一二
親分と子分は不動堂の門前で別れて、留吉を乗せた駕籠は神田へ帰った。吉五郎は頬かむりをして音羽の大通りへ出ると、水引屋の市川屋の店さきに、子分の兼松が人待ち顔に腰をかけていた。彼は親分のすがたを見つけて、小走りに寄って来た。 「もし、面白いことがありそうですよ」 「むむ、どんなことだ」 兼松は振り返って小手招ぎをすると、店から職人の源蔵が出て来た。吉五郎に引き合わされて、彼は丁寧に会釈した。 「わたくしは市川屋の職人で源蔵と申します。なにぶんお見識り置きを……」 「わたしも今後よろしく願います。そこで、兼。この源蔵さんという人に何か手伝って貰うことでもあるのかえ」と、吉五郎は訊いた。 「実はね」と、兼松は声をひくめた。「この源蔵がゆうべ変なことを見たと云うんです」 「なにを見たね」 吉五郎は職人の方へ向き直ると、源蔵も小声で話し出した。 「実は昨晩、高田の四家町まで参りまして、その帰り途に目白坂の下まで参りますと、寺の生垣の前に男と女が立ち話をして居りましたが、わたくしの提灯の火を見ると、二人ともに慌てて寺のなかへ隠れてしまいました。夜目遠目で確かなことは申されませんが、男は火の番の藤助で、女はむすめのお冬のように思われたのでございます。お冬はともあれ、このあいだから行くえ知れずになっている藤助がこの辺にうろ付いていて、往来なかで娘と立ち話をしているのは何だか変だと思いましたが、その時はそれぎりにして帰ってまいりました。そこで、念のために今朝ほどお冬の家へ行ってみますと、お冬は留守でございました。もちろん、藤助のすがたも見えず、家はがら明きになって居りました」 「それは宵のことかえ」 「左様でございます。まだ五ツ(午後八時)にはならない頃でございました」 「それから、もう一つのことも話してしまいねえ」と、兼松は催促した。 「へえ」と、源蔵はやや当惑らしい顔色をみせたが、やがて思い切って又云い出した。 「わたくしももう五十で、年のせいでございましょうか、若い人たちのようにはどうも眠られません。昨晩も風の音が耳につきましておちおちと眠られずに居りますと、なんでも夜なかの事でございました。表で頻りに犬の吠える声がきこえるのでございます」 「むむ」と、吉五郎もそのあとを催促するように相手の顔をみつめた。 「夜なかに犬の吠えるのは珍らしくもございませんが、あんまり烈しく啼きますので、わたくしも何だか気味が悪くなりまして、そっと起きて店へ出まして、雨戸の節穴から覗いてみますと、表は真っ暗でなんにも見えませんでしたが、犬の吠えているのは隣りの店のまえで、その犬の声にまじって人の声が聞こえるのでございます。低い声ですからよく判りませんが、ふたりで話しているらしいので……」 「男の声かえ、女の声かえ」 「どっちも男の声のようで……」 「その男が何を話していたえ」 「それがはっきりと判りませんでしたが……。ひとりがなぜ寺へ埋めないのだと云っていたようでございました」 「その声に聞き覚えはなかったかね」 「何分はっきりとは聞き取れませんので……」 「それから其の二人はどうしたね」 「やがて何処へか行ってしまったようで、犬の声もだんだんに遠くなりました」 「どっちの方へ遠くなったえ」 「橋の方へ……」 「もうほかに話してくれることは無いかね」 「へえ」 「いや、大きに御苦労。この後も何か気のついたことがあったら教えてくんねえ」 「かしこまりました」 源蔵はほっとしたように立ち去った。それを見送って、吉五郎は子分にささやいた。 「正直そうな奴だな」 「小博奕ぐらいは打つでしょうが、人間は正直者ですよ」と、兼松は答えた。「そこで、親分。今の話の様子じゃあ、ゆうべ此の辺で人間の死骸を運んだ奴があるらしゅうござんすね」 「むむ。まんざら心当たりがねえでもねえ。おれもたった今、留の野郎から聞いたんだが……。おい、耳を貸せ」 吉五郎は再びささやくと、兼松は顔をしかめながら幾たびかうなずいた。 「へえ、そんなことがあったんですか。夜なかに寺の庭さきで男と女がむしり合いをして……。じゃあ、その女が息を止められたんでしょうね」 「まあ、そうだろうな」 「女は誰でしょう。お冬でしょうか」 「さあ、それが判らねえ。この一件にはお冬と、御賄屋敷を家出したお北という女と、佐藤の屋敷に隠れているお近という女と、都合三人の女が引っからんでいるらしいので、どれだかはっきりとは判らねえが、まずこの三人のうちだろう。みんな殺されそうな女だからな」 「それにしても、まあ誰でしょう」 「執拗く訊くなよ。それを穿索するのがおめえ達の商売じゃあねえか」と、吉五郎は笑った。「だが、まあ、おれの鑑定じゃあお近という女だろうな。なにしろ自分が殺されそうになっても、ちっとも声を立てずに争っていたのを見ると、よっぽどのしっかり者に相違ねえ。お北というのはどんな女か知らねえが、いくら武家の娘でも斯ういう時にはなんとか声を立てる筈だ。お冬もしっかり者らしいが、なんと云っても小娘だ。大の男を相手にして、いつまでも激しく争っていられそうもねえ。そうすると、まずお近だろうな」 「なるほど、そういう理窟になりますね。それで、これからどうしましょう」 「佐藤の屋敷へ踏み込むか、祐道という坊主を締め上げるか、それが一番早手廻しだが、なにぶん一方は旗本屋敷、一方は寺社の係りだから、おれ達が迂闊に手を入れるわけにも行かねえので困る。まあ、気長に手繰って行くよりほかはあるめえ、第一に突き留めなけりゃあならねえのは、その死骸の始末だが、寺で殺して置きながら墓場へ埋めてしまわねえのは、後日の証拠になるのを恐れたのだろう。川へ流したか、それとも人の知らねえような所へ埋めてしまったか。源蔵の話じゃあ、二人の男が橋の方へ行ったらしいと云うから、ひょっとすると何かの重しでも付けて、江戸川の深いところへ沈めたかも知れねえ。日が経って浮き上がったにしても、死骸がもう腐ってしまえば人相は判らねえからな」 「そうですね。殺した奴は誰でしょう」 「おればかり責めるなよ。おめえもちっと考えろ」と、吉五郎はまた笑った。「殺されそうな女も三人あるが、殺しそうな男も三人ある。火の番の藤助と、黒沼の婿の幸之助と……。もう一人は寺の住職……。まず三人のうちらしいな。いや、往来でいつまでも立ち話をしているのは良くねえ。そこらで午飯でも食いながら相談するとしよう。留はあの様子じゃあ、まだ当分は思うように働かれめえ。おめえが名代にひと肌ぬいでくれ。頼むぜ」 「ようがす」 二人は連れ立って、そこらの小料理屋へあがると、時刻はもう午を過ぎているので、狭い二階には相客もなかった。縁側に寝ころんでいた猫は人の影をみて早々に逃げて行った。 「あんまり居ごころのいい家じゃあねえな」と、兼松はつぶやいた。 「まあ仕方がねえ。こういう時には、繁昌しねえ家の方が都合がいいのだ」 親分も子分も少しは飲むので、取りあえず酒と肴をあつらえて猪口を取りかわした。 「今度の一件は留の受け持ちで、わっしは中途からの飛び入りだから、詳しいことが腹にはいっていねえんですが……」と、兼松は猪口を下に置いて云い出した。「いったい、佐藤の屋敷に忍んでいるお近という女は何者ですね」 「今はお近といっているそうだが、以前はお亀といって、深川の羽織をしていたんだ」 「むむ。芸者あがりかえ」 「容貌も好し、気前もいいとか云うので、まず相当に売れているうちに、金田という千石取りの旗本の隠居に贔屓にされて、とうとう受け出されて柳島の下屋敷へ乗り込むことになったのだ」と、吉五郎も猪口を置いて説明した。「それでまあ二年ほど無事に暮らしていたのだが、今から足かけ四年前の秋のことだ。十三夜の月見で、夜の更けるまで隠居と仲よく飲んでいた。……それまでは屋敷の者も知っているが、そのあとはどうしたのか判らねえ。夜が明けてみると、隠居は寝床のなかに死んでいた。酔って正体もなしに寝ているところを、剃刀のようなもので喉を突いたらしい。手箱のなかに入れてあった三十両ほどの金がなくなっている。お亀のすがたは見えねえ」 「隠居を殺して逃げたのか。凄い女だな」 「いくら隠居でも、妾に殺されたと云うことが世間にきこえちゃあ、屋敷の外聞にもかかわるから、表向きは急病頓死と披露して、それはまあ無事に済んだのだが、当主の身になると現在の親を殺されてそのままにゃあ済まされねえ。そこで、八丁堀の旦那のところへ内々で頼んで来て、お亀のゆくえを穿索して貰いたいと云うのだ。おれ達も旦那方の内意をうけて当分はいろいろに手を廻してみたが、お亀のありかは判らねえ。なかなか悧巧な女らしいから、素早く草鞋は穿いてしまって、もう江戸の飯を食っちゃあいねえらしい」 「なんで隠居を殺したんだろう」 「隠居には随分可愛がられて、いう目が出ている身の上だから、三十両ぐらいの金が欲しさに、主殺しをする筈のねえのは判り切っている。三十両は行きがけの駄賃に持って行っただけのことで、ほかに仔細があるに相違ねえ。下屋敷は小人数だから、どうもよく判らねえのだが、女中たちの話によると、なんでも五、六日前に隠居と妾とが喧嘩をした事があるそうだ。その時は隠居もかなり激しく怒った様子で、お亀も蒼い顔をしていたというから、その喧嘩がもとでこんな事になったらしいが、どんな喧嘩をしたのか誰も知らねえから見当が付かねえ。なにしろちっとも手がかりがねえので、おれ達ももう諦めてしまった頃へ、この頃になってふと聞き込んだのは、お亀によく肖た女を音羽辺で見かけた者があると云うのだ。そこで、留に云いつけて、この音羽から雑司ヶ谷の辺を探索させると、あいつもさすがに馬鹿じゃあねえ、それからそれへと手をのばして、とうとう其の佐藤の屋敷に忍んでいることを突き留めたのだが、さっきも云う通り、旗本屋敷に巣を食っているので、迂闊に手入れをすることが出来ねえ。しかし斯うなりゃあ生洲の魚だ。遅かれ早かれ、こっちの物よ」 吉五郎は冷えた猪口を飲みほして、自信があるように微笑んでいると、兼松もおなじく得意らしく笑った。 「まったく斯うなりゃあ生洲の魚だ。そのお亀……お近という奴は今まで何処に隠れていたんでしょう。初めから佐藤の屋敷に忍んでいたんでしょうか」 「そうじゃあるめえ」と、吉五郎は頭をふった。「それなら足かけ四年も知れずにいる筈はねえ。女は確かに草鞋を穿いていたに相違ねえ。おれもよく調べて見なけりゃあ判らねえが、佐藤という旗本はお近が深川にいる時からの馴染かも知れねえ。留の話によると、佐藤は三年ばかり長崎へお役に出ていて、去年の秋に江戸へ帰って来ると、お近はそのあとから付いて来たと云うのだ。してみると、お近も長崎へ行っていて、佐藤と一緒に引き揚げて来たのだろう。おれ達が鵜の目鷹の目で騒いでも知れねえ筈よ、相手は遠い長崎の果てに飛んでいたのだ」 云いかけて、吉五郎は俄かに表へ耳をかたむけた。 「なんだか騒々しいようだぜ。火事かな」 兼松はすぐに立って往来にむかった肱掛け窓をあけると、うららかな春の町を駈けてゆく人々のすがたが乱れて見おろされた。 「弥次馬が駈け出すようですね。なんだろう。ちょいと見て来ます」 云いすてて兼松は階子を降りて行ったが、やがて引っ返して来て仔細ありげにささやいた。 「江戸川橋の下へ死骸が浮き上がったそうですよ」 「死骸が……」と、吉五郎も眼をひからせた。「女か」 「若い女だそうです。何でも十八、九の……」 「十八、九か」 「なにしろ直ぐに行って来ましょう」 「むむ。おれも後から行く」 兼松を出してやって、吉五郎は忙がしそうに手をたたくと、女中が階子をあがって来た。 「どうも遅くなりまして相済みません。御飯は唯今すぐに……」 「いや、飯の催促じゃあねえ」と、吉五郎は煙草入れを仕舞いながら云った。「姐さん。そこの川へ死骸が浮いたそうだね」 「そうだそうで……」と、女中は声をひくめた。「わたくしは見に参りませんけれど、まだ若い娘さんだそうです」 「十八、九というじゃあねえか」 「ええ。なんでもここらの人らしいという噂で……」 「ここらの人だ……。お武家かえ、町の人かえ」 「お武家さんらしいとか申しますが……」 「そうかえ。わたしたちは少し急用が出来たから、酒も飯もいらねえ。直ぐに勘定をしてくんねえ」 「はい、はい」 女中が早々に降りて行ったあとで、吉五郎は一旦しまいかけた煙草入れを取り出して、また徐かに一服吸った。 江戸川に発見された死骸は、十八、九の若い女で、武家らしい風俗である。瓜生の娘お北――それが直ぐに吉五郎の胸に浮かんだ。 「おれの鑑定は外れたかな」 寺で殺されて川へ流された女――それはお近ではなかったのか。お北か、お近か、彼はまだ半信半疑であった。 「こういうときには落ち着くに限る」 彼は更に二服目の煙草を吸った。表を駈けてゆく足音はいよいよ騒がしくきこえた。
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