国枝史郎伝奇全集 巻六 |
未知谷 |
1993(平成5)年9月30日 |
1993(平成5)年9月30日初版 |
1993(平成5)年9月30日初版 |
1 「いや彼は隴西の産だ」 「いや彼は蜀の産だ」 「とんでもないことで、巴西の産だよ」 「冗談を云うな山東の産を」 「李広[#「李広」は底本では「季広」]の後裔だということだね」 「涼武昭王の末だよ」 ――青蓮居士謫仙人、李太白の素性なるものは、はっきり解っていないらしい。 金持が死ぬと相続問題が起こり、偉人が死ぬと素性争いが起こる。 偉人や金持になることも、ちょっとどうも考えものらしい。
李白十歳の初秋であった。県令の下に小奴となった。 ある日牛を追って堂前を通った。 県令の夫人が欄干に倚り、四方の景色を眺めていた。 穢らしい子供が、穢らしい牛を、臆面もなく追って行くのが、彼女の審美性を傷付けたらしい。 「無作法ではないか、外をお廻り」 すると李白は声に応じて賦した。 「素面欄鉤ニ倚リ、嬌声外頭ニ出ヅ、若シ是織女ニ非ズンバ、何ゾ必シモ牽牛ヲ問ハン」 これに驚いたのは夫人でなくて、その良人の県令であった。 早速引き上げて小姓とした。そうして硯席に侍らせた。 ある夜素晴らしい山火事があった。 「野火山ヲ焼クノ後、人帰レドモ火帰ラズ」 県令は苦心してここまで作った。後を附けることが出来なかった。 「おい、お前附けてみろ」 県令は李白へこう云った。 十歳の李白は声に応じて云った。 「焔ハ紅日ニ隨ツテ遠ク、煙ハ暮雲ヲ逐ツテ飛ブ」 県令は苦々しい顔をした。それは自分よりも旨いからであった。 五歳にして六甲を誦し、八歳にして詩書に通じ、百家を観たという寧馨児であった。田舎役人の県知事などが、李白に敵うべき道理がなかった。 ある日美人の溺死人があった。 で、県令は苦吟した。 「二八誰ガ家ノ女、飄トシテ来リ岸蘆ニ倚ル、鳥ハ眉上ノ翆ヲ窺ヒ、魚ハ口傍ノ朱ヲ弄ス」 すると李白が後を継いだ。 「緑髪ハ波ニ隨ツテ散リ、紅顔ハ浪ヲ逐ツテ無シ、何ニ因ツテ伍相ニ逢フ、応ニ是秋胡ヲ想フベシ」 また県令は厭な顔をした。 で李白は危険を感じ、事を設けて仕を辞した。 詩的小人というものは、俗物よりも嫉妬深いもので、それが嵩ずると偉いことをする。 李白の逃げたのは利口であった。 剣を好み諸侯を干して奇書を読み賦を作る。――十五歳迄の彼の生活は、まずザッとこんなものであった。 年二十性儻、縦横の術を喜び任侠を事とす。――これがその時代の彼であった。 財を軽んじ施を重んじ、産業を事とせず豪嘯す。――こんなようにも記されてある。 ある日喧嘩をして数人を切った。 土地にいることが出来なかった。 このころ東巖子という仙人が、岷山の南に隠棲していた。 で、李白はそこへ走った。 聖フランシスは野禽を相手に、説教をしたということであるが、東巖子も小鳥に説教した。彼は道教の道士であった。 彼が山中を彷徨っていると、数百の小鳥が集まって来た。頭に止まり肩に止まり、手に止まり指先へ止まった。そうして盛んに啼き立てた。 それへ説教するのであった。 李白はそこへかくまわれることになった。 ある日李白が不思議そうに訊いた。 「小鳥に説教が解りましょうか?」 「馬鹿なことを云うな、解るものか。あんなに無暗と啼き立てられては、第一声が通りゃアしない」 「何故集まって来るのでしょうか?」 「俺が毎日餌をやるからさ。小鳥にもてるのもいいけれど、糞を掛けられるのは閉口だ」 一度彼が外出すると、彼の道服は鳥の糞で、穢ならしい飛白を織るのであった。 「一体道教の目的は、どこにあるのでございましょう?」 ある時李白がこう訊いた。 「つまりなんだ、幸福さ」 「幸福を得る方法は?」 「長命することと金を溜めることさ」 洵にあっさりした答えであった。
2 「どうしたら金が溜まりましょう?」 「働いて溜めるより仕方がない」 「その癖先生はお見受けする所、ちっとも働かないじゃありませんか」 「うん、どうやらそんな格好だな」 「働かないで溜める方法は?」 「よくこの次までに考えて置こう」 一向張り合いのない挨拶であった。 「どうしたら長命が出来ましょう」 「いろいろ方法があるらしい」 「それをお教え下さいませんか」 「俺には解っていないのだよ」 「物の本で読みました所、内丹説、外丹説、いろいろあるようでございますね。枹木子などを読みますと」 「ほほう、それではお前の方が学者だ。ひとつ俺へ話してくれ」 李白これには閉口してしまった。 ある日東巖子が李白へ云った。 「天とは一体どんなものだろう?」 「ははあこの俺を験す気だな」 すぐに李白はこう思った。 「道教の方で申しますと、天は百神の君だそうで、上帝、旻天、皇天などとも、皇天上帝、旻天上帝、維皇上帝、天帝などとも、名付けるそうでございますが、意味は同じだと存じます。天は唯一絶対ですが、その功用は水火木金土、その気候は春夏秋冬、日月星辰を引き連れて、風師雨師を支配するものと、私はこんなように承わって居ります」 「ふうん、大変むずかしいんだな。俺にはそんなようには思われないよ。色が蒼くて真丸で、その端が地の上へ垂れ下っている。こんなようにしか思われないがな」 これには李白もギャフンと参った。 「地についてはどう思うな?」 これは浮雲いと思いながらも、真面目に答えざるを得なかった。 「地は万物の母であって、人畜魚虫山川草木、これに産れこれに死し、王者の最も尊敬するもの、冬至の日をもって方沢に祭ると、こう書物で読みましたが」 「お前の云うことはむずかしいなあ。俺にはそんなようには見えないよ。変な色の、変に凸凹した、穢ならしいものにしか見えないがね」 これにも李白は一言もなかった。 「お前は人の性をどう思うね?」 「はい、孔子に由る時は、『人之性直。罔之生也。幸而免』こうあったように思われます。しかし孟子は性善を唱え、荀子は性悪を唱えました。だが告子は性可能説を唱え、又楊雄、韓兪等は、混合説を唱えましたそうで」 「だがそいつは他人の説で、お前の説ではないじゃアないか」 「あっ、さようでございましたね」 「で、お前はどう思うのだ?」 「さあ、私には解りません」 「解るように考えるがいい」 「あの、先生にはどう思われますので?」 「俺か、俺はな、そんなつまらない事は、考えない方がいいと思うのさ。形而上学的思弁といって、浮世を小うるさくするものだからな」 これには李白は何となく、教えられたような気持がした。 「不味[#ルビの「まず」は底本では「まづ」]い物ばかり食っていると、肉放れがして痩せてしまう。美味物を食え美味物を」 こう口では云いながら、稗だの粟だの黍だのを、東巖子は平気で食うのであった。 「綺麗な衣裳を着るがいい。そうでないと他人に馬鹿にされる」 こう云いながら東巖子は、一年を通してたった一枚の、穢い道服を着通すのであった。 「出世をしろよ、出世をしろよ、いい主人を目つけてな」 こう云いながら東巖子は、山から出ようとはしないのであった。 彼は言行不一致であった。 それがかえって偉かった。 彼は盛んに逆理を用いた。 李白は次第に感化された。儻不羈の精神が、軽快洒脱[#「洒脱」は底本では「酒脱」]の精神に変った。 ある日突然東巖子が云った。 「お前は山川をどう思うな?」 「山は土の盛り上ったもの、川は水の流れるもの、私にはこんなように思われます」 「さあさあお前は卒業した。山を出て世の中へ行くがいい」 ――で、翌日岷山を出た。
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