現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集 |
筑摩書房 |
1974(昭和44)年6月5日 |
1985(昭和60)年11月10日初版第15刷 |
1977(昭和52)年4月20日初版第7刷 |
一、快楽と実用
明治文学も既に二十六年の壮年となれり、此歳月の間に如何なる進歩ありしか、如何なる退歩ありしか、如何なる原素と如何なる精神が此文学の中に蟠りて、而して如何なる現象を外面に呈出したるか、是等の事を研究するは緊要なるものなり、而して今日まで未だ此範囲に於て史家の技倆を試みたるものはあらず、唯だ「国民新聞」の愛山生ありて、其の鋭利なる観察を此範囲に向けたるあるのみ。余は彼の評論に就きて満足すること能はざるところあるにも係らず、其気鋭く胆大にして、幾多の先輩を瞠若せしむる技倆に驚ろくものなり。余や短才浅学にして、敢て此般の評論に立入るべきものにあらねども、従来「白表女学雑誌」誌上にて評論の業に従事したる由来を以て、聊か見るところを述べて、明治文学の梗概を研究せんと欲するの志あり。余が曩に愛山生の文章を評論したる事あるを以て、此題目に於て再び戦を挑まんの野心ありなど思はゞ、此上なき僻事なるべし。之れ余が日本文学史骨を著はすに当りて、予め読者に注意を請ふ一なり。 余は之れより日本文学史の一学生たらんを期するものにて、素より、この文学史を以て独占の舞台などゝせん心掛あるにはあらず、斯く断りするは、曾つて或人に誤まられたることあればなり、余は学生として、誠実に研究すべきことを研究せんとするものなれば、縦令如何なることありて他人の攻撃に遭ふことありとも、之に向つて答弁するものと必せず、又容易に他人の所論を難ずる等の事なかるべし。且つ美学及び純哲学に於て極めて初学なる身を以て、文学を論ずることなれば、其不都合なる事多かるべきは、呉々も予め断り置きたる事なり。加ふるに閑少なく、書籍の便なく、事実の蒐集思ふに任せぬことのみなるべければ、独断的の評論をなす方に自然傾むき易きことも、亦た予め諒承あらんことを請ふになむ。 特に山路愛山先生に対して一言すべきことあり。爰にて是を言ふは奇しと思ふ人あらんかなれど、余は元来余が為したる評論に就きて親切なる教示を望みたるものなるに、愛山君は余が所論以外の事に向て攻撃の位地に立たれ、少しも満足なる教示と見るべきはあらず、余は自ら受けたる攻撃に就きて云々するの必要を見ざれば、其儘に看過したり。本より、文学の事業なることは釈義といふ利刀を仮り来らずとも分明なることにして、文学が人生に渉るものなることは何人といへ雖、之を疑はぬなるべし。愛山先生若しこの二件を以て自らの新発見なりと思はゞ、余輩其の可なるを知らず。余は右の二件を難じたるものにあらず、余が今日の文学の為に、聊か真理を愛するの心より、知交を辱うする愛山君の所説を難じたるは、豈に虚空なる自負自傲の念よりするものならんや。これを以て、余は愛山君の反駁に答ふることをせざりし。然るに豈図らんや、其他にも余が所論を難ぜんとしてか、或は他に為にする所ありてか、人生に相渉らざるべからずといふ論旨の分明に解得せらるゝ論文の、然も大家先生等の手に成りて出でしを見るに至らんとは。若し此事にして余が所説に対して、或は余が所説に動かされて、出でたるものなりとするを得ば、余は至幸至栄なるを謝するに吝ならざるべし。然れども、極めて不幸なりと思ふは、余は是等の文章に対して返報するの権利なきこと是なり。文学が人生に相渉るものなることは余も是を信ずるなり、恐らく天地間に、文学は人生に相渉るべからずと揚言する愚人は無かるべし。但し余が難じたるは、(1)[#「(1)」は縦中横]世を益するの目的を以て、(2)[#「(2)」は縦中横]英雄の剣を揮ふが如くに、(3)[#「(3)」は縦中横]空の空を突かんとせずして、或的を見て、(4)[#「(4)」は縦中横]華文妙辞を退けて、而して人生に相渉らざるべからずと論断したるを難じたるなり。故に余は以上の条件を備へざる人生相渉論ならば、奈何なる大家先生の所説なりとも、是に対して答弁するの権利なきなり。然れども余自ら「山庵雑記」に言ひし如く、是非真偽は容易に皮相眼を以て判別すべきものならざるに、余が文章の踈雑なりしが為め、或は意気昂揚して筆したりしが為か、斯も誤読せらるゝに至りたるは極めて残念の事と思ふが故に、余は不肖を顧みず、浅膚を厭はず、是より「評論」紙上に於て、出来得る丈誤読を免かるゝ様に、明治文学の性質を論ずるの栄を得んとす。之を為すは、本より愛山君の所説を再評するが為にはあらざるも、若し余が信ずるところに於て君の教示を促すべきことあらば、請ふ自ら寛うして、之を垂れよ。
余は先づ明治文学の性質を以て始めんとす。而して、明治文学の性質を知らんが為には、如何なる主義が其中に存するかを見ざるべからず。純文界にも、批評界にも、或は時事界にも、済々たる名士羅列するを見る。然れども余は存生中の人を評論するに於て、二箇のおもしろからぬ事あるを慮るなり、其一は、もし賞揚する時に諛言と誤まられんか、若し非難する時に詬評と思はれんか、の恐れあり。其二は、自らの主義、人間は Passion の動物なれば、少くとも自家の私見、善く言ひて主義なるものに拘泥することなき能はず、故に若し一の私見と他の私見と撞着したる時に、近頃流行の罵詈評論に陥ることなきにしもあらず。之を以て余は敢て現存の大家に向つて直接の批評を加へざるべしと雖、もし余が観察し行く原質の道程に於て相衝当する事あらば、避くべからざる場合として之を為すことあるべし。 余は「明治文学管見」の第一として、「快楽」と「実用」とを論ずべし。 「快楽」と「実用」とは疑もなく「美」の要素なり、必らずしもプレトーを引くには及ばず。 マシユー・アーノルドは、「人生の批評としての詩に於ては、詩の理、詩の美の定法に応ふかぎりは、人生を慰め、人生を保つことを得るなり」と云へり。 文学が一方に於て、人生を批評するものなることは、余も之を疑はず。然れども、アーノルドの言ふ如く、人生の批評としての詩は又た詩の理と詩の美とを兼ねざるべからず。吾人文学を研究するものは、単に人生の批評のみを事とせずして、詩の理と詩の美とをも究むるにあらざれば不可なるべし。 人生を慰むるといふ事より、Pleasure なるものが、詩の美に於て、欠くべからざる要素なる事を知るを得べし。人生を保つといふ事より Utility なるものが、詩の理に於て、欠くべからざる要素なる事を知るべし。真に人生を慰め、真に人生を保つには、真に人生を観察し、人生を批評するの外に、真に人生を通訳することもなかるべからず。人生を通訳するには、人生を知覚せざるべからず。故に天賦の詩才ある人は、人間の性質を明らかに認識するの要あるなり。然らざればヂニアスは真個の狂人のみ、靴屋にもなれず、秘書官にもなれぬ白痴のみ。 人生(Life)といふ事は、人間始まつてよりの難問なり、哲学者の夢にも此難問は到底解き尽くす可らずとは、古人も之を言へり。若し夫れ、社界的人生などの事に至りては、或は鋭利なる観察家の眼睛にて看破し得ることもあるべけれど、人生の Vitality に至りては、全能の神の外は全く知るものなかるべし。故に詩人の一生は、黙示の度に従ひて、人生を研究するものにして、感応の度に従ひて、人生を慰保するものなるべし。 快楽と実用とは、主観に於ては美の要素なりと雖、客観に於ては美の結果なり、内部にありては、美を構成するものなりと雖、外部の現象に於ては美の成果なり。この二要素を論ずるに先ちて吾人は、
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