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のんきな患者(のんきなかんじゃ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-30 8:10:54 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     三

 吉田はその娘の話からいろいろなことを思い出していた。第一に吉田が気付くのは吉田がその町からこちらの田舎へ来てまだ何ヶ月にもならないのに、その間に受けとったその町の人の誰かの死んだという便りの多いことだった。吉田の母は月に一度か二度そこへ行って来るたびに必ずそんな話を持って帰った。そしてそれはたいてい肺病で死んだ人の話なのだった。そしてその話をきいているとそれらの人達の病気にかかって死んでいったまでの期間は非常に短かった。ある学校の先生の娘は半年ほどの間に死んでしまって今はまたその息子が寝ついてしまっていた。通り筋の毛糸雑貨屋の主人はこの間まで店へ据えた毛糸の織機で一日中毛糸を織っていたが、急に死んでしまって、家族がすぐ店を畳んで国へ帰ってしまったそのあとはじきカフエーになってしまった。――
 そして吉田は自分は今はこんな田舎にいてたまにそんなことをきくから、いかにもそれを顕著に感ずるが、自分がいた二年間という間もやはりそれと同じように、そんな話が実に数知れず起こっては消えていたんだということを思わざるを得ないのだった。
 吉田は二年ほど前病気が悪くなって東京の学生生活の延長からその町へ帰って来たのであるが、吉田にとってはそれはほとんどはじめての意識して世間というものを見る生活だった。しかしそうはいっても吉田は、いつも家の中に引っ込んでいて、そんな知識というものはたいてい家の者の口を通じて吉田にはいって来るのだったが、吉田はさっきの荒物屋の娘の目高めだかのように自分にすすめられた肺病の薬というものを通じて見ても、そういう世間がこの病気と戦っている戦の暗黒さを知ることができるのだった。
 最初それはまだ吉田が学生だった頃、この家へ休暇に帰って来たときのことだった。帰って来て※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)そうそう吉田は自分の母親から人間の脳味噌のうみその黒焼きを飲んでみないかと言われて非常に嫌な気持になったことがあった。吉田は母親がそれをおずおずでもない一種変な口調で言い出したとき、いったいそれが本気なのかどうなのか、何度も母親の顔を見返すほど妙な気持になった。それは吉田が自分の母親がこれまでめったにそんなことを言う人間ではなかったことを信じていたからで、その母親が今そんなことを言い出しているかと思うとなんとなく妙な頼りないような気持になって来るのだった。そして母親がそれをすすめた人間からすでに少しばかりそれをもらって持っているのだということを聞かされたとき吉田はまったく嫌な気持になってしまった。
 母親の話によるとそれは青物を売りに来る女があって、その女といろいろ話をしているうちにその肺病の特効薬の話をその女がはじめたというのだった。その女には肺病の弟があってそれが死んでしまった。そしてそれを村の焼場で焼いたとき、寺の和尚おしょうさんがついていて、
「人間の脳味噌の黒焼きはこの病気の薬だから、あなたも人助けだからこの黒焼きを持っていて、もしこの病気で悪い人に会ったらけてあげなさい」
 そう言って自分でそれを取り出してくれたというのであった。吉田はその話のなかから、もうなんの手当もできずに死んでしまったその女の弟、それを葬ろうとして焼場に立っている姉、そして和尚と言ってもなんだか頼りない男がそんなことを言って焼け残った骨をつついている焼場の情景を思い浮かべることができるのだったが、その女がその言葉を信じてほかのものではない自分の弟の脳味噌の黒焼きをいつまでも身近に持っていて、そしてそれをこの病気で悪い人に会えばくれてやろうという気持には、何かしらえがたいものを吉田は感じないではいられないのだった。そしてそんなものをもらってしまって、たいてい自分がまないのはわかっているのに、そのあとをいったいどうするつもりなんだと、吉田は母親のしたことが取り返しのつかないいやなことに思われるのだったが、傍にきいていた吉田の末の弟も
「お母さん、もう今度からそんなこと言うのんいやでっせ」
 と言ったのでなんだか事件が滑稽になって来て、それはそのままにけりがついてしまったのだった。
 この町へ帰って来てしばらくしてから吉田はまた首くくりの縄を「まあ馬鹿なことやと思うて」んでみないかと言われた。それをすすめた人間は大和やまと塗師ぬしやをしている男でその縄をどうして手に入れたかという話を吉田にして聞かせた。
 それはその町に一人の鰥夫やもめの肺病患者があって、その男は病気が重ったままほとんど手当をする人もなく、一軒のあばら家に捨て置かれてあったのであるが、とうとう最近になって首をくくって死んでしまった。するとそんな男にでもいろんな借金があって、死んだとなるといろんな債権者がやって来たのであるが、その男に家を貸していた大家がそんな人間を集めてその場でその男の持っていたものを競売にして後仕末をつけることになった。ところがその品物のなかで最も高い値が出たのはその男が首を縊った縄で、それが一寸二寸というふうにして買い手がついて、大家はその金でその男の簡単な葬式をしてやったばかりでなく自分のところのとどこおっていた家賃もみな取ってしまったという話であった。
 吉田はそんな話を聞くにつけても、そういう迷信を信じる人間の無智に馬鹿馬鹿しさを感じないわけにいかなかったけれども、考えてみれば人間の無智というのはみな程度の差で、そう思って馬鹿馬鹿しさの感じを取り除いてしまえば、あとに残るのはそれらの人間の感じている肺病に対する手段の絶望と、病人達のなんとしてでも自分のよくなりつつあるという暗示を得たいという二つの事柄なのであった。
 また吉田はその前の年母親が重い病気にかかって入院したとき一緒にその病院へついて行っていたことがあった。そのとき吉田がその病舎の食堂で、何心なく食事した後ぼんやりと窓に映る風景を眺めていると、いきなりその眼の前へ顔を近付けて、非常に押し殺した力強い声で、
「心臓へ来ましたか?」
 と耳打ちをした女があった。はっとして吉田がその女の顔を見ると、それはその病舎の患者の付添いに雇われている付添婦の一人で、勿論そんな付添婦の顔触れにも毎日のように変化はあったが、その女はその頃露悪的な冗談を言っては食堂へ集まって来る他の付添婦たちを牛耳ぎゅうじっていた中婆さんなのだった。
 吉田はそう言われて何のことかわからずにしばらく相手の顔を見ていたが、すぐに「ああなるほど」と気のついたことがあった。それは自分がその庭の方を眺めはじめた前に、自分が咳をしたということなのだった。そしてその女は自分が咳をしてから庭の方を向いたのを勘違いして、てっきりこれは「心臓へ来た」と思ってしまったのだと吉田はさとることができた。そして咳がふいに心臓の動悸を高めることがあるのは吉田も自分の経験で知っていた。それで納得のいった吉田ははじめてそうではない旨を返事すると、その女はその返事には委細かまわずに、
「その病気に利くええ薬を教えたげまひょか」
 と、またおびやかすように力強い声でじっと吉田の顔を覗き込んだのだった。吉田は一にも二にも自分が「その病気」に見込まれているのが不愉快ではあったが、
「いったいどんな薬です?」
 と素直に聞き返してみることにした。するとその女はまたこんなことを言って吉田を閉口させてしまうのだった。
「それは今ここで教えてもこの病院ではできまへんで」
 そしてそんな物々ものものしい駄目だめをおしながらその女の話した薬というのは、素焼すやき土瓶どびんへ鼠の仔を捕って来て入れてそれを黒焼きにしたもので、それをいくらかずつかごく少ない分量を飲んでいると、「一匹食わんうちに」なおるというのであった。そしてその「一匹食わんうちに」という表現でまたその婆さんは可怕こわい顔をして吉田をにらんで見せるのだった。吉田はそれですっかりその婆さんに牛耳られてしまったのであるが、その女の自分の咳に敏感であったことや、そんな薬のことなどを思い合わせてみると、吉田はその女は付添婦という商売がらではあるが、きっとその女の近い肉親にその病気のものを持っていたのにちがいないということを想像することができるのであった。そして吉田が病院へ来て以来最もしみじみした印象をうけていたものはこの付添婦という寂しい女達のれのことであって、それらの人達はみな単なる生活の必要というだけではなしに、夫に死に別れたとか年が寄って養い手がないとか、どこかにそうした人生の不幸を烙印らくいんされている人達であることを吉田は観察していたのであるが、あるいはこの女もそうした肉親をその病気で、なくすることによって、今こんなにして付添婦などをやっているのではあるまいかということを、吉田はそのときふと感じたのだった。
 吉田は病気のためにたまにこうした機会にしか直接世間に触れることがなかったのであるが、そしてその触れた世間というのはみな吉田が肺病患者だということを見破って近付いて来た世間なのであるが、病院にいると月ほどの間にまた別なことにつかった。
 それはある日吉田が病院の近くの市場へ病人の買物に出かけたときのことだった。吉田がその市場で用事を足して帰って来ると往来に一人の女が立っていて、その女がまじまじと吉田の顔を見ながら近付いて来て、
「もしもし、あなた失礼ですが……」
 と吉田に呼びかけたのだった。吉田は何事かと思って、
「?」
 とその女を見返したのであるが、そのとき吉田の感じていたことはたぶんこの女は人違いでもしているのだろうということで、そういう往来のよくある出来事がたいてい好意的な印象で物分かれになるように、このときも吉田はどちらかと言えば好意的な気持を用意しながらその女の言うことを待ったのだった。
「ひょっとしてあなたは肺がお悪いのじゃありませんか」
 いきなりそう言われたときには吉田は少なからず驚いた。しかし吉田にとって別にそれは珍しいことではなかったし、無躾ぶしつけなことを聞く人間もあるものだとは思いながらも、その女の一心に吉田の顔を見つめるなんとなく知性を欠いた顔付きから、その言葉の次にまだ何か人生の大事件でも飛び出すのではないかという気持もあって、
「ええ、悪いことは悪いですが、何か……」
 と言うと、その女はいきなりとめどもなく次のようなことを言い出すのだった。それはその病気は医者や薬ではだめなこと、やはり信心をしなければとうてい助かるものではないこと、そして自分も配偶つれあいがあったがとうとうその病気で死んでしまって、その後自分も同じように悪かったのであるが信心をはじめてそれでとうとう助かることができたこと、だからあなたもぜひ信心をして、その病気をなおせ――ということを縷々るるとして述べたてるのであった。その間吉田は自然その話よりも話をする女の顔の方に深い注意を向けないではいられなかったのであるが、その女にはそういう吉田の顔が非常に難解に映るのかさまざまに吉田の気を測ってはしかも非常に執拗にその話を続けるのであった。そして吉田はその話が次のように変わっていったときなるほどこれだなと思ったのであるが、その女は自分が天理教の教会を持っているということと、そこでいろんな話をしたり祈祷をしたりするからぜひやって来てくれということを、帯の間から名刺とも言えない所番地をゴム版で刷ったみすぼらしい紙片を取り出しながら、吉田にすすめはじめるのだった。ちょうどそのとき一台の自動車が来かかってブーブーと警笛を鳴らした。吉田は早くからそれに気がついていて、早くこの女もこの話を切り上げたらいいことにと思って道傍へ寄りかけたのであるが、女は自動車の警笛などは全然注意には入らぬらしく、かえって自分に注意の薄らいで来た吉田の顔色に躍起やっきになりながらその話を続けるので、自動車はとうとう往来で立往生をしなければならなくなってしまった。吉田はその話相手につかまっているのが自分なので体裁の悪さに途方に暮れながら、その女を促して道の片脇へ寄せたのであったが、女はその間も他へ注意をそらさず、さっきの「教会へぜひ来てくれ」という話を急にまた、「自分は今からそこへ帰るのだからぜひ一緒に来てくれ」という話に進めかかっていた。そして吉田が自分に用事のあることを言ってそれを断わると、では吉田の住んでいる町をどこだと訊いて来るのだった。吉田はそれに対して「だいぶ南の方だ」と曖昧あいまいに言って、それを相手に教える意志のないことをその女にわからそうとしたのであるが、するとその女はすかさず「南の方のどこ、××町の方かそれとも○○町の方か」というふうに退引のっぴきのならぬように聞いて来るので、吉田は自分のところの町名、それからその何丁目というようなことまで、だんだんに言っていかなければならなくなった。吉田はそんな女にちっとも嘘を言う気持はなかったので、そこまで自分の住所を打ち明かして来たのだったが、
「ほ、その二丁目の? 何番地?」
 といよいよその最後まで同じ調子で追求して来たのを聞くと、吉田はにわかにぐっとしゃくにさわってしまった。それは吉田が「そこまで言ってしまってはまたどんな五月蝿うるさいことになるかもしれない」ということを急に自覚したのにもよるが、それと同時にそこまで退引のっぴきのならぬように追求して来る執拗な女の態度が急に重苦しい圧迫を吉田に感じさせたからだった。そして吉田はうっかりカッとなってしまって、
「もうそれ以上は言わん」
 ときっと相手をにらんだのだった。女は急にあっけにとられた顔をしていたが、吉田があわててまた色を収めるのを見ると、それではぜひ近々教会へ来てくれと言って、さっき吉田がやってきた市場の方へ歩いて行った。吉田は、とにかく女の言うことはみな聞いたあとで温和おとなしく断わってやろうと思っていた自分が、思わず知らず最後まで追いつめられて、急に慌ててカッとなったのに自分ながら半分は可笑おかしさを感じないではいられなかったが、まだ日の光の新しい午前の往来で、自分がいかにも病人らしい悪い顔貌がんぼうをして歩いているということを思い知らされたあげく、あんな重苦しい目をしたかと思うと半分は腹立たしくなりながら、病室へ帰ると※(「勹<夕」、第3水準1-14-76)そうそう
「そんなに悪い顔色かなあ」
 と、いきなり鏡を取り出して顔を見ながら寝台の上の母にその顛末てんまつを訴えたのだった。すると吉田の母親は、
「なんのおまえばっかりかいな」
 と言って自分も市営の公設市場へ行く道で何度もそんな目に会ったことを話したので、吉田はやっとそのわけがわかって来はじめた。それはそんな教会が信者を作るのに躍起やっきになっていて、毎朝そんな女が市場とか病院とか人のたくさん寄って行く場所の近くの道で網を張っていて、顔色の悪いような人物を物色しては吉田にやったのと同じような手段でなんとかして教会へ引っ張って行こうとしているのだということだった。吉田はなあんだという気がしたと同時に自分らの思っているよりははるかに現実的なそして一生懸命な世の中というものを感じたのだった。

 吉田は平常よく思い出すある統計の数字があった。それは肺結核で死んだ人間の百分率で、その統計によると肺結核で死んだ人間百人についてそのうちの九十人以上は極貧者、上流階級の人間はそのうちの一人にはまだ足りないという統計であった。勿論これは単に「肺結核によって死んだ人間」の統計で肺結核に対する極貧者の死亡率や上流階級の者の死亡率というようなものを意味していないので、また極貧者と言ったり上流階級と言ったりしているのも、それがどのくらいの程度までを指しているのかはわからないのであるが、しかしそれは吉田に次のようなことを想像せしめるには充分であった。
 つまりそれは、今非常に多くの肺結核患者が死に急ぎつつある。そしてそのなかで人間の望み得る最も行き届いた手当をうけている人間は百人に一人もないくらいで、そのうちの九十何人かはほとんど薬らしい薬ものまずに死に急いでいるということであった。
 吉田はこれまでこの統計からは単にそういうようなことを抽象して、それを自分の経験したそういうことにあてはめて考えていたのであるが、荒物屋の娘の死んだことを考え、また自分のこの何週間かの間うけた苦しみを考えるとき、漠然とまたこういうことを考えないではいられなかった。それはその統計のなかの九十何人という人間を考えてみれば、そのなかには女もあれば男もあり子供もあれば年寄としよりもいるにちがいない。そして自分の不如意や病気の苦しみに力強く堪えてゆくことのできる人間もあれば、そのいずれにも堪えることのできない人間もずいぶん多いにちがいない。しかし病気というものは決して学校の行軍のように弱いそれに堪えることのできない人間をその行軍から除外してくれるものではなく、最後の死のゴールへ行くまではどんな豪傑でも弱虫でもみんな同列にならばして嫌応いやおうなしに引きってゆく――ということであった。





底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:j.utiyama
校正:二宮知美
1999年6月2日公開
2005年10月6日修正
青空文庫作成ファイル:
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