロヤの女」(戦敗者の悲惨と戦勝者の残酷とを愁訴したものである。) エルンスト・トルレル――「独逸男ヒンケルマン」「変転」(独逸男ヒンケルマンは戦争で睾丸を失った男の悲痛な生活を書いたものであるが、多分に人道的である。) ラインハルト・ゲエリング――「海戦」(海戦の中の第五の水兵は叛乱の志を持っている。)
第五水兵。俺たちは何のために今戦っているんだ。
第一水兵。海上を自由にするためだ。
第五水兵。じゃ、そのために母親はお前を養ったんだな、じゃ、それがお前の魂の意味なんだな。そのためにお前の身体は大きくなったんだな。
(中略) 声々。祖国、祖国、何をまた俺達から欲しいんだ。祖国、祖国、死が俺たちを氷のように貪り食べる。俺たちが此処に斃れるのを見て呉れ、祖国。俺たちに死を与えろ、死を、死を、死を与えろ、死を。 (爆発。第一、第四、第五水兵はもぎ取られた瓦斯除けマスクをつけて死にながら横たわる)
表現派は、主観主義である。だから、ゲエリングは、反戦的ではありながら、本当に書こうとしていることは、人類全体の上に蔽いかゝっている運命の力との関係であるようだ。この意味から云えば「海戦」は一種の運命悲劇である。 フリッツ・フォン・ウンルウ。――ウンルウの初期の作、つまり欧洲大戦以前に書いた、「士官」(一九一二)「プロシャ王子ルイ・フェルディナント」(一九一四)には、彼が属している階級のイデオロギーを極めてはっきり反映して居った。彼は、貴族出の軍人で所謂独逸精神――理想主義的な観念が基調になっている――を持った男であった。だから作品の中には、抽象的な観念ばかりが出ている。それが、大戦にドイツ皇太子の副官として出征した。そこで彼は戦争の惨禍を見た。それが彼の観念を大きく、深く、拡めると共に、明確な一定の方向を与えた。平和論者になり、人類愛主義者になった。そこで、彼は、塹濠の中で「決定の前に」という詩を書いた。ヴェルダンの要塞戦については、それからして、「犠牲の道」という悲壮な憤激の物語を書いた。これは、偶然にも、アンリ・バルビュスの「クラルテ」と同年(一九一九年)に発表された。 表現派は、多く、戦争に反対し、その悲惨、その暴虐を呪咀し、絶叫してはいるが、唯心論的で、たゞ、主観的な強調に終始している。ブルジョア作家の戦争反対はこれ位いにして、プロレタリア文学に移ってみる。
四
アンリ・バルビュスの「クラルテ」も欧洲大戦から生れた、反軍国主義文学である。この小説は、はじめの方はだらだらしていて読みづらい。バルビュスは、戦争の惨禍を呪咀するばかりでなく、戦争の責任者に対して嫌悪を投げつけ、インタナショナルの精神を高揚している。「そこで君達は、祖国の武装を解かせねばならないのだ。そして、祖国観念を極度に収縮放棄して、重大なる社会観念を持たなければならないのだ。君達は、軍閥的国境を湮滅しそれよりもっと悪い経済的商業的障碍を取り除かねばならないのだ。保護貿易主義は、労働の発達の中へ暴力を導引き入れるものであり致命的な軍国主義の狂態を齎らすものなのだ。君達は、各国家の間では正当なことゝ云われ、各個人の間では『殺人』『窃盗』『不正競争』と呼ばれているところのものを廃滅しなければならないのだ。これ等のものを取除くのは、特に[#「特に」は底本では「持に」]君達でなければならないのだ。何故なら、それらのことをやるのは君達だからだ。何処へ行っても君達だけが不滅な力と、私心を交えない朗らかな良心とを持った君達だけがこれをやり得るのだ。君達は、君達自身のために戦争をやるようなことはないのだ。 君達は、大昔の魔法や、神の殿堂などを怖れてはならない。君達の巨然たる理性は、信者達の富の根を止める偶像を破壊しなければならない。」 「世界的共和は、この人生に於て、万人の権利を平等たらしめるための避くべからざる結果なのだ。平等の観念に立脚して進むならば人民のインタナショナルに到達するであろう。若しも其処へ到達しないならば、それは正しい道理に立脚していないからなのだ。」 こういう風に、バルビュスはインタナショナルを叫んでいる。 プロレタリアートは、帝国主義的、侵略的××に対して絶対に反対する。従って、プロレタリアートの反戦文学には、それが表現されなければならない。ブルジョアは、戦争の真の原因を民衆の眼から隠蔽する。「彼等は、人民に向って云う、――一旦、お前達の上にいる人々の思う通りの勝利が得られた暁には、あらゆる暴政は魔術にかかったように影を消してしまって、地上に平和が来るのだ。――と、それは、ほんとではない。××による支配が来るまでは、地上に平和は来ないのだ。」それから彼は、他の箇所で全世界の兵卒に向って云う。「人間の群の中から出鱈目に掴まえられた男よ、記憶するがいい。――君が君自身であったことは片時もなかったのだということを! 『ねばならん! ねばならん!』という冷酷な絶対命令の下に君が屈服しないですんだことは断じてなかったのだ。平時には、商工業の機械工場で、不断の労働の規則に取り囲まれ、道具の奴隷となり、ペンの奴隷となり、才能の奴隷となり、又は、何か他の物の奴隷となって、朝から晩まで休息することもなく日々の労役に曳きずられる君よ。それによって、君はやっと生活を凌いで夢の裡に安息することだけは出来た。 君が決して欲しなかったこの戦争が来ると――君の国や名は問う要がない――君をしかと握っていた怖しい運命は、きっぱりその仮面を脱ぎ捨てゝ、喧嘩好きな複雑な正体を現わしたのだ。宣告の風が起ったのだ。 君の身体は徴発される。刑法上の逮捕と同じような威嚇の方法で君を捕える。如何に貧窮なものも、誰一人としてこの逮捕から逃げることは出来ない。君は営舎の中に××される、虫の如く裸に[#「裸に」は底本では「裡に」]剥がれて今度は誰彼の差別を無くする××を着せられる。 君は悲惨と屈辱と、日々に陥って行く萎縮との生活を生活する。粗食を与えられ、虐待され、身体中こづき廻され、番兵の命令によってこき使われる。一瞬毎に、君は萎縮した自己の内へ激しく投げ返される。君は極めて些細な行為のために罰せられる。又、主人の命令で生命を棄てる。」 こういう不愉快な、恐ろしい戦争が、而も××××制度が存在する限り、一遍すんでも又「起るであろう。戦争が戦闘する者以外の人間によって決定せられ得る限り、それは繰りかえし起されるであろう。銃剣を鍛えそれを振り廻したりする魯鈍な大衆以外の人間によって戦争が決定せられ得る限り、それは何遍も繰りかえし起されるであろう。」そうして××××制度が存続する限り、「この地上には、戦争の準備以外に何物も無くなるであろう。あらゆる人間の力は、そのために吸収され、あらゆる発見、あらゆる科学、あらゆる想像はそれによって独占されるだろう。」――「クラルテ」にはこういうことが叫ばれている。そして、「クラルテ」が発表されて十年を経過した今日、世界の帝国主義国家は××の準備以外、何物をもしていない状勢になっているのである。 マルセル・マルチネは、大戦を背景にして三ツの作品を書いている。戦場に行こうとする兵士達に呼びかけた詩集「呪われた時」と、戦争の後方で呻いている民衆の悲惨な生活をかいた小説、「避難舎」と、それからドイツ革命に暗示されて書いた戯曲「夜」である。就中、そのいくつかの詩と、戯曲とは非常にすぐれたものである。恐らく、今日まで日本語に訳されたプロレタリア文学の中で、最もすぐれたものゝ一ツであろう。 資本主義制度が存続する限り戦争の準備が絶えない。又、戦争も絶えない。吾々は××××戦争には絶対反対である。しかし、戦争が絶滅するのは、最も多く圧迫された最後の階級であるプロレタリアートが、自ら解放されながら、全人類をも一般に階級制度から解放した時でなければならない。そこに達するまでには、×××戦争を経なければならぬ。プロレタリアートは、××××戦争には反対するが、××××は肯定する。マルチネは、「夜」に於て、××××戦争には反対しているが、虐げられ、搾取された無産階級が団結して遂行する××××は、これを肯定しているのである。「夜」は無産階級をして、冷かな熱性を覚えさし、無産階級を奮起させる。プロレタリアートの戦争に対する態度は、その両方ともが、「夜」に於て最もよく現わされている。 アメリカの社会主義作家、アプトン・シンクレエアは、「義人ジミー」に於て、帝国主義戦争に対する、プロレタリア階級のいろ/\な意識の内訌を書いている。一面では、シンクレエアが欧洲大戦当時、彼自身がとった、少なからぬ苦悶の後に武器を肯定した心の位置を書いたものであるという。 欧洲諸国間の帝国主義戦争の危機が次第にはげしくなって行くと、それらの国々に於ける社会主義者や戦闘的労働者は、この戦禍に対する反対運動を開始した。それは、やがてアメリカの社会主義者をも立たせ、ジミーの属するリースヴィル社会党支部も演説会を開き、反対した。が、欧洲の黄金王や軍人は、とうとう自国の奴隷どもを戦場へ追いやってしまった。而してアメリカへは、それらの国々から武器の注文が殺到して、殆んどすべての工場は、武器工場に早変りした。ジミーが働いているグラニッチ老人のエムパイヤ工場も、武器工場に改造された。 ジミーは、自分の手で造られているものがドイツに於ける同志を打ち殺す砲弾であることに気づいて、重大な疑問にぶつかった。インタナショナリストであり、社会主義者であるジミーが、そういう武器を作ることが、立派な行為であろうか? そうして、惨忍な掠奪の分け前として、グラニッチ老人がくれる一時間四仙の増給を受け取ってもいいものであろうか。この問題は、アメリカの農夫が作る小麦までが、英国に買い上げられ、ドイツの同志を打ち殺すイギリス兵士の胃の中に這入っていることを知るまで、彼を悩ました。武器の注文は益々増大して賃銀は昂騰した。それは、ついに、ジミーのような正直な社会主義者をすら有頂天にした。が、貸銀が上るにつれ、物価が上ってきた。そこで工場では、不平と非難の声が高まった。 「ストライキ! ストライキ!」 それから工場を馘首され、ジミーは、郊外のある農夫の下働きに雇われた。 そのうちに、ロシアには革命が起って、プロレタリアートが、自分の力で平和をかく得した。がドイツでは、ロシアへ進軍した。米国の社会主義者は、世界で唯一のプロレタリア国ロシアをふみにじっている独逸を倒すという範囲内で大戦に参加する者が出来てきた。 憎むべき独逸軍をやっつけるべきか、軍国主義に反対すべきか! 二つの絶対に相いれない物の見方にジミーは悩まされつゞけた。 が、アメリカ陸軍の投げた巧妙な罠が、とうとうジミーを戦場に引っぱり出してしまった。しかし第一歩で、おもしろいことに出会した。ドイツの潜航艇は、彼を大西洋に[#「大西洋に」は底本では「太西洋に」]たゝきこんだ。次には彼は英国の病院へ収容せられた。そこで、彼は、英国のジョージ五世に言葉をかけられた。 「具合はどうかね?」 「おかげ様で大変いゝんです。」 「アメリカの軍人ですか?」 「いゝえ、あっしや、機械工なんで。」…… 最後にジミーは、一人のボルシェビイキの猶太人からリーフレットを受取って、それを二日のうちに全部まいてしまった。そのために、逮捕せられ、あらゆるひどい拷問に付せられたが、共犯者を白状しなかった。 以上は、「義人ジミー」のホンの荒筋である。枚数が長くなることが気になって非常に不完全にしか書けなかった。 こゝには、インタナショナルの精神と、帝国主義戦争××が叫ばれている。 以上に挙げた、「クラルテ」と「夜」と、「義人ジミー」の三つの作品に於ては、そこに、ブルジョアジーの一般的戦争反対文学とは異ったものがある。プロレタリアートは、まず、インタナショナルの精神を高揚する。「インタナショナルとは、国際的乃至世界的団結、全世界的同盟という意味である。」ブハーリン監輯の「インタナショナル発展史」にはそう説明してある。 資本主義がすさまじい勢力を以て発展して、国際的威力として、プロレタリア階級に迫ってきた時、労働者階級の中から、吾々自身のインタナショナル的な組織体を作って、資本主義に対抗しようとした。それが、国際的労働者団結である。 プロレタリアートの戦争反対文学は、帝国主義××に反対すると共に、労働者階級の国際的団結の思想を鼓吹するものである。
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