18[#「18」は縦中横]
ちょうど同じ夜のことであったが、芝三田の義哉の家では、奇怪な事件が行なわれた。主人義哉が出かけて行った後、小間使のお花は雇女と一緒に、台所で炊事を手伝っていた。 と、口笛の音がした。 物みな懐かしい春の宵で、後庭では桜が散っていた。 ヒューヒューと鳴る口笛の音も春の夜にはふさわしかった。 しかしその時、居間の方で、変にカキカキいう音がした。 「おや」とお花は聞耳を立てたが、手に葱を持ったまま、急いでそっちへ行ってみた。 一匹の奇形な動物が、背を蜒らして走り廻っていた。犬のように大きな鼬であったが、口に手箱を銜えていた。 「あっ」とお花は悲鳴をあげ、無宙で葱を投げつけた。 鼬の何よりも嫌いなのは、刺戟性の葱の匂であった。それで、鼬は一跳ね跳ねると、食わえていた手箱を振り落し、庭の茂へ走り込んだ。 「ああ恐かった」と溜息をしながら、お花はしばらく立ち縮んだものの、気が付いて手箱を取り上げた。 彼女は利口な女であった。鼬が手箱を狙ったのは偶然ではあるまいと推量した。そこで、手箱を持ったまま女中部屋の方へ入って行った。ふたたび彼女が現われた時には、風呂敷に包んだ小さな箱を、大事そうに両手で捧げていた。そうして主人の居間へ行くと、袋戸棚をそっと開け大切そうに藏い込んだ。 お花の聡明な心遣いが、無駄でなかったということは、その夜が更けてから証明された。 庭の茂が幽に揺れると、香具師風の若者が手拭でスッポリ顔を隠し、刻み足をして現われたが、ぴったりと雨戸へ身を寄せた。 こういうことには慣れていると見え、二三度小手を動かしたかと思うと音もなく雨戸がスルスルとあき、横縁が眼前に現われた。その向こうに障子が見え、それを開けると義哉の居間で、主人がいないにも拘らず燈火がポッと射していた。 香具師風の若者は、膝で歩いて障子へ寄り、内の様子をうかがったが、誰もいないと確かめると躊躇せず障子を引きあけた。それからスックリ立ち上ると袋戸棚の前へ行き、手早く箱を取り出した。 その時人の気勢がした。 あわてた彼は盗んだ箱を手早く懐中へ捻じ込んだが、もう足音を忍ぼうともせず、縁から庭へ飛び下りた。 ざわざわと茂みの揺れる音、つづいて口笛の音がしたが、後は寂然としずかになった。引き違いに居間へ現われたのは、例の小間使いのお花であって、先ず静かに雨戸をとじ、それからしとやかに障子をしめた。 見れば手箱を持っている。 乙女に有り勝ちの好奇心が、彼女の心に湧いたのであろう、燈火の前へ坐りこむと、先ず髪から簪を抜き、その足を鍵穴へ差し込んだ。しかし錠前は外れなかった。 で、手箱を膝の上へのせ、しばらくじっと考え込んだ。 見る見る彼女の眼の中へ燃えるような光が射して来た。 彼女は突然叫び出した。「泥棒でございます泥棒でございます!」 そうして手早く杉の手箱を自分のふところへ捻じ込んだ。 けたたましい声に仰天して、家の人達が集まって来たのは、その次の瞬間のことであったが、いかさま縁にも座敷にも泥足の跡が付いているので、賊の入ったことは証拠立てられた。 そこで八方へ人が飛んだ。しかし賊は見付からなかった。 そうして何を盗まれたものか、かいくれ見当がつかなかった。 と云うのは金にも器類にも、紛失したものがないからであった。
19[#「19」は縦中横]
ちょうど同じ夜の出来事である。 岡山頭巾で顔を包んだ、小兵の武士が供もつれず、江戸の街を歩いていた。 すると、その後を従けるようにして、十人ばかりの屈強の武士が、足音を盗んで近寄って来た。 覆面の武士は幕府の重鎮勝安房守安芳で、十人の武士は刺客なのであった。 今日の東京の地図から云えば、日本橋区本石町を西の方へ向かって歩いていた。室町を経て日本橋へ出、京橋を通って銀座へ出、尾張町の辻を真直ぐに進み、芝口の辻までやって来た。 この間二三度刺客達は、討ち果そうとして走りかかったが、安房守の威厳に搏たれたものか、いつも途中で引き返してしまった。 だが一体何のために勝安房守を殺そうとするのだろう? そうして一体刺客達は、どういう身分の者なのだろう。 それを知りたいと思うなら、当時の歴史を調べなければならない。 慶応三年九月であったが、土佐の山内容堂侯は、薩長二藩が連合し討幕の計略をしたと聞き、これは一大事と胸を痛めた。そこで一通の建白書を作り、後藤象二郎、福岡孝悌、この二人の家臣をして将軍慶喜に奉らしめ、平和に大政を奉還せしめ、令政をして一途に出でしめ、世界の大勢に順応せしめ、日本の国威を揚げしめようとした。そこで慶喜は十月十三日、京都二条城に群臣を集め、大政奉還の議を諮詢した。その結果翌十四日、いよいよ大政奉還の旨を朝廷へ対して奏聞した。一日置いた十六日朝廷これを嘉納した。つづいて同月二十四日、慶喜は更に将軍職をも、辞退したき旨奏聞したが、これは保留ということになった。 さて一方朝廷に於ては、施政方針を議定するため、小御所で会議を行なわせられた。中山忠能、正親町實愛、徳大寺實則、岩倉具視、徳川慶勝、松平慶永、島津義久、山内容堂、西郷隆盛、大久保利通、後藤象二郎、福岡孝悌、これらの人々が参会した。十二月八日のことであった。その結果諸般の改革を見、翌九日、天皇親臨、王政復古の大号令を下され、徳川幕府は十五代、二百六十五年を以て、政権朝廷に帰したのであった。 慶喜に対する処置としては、内大臣を辞すること、封土一切を返すべきこと、この二カ条が決定された。 旧幕臣は切歯した。慶喜としても快くなかった。会桑二藩は特に怒った。突然十二月十二日の夜慶喜は京都から大坂へ下った。松平容保、松平定敬、他幕臣が従った。 こうして起ったのが維新史に名高い伏見鳥羽の戦いであった。明治元年正月三日から、六日に渡って行なわれたのであった。そうして幕軍大いに潰え、六日夜慶喜は回陽丸に乗じ、海路江戸へ遁竄した。 ここでいよいよ朝廷に於ては、慶喜討伐の大軍を起され、江戸に向けて発することにした。有栖川宮熾仁親王を征東大総督に仰ぎまつり、西郷隆盛参謀、薩長以下二十一藩、雲霞の如き大軍は東海東山、北陸から、堂々として進出した。そうして三月十五日を以て、江戸総攻撃と決定された。 江戸はほとんど湧き返った。旗本八万騎は奮起した。薩摩と雌雄を決しようとした。しかし聡明な徳川慶喜は、惰弱に慣れた旗本を以て、慓悍な薩長二藩[#「薩長二藩」は底本では「薩摩二藩」]の兵と、干戈を交えるということの、不得策であることを察していた。それに外国が内乱に乗じ、侵略の野心を逞しゅうし、大日本国の社稷をして危からしめるということを、特に最も心痛した。そこで幕臣第一の新知識、勝安房守に一切を任せ、自身は上野の寛永寺に蟄居し、恭順の意を示すことにした。 初名義邦、通称は麟太郎、後安芳、号は海舟、幕末従五位下安房守となり、軍艦奉行、陸軍総裁を経、さらに軍事取扱として、幕府陸海軍の実権を、文字通り一手に握っていたのが、当時の勝安房守安芳であった。武術は島田虎之助に学び、蘭学は永井青涯に師事し、一世を空うする英雄であったが、慶喜に一切を任せられるに及び、大久保一翁、山岡鐡舟などと、東奔西走心胆を砕き、一方旗本の暴挙を訓め、他方官軍の江戸攻撃を食い止めようと努力した。 幕臣の中過激な者は、その安房守の遣り口を、手ぬるいと攻撃するばかりでなく、徳川を売って官軍に従く獅子身中の虫だと云って、暗殺しようとさえ企てた。 それを避けなければならなかった。 日々幕兵は脱走した。それを引き止めなければならなかった。 で、この夜もただ一人府内の動静を探ろうとして、こうして歩いているのであった。
20[#「20」は縦中横]
芝口の辻を北へ曲がり安房守は悠々と歩いて行った。 下桜田[#「下桜田」はママ]まで来た時であった。ふと彼は足を止めた。その機会を狙ったのであろう、刺客の一人が群を離れ、颯と安房守の背後に迫った。 と、突然安房守が云った。 「うむ、日本は大丈夫だ! この騒乱の巷の中で、三味線を弾いている者がある。うむ、曲は『山姥』だな。……唄声にも乱れがない。撥さばきも鮮なものだ。……いい度胸だな。感心な度胸だ。人は須くこうなくてはならない。蠢動するばかりが能ではない。亢奮するばかりが能ではない。宇内の大勢も心得ず、人斬包丁ばかり振り廻すのは人間の屑と云わなければならない。……いい音締だな小気味のよい音色だ」 それは呟いているのではなく、大声で喋舌っているのであった。背後に迫って来た刺客の一人へ、聞かせようとして喋舌っているらしい。 宵ながら町はひっそりと寂れ、時々遙かの方角から脱走兵の打つらしい小銃の音が響いてきたが、その他には犬の声さえしない。 その静寂を貫いて、咽ぶがような、清元の音色が、一脈綿々と流れてきた。 刺客の一人は立ち止まり、じっと安房守を見守った。その安房守は背を向けたまま、平然として立っていた。まことに斬りよい姿勢であった。一刀に斬ることが出来そうであった。 それだのに刺客は斬らなかった。一間ばかりの手前に立ち、ただじっと見詰めていた。彼は機先を制されたのであった。叱するような安房守の言葉に、強く胸を打たれたのであった。しかし今にも抜き放そうとして、しっかり握っている右の手を柄から放そうとはしなかった。 「斬らなければならない! たたっ斬らなければならない! 二股武士、勝安房守[#「勝安房守」は底本では「勝安房安」]! だが不思議だな、斬ることが出来ない」 刺客の心は乱れていた。 と、唄声がはっきり聞こえた。
雁がとどけし 玉章は、小萩の 袂かるやかに、 返辞しおんも朝顔の、おくれさきなるうらみわび……
安房守は立っていた。同じ姿勢で立っていた。それからまたも喋舌り出した。 「女ではない、男だな。しかも一流の太夫らしい。一流となれば大したものだ。政治であれ剣道であれ、遊芸であれ官教であれ、一流となれば大したものだ。もっとも中には馬鹿な奴もある。剣技精妙第一流と、多くの人に立てられながら、物の道理に一向昏く無闇と人ばかり殺したがる。この安芳をさえ殺そうとする。馬鹿な奴だ。大馬鹿者だ。今この安芳を暗殺したら、慶喜公の御身はどうなると思う。徳川の家はどうなると思う。俺は官軍の者どもに、お命乞いをしているのだ。慶喜公のお命乞いを。……俺の命などはどうなってもよい。俺はいつもこう思っている。北条義時に笑われまいとな。実に義時は偉い奴だ。天下泰平のそのためには、甘んじて賊臣の汚名を受け、しかも俯仰天地[#「俯仰天地」は底本では「俯抑天地」]に恥じず、どうどうと所信を貫いた。……俺は義時に則ろうと思う。日本安全のそのためには、小の虫を殺し大の虫を助け、敢て賊子に堕ちようと思う。……どだい薩長と戦って、勝てると思うのが間違いだ。いかんともしがたいは大勢だ。社会の新興勢力は、どんなことをしても抑制出来ぬ。王政維新は大勢だ。幕府から人心は離れている。それはもう旧勢力だ。利益のなくなった偶像だ。徳川の天下も二百六十年、そろそろ交替していい時だ。偶像を拝むのは惰性に過ぎない。こびり付くのは愚の話だ。新時代を逃がしてはいけない。日本を基礎にした世界主義! 国家を土台にした国際主義! これが当来の新思想だ。仏蘭西を見ろ仏蘭西を! ナポレオン三世の奸雄振のいかに恐ろしいかを見るがいい! 日本の国土を狙っているのだ。内乱に乗じて侵略し、利権を得ようと焦心っているではないか。それだけでも内乱を止めなければならない。……第一江戸をどうするのだ。罪のない江戸の市民達を。兵戦にかけて悔いないのか。いやいやそれは絶対にいけない。江戸と市民は助けなければならない。そうして徳川の大屋台と慶喜公とは助けなければならない。……どいつもこいつも血迷っている。醒めているのは俺だけだ。俺がそいつらを助けなかったら、一体誰が助けるのだ。俺を絶対に殺すことは出来ぬ。殺したが最後日本は闇だ。……官軍の中にも解る奴がいる。他でもない西郷だ。西郷吉之助ただ一人だ。で俺はきゃつに邂逅い、赤心を披瀝して談じるつもりだ。解ってくれるに相違ない。そこで江戸と江戸の市民と、徳川家と慶喜公とは、助けることが出来るのだ。その結果内乱は終息し、日本の国家は平和となり、上下合一、官民一致、天皇帰一、八紘一宇、新時代が生れるのだ」
21[#「21」は縦中横]
安房守[#ルビの「あわのかみ」は底本では「あはのかみ」]はじっと耳を澄ました。 空では星がまばたいていた。ふと小銃の音がしたが、しかしたった一発だけであった。 清元の唄はなお聞えた。 「ああいいなあ。名人の至芸だ」安房守は嘆息した。それから大声でやり出した。「俺はもとからの江戸っ子だ。俺の好きなのは平民だ。勝麟太郎、これでいいのだ。つめて云うと勝麟だ。従五位も無用なら安房守も無用だ。勝麟々々これでいいのだ。だがそう云ってはいられない。勝麟では済まされない。世間の奴らが酔っていて、俺一人醒めているからよ。そこで救世と出かけたのだ。厭な役廻りだがしかたがない。扶桑第一の智者と称し、安房の国の旋陀羅の子、聖日蓮[#「日蓮」は底本では「日連」]は迫害を覚悟で、世の荒波へ飛び出して、済民の法を説いたではないか。現代第一の智者と云えば、この俺の他にはない。つまり俺は日蓮なのだ。つまり俺は祖師なのだ。その祖師様を殺そうとは、とんでもない不届者だ。すぐに仏罰を蒙ろうぞ。……ああ、だが、本当に、いい音色だなあ。……」 春の夜風がそよぎ出した。 手近の木立で小鳥が啼いたが、きっと夢でも見たのだろう。 なまめかしい春の夜の、甘い空気を顫わせて、艶な肉声と三味線の音とは、なおあざやかに聞こえていた。 刺客は頭をうな垂れた。柄を握っていた右の手は、いつかダラリと下っている。と、一足しりぞいた。それからグルリとむきを変えると、もと来た方へ引っ返した。 その時、安房守は振り返った。 「これちょっと待て、伊庭八郎!」 「はっ」と云うとその刺客は、足を止めて振り返った。うら若い美貌の武士であり、それは伊庭八郎であった。八郎は父軍兵衛と共に、この時代の大剣豪、斉藤弥九郎、千葉周作、桃井春蔵、近藤勇、山岡鐡舟、榊原健吉、これらの人々と並称されている。身、幕臣でありながら、道場をかまえて門下を養い、心形刀流を伝えたが、直門二千名に及んだという。 幕臣も幕臣、奥詰めだったので、親衛隊の魁であり、伏見鳥羽の戦いにも出て、幾百人となく敵を斬った。 その彼は直情の性格から、同じ幕臣の勝安房守が、いわゆる恭順派の総師として、薩長の士と交渉することを、徳川家のために歯掻く思い、獅子身中の虫と感じ、いっそ暗殺して害をのぞこうと、日頃から画策していたのであったが、この夜いよいよ断行すべく、門下の壮士九人を率い勝安房守の後をつけ、剣を揮おうとしたのであった。 「どうだ、少しは解ったかな?」安房守は微笑した。 しかし八郎は黙っていた。 「ないない」と安房守は穏やかに云った。「勿論全部は解らないだろう。だがこの俺を殺すことの、理不尽だという事は解ったらしいな」 「はい、さようにございます」伊庭八郎は一礼した。「見損ないましてございます」 「世の中は近々平和になるよ。だが今後とも小ぜりあいはあろう。幕臣たる者は油断してはならない。八郎、お前、久能山へ行け! 函嶺の険を扼してくれ!」 「それは、何故でございますな?」 「二三日中に西郷と逢う。そうして俺は談判する。俺の言葉を入れればよし、もし不幸にして入れなかったら、幕府の軍艦を一手に集め、東海道の薩長軍を、海上から俺は殲滅して見せる。函根、久能山は大事な要害だ。敵に取られては面白くない。……まあ八郎聞くがいい、どうだ冴え切った三味線ではないか」 「よい音色でございますな」 思わず八郎も耳を澄した。 遠くで二つバンが鳴っていた。 どこかに火事でもあると見える。 しめやかに三味線はなお聞えた。 にわかに八郎は呻くように云って、 「これは不思議! 剣気がござる!」 「ナニ剣気? ほんとかな?」安房守は眼を見張った。 「これは只事ではございません」 「お前は剣道では奥義の把持者だ。俺などよりずっと上だ。お前がそう云うならそうかもしれない」 「これは危険がせまって居ります」 「ふうむ、そうかな。そうかもしれない」 「これは助けなければなりません」 八郎は背後を振り返り、手を上げて門下を呼んだ。 曲は終りに近づいてきた。
毛脛屋敷の床の下に、大きな地下室が出来ていた。 この屋敷が建てられたのは、正保年間のことであって、慶安謀反の一方の将軍、金井半兵衛正国がずっと住んでいたということであった。で、恐らく地下室は、その時分に造られたものであろう。素行山鹿甚五右衛門の高弟、望月作兵衛もそこに住み著述をしたということであるが、爾来幾度か住人が変わり、建物も幾度か手を入れられたが、天保になって一世の剣豪、千葉周作政成の高弟、宇崎三郎が住んだことがあったが、この時代から怪異があったと、翁双紙などに記されてある。本所七不思議のその中にも、毛脛屋敷というのがあるが、それとこれとは別物なのである。 百目蝋燭が地下の部屋の、一所に点っていた。 黄色い光がチラチラとだだっ広い部屋を照らしている。 幽ではあったが三味線の音が、天井の方から聞えてきた。 十四五人の人間がいる。 そうして気絶した美しい紫錦が、床の上に仆れていた。
22[#「22」は縦中横]
「ふん、こうなりゃアこっちの物さ。……三ピンめ、驚いたろう」 こう云ったのは源太夫であった。「だが案外手強かったな、唄うたいにゃ似合わねえ」 「坊主の六めどうしたかな」こう云ったのは小鬢の禿た四十年輩の小男であった。「三ピンめに一太刀浴びせられたが」 「ナーニ大丈夫だ、死りゃアしねえ。死った所で惜しかアねえ」もう一人の仲間がこう云った。 「三ピンめ、さぞかし驚いたろう」源太夫は繰り返した。「よもや地下室があろうとは、仏さまでも知るめえからな。消えてなくなったと思ったろうよ。……紫錦め、そろそろ目を覚さねえかな」 紫錦は気絶からまだ醒めない。グッタリとして仆れていた。髪が崩れて額へかかり、蝋燭の灯に照らされていた。 源太夫はじっと見詰めていたが、溜息をし舌なめづりをした。 「だが親方はどうしただろう?」 もう一人の仲間が不安そうに云った。 「大丈夫だよ、親方のことだ、ヘマのことなんかやるはずはねえ」 「それにえて物を連れて行ったんだからな」 「あいつときたら素ばしっこいからな」 二三人の仲間が同時に云った。 地下室は寒かった。蝋燭の灯が瞬いた。 「酒を呑みたいなあ」と誰かが云った。 「まあ待ちな、もう直ぐだ。なんだか知らねえが親方が宝箱を持って来るんだとよ」 「何が入っているんだろう?」 「小さな物だということだ」 「で、うんと金目なんだな」 「一度にお大尽になるんだとよ」 「源公!」 と一人が呼びかけた。「ひどくお前は幸福そうだな。思う女を取り返したんだからな。……幸福って物ア直ぐに逃げる。今度逃がしたら取り返しは付かねえ」 源太夫はそっちへ眼をやった。 「ふん、女に惚れているんだな」 「あたりめえだ、惚れてるとも、だから苦心して取り返したんだ」 「だが宜くねえぜ、そういう惚れ方は、古い惚れ方っていうやつだ」 源太夫はその眼を光らせたが 「じゃ何が新らしいんだ」 「お前は承知させて、それからにしようって云うんだろう? だめだよだめだよそんなことは……」 「俺には出来ねえ、殺生な真似はな」 「じゃあお前は縮尻ぜ」 源太夫は返辞をしなかった。 「叩かれると犬は従いて来る。撫すると犬は喰らいつく。……」 源太夫は考え込んだが、突然飛び上り喚声をあげた。 「お前の云うことは嘘じゃねえ!」
23[#「23」は縦中横]
この時二階の一室では、最後の節が唄われていた。 小堀義哉の心の中は泉のように澄んでいた。 なんの雑念も混じっていなかった。死に面接した瞬間に、人間の真価は現われる。驚くもの恐れるもの、もがくもの泣き叫ぶもの、そうして冷やかに傍観するもの、又突然悟入するもの、しかし義哉の心持は、いずれにもはまっていなかった。彼は三味線の芸術境に、没頭三昧することによって、すべてを忘れているのであった。 『山姥』の曲が終ると同時に、彼は死ななければならなかった。そうして殺し手が白刄を提げ、彼の背後に立っていた。 時はズンズン経って行った。 もう直ぐ曲は終わるのである。
露にもぬれてしっぽりと、 伏猪の床の菊がさね……
彼は悠々と唄いつづけた。 異風変相の浪士達にも、名人の至芸は解ると見えて、首を垂れて聞き惚れていた。 独楽師に扮した一人の浪士は「旨い!」と思わず呟いた、居合抜にしたもう一人の浪士は、「ウーン」と深い呻声を洩らし、商人に扮した二人の浪士は顔と顔とを見合わせた。 一座の頭領と思われる、琵琶師風の一浪士は、刀の柄を握ったまま堅くその眼を閉じていた。 時はズンズン経って行った。 伊庭八郎とその同志は、勝安房守の指図の下に、毛脛屋敷の表戸を、踏み破ろうと待ち構えていた。 「まず待つがよい」 と安房守は云った。「めったに聞けない名人の曲だ。唄い終えるまで待つとしよう」 それで、一同は鳴りを静め、三味線の絶えるのを待っていた。 さてそれから行なわれたのが、その当時の人が噂した所の「毛脛屋敷の大捕物」であり、そうして後になってその捕物が「仙人壺」というものに関係あり、と知り、改めて「大捕物仙人壺」と呼んだ、その風変りの捕物であった。 何故この捕物が風変わりであり、何故有名になったかというに、先づ第一にそれを指揮した者が、勝海舟という大人物であり、捕物の衝にあたった人物が、伊庭八郎とその門下という、これも高名の人々だったからで。…… そうして捕えられた者共が、千代田城へ放火しようとした精悍な浪士の一群と、当時江戸を騒がせていた、鼬使いの香具師一派という、風変わりの連中であったからである。 しかし捕物そのものは、まことに簡単に行なわれた。 即ち伊庭八郎一派の者が、三味線の音の絶えると同時に、毛脛屋敷へ乱入するや、浪士の群は狼狽し、逃げようとして犇めくところを、あるいは斬り、あるいは捕縛し、その物音に驚いて、地下室にいた源太夫一味が、周章てて遁がれようとするところを、これも斬ったり捕えたりして、一人のこさず狩取った迄であった。 その結果お錦と小堀義哉とは、命を助かることが出来た。 香具師の親方「釜無しの文」だけは、ちょうどそこに居なかったので、これも命を助かった。
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