二
そうこうするうちに三年たちました。 ある日伊香刀美は、いつものように朝早くりょうに出かけました。少女は伊香刀美のおかあさんといろいろ話をしているついでに、ふとおかあさんが、 「まあ、お前がここへ来なすってからもう三年になるよ。月日のたつのは早いものだね。」 といいました。少女はそっとため息をつきながら、 「ほんとうに早うございますこと。」 といいました。 「お前、今でも天へ帰りたいだろうね。」 「ええ、それははじめのうちはずいぶん帰りとうございましたが、今では人間の暮らしに慣れて、この世界が好きになりました。」 と答えながら、何気なく、 「そういえば、おかあさん、あの時の羽衣はどうなったでしょうね。あれなり伊香刀美さんにおあずけしたままになっておりますが、長い間にいたみはしないかと、気にかかります。おかあさん、あの、ちょいとでよろしゅうございますから、見せて下さいませんか。お願いです。」 といいました。 おかあさんは伊香刀美から、どんなことがあっても少女に羽衣を見せてはならないと、かたくいいつけられていましたから、強く首を振って、 「それはいけませんよ。」 といいました。 「なぜ、いけないのでしょう。」 と少女は子供らしい目をくりくりとさせて、さもふしぎそうにたずねました。 「だって羽衣を見せると、それを着て、また天へ帰ってしまうでしょう。」 「まあ、わたくし、人間の世界がすっかり好きになったと申し上げたではございませんか。おかあさん、お願いです、ほんの一目見ればいいのですから。」 と、少女はしきりとおかあさんに甘えるように頼んでいました。そのかわいらしい様子を見ていると、おかあさんは、何でもそのいうとおりにしてやらなければならないような気がしてきました。 「ではほんのちょいとですよ、伊香刀美にはないしょでね。」 とおかあさんはいいながら、戸棚の奥にしまってある箱を出しました。少女は胸をどきつかせながらのぞき込みますと、おかあさんはそっと箱のふたをあけました。中からはぷんといい香りがたって、羽衣はそっくり元のままで、きれいにたたんで入れてありました。 「まあ、そっくりしておりますのね。」 と少女は目を輝かしながら見ていましたが、 「でも、もしどこかいたんでいやしないかしら。」 というなり、箱の中の羽衣を手に取りました。そしておかあさんが「おや。」と止めるひまもないうちに、手ばやく羽衣を着ると、そのまますうっと上へ舞い上がりました。 「ああ、あれあれ。」 と、おかあさんは両手をひろげてつかまえようとしました。その間に少女の姿は、もう高く高く空の上へ上がっていって、やがて見えなくなりました。 帰って来て伊香刀美はどんなにがっかりしたでしょう。三年前に湖のそばで少女がしたように、足ずりをしてくやしがりましたが、かわいらしい白い鳥の姿は、果てしれない大空のどこかにかくれてしまって、天と地の間には、いくえにもいくえにも、深い霞が立ち込めたまま春の日は暮れていきました。
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