国枝史郎伝奇全集 巻四 |
未知谷 |
1993(平成5)年5月20日 |
1993(平成5)年5月20日初版 |
1993(平成5)年5月20日初版 |
占われたる運命は?
「お侍様え、お買いなすって。どうぞあなた様のご運命を」 こういう女の声のしたのは享保十五年六月中旬の、後夜を過ごした頃であった。月が中空に輝いていたので、傍らに立っている旗本屋敷の、家根の甍が光って見えた。土塀を食み出して夕顔の花が、それこそ女の顔のように、白くぽっかりと浮いて見えるのが、凄艶の趣きを充分に添えた。 その夕顔の花の下に立って、そう美女が侍を呼びかけたのであった。 「わしの運命を買えというのか、面白いことを申す女だ」 青木昆陽の門下であって、三年あまり長崎へ行って、蘭人について蘭学を学んだ二十五歳の若侍の、宮川茅野雄は行きかかった足を、後へ返しながら女へ云った。 「買えと云うなら買ってもよいが、運命などというものはあるものかな?」 云い云い女をつくづくと見た。女は二十二三らしい。身長が高く肥えていて、面長の顔をしているようであった。どこか巫女めいたところがある。 「はいはい運命はございますとも。定まっているのでございますよ。あなた様にはあなた様の運命が。私には私の運命が」 「さようか、さようか、そうかもしれない。もっともわしは信じないが。……ところで運命は、なんぼするな?」 「それではお買いくださいますので。ありがたいしあわせに存じます。はいはい、あなた様の運命の値段は、あなた様次第でございます。一両の運命もございますれば、十両の運命もございます」 「なるほど」と茅野雄は苦笑したが、 「つまりは易料や観相料と、さして変わりはないようだの」 「はいはいさようでございます」と女の声も笑っている。 「それではなるだけ安いのにしよう。一分ぐらいの運命を買いたい」 「かしこまりましてございます」 こう云うと女は眼をつむって、空を仰ぐような格好をしたが、 「山岳へおいでなさりませ。何か得られるでござりましょう。都へお帰りなさいませ。何か得られるでござりましょう。それが幸福か不幸かは、申し上げることは出来ません」 ――で、女は行ってしまった。 (浮世は全く世智辛くなった。何でもない普通の占いをするのに、運命をお買いなさいませなどと、さも物々しく呼び止めて、度胆を抜いて金を巻き上げる。男でもあろうことか若い女だ。昼でもあろうことか更けた夜だ) 茅野雄は、苦笑を笑いつづけながら、下谷の方へ歩き出した。そっちに屋敷があるからである。 ここは小石川の一画で、大名屋敷や旗本屋敷などが、整然として並んでいて、人の通りが極めて少ない。南へ突っ切れば元町となって、そこを東の方へ曲がって行けば、お茶の水の通りとなる。 その道筋を通りながら、宮川茅野雄は歩いて行く。女巫女の占った運命のことなど、今はほとんど忘れていた。 (仕官しようか、浪人のままでいようか) この日頃心にこだわっている、この実際的の問題について、今は考えているのであった。 (せっかく仕官をしたところで、長崎仕込みの俺の蘭学を、活用してくれなければ仕方がない。それよりもいっそ塾でもひらいて、門弟どもをとり立てようか) 師匠の青木昆陽が、その世間的の勢力をもって、茅野雄を諸侯に[#「諸侯に」は底本では「諸候に」]推薦していたが、肝心の茅野雄の心持は、大して進んでいなかった。と云って塾をひらいたところで、はたして生活が出来るかどうか? これが茅野雄には不安であった。どっちつかずの心持で、長崎から帰って今日で半年、ブラブラ遊んでいるのであった。放胆で自由で新智識で、冒険心もある茅野雄だったので、そういう今のような境遇にあっても、あえて焦心りはしなかったが、多少の屈託にはなっていた。 (青木先生の食客となって一生冷や飯を食うのもいいさ)などと磊落に思うこともあった。 (父母もなければ兄弟もなく、親戚もないということが、こんな場合にはかえって気安い) しかし時にはそういうことが、寂しみとなって感ずることもあった。 宮川茅野雄は歩いて行く。 と、青木侯[#「青木侯」は底本では「青木候」]のお屋敷の、土塀を左へ曲がった時に、先へ行く二つの人影を見た。一人は、若い侍で、背後姿ではあったけれど、何とも言えない品と位がその体に備わっていた。もう一人は、六十を過ごしたくらいの、頑丈らしい老武士であったが、これも品位を備えていた。 (追い抜いては失礼にあたるだろう) で、茅野雄は後について歩いた。 すぐに茅野雄の耳についたのは、二人の変わった会話であった。 「ああいう品物を手に入れるのは、個人としては危険なのだよ。どうでもあれは昔に返して、亜剌比亜の沙漠の神殿の奥へ、封じ込まなければならないのだよ」 こう云ったのは若い方の武士で、その云い方には特色があった。すなわちいつも他人に対して、絶対的服従を命じ慣れている――と云ったような云い方なのである。高貴で威厳があって断乎としているうちに、温情があふれ漲っている。 「これは極東の教主様の、御意の通りと存じます」 老将軍とでも形容したいような、頑健な老武士はこう応じたが、その声には一種の不快さがあって、信用の置けない老獪な人物――と云ったように感じられた。しかし極東のカリフ様と呼ばれた、若い気高い侍には、一目も二目も置いていると見えて、物言いも物腰も慇懃であった。 「あの両眼がよくないのだよ。もちろん値打ちを知らない者には、変わった単なる石ッころとして、無価値の物に映るであろうが、知っている者には宇宙にも見えよう」 「これは極東のカリフ様の、お言葉の通りにござります。両眼の価値を知りました者には、宇宙にもあたるでござりましょう。が、幸いにもこの国には、ああいう物の偉大な価値を、知っておる者は少ないようで」 「いやいやそうでもなさそうだよ。わしも知っていればお前も知っている」 「さあその他にございましょうかしら?」 「あの品物がこの国へ渡って、五年になると云うことだが、いまだに行衛がわからない。――ということから推察すると、われわれ二人以外の者で、あの両眼の素晴らしい価値を、知っている者が確かにあると――そう云うことも云われそうだよ」 「と、申しますと何者かが、あの品物を隠して持っている――と、このように仰言いますので?」 「さよう、わしはそう思う」 「その反対とも申されましょう」 「はてな、それはどういう意味かな?」 「無価値な品物と見きわめられて、古道具屋の店先などに、転がされているのではござりますまいか?」 「もしそうなら面白いの」 「いえ勿体なく存じます」 「お前ひとつ探してはどうか」 「は。さようで。探し出しましょうか」 「好事家で名高いお前のことだ。探し出したらはなすまいよ」 「いえ、ご連枝様に差し上げます」 「これこれ何だ雲州の爺、いちいち極東のカリフ様だの、ご連枝様だのと呼ばないがよい。わしとお前とは話相手ではないか。わしの名を呼べ、慶正と呼べ」 「ハッ、ハッ、ハッ、呼びましょうかな」 聞くともなしに聞いていた宮川茅野雄はこの言葉を聞くと、 「ははあ」と、呟かざるを得なかった。二人の身分がわかったからである。 極東のカリフ様と呼ばれたり、ご連枝様と呼ばれたりする武士は、奇矯と大胆と仁慈と正義と、平民的とで名を知られている、一ツ橋大納言の弟にあたられる、徳川慶正卿その人であり、雲州の爺と呼ばれている武士は、出雲松江侯の傍流の隠居で、蝦夷や韃靼や天竺や高砂や、シャムロの国へまで手を延ばして、珍器名什を蒐集することによって、これまた世人に謳われている松平碩寿翁その人なのであった。 (立派な人物が二人まで揃って、面白い話を話して行く。高価な品物とはどんなものだろう? 両眼とは何の両眼なのであろう?) 茅野雄は好奇心に心を躍らせて、尚も二人をつけて行った。 (それにしても極東のカリフ様とは、一体どういう意味なのであろう?) これが茅野雄には疑問であった。 ただし長崎におった頃、茅野雄は蘭人の口を通して、カリフという言葉と言葉の意味とを、一再ならず耳にはした。マホメットという人物を宗祖として、近東亜剌比亜の沙漠の国へ興った、非常に武断的の宗教の、教主であるということであった。 で、これはこれでよかった。 しかし極東の教主という、極東の意味が解らなかった。 (日本のことを極東というと、蘭人からかつて聞いたことはある。では極東の教主というのは、日本におけるマホメット教の、教主というような意味なのであろうか? ではいつの間にか日本の国へもマホメット教が渡来したのであろうか?) そう思うより仕方がなかった。 (それにしても一ツ橋慶正卿がそのカリフとは驚くべきことだ) 考えながらも宮川茅野雄は、二人の後をつけて行った。
松倉屋の家庭
宮川茅野雄という若い武士に、後をつけられているとも知らずに、極東のカリフ様と碩寿翁とは、ズンズン先へ歩いて行った。 と、その時行く手にあたって、一軒の屋敷が立っていた。右は松平駿河守の屋敷で、左はこみいったお長屋であったが、その一画を出外れた所に、その屋敷は立っていたのである。 武家屋敷とは見えなかったが、随分と宏荘な作り方で、土塀がグルリと取り巻いていた。植え込みは手薄で門も小さくて、どこかに瀟洒としたところはあったが、グルリと外廊を巡ったならば、二町ぐらいはありそうに見えた。 富豪の商人の別邸と言ったら、一番似合わしく思われる。 その屋敷の門の前まで、極東のカリフ様が行った時であったが、 「雲州の爺々、この屋敷などあぶないものだ」 こう云って顎をしゃくるようにした。 「は、あぶないと仰せられますと?」 足をとどめた碩寿翁は、不思議そうに屋敷に眼をやった。 「これはお前には解らないかも知れない。が、私にはよく解る。ろくでもない事が起こって来ようぞ」 「この屋敷へでござりますか?」 「ああそうだよ、この屋敷へだよ」 「ご三卿様のご用達、松倉屋の別邸だと存じますが、何事が起こるのでござりましょうか?」 「松倉屋の女房を知っているかな?」 「美人で派手好みで交際好きで、評判の女房にござります」 「そうして大分若いはずだ」 「二十三歳とか申しますことで」 「しかるに松倉屋勘右衛門は、六十一歳とかいうことだ」 「大分違うようでござりますな」 「で、よくないことが起こる」 「どうも私には解りませぬが」 「身分違いの持っていけない物を、松倉屋勘右衛門が持っているからだよ」 「…………」 やはり碩寿翁には解らないらしい。黙って屋敷を見上げ見下ろしている。 「それ第一に年が違う。ええとそれから身分が違う。と云うのは女房のお菊というのは、富豪の商人の松倉屋などへ、輿入れすることなど出来そうもない、貧しい町家の娘だそうだ。で女から云う時は、松倉屋の財産に眼が眩れて、若さと美しさとを犠牲にしたのだし、松倉屋の方から云う時には、女の若さと美しさのために、財産とそうして位置と名誉とを、犠牲にしたということになる」 「が、しかしそのようなことは、世間にザラにありますようで」 「そう云ってしまえばそれまでだがな、いけない事情があるらしいよ」 極東のカリフ様はこう云って来て、フッと話を横へ外らせた。 「松倉屋の前身を知っているかな?」 「抜け荷買いをしたとか聞き及びましたが」 「抜け荷買い、さよう、その通りだ。……で、異国の珍器の価値を、松倉屋勘右衛門は充分に知っとる」 「…………」 「それにお前に負けないほどに、好事家として有名だ」 「…………」 「五年以来松倉屋の様子が、何となく変に変わって来た。私の屋敷へ出入りをするごとに、私におかし気な謎をかける。……がまあまあそれもよかろう」 極東のカリフ様が歩き出したので、碩寿翁もつづいて歩き出したが、間もなく姿が見えなくなった。 小出信濃守の邸の前を通って、榊原式部少輔の邸の横を抜けて、一ツ橋御門を中へ入れば一ツ橋中納言家のお邸となる。 二人ながらその方へ行ったようである。 で、月光に照らされながら、松倉屋勘右衛門の邸の前に、首を傾げて佇んでいるのは、宮川茅野雄一人となった。 (今夜は実際いろいろの人から、色々の面白い話を聞いた。松倉屋勘右衛門と女房との話も、俺にとっては面白かった。それとはハッキリと云わなかったが、一ツ橋様のお話の中には、莫大の価値のある何かの両眼と、松倉屋勘右衛門との間には、何らかのつながりがありそうだ) しかし、その事が宮川茅野雄の持ちつづけて来た好奇心を、急速に膨張させたのではなかった。 そんなように思われたばかりであった。 (どれ家へ帰ろうか) で、茅野雄は歩き出した。 しかるに十町とは歩かないうちに、茅野雄の身の上に不慮の事件が起こった。 と、いうのは茅野雄は感付かなかったが、茅野雄が巫女めいた若い女から、自分の運命を買った時から――いや巫女めいた女から別れて、極東のカリフ様と碩寿翁との、後をつけて足を運び出した時から、一人の武士が足音を盗んで、茅野雄の後をつけて来たが、この時俄然と茅野雄の背後から、声もかけずに切り込んだのである。 茅野雄は蘭学の学究であったが、柳生流でも名手であった。で、背後から名の知れない武士に、俄然と切ってかかられた時にも、身を翻えして、刃を遁れた。 「誰だ!」と、まずもって声を掛けた。 「瞞し討ちとは卑怯な奴だ! 怨みがあるなら尋常に宣って、真っ正面からかかって来い! 身分を云え! 名を宣れ! ……拙者の名は宮川茅野雄という、他人に怨みを受けるような、曲事をしたような覚えはない! 思うにおおかた人違いであろう。……それとも、拙者に怨みがあるか 」 こう云いながら宮川茅野雄は、刀の鍔際をしっかりと抑えて、五寸あまりも鞘ぐるみ抜いて、右手で柄もとを握りしめて、身を斜めにして右足を出して、いつでも抜き打ちの出来るように、居合腰をして首を延ばしたが、じっと前の方を隙かして見た。 漲っている蒼白い月の光を浴びて、宮川茅野雄から五間あまりの彼方に、肥えた長身の三十五六歳の武士が、抜き身をダラリと引っ下げた姿で、こっちを見ながら立っていたが、髪は大束の総髪であった。 と、その武士は落ち着き払った態度で、ゆるゆると茅野雄へ近寄って来たが、 「宮川茅野雄殿と仰せられるか、はじめてお名前を承わってござる。拙者は醍醐弦四郎と申して、身の上の儀はまずまず浪人、ただしいくらかは違いますがな。……いかにも貴殿の仰せられる通りに、拙者、貴殿に怨みはござらぬ。と云え貴殿の仰せられるように、人違いで切ってかかったのでもござらぬ。思うところあって切り付けたのでござる。と云うのは貴殿の運命と、――巫女から買い取られた運命と、拙者の運命とが似ているからでござる」 こう云うとクックッと含み笑いをしたが、 「実は拙者も同じ巫女から、運命を買ったのでございますよ」 「ほほう」とそれを聞くと宮川茅野雄は、化かされたような気持ちがしたが、 「貴殿の買われた運命と、拙者の買い取った運命とが、似ているというようなそのようなことが、殺生沙汰を招きましょうかな?」 「運命を占った女巫女の、素性をご存知ない貴殿としては、そういう疑念を挿まれるのは、当然至極と存ぜられますよ。またあの巫女の占ったところの、『何か』得られるというその『何か』の、何であるかをご存知なければ、そういう疑念も挿まれましょうよ」 「それでは貴殿におかれましては、巫女の素性をご存知なので?」 「さよう、拙者は存じております」 「で、その『何か』もご存知なので?」 「さよう、拙者は存じております。と云うよりもこれはこう云った方がよろしい。――その『何か』を手に入れようとして、五年以来探しておりましたとな」 「が、それにしても何の理由から、拙者を討とうとなされましたので?」 「競争相手を亡ぼしたかったからで」 「ほほう」とそれを聞くと宮川茅野雄は、また化かされたような気持がしたが、 「いやいや拙者におきましては、あの巫女の占った運命などは、決して信じはいたしませぬよ。したがって『何か』を手に入れようなどと、貴殿と競争などはいたしませぬよ。……と、このように申しましても、どうでも貴殿におかれましては、拙者を討ってとるお意なので?」 すると醍醐弦四郎という武士は、抜き身をソロリと鞘へ納めたが、 「競争をなさらないと仰せられるならば、何の拙者が恩怨もない貴殿へ、敵対などをいたしましょう。……しかしあらかじめ申し上げて置きます、あの巫女が占いをいたした以上は、貴殿にはほとんど間違いなく、その『何か』を手に入れようとして、努力をなさるようになりましょうとな。と、拙者とは必然的に、競争をすることになりましょう。もしもそのようになった際には、いつも貴殿の生命を巡って、拙者の刃のあるということを、覚悟をなされておいでなさるがよろしい。……とにかく今夜はお別れをいたす。ご免」と云うと元来た方へ、醍醐弦四郎は歩き出した。 茅野雄は後を見送ったが首を傾げざるを得なかった。 (ああいうように云われて見れば、俺といえども巫女の占いを、何となく信じて見たくなった。醍醐弦四郎という武士が出て、俺の好奇心へ油を注いで、火を焚きつけたというものだ。……だが「何か」とは何だろう? 要するに今の場合では、何が何だか解らない――と云うことになっているな。……山岳へおいでなさりませ、何か得られるでござりましょうと、こうあの巫女は占ってくれたが、日本の国には山が多い。どこの山へ行けというのだろう? そこまで占ってくれなかったのだから、山へ行こうにも行きようがない) で、茅野雄は歩き出した。 と、松倉屋の邸の中から、荒々しく怒鳴る老人の声が、門扉を通して聞こえてきた。
怒号の意味は?
「……俺はお前を見損なったよ! そんな女とは知らなかった! 我儘にもほどがある! いや贅沢にもほどがある! ……大目に見て置けばよい気になって、何ということだ何ということだ! ……月々の入費の大袈裟なことは! これでは俺もたまらない! この松倉屋は潰れてしまう! ……それにお前は勝手すぎるよ! 俺の気に入らない若僧どもを、いい気になって屋敷へ入れて、悪ふざけをして平気でいる。……俺は杉次郎が大嫌いだ。まるで歌舞伎の和事師のように、色が生白くておべんちゃらで、女あつかいばかりが莫迦にうまくて、男らしいところがどこにもない。旗本の次男だということだが、あんな人間は寄せつけないがよろしい! それにお前の兄も嫌いだ。お前の兄ながら弁太という男は、どうしてヤクザの破戸漢だよ。毎日のように出入りをしては、俺やお前から金を持って行く。まじめの仕事でもすることか、賭博ばかりやるということだ! どいつもこいつもみんな嫌いだ! おおおおそうそう京助という奴も、我慢の出来ないほど俺は嫌いだ。娘のような顔をして、娘のような品を作って、娘のようなお化粧をして、お前の用事ならどんなことでも聞くが、俺の用事ならどんなことでも聞かない。……あんな奴には暇をくれるがよい! でなかったら店の方へ廻してよこせ、使って使ってコキ使って、働き者に仕立て上げてやろうに。……ところがお前はあいつが好きで、お小姓のように目をかけている! お前は若い女房の身分だ、小間使いばかりを使うがよい。女は女を使うがよい。若い男を小間使いにまぜて、いい気になって使ってなどといると、間違いが起こらないものでもない! ……何もかも俺には気に入らない! ……が、まあまあよいとしよう。だんだんに直して貰うとしよう。が、それはよいとしても、あれだけは返して貰わなければならない。あれは大変な品物だからな。お前が是非とも見たいというので、一時お前に預けたが、是非とも返して貰わなければならない。さあさあお返し、さあさあお返し! ……アッハッハッハッ、泣くことはないよ。ナーニお前を叱ってはいない。やはりお前は俺には可愛い。お泣きでないよ、お泣きでないよ! ――とこんなように嚇しつ賺しつ、今夜はどうでもお菊をとらえて、云って云って云ってやらなければならない。……それにしても帰りが遅いではないか! 芝居は夕方にハネたはずだのに。……酔った酔った俺は酔った!」 庭をグルグルと歩きながら、酔っているらしい勘右衛門が、女房のお菊の芝居帰りの、あまりに遅いのに心を苛立て、門の内側で相手もないのに、そこに女房がいるかのように、怒鳴ったり喚いたりしているのであった。 (なるほど、これではよくないことが、松倉屋の家庭へ起こるかもしれない) 門外に佇んで勘右衛門の独語を、聞くともなしに聞いた宮川茅野雄は、こう思わざるを得なかった。 尚も勘右衛門は門の内側で、酔ったあまりに思慮を失って、止める者のないのを幸いにして、怒鳴り声をつづけているようであったが、茅野雄には興味がなくなったので、怒鳴り声を聞きすてて歩き出した。 (抜け荷買いをした人間だそうだ。今でこそ三卿のご用達などと、上品に構えてはいるけれど、一つ間違うと兇暴になって何をやり出すかわからないというのが、松倉屋勘右衛門の本性らしい) 茅野雄は歩きながら思ったりした。 (どれ急いで家へ帰ろう) こうして茅野雄が自宅へ帰って、下男の弥助に迎えられて、自分の部屋へ入った時に、一つの運命が待っていた。 飛脚が届けたという書面であった。 「夕方お飛脚が参りまして、この書面を置いて参りました」 これが弥助の言葉であった。 「ほほうどこから来たのであろう? 俺のところへ書面を届けるような、親しい遠方の知人などは、どうにも俺にはなかったはずだが」 呟きながらも宮川茅野雄は、文箱をあけて書面を出して、静かに文面へ眼を落とした。 「お懐かしき茅野雄様、妾は浪江でござります。あなたのたった一人きりの、従妹の浪江でござります。浪江があなた様へお願いいたします。妾の処へおいでくださいましと。妾の一家は五年前に、――あなた様が長崎へおいでになった時に、江戸を立ってこの地へ参りました。飛騨の国の高山城下から、十里ほど離れた山の奥の、丹生川平という寂しい土地へ。……父も母も無事でござります。でも性質は変わりました。敵を持つようになりました[#「なりました」は底本では「なりした」]。で只今私達一族は、苦境にあるのでござります。どうぞどうぞおいでくださいまして、私達一族の味方となって、私達をお助けくださりませ。……妾は十八歳になりました。五年前にお別れをいたしました時には、妾は十四歳でございました。ほんとに子供でございました。でも今は娘でござります。……あの頃から妾はあなた様を、懐かしいお方に思っておりました。今も同じでござります。あなた様を懐かしく思っております」 こういう意味のことが書いてあった。 (そうそう俺には親戚として、叔父の一族があったっけ。俺が長崎へ行っていた留守に、消えたと云ってもいいほどに、行衛知れずになってしまったので、思い出しさえもしなかったが、無事にこの世にいると聞いては、ちょっとなつかしく思われる。――従妹の浪江は小さい時から、驚くばかりに美しかったが、もっと美しくなっていよう。いかにも二人は仲がよかった。逢って話をしてみたいものだ。……敵を持って苦境にあるという? これがいくらか気にかかるが、行って見たら様子が知れることであろう。……飛騨といえば随分山国だが、そんなことには驚かない。よしよし明日にも出かけることにしよう) ――こうして茅野雄は行くことに定めた。が、これを一面から見ると、巫女の占った運命の一つが、適中したという事になる。 では次々に巫女の占いが適中しないとは云われない。 茅野雄は「何か」を手に入れるであろうか? その「何か」とはどんなものであろう?
その翌日のことであったが、松倉屋勘右衛門の邸の中で一つの事件が起こっていた。 「お前は旦那様に憎まれているねえ」 「はい奥様、そんな様子で、私は心配でなりませぬ」 「妾がお前を贔屓にするからだよ」 「はい奥様、さようでございますとも」 「旦那様はお前を嫉妬ているのだよ」 「どうやらそのようなご様子に見えます」 「お前の縹緻がよいからだよ」 「奥様ありがとう存じます」 「妾がお前を贔屓にするのも、お前の縹緻がよいからだよ」 「奥様、お礼を申し上げます」 「それにお前は気も利いているよ」 「はい奥様、ありがたいことで」 「それに妾に忠実だよ」 「はいはいさようでござりますとも。私は奥様のお旨とならば、火の中であろうと水の中であろうと、飛び込んで行く意でござります」 「そうだよそうだよそういう性質だよ。だから贔屓にしてやるのだよ。でもそれは本当かしら? 妾がどのような無理を云っても、お前は聞いてくれるかしら?」 「聞きます段ではございません。きっと、きっと、きっと聞きます」 「それではお前をためす意で、少し無理なことを云いつけようかしら」 そこは松倉屋の女房の部屋で豪奢な調度で飾られていた。 その部屋に坐って話し合っているのは、女房のお菊と気に入りの手代の、二十歳になる京助とであった。
[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] 下一页 尾页
|