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明治文学管見(めいじぶんがくかんけん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-31 11:04:43 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

 

人生何が故に苦痛あるか

の一問を解くの止むべからざるを知る。
 曰く、パツシヨンなる魔物が、人生の中に存すればなり。凡ての罪、凡ての悪、凡ての過失は欲あるが故にこそあるなれ。而して、罪、悪、過失等の形を呈せざる内部の人生に於て、欲と正義と相戦ひつゝある事は、いやしくも人生を観察するに欠くべからざる要点なり。この戦争が人生の霊魂に与ふる傷痍は、即ち吾人が道義の生命に於て感ずる苦痛なり。この血痕、この紅涙こそは、古昔より人間の特性を染むるものならずんばあらず。かるが故に、必要上より、「慰藉」といふもの生じ来りて、美しきものを以て、欲を柔らかにし、其毒刃を鈍くするの止むなきを致すなり。然れどもすでに必要といふ以上は、慰藉も亦た、多少実用の物ならざるにあらず。試に一例を挙て之を説かん。

梅花と桜花との比較

 梅花と桜花とは東洋詩人の尤も愛好するものなり。梅花は、其のに於ては、単に慰藉の用に当つべきのみ、然れども、其に於ては、実用のものとなるなり。斯の如く、固有性に於て慰藉物なるもの、附属性に於て実用品たることあり(之と反対ヴアイス・ヴアーサの例をも見よ)。桜花はを結ばざるが故に、単に慰藉のに供すべきのみなるかと問ふに、貴人の園庭に於て必らず無くてならぬものとなり居るところよりすれば、幾分かは実用の性質をも備へてあるなり。(梅桜と東洋文学の関係に就きては他日詳論することあるべし)これと同じく家具家材の実用品と共に或種類の装飾品も亦た、多少実用の性質あるなり。屏風びやうぶは実用品なり、然れども、白紙の屏風といふものを見たる事なきは何ぞや。装飾と実用との相密接するは、之を以て見るべし。之より、

実用の起原

に就きて一言すべし。
 この問題は至難なるものなり。然れども、極めて雑駁ざつぱくに、極めて独断的に之を解けば、前に「快楽」の起原に就きて曰ひたる如く、人間はの動物なるが故に、そのと調和したる度に於て、自家の満足を得る為に、意と肉とを適宜に満足せしむるが為に、必要とする器物もしくは無形物を願求するの性あること、之れ実用の起原なり。而して人文進歩の度に応じて「実用」も亦進歩するものなる事は、前に言ひたると同じ理法にて明白なり。人文進歩とは、物質的人生※(小書き片仮名ヒ、1-6-84)ジカル・ライフと、道義的人生モーラル・ライフとの両像に於て進歩したるものなるが故に、「実用」も其の最始に於ては、単に物質的需用を充たすに足りし者が追々に、道義的需用を充たすに至るべき事は当然の順序なり。他の側面より見る時は野蛮人と開化人との区別は、道義性の発達したりしと否とにありといふも、不可なかるべし。爰に於て道義的人生に相渉るべき文学なるものは、人間の道義性を満足せしむるほどのものならざるべからざる事は、認め得べし。之より、

道義的人生の実用

とは何ぞやの疑問にうつるべし。
 人間を正当なる知識に進ましむるもの(学理)其一なり、人間を正当なる道念に進ましむるもの(倫理)其二なり、人間を正当なる位地に進ましむるもの()其三なり。
 斯の如く概説し来りたるところを以て、吾人は、快楽と実用との上に於て吾人が詩と称するものゝ地位を瞥見べつけんする事を得たり。快楽即ち慰藉は、道義的人生に欠くべからざるものたると共に、実用も亦た道義的人生に欠くべからざるものなる事を見たり。但し慰藉は主として道義的人生に渉る性を有し、実用は客観に於ては物質的人生に渉ると雖、前にも言ひし如く、到底主観に於ては道義的人生にまで達せざるべからざるものなり(此事に就きては恐らく詳論を要するなるべし)。
 余は「快楽」と「実用」との性質に就き、及び此二者が人生と相渉れる関係に就きて、粗略なる解釈を成就したり。是より、

「快楽」と「実用」とが文学に関係するところ如何いかん

に進むべし。
 快楽と実用とは、文学の両翼なり、双輪なり、之なくては鳥飛ぶ能はず、車走る能はず。然れども快楽と実用とは、文学の本躰にあらざるなり。快楽と実用とは美の(Aim)なり。美の結果(Effect)なり。美の功用(Use)なり。「美」の本躰は快楽と実用とにあらず。これと共に、詩の広き範囲に於ても、快楽と実用とは、其、其結果、其功用に過ぎずして、他に詩の本能ある事は疑ふ可からざる事実なるべしと思はる。
 若し事物の真価を論ずるに、其、其結果、其功用のみを標率とする時は、種々なる誤謬を生ずるに至るべし、本能本性を合せて、其結果、其功用、其、を観察するにあらざれば、余輩其の可なるを知らず。故に文学を評論するには、少くとも其本能本性に立ち入りて、然る後に功用結果目的等の陪審官はざるべからず。
 快楽と実用とは詩が兼ね備へざるべからざる二大要素なることは、疑ふまでもなし。然れどもポエトリーが必らず、この二大要素に対して隷属すべき地位に立たざるべからずとするは、大なる誤謬なり。
 吾人が日本文学史を研究するに当りて、第一に観察せざる可からざる事は、如何なる主義プリンシプル、如何なる批評眼、如何なる理論セオリーが、主要ヲーソリチーの位地を占有しつゝありしかにあり。而して吾人は不幸にも、世益主義(世道人心を益せざるべからずといふ論)、勧懲主義(善を勧め悪をらすべしといふ論)、及び目的主義(何か目的を置きて之に対して云々すべしといふ論)、等が古来より尤も多く主要の位地に立てるを見出すなり。斯の如くにして、神聖なる文学を以て、実用と快楽に隷属せしめつゝありたり。むべなるかな、我邦の文運、今日まで憐れむべき位地にありたりしや。
 余は次号に於て、徳川時代の文学に、「快楽」と「実用」との二大区分クラシフ※(小書き片仮名ヒ、1-6-84)ケーシヨンある事。平民文学、貴族文学の区別ある事。倫理と実用との関係。等の事を論じて、追々に明治文学の真相をうかゞはん事を期す。(病床にありて筆を執る。字句尤も不熟なり、請ふ諒せよ。)

     二、精神の自由

 造化万物を支配する法則の中に、生と死は必らず動かすべからざる大法なり。およそ生あれば必らず死あり。死は必らず、生をうて来る。人間は「生」といふ流れに浮びて「死」といふ海に漂着する者にして、其行程も甚だ長からず、然るに人間の一生は「生」より「死」にまで旅するを以て、最後の運命と定むべからざるものあるに似たり。人間の一生は旅なり、然れども「生」といふ駅は「死」といふ駅に隣せるものにして、この小時間の旅によりて万事休する事能はざるなり。生の前は夢なり、生の後も亦た夢なり、吾人は生の前を知る能はず、又た死の後を知る能はず、然れどもわづかに現在の「生」をうかゞひ知ることを得るなり、現在の「生」は夢にして「生」の後がなるべきや否や、吾人は之をも知る能はず。
 吾人が明らかに知り得る一事あり、其は他ならず、現在の「生」は有限なること是れなり、然れども其の有限なるは人間の精神スピリツトにあらず、人間の物質なり。世界は意味なくして成立するものにあらず、必らず何事かの希望を蓄へて進みつゝあるなり、然らざれば凡ての文明も、凡ての化育も、虚偽のものなるべし。世界の希望は人間の希望なり、何をか人間の希望といふ、曰く、個の有限の中にありて彼の無限の目的にかなはせんこと是なり。有限は囲環の内にありて其中心に注ぎ、無限は方以外に自由なり、有限は引力によりて相結び、無限は自在を以て孤立することを得るなり、而して人間は実に有限と無限との中間に彷徨はうくわうするもの、肉によりては限られ、霊に於ては放たるゝ者にして、人間に善悪正邪あるは畢竟ひつきやうするに内界に於て有限と無限との戦争あればなり、帰一ユニチーを求むるものは物質なり、調和をもとむるものは物質なり、而して精神に至りては始めより自由なるものなり、始めより独存するものなり。
 人間は活動す、而して活動なるものは「我」をめぐりて歩むものにして、「我」を離るゝ時は万籟ばんらい静止するものなり、自己の「我」は生存を競ふものなり、法の「我」は真理に趣くものなり、然れども人間の種族は生存を競ふの外に活動を起すこと稀なり、愛国もしくは犠牲等の高尚なる名の下にも、究極するところ生存を競ふの意味あり、人は何事をか求むるものなり、人は必らずを離れざるものなり、人は自己をするものなり、倫理道徳を守る前に人間は必らず自己の意欲に僕婢たるものなり、斯の如くの世界に於て人間は禁囚せられたる位地に立つものなり。
 人生は斯の如く多恨なり、多方なり、然れども世界と共に存在し、世界と共に進歩する思想なるものは、羅針盤なくして航行するものにあらずと見えたり。吾人は夢を疑ふ、然れども夢なるもの全く人間を離れたるものにあらず、吾人は想像力をいぶかる、然れども想像力なるもの全く虚妄なるものにあらず、吾人は理想を怪しむ、然れども理想なるもの全く人間と関係なきものにあらず、夢や、想像力や、理想や、是れ等のものはスフ※(小書き片仮名ヒ、1-6-84)ンクスに属する妖術の種類にあらずして、何事をか吾人に教へ、何物をか吾人に黙示し、吾人をして水上の浮萍うきくさの如く浪のまに/\漂流するものにあらざるを示すに似たり。且つ吾人は自ら顧みて己れを観る時に、何の希望もなく、何の目的もなく、在来の倫理に唯諾ゐだくし、在来の道徳を墨守ぼくしゆし、何事かの事業にはまりて一生ををはるを以て、自ら甘んずること能はざるものあるに似たり。怪しむべきは此事なり。
 倫理道徳は人間を覊縛きばくする墨繩ぼくじように過ぎざるか。真人至人の高大なる事業は、境遇と周辺と塲所とによりて生ずるに止まるか。人間の窮通消長は、機会チヤンスなるものゝ横行に一任するものなるか。吾人は諾する能はず。別に精神なるものあり、人間の覚醒は即ち精神の覚醒にして、人間の睡眠は即ち精神の睡眠なり、倫理道徳は人間を盲目ならしむるものにあらずして、人間の精神にうつたふるものならずんばあらず、高大なる事業は境遇等によりて(絶対的に)生ずるものにあらずして、精神の霊動に基くものならざるべからず、人間の窮通は機会の独断すべきものにあらずして、精神の動静に因するものならざるべからず。精神はみづから存するものなり、精神は自ら知るものなり、精神は自ら動くものなり、然れども精神の自存、自知、自動は、人間の内にのみ限るべきにあらず、之と相照応するものは他界にあり、他界の精神は人間の精神を動かすことを得べし、然れども此は人間の精神の覚醒の度に応ずるものなるべし。かるが故に人間を記録する歴史は、精神の動静を記録するものならざるべからず、物質の変遷は精神に次ぎて来るものなるが故に、之を苟且かりそめにすべしといふにはあらねど、真正の歴史の目的は、人間の精神を研究するにあるべし。人生実に無辺なり、然も意味なき無辺にあらず、畢竟するに精神の自由の為に砂漠を旅するものなり、希望爰に存し、進歩爰にきざすなり、之なくんば凡ての事皆な虚偽なり。
 文学は人間と無限とを研究する一種の事業なり、事業としては然り、而して其起因するところは、現在の「生」に於て、人間が自らの満足を充さんとする欲望をふさぐ為にあるべし。文学は快楽を人生に備ふるものなり、文学は保全を人生に補ふものなり。然れども歴史上にて文学を研究するには、そを人生の鏡とし、そを人生の欲望と満足の像影として見ざるべからず。人生は文学史の中に其骸骨を留むるものなり、その宗教も、その哲学も、文学史の中に散漫たる形にて残るもの也、その欲望も、其満足も、文学史の上には蔽ふべからざる事実となるなり、而して吾人は、その欲望よりも、其満足よりも、其状態よりも、第一に人生の精神を知らざるべからず、吾人は観察なるものゝ甚だ重んずべきを認む、然れども状態ステートを観察するに先ちて、赤裸々の精神をざるべからず、認識せざるべからず、然かる後にその精神の活動を観察せざる可からず。
 精神は終古一なり、然れども人生は有限なり、有限なるものゝ中にありて無限なるものゝ趣きを変ゆ。東洋の最大不幸は、始めより今に至るまで精神の自由を知らざりし事なり、然れども此は東洋の政治的組織の上に言ふのみ、其宗教の上に於ては大なる差別けぢめあり。始めより全く精神の自由を知らず、且つ求めざるの国は必らず退歩すべきの国なり、必らず歴史の外に消ゆべきの国なり。政治と懸絶したる宗教に向つて精神の自由を求むるは、国民が政治を離るゝの徴なり。宗教にして若し政治と相渉ることなくんば、其邦の思想は必らず一方には極端なる虚想派を起し、一方には極端なる実際派を起さゞるべからず。吾人は他日、日本文学と国躰との関係を言ふ時に於て、此事を評論すべし、今は唯だ、日本の政治的組織は、一人の自由を許すといへども、衆人の自由を認めず、而して日本の宗教的組織は主観的に精神の自由を許すと雖、社界とは関係なき人生に於て此自由を享有するを得るのみにして、公共の自由なるものは、此上に成立することなかりしといふ事を断り置くのみ。
 爰に於て、吾人は読者を促がして前号の題目にかへらんことを請ふの要あり。人間は精神を以て生命の原素とするものなり、然れども人間生活の需要は慰藉と保全とに過ぐるなし、文学も其直接の目的は此二者を外にすること能はず。文学の種類は多々ありとも、この、直接の目的に外れたるものは文学にあらざるなり、而して何をか尤もこの目的にかなひたるものとすべきかは、此本題の外にあり。
 徳川時代文学の真相は、其時代を論ずるに当りてつまびらかに研究すべし、然れども余は既に逆路より余の研究を始めたり、極めて粗雑に明治文学の大躰を知らんこと、余が今日の題目なり。父を知らずして能く児を知るは稀れなり。之を以て余は今日に於て、甚だ乱雑なる研究法を以て、徳川文学が明治文学に伝へたる性質の一二を観察せんと欲す。
 文学の最初は自然の発生なり、人に声あり、人に目あると同時に、文学は発生すべきものなり、然れども其発達は、人生の機運に伴ふが故に長育するものなり、能く人生を楽ましめ、能く人生に功あるものは、人間に連れて進歩すべき文学なり。之を以て一国民の文学は其時代をいづること能はざるなり、時代の精神は文学を蔽ふものなり、人は周囲によりて生活す、其声も、其目も、周囲を離るゝことは断じて之なしと云ふも不可なかるべし。
 徳川氏の前には文学は仏門の手に属したり、而して仏門の人間を離れたりしは、当時の文学の人間を離れたる大原因となりて居たりき。徳川氏の覇業を建つるや、あたかも漢土に於て儒教哲学の勃興せし時の事とて、文学の権を僧侶の手より奪ひ取ると同時に、儒教の趣味を満潮の如く注ぎ込みたり。然るに徳川氏の覇業は、性質の革命にあらずして形躰の革命に止まりしが故に、従つて起りたる文学の革命も、僧侶の手より儒者の手に渡りたるのみにして、其性質に於ては依然として国民の一半に充つべきものにてありたり、疑もなく文学は此時代に於て復興したり、然も其復興は仏と儒との入れ代りに過ぎずして、要するに高等民種に応用さすべきものたるに過ぎざりし。之に加ふるに徳川氏は文学を其政治の補益となすことに潜心したるが故に、儒教も亦た一種の徳川的儒教と化し了し、風化を補ひ世道を益し、徳川氏の時代にかなふべきものにあらざれば、文学として世にたふとばるべからざるが如き観をなせり。これ即ち徳川氏の時代にありて、高等民種(武士)の文学は甚だ倫理の圏囲に縛せられて、其範囲内に生長したる主因なり。
 然れども倫理といふ実用を以て、文学の命運を縮むるは詩神の許さゞるところなり。爰に於て俳諧のにはかに、成熟するあり、更に又た戯曲小説等の発生するあり。戦乱んで泰平の来る時、文運は必らず暢達ちやうたつすべき理由あり、然れども其理由を外にして徳川時代の初期を視る時は、一方に於て実用の文学大に奨励せらるゝ間に、他方に於ては単に快楽の目的に応じたる文学の勃として興起したるを視るべし。武士は倫理に捕はれたり、而して平民は自由の意志ウイルに誘はれて、放縦なる文学を形成せり。爰に至りて平民的思想なるものゝ始めて文学といふ明鏡の上に照り出づるものあり、これ日本文学史に特書すべき文学上の大革命なるべし。
 吾人は此処こゝに於て平民的思想の変遷を詳論せず、唯だ読者の記憶をこはんとすることは、斯の如く発達し来りたる平民的思想は、人間の精神が自由を追求する一表象にして、その帰着する処は、倫理と言はず放縦と言はず、実用と言はず快楽と言はず、最後の目的なる精神の自由を望んで馳せ出たる最始の思想の自由にして、遂に思想界の大革命を起すに至らざれば止まざるなり。
 維新の革命は政治の現象界に於て旧習を打破したること、万目の公認するところなり。然れども吾人はむしろ思想の内界に於て、遙かに偉大なる大革命を成し遂げたるものなることを信ぜんと欲す。武士と平民とを一団の国民となしたるもの、実に此革命なり、長く東洋の社界組織に附帯せし階級の繩を切りたる者、此革命なり。而して思想の歴史を攻究する順序より言はゞ、吾人は、この大革命を以て単に政治上の活動より生じたるものと認むる能はず、自然の理法は最大の勢力なり、平民は自ら生長して思想上に於ては、最早旧組織の下に黙従することを得ざる程に進みてありたり、明治の革命は武士の剣鎗にて成りたるが如く見ゆれども、其実は思想の自動多きに居りたるなり。
 明治文学は斯の如き大革命に伴ひて起れり、其変化は著るし、其希望や大なり、精神の自由を欲求するは人性の大法にして、最後に到着すべきところは、各個人の自由にあるのみ、政治上の組織に於ては、今日未だ此目的の半を得たるのみ、然れども思想界には制抑なし、之より日本人民のかんと欲する希望いづれにかある、愚なるかな、今日に於て旧組織の遺物なる忠君愛国などの岐路に迷ふ学者、請ふ刮目くわつもくして百年の後を見ん。

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