鎧櫃の血 |
光文社文庫、光文社 |
1988(昭和63)年5月20日 |
1988(昭和63)年5月30日2刷 |
1988(昭和63)年5月20日初版1刷 |
一
大田蜀山人の「壬戌紀行」に木曾街道の奈良井の宿のありさまを叙して「奈良井の駅舎を見わたせば梅、桜、彼岸ざくら、李の花、枝をまじえて、春のなかばの心地せらる。駅亭に小道具をひさぐもの多し。膳、椀、弁当箱、杯、曲物など皆この辺の細工なり。駅舎もまた賑えり。」云々とある。この以上にわたしのくだくだしい説明を加えないでも、江戸時代における木曾路のすがたは大抵想像されるであろう。 蜀山人がここを過ぎたのは、享和二年の四月朔日であるが、この物語はその翌年の三月二十七日に始まると記憶しておいてもらいたい。この年は信州の雪も例年より早く解けて、旧暦三月末の木曾路はすっかり春めいていた。 その春風に吹かれながら、江戸へむかう旅人上下三人が今や鳥居峠をくだって、三軒屋の立場に休んでいた。かれらは江戸の四谷忍町の質屋渡世、近江屋七兵衛とその甥の梅次郎、手代の義助であった。 「おまえ様がたはお江戸の衆でござりますな。」と、立場茶屋の婆さんは茶をすすめながら言った。 「はい。江戸でございます。」と、七兵衛は答えた。「若いときから一度はお伊勢さまへお参りをしたいと思っていましたが、その念が叶ってこの春ようようお参りをして来ました。」 「それはよいことをなされました。」と、婆さんはうなずいた。「お参りのついでにどこへかお廻りになりましたか。」 「お察しの通り、帰りには奈良から京大阪を見物して来ました。こんな長い旅はめったに出来ないので、東海道、帰りには中仙道を廻ることにして、無事ここまで帰って来ました。」 「それではお宿へのおみやげ話もたくさん出来ましたろう。」 「風邪も引かず、水中りもせず、名所も見物し、名物も食べて、こうして帰って来られたのは、まったくお伊勢さまのお蔭でございます。」 年ごろの念願もかない、愉快な旅をつづけて来て、七兵衛はいかにものびやかな顔をして、温かい茶をのみながらあたりの春景色を眺めていると、さっきから婆さんと客の話の途切れるのを待っていたらしく、店さきの山桜の大樹のかげから、ひとりの男が姿をあらわした。かれは六十前後、見るから山国育ちの頑丈そうな大男で、小脇には二、三枚の毛皮をかかえていた。 「もし、お江戸のお客さま。熊の皮を買って下さらんかな。」と、彼は見掛けによらない優しい声で言った。 熊の皮、熊の胆を売るのは、そのころの木曾路の習いで、この一行はここまで来るあいだにも、たびたびこの毛皮売に付きまとわれているので、手代の義助はまたかという顔をして無愛想に断った。 「いや、熊の皮なんぞはいらない、いらない。おれ達は江戸へ帰れば、虎の皮をふんどしにしているのだ。」 「はは、鬼じゃあるまいに……。」と、男は笑った。「そんな冗談を言わないで、一枚おみやげに買ってください。だんだん暖かくなると毛皮も売れなくなる。今のうち廉く売ります。」 「廉くっても高くっても断る。」と、梅次郎も口を出した。「わたしらは町人だ。熊の皮の敷皮にも坐れまいじゃないか。そんな物はお武家を見かけて売ることだ。」 揃いも揃って剣もほろろに断られたが、そんなことには慣れているらしい男は、やはりにやにやと笑っていた。 「それじゃあ仕方がない。熊の皮が御不用ならば、熊の胆を買ってください。これは薬だから、どなたにもお役に立ちます。道中の邪魔にもならない。どうぞ買ってください。」 「道中でうっかり熊の胆などを買うと、偽物をつかまされるということだ。そんな物もまあ御免だ。」と、義助はまた断った。 「偽物を売るような私じゃあない。そこはここの婆さんも証人だ。まあ、見てください。」 男はうしろを見かえると、桜のかげからまたひとりが出て来た。それは年ごろ十七八の色白の娘で、手には小さい箱のようなものを抱えていた。身なりはもちろん粗末であったが、その顔立ちといい姿といい、この毛皮売の老人の道連れにはなにぶん不似合いに見えたので、三人の眼は一度にかれの上にそそがれた。 「江戸のお客さまを相手にするには、おれよりもお前のほうがいいようだ。」と、男は笑った。 「さあ、おまえからお願い申せよ。」 娘は恥かしそうに笑いながら進み出た。 「今も申す通り、偽物などを売るような私らではございません。そんなことをしましたら、福島のお代官所で縛られます。安心してお求めください。」 梅次郎も義助も若い者である。眼のまえに突然にあらわれて来た色白の若い女に対しては、今までのような暴っぽい態度を執るわけにもいかなくなった。 「姐さんがそう言うのだから偽物でもあるまいが、熊の胆はもう前の宿で買わされたのでな。」と、義助は言った。 これはどの客からも聞かされる紋切型の嘘である。この道中で商売をしている以上、それで素直に引下がる筈のないのは判り切っていた。娘は押返して、買ってくれと言った。梅次郎と義助は買うような、買わないような、取留めのないことを言って、娘にからかっていた。梅次郎は、ことし廿一で、本来はおとなしい、きまじめな男であったが、長い道中のあいだに宿屋の女中や茶屋の女に親しみが出来て、この頃では若い女に冗談の一つも言ってからかうようになったのである。義助は二つ違いの廿三であった。 七兵衛はさっきから黙って聞いていたが、その顔色が次第に緊張して来て、微笑を含んでいるそのくちびるが固く結ばれた。彼は手に持つ煙管の火の消えるのも知らずに、熊の胆の押売りをする娘の白い顔をじっと眺めていたが、やがて突然に声をかけた。 「もし、おじいさん。その子はおまえの娘かえ、孫かえ。」 「いえ……。」と、毛皮売の男はあいまいに答えた。 「おまえの身寄りじゃあないのかえ。」と、七兵衛はまた訊いた。 「はい。」 七兵衛は無言で娘を招くと、娘はすこし躊躇しながら、その人が腰をかけている床几の前に進み寄った。七兵衛はやはり無言で、娘の右の耳の下にある一つの黒子を見つめながら、探るようにまた訊いた。 「おまえの左の二の腕に小さい青い痣がありはしないかね。」 娘は意外の問いを受けたように相手の顔をみあげた。 「あるかえ。」と、七兵衛は少しせいた。 「はい。」と、娘は小声で答えた。 「店のさきじゃあ話は出来ない。」と、七兵衛は立ちあがった。「ちょいと奥へ来てくれ。おじいさん、おまえも来てくれ。」 その様子がただならず見えたので、男も娘もまた躊躇していたが、七兵衛にせき立てられて不安らしく続いて行った。娘はよろめいて店の柱に突き当った。 「旦那はどうしたのでしょうな。」と、義助も不安らしく三人のうしろ姿をながめていた。 「さあ。」 梅次郎も不思議そうに考えていたが、俄に思い当ったように何事かささやくと、義助もおどろいたように眼をみはった。二人は無言でしばらく顔を見あわせていたが、義助は茶屋の婆さんに向って小声で訊いた。 「あの毛皮売のじいさんは何という男だね。」 「その奈良井の宿はずれに住んでいる男で、伊平と申します。」 「あの娘の名は。」 「お糸といいます。」 それからだんだん詮議すると、お糸は伊平の娘でも孫でもなく、去年の秋ももう寒くなりかかった夕ぐれに、ひとりの若い娘が落葉を浴びながら伊平の門口に立って、今夜泊めてくれと頼んだ。ひとり旅の女を泊めるのは迷惑だとも思ったが、その頼りない姿が不憫でもあるので、伊平は宿の役人に届けた上で、娘に一夜のやどりを許すことになると、その夜なかに伊平は俄に発熱して苦しみ出した。 伊平は独り者で、病気は風邪をこじらせたのであったが、幸いに娘が泊り合せていたので、彼は親切な介抱をうけた。独り身の病人を見捨てては出られないので、娘はその次の日も留まって看病していたが伊平は容易に起きられなかった。そして、三日過ぎ、五日を送って、伊平が元のからだになるまでには小半月を過ぎてしまった。そのあいだ、かの娘は他人とは思えない程にかいがいしく立ち働いて、伊平を感謝させた。近所の人達からも褒められた。 娘は江戸の生れであるが、七つの時に京へ移って、それから諸国を流浪して、しかも、継母にいじめられて、言いつくされない苦労をした末に、半分は乞食同様のありさまで、江戸の身寄りをたずねて下る途中であるが、長いあいだ音信不通であったので、その身寄りも今はどこに住んでいるか、よくは判らないというのである。 そういう身の上ならば、的もなしに江戸へ行くよりも、いっそここに足を留めてはどうだと、伊平は言った。近所の人たちも勧めた。娘もそうして下されば仕合せであると答えた。その以来、お糸という娘は養女でもなく、奉公人でもなく、差しあたりは何ということもなしに伊平の家に入り込んで、この頃では商売の手伝いまでもするようになった。お糸は色白の上に容貌も悪くない。小さいときから苦労をして来たというだけに、人付合いも悪くない。それやこれやで近所の評判もよく、伊平さんはよい娘を拾い当てたと噂されている。 婆さんの口からこんな話を聞かされているうちに、七兵衛ら三人は奥から出て来た。七兵衛の顔には抑え切れない喜びの色がかがやいていた。
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