女夜叉の本性
(この男ならやりかねない) こう思ったお力は、嘉十郎の袂を掴んだ。 (剣技にかけちゃア、新選組一だといわれている沖田さんだけれど、あの病気で衰弱している体で、嘉十郎に斬りかけられては敵う筈はない。……総司さんを討たれてなるものか!……いっそ妾が此奴を!) と、肚を決め、 「嘉十郎さん、まア待っておくれ、お前が然うまで云うなら妾も決心して、今夜沖田さんの息の音とめるよ。……お前さんにしてからが然うじゃアないか、あの晩、二人でここへ来てさ、通りかかった脱走武士たちへ喧嘩を売りつけ、一人を叩っ斬ったのを見て、妾は植甚の庭へ駆込み、喧嘩の側杖から避けたと云って、沖田さんに隠匿われ、そいつを縁に沖田さんへ接近いたのも、お前と最初からの相談ずく、そこ迄二人で仕組んで来たものを、今になってお前さんに沖田さんを殺され、功を奪われたんじゃア、妾にしては立瀬が無く、お前さんにしたって、後口が悪かろう。……ねえ、沖田さんを仕止めるの、妾に譲っておくれよ。そうして懸賞の金は山分けにしようじゃアないか」 憎くない婦からのこの仕向けであった。四十五歳の、分別のある嘉十郎ではあったが、 「そりゃアお前がその気なら……」 「委せておくれかえ。それじゃア妾は今夜沖田さんを、こんな塩梅に……」 と、右の手を懐中へ入れ、いつも持っている匕首を抜き 「グッと一突きに!」 と嘉十郎の脾腹へ突込み…… 「わッ」 「殺すのさ!」 と、嘉十郎を蹴仆し、地面をノタウツのを足で抑え、止めを刺し、 「厭だよ、血だらけになったよ。これじゃア総司さんの側へ行けやアしない」 と呟いたが、庭へ駆込むと、池の端へ行き、手足を洗出した。途端に滝の中から腕が現われ、グッとお力の腕を掴み、 「矢張りお前も然うだったのか。お力坊、眼が高いなア」 と、水を分けて、留吉が、姿を現わした。 「只者じゃアねえと思ったが、矢っ張り滝壺の中の小判を狙っていたのかい。俺も然うさ。植甚へ住込んだのも、植甚は大金持、そればかりでなく、徳川様のお歴々にご贔屓を受け、松本良順なんていう御殿医にまで、お引立てを受けていて、然ういう人達の金を預って隠しているという噂、ようしきた、そいつを盗み出してやろうとの目算からだったが、植甚の爺、うまい所へ隠したものよ、滝のかかっている岩組の背後を洞にこしらえ、そこへ隠して置くんだからなア。これじゃア脱走武士が徴発に来ようと、薩長の奴等が江戸へ征込んで来て、焼打ちにかけようと安全だ。……と思っている植甚の鼻をあかせ、俺アこれ迄にちょいちょい此処へ潜込んで、今日までに千両近い小判を揚げたからにゃア、俺の方が上手だろう――と思っているとお前が現われた。偉え! 眼が高え! 小判の隠場ア此処と眼をつけたんだからなア。…よし来た、そうなりゃアお互い相棒で行こう。……が相棒になるからにゃア……」 お力は、(然うだったのかい。滝の背後に金が隠してあるのかい、妾が、体の血粘洗おうと来たのを、そんなように独合点しやがったのかい。……然うと聞いちゃ、まんざら慾の無い妾じゃアなし……ようし、その意で。……) 例の匕首でグッと! 「ウ、ウ、ウ――」 動かなくなった留吉の体を、池の中へ転がし込んだが、 (人二人殺したからにゃア、いくら何んでも此処にはいられない。行きがけの駄賃に、……云うことを諾かない総司さんを……そうして、矢っ張り懸賞の金にありつこうよ)と、 離座敷の方へ小走って行き、雨戸を窃っと開け、座敷へ這入った。総司は、やや健康を恢復し、艶も出た美貌を行燈に照らし、子供のように無邪気に眠っていた。 お力は、行燈の灯を吹消した。
片がついた
鎮撫隊より一日早く、甲府城まで這入った、板垣退助の率いた東山道軍は、勝沼まで来ていた近藤勇たちの、甲州鎮撫隊を、大砲や小銃で攻撃し、笹子峠を越えて逃げる隊土たちを追撃した。三月六日のことである。 沖田総司を尋ねて、ここまで来たお千代は、峠の道側の、草むらの中に立って、呆然としていた。あちこちから、鉄砲の音や、鬨の声が聞え、谷や山の斜面や、林の中から、煙硝の煙が立昇ったり、眼前の木立の幹や葉へ、小銃の弾があたったりしていた。そうして、鎮撫隊士が、逃下る姿が見えた。隊士たちは、口々に云っていた。 「敵わん、飛道具には敵わん!――精鋭の飛道具には」と。―― 一人の隊士が肩に負傷し、よろめきよろめき逃げて来た。お千代は走寄り、取縋るようにして訊いた。 「沖田総司様は、……討死にしましたか?……それとも……」 「ナニ、沖田総司?」 と、その隊士は、不審そうにお千代を見たが、 「いや、沖田総司なら……」 しかしその時、流弾が、隊士の胸を貫いた。隊士は斃れた。お千代は仰天し、走寄って介抱したが、もう絶命れていた。 (妾ア何処までも総司様の生死を確める) と、お千代は、疲労と不安とで、今にも気絶しそうな心持の中で思った。 (そうして、総司様の前で、総司様から下された、縁切りのお手紙をズタズタに裂いて、妾は云ってあげる「いいえ、妾は、総司様の女房でございます」って) そのお千代が、下総流山の、近藤勇たちの屯所の門前へ姿を現わしたのは、四月三日のことであった。近藤勇や土方歳三などが、脱走兵鎮撫の命を受け、幕府から、この地へ派遣されたと聞き、恋人の総司もその中にいるものと思い、訪ねて来たのであった。しばらく門前に躊躇していると、門内から、二人の供を従え騎馬で、近藤勇が現われた。 「近藤様!」 と叫んで、お千代は、馬の前へ走出し、 「沖田様は」 「お千代か!」 と勇は、さもさも驚いたように云った。 「沖田か、沖田は江戸に居る。千駄ヶ谷の植木屋植甚という者の離座敷で養生いたしておる。……詳しいことも聞きたし、話しもしたいが、わしは是から、越ヶ谷の、官軍の屯所へ呼ばれて出頭するので、ゆっくり話しておれぬ。……わしの帰るまで、屯所内で休んでおるがよい。知己の土方が居る」 と云いすてると、馬を進めた。
四月十一日、江戸城が開き、官軍が続々ご府内へ入込んで来た頃、沖田総司は、臨終の床に在った。枕元には、植甚や、その家族の者が並んで、静まり返っていた。過ぐる晩、お力がやって来て切りかかったのを防いだ時、大咯血をし、それが基で、総司の病気は頓に悪化したのであった。近藤勇が、官軍の手で、越ヶ谷から板橋に送られ、其処で斬られたということなども、総司の死を、精神的に早めたのでもあった。不幸なお千代が、やっと植甚の家を探しあてて、訪ねて来たのは、この日であった。植甚の人達は、以前からお千代のことは聞いて知っていた。それと知ると、お千代を直ぐに総司の枕元へ進れて来た。 「沖田様!」 とお千代は、もう眼も見えないらしい、総司に取縋り、耳に口を寄せて呼んだ。 「お千代でございます! 京都から訪ねて参った、お前の女房、お千代でございます!」 その声が心に通ったとみえて、総司の視線がお千代の顔へ止まった。 「お千代!……わしの女房!……然うだ!」 しかしその顔に俄に憎悪の表情が浮かび、 「おのれ、お力イ――ッ」 と云った。それが最後の言葉であった。
翌月の十五日に始まったのが、上野の彰義隊の戦いであった。徳川幕府二百六十年の恩誼に報いようと、旗本の士が、官軍に抗しての戦いで、順逆の道には背いた行為ではあったが、義理人情から云えば、悲しい理の戦いでもあった。しかし、大勢は予め知れていて、彰義隊の敗れることには疑い無かった。江戸の人々は、一日も早く、世間が平和になるようにと希望みながら、家根へ上ったり、門口に立ったりして、上野の方を眺めていた。長州の兵は、根津と谷中から、上野の背面を攻めていた。その戦いぶりを見ようとして、権現様側に集まっていた群集の中に、お力もいた。髪を綺麗に結び、新しい衣裳を着ていた。沖田総司を殺しそこなった晩、これも行きがけの駄賃に、池の沖へ潜込み、盗み出した幾十枚かの小判が、まだ身に付いているらしく、様子が長閑そうであった。島原の太夫から宮川町の女郎、それから、隠密稼ぎまでしたという、本能そのもののようなこの女は、もう今では、細木永之丞のことも沖田総司のことも念頭に無いらしく、群集の中の若い男へ、万遍なく秋波を送っていた。しかしその時、背後から 「こいつがお力だ」 という聞覚えのある声がしたので、驚いて振返って見た。植甚が群集の中に立って睨んでいた。 あッと思った時、一人の娘が、植甚の横手から、自分の方へ走寄って来た。 「沖田さんの敵!……妾の怨み!」 「お千代!」 お力は、匕首を、自分の鳩尾へ刺通したお千代の手を両手で握ったが、 「ああ……お前さんに殺されるなら……妾にゃア……怨みは云えないねえ」 と云い、ガックリとなった。 上野山内から、伽藍の焼落ちる黒煙が見えた。幕府という古い制度の、最後の堡塁であった彰義隊の本営が、壊滅される印の黒煙でもあった。 「片がついた」 と植甚は、お千代を介抱しながら、黒煙を仰ぎ、感慨深そうに云った。 (何も彼も是で片がついた)
●表記について
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