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古代に於ける言語伝承の推移(こだいにおけるげんごでんしょうのすいい)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-29 16:03:36 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     三

次に、口頭伝承の言葉で、段々、口語の中に織り込まれたものがある。其は、貴族のした事であつて、古語をその生活の上に活かして用ゐたので、古い言葉が、生きて来るやうになつた。それで、奈良朝に無かつた言葉が、平安朝になつて出て来るといふ事になるのである。併し此は、平安朝以前に、さういふ言葉が無かつた、といふ事にはならない。かうした現象は、平安朝に到つて、書物が多くなり、従つて記録せられる機会が多かつた為に、現れて来たとも考へられるが、又一方、貴族の語を模倣した女房の言葉が、記録せられるやうになつたといふ、時代の変遷にも依るのである。
かうしたわけで、何処かに伝つてゐる古い言葉とか、又は記録の文とかで、何かの場合にしか使はれないやうな言語が、生きて来るのである。譬へば、上達部といふ言葉は、平安朝になつて出て来るが、考へて見ると、決して平安朝に出来た言葉ではなく、宮廷と神社とを同じに考へてゐた、ずつと昔の言葉である。
こんな風にして、死んだ言葉が生きて来、又文語とそれと、調和した様な言葉が出来て来た。それで、長い時代の間には、伝へられた言葉が、すつかり、誤解を重ねて来ることになるのである。此は、口頭伝承を書き伝へた、書き物に対する誤解や、又誤つた直感が、働くことに依るのである。が此事は、表面の事実であつて、実はかうならねばならぬ、昔からの根があつた。それは、言葉の意味をわからなくする、神のあつたことである。
此神は、八心思兼神と云はれる、唱詞の神である。中臣氏の祖先だとも云はれてゐるが、誤りかと思ふ。この神は、色々な意味を兼ねた言葉を、唱へ出した神であつた。「思ふ」といふ言葉を、我々は、内的な意味に考へてゐるが、昔は、唱へごとをするといふ意味があつたと思はれる。かけまくもかしこきといふ言葉には、発言と思考といふ意味がある。これとおなじく「思ふ」にも、唱へごとをすることを意味した用例があつたらしい。思兼といふのは、色々な意味を兼ねて考へる、さういふ言葉を拵へた神の名であつた。即言葉は、一語にも、色々な意味を兼ねたのである。
かういふ訣で、日本の言葉は、どうにでも解ける。此を又、尊いとも考へて居た。が、始めからではなく、段々かういふ風に、兼ね思ふ様になつて来たものである。此を同音異義などゝいふことでは、説明出来ない。病気の祷りが、同時に、田畑の祷りや、悪魔退散の祷りであつたりする。即、言語の上に、譬喩的な効果を、出来るだけ豊かに、考へてゐた時代が、古くからあつたのである。結局は、此を唱へるのに、効果ある口頭伝承が少いため、それをいろ/\に融通する事になるので、どうしても、八心思兼でなければならなくなる。即、一つの文章や単語が、いろ/\の意味に考へられるのである。此処に、日本の言語伝承が、推移せねばならぬ理由があつた。
此推移の中、一番、目につくのは、文法意識の変化であるが、余り興味のある事ではないから、こゝでは省略しておく。

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