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ある心の風景(あるこころのふうけい)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-30 7:49:39 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     五

 たかしは夜更けまで街をほっつき歩くことがあった。
 人通りの絶えた四条通はまれに酔っ払いが通るくらいのもので、夜霧はアスファルトの上までおりて来ている。両側の店はゴミ箱を舗道に出して戸をとざしてしまっている。所どころに嘔吐へどがはいてあったり、ゴミ箱が倒されていたりした。喬は自分も酒に酔ったときの経験は頭に上り、今は静かに歩くのだった。
 新京極に折れると、たてた戸の間から金盥かなだらいを持って風呂へ出かけてゆく女の下駄が鳴り、ローラースケートを持ち出す小店員、うどんの出前を運ぶ男、往来の真中で棒押しをしている若者などが、異様な盛り場の夜更けを見せている。昼間は雑閙ざっとうのなかに埋れていたこの人びとはこの時刻になって存在を現わして来るのだと思えた。
 新京極を抜けると町はほんとうの夜更けになっている。昼間は気のつかない自分の下駄の音が変に耳につく。そしてあたりの静寂は、なにか自分が変なたくらみを持って町を歩いているような感じを起こさせる。
 喬は腰に朝鮮の小さい鈴をげて、そんな夜更け歩いた。それは岡崎公園にあった博覧会の朝鮮館で友人が買って来たものだった。銀の地に青や赤の七宝がおいてあり、美しい枯れた音がした。人びとのなかでは聞こえなくなり、夜更けの道で鳴り出すそれは、彼の心の象徴のように思えた。
 ここでも町は、窓辺から見る風景のように、歩いている彼にひらけてゆくのであった。
 生まれてからまだ一度も踏まなかった道。そして同時に、実に親しい思いを起こさせる道。――それはもう彼が限られた回数通り過ぎたことのあるいつもの道ではなかった。いつの頃から歩いているのか、たかしは自分がとことわの過ぎてゆく者であるのを今は感じた。
 そんな時朝鮮の鈴は、喬の心をふるわせて鳴った。ある時は、喬の現身うつせみは道の上に失われ鈴の音だけが町を過るかと思われた。またある時それは腰のあたりにき出して、彼の身体の内部へ流れ入る澄み透った溪流のように思えた。それは身体を流れめぐって、病気に汚れた彼の血を、洗い清めてくれるのだ。
「俺はだんだんなおってゆくぞ」
 コロコロ、コロコロ、彼の小さな希望は深夜の空気を清らかに顫わせた。

     六

 窓からの風景はいつの夜もかわらなかった。喬にはどの夜もみな一つに思える。
 しかしある夜、喬はやみのなかの木に、一点の蒼白あおじろい光を見出した。いずれなにかの虫には違いないと思えた。次の夜も、次の夜も、喬はその光を見た。
 そして彼が窓辺を去って、寝床の上に横になるとき、彼は部屋のなかの暗にも一点の燐光りんこうを感じた。
「私の病んでいる生き物。私は暗闇のなかにやがて消えてしまう。しかしお前は睡らないでひとりおきているように思える。そとの虫のように……青い燐光をもやしながら……」





底本:「檸檬・ある心の風景」旺文社文庫、旺文社
   1972(昭和47)年12月10日初版発行
   1974(昭和49)年第4刷発行
入力:j.utiyama
校正:陸野義弘
1998年10月13日公開
2005年10月2日修正
青空文庫作成ファイル:
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