繍鸞
父の先妻の張夫人に
繍鸞という
侍女があった。
ある月夜に、夫人が堂の
階段に立って繍鸞を呼ぶと、東西の廊下から同じ女が出て来た。顔かたちから着物は勿論、右の襟の角の反れているのから、左の袖を半分捲いているのまで、すべて寸分も違わないので、夫人はおどろいて殆んど仆れそうになった。やがて気を鎮めてよく視ると、繍鸞の姿はいつか一人になっていた。
「お前はどっちから来ました」
「西のお廊下から参りました」
「東の廊下から来た人を見ましたか」
「いいえ」
これは七月のことで、その十一月に夫人は世を去った。彼女の寿命がまさに尽きんとするので、妖怪が姿を現わすようになったのかとも思われる。
牛寃 姚安公が刑部に勤めている時、徳勝門外に七人組の強盗があって、その五人は逮捕されたが、
王五と
金大牙の二人はまだ
縛に就かなかった。
王五は逃れて
県にゆくと、路は狭く、溝は深く、わずかに一人が通られるだけの小さい橋が架けられていた。その橋のまんなかに逞ましい牛が眼を怒らせて伏していて、近づけば
角を振り立てる。王はよんどころなく引っ返して、路をかえて行こうとする時、あたかも
邏卒が来合わせて捕えられた。
一方の金大牙は
清河橋の北へ落ちてゆくと、牧童が二頭の牛を追って来て、金に突き当って泥のなかへ転がしたので、彼は怒ってその牧童と喧嘩をはじめた。ここは都に近い所で、金を見識っている者が土地の役人に訴えた為に、彼もまた縛られた。
王も金も回部の民で、みな
屠牛を業としている者である。それが牛のために失敗したのも
因縁であろう。
鳥を投げる男
雍正の末年である。
東光城内で或る夜、家々の犬が一斉に吠えはじめた。その声は
潮の湧くが如くである。
人びとはみな驚いて出て見ると、月光のもとに怪しい男がある。彼は髪を乱して腰に垂れ、麻の帯をしめて
蓑を着て、手に大きい袋を持っていた。袋のなかにはたくさんの
鵝鳥や鴨の鳴き声がきこえた。彼は人家の家根の上に暫く突っ立っていて、やがて又、別の家の屋根へ移って行った。
明くる朝になって見ると、彼が立っていた所には、二、三羽の鵝鳥や鴨が
檐下に投げ落されていた。それを煮て食った者もあったが、その味は普通の鳥と変ったこともなかった。その当座はいかなる不思議か判らなかった。
然るにその鳥を得た家には、みな葬式が出ることになった。いわゆる
凶が出現したのである。わたしの親戚の
馬という家でも、その夜二羽の鴨を得たが、その歳に弟が死んだ。思うに、昔から喪に逢うものは無数である。しかもその夜にかぎって、特に凶兆を示したのはなんの訳か。そうして、その兆を示すために、
鵝鴨のたぐいを投げたのはなんの訳か。
鬼神の
所為は凡人の知り得る事あり、知り得ざる事あり、ただその事実を録するのみで、議論の限りでない。
節婦
任士田という人が話した。その郷里で、ある人が月夜に路を行くと、墓道の松や柏のあいだに二人が並び坐しているのを見た。
ひとりは十六、七歳の可愛らしい男であった。他の女は白い髪を長く垂れ、腰をかがめて杖を持って、もう七、八十歳以上かとも思われた。
この二人は肩を摺り寄せて何か笑いながら語らっている
体、どうしても互いに惚れ合っているらしく見えたので、その人はひそかに
訝って、あんな婆さんが美少年と
媾曳をしているのかと思いながら、だんだんにその傍へ近寄ってゆくと、かれらのすがたは消えてしまった。
次の日に、これは
何人の墓であるかと
訊いてみると、某家の男が早死にをして、その妻は節を守ること五十余年、老死した後にここに合葬したのであることが判った。
木偶の演戯
わたしの先祖の
光禄公は
康煕年間、
崔荘で
質庫を開いていた。
沈伯玉という男が番頭役の司事を勤めていた。
あるとき
傀儡師が二箱に入れた木彫りの人形を質入れに来た。人形の高さは一尺あまりで、すこぶる精巧に作られていたが、期限を越えてもつぐなわず、とうとう質流れになってしまった。ほかに売る先もないので、
廃り物として空き屋のなかに久しく押し込んで置くと、月の明るい夜にその人形が幾つも現われて、あるいは踊り、あるいは舞い、さながら
演劇のような姿を見せた。耳を傾けると、何かの曲を唱えているようでもあった。
沈は気丈の男であるので、声をはげしゅうして叱り付けると、人形の群れは一度に散って消え失せた。翌日その人形をことごとく
焚いてしまったが、その後は別に変ったこともなかった。
物が久しくなると妖をなす。それを焚けば精気が溶けて散じ、再び
聚まることが出来なくなる。また何か
憑る所があれば妖をなす。それを焚けば憑る所をうしなう。それが物理の自然である。
奇門遁甲
奇門遁甲の書というものが多く世に伝えられている。しかも皆まことの伝授でない。まことの伝授は
口伝の数語に過ぎないもので、筆や紙で書き伝えるのではない。
徳州の
宋清遠先生は語る。あるとき友達をたずねると、その友達は宋をとどめて一泊させた。
「今夜はいい月夜だから、芝居を一つお目にかけようか」
そこで、
橙の実十余個を取って堂下にころがして置いて、二人は堂にのぼって酒を飲んでいると、夜も
二更に及ぶころ、ひとりの男が垣を
踰えて忍び込んで来たが、彼は堂下をぐるぐる廻りして、一つの橙に出逢うごとに、よろけて
躓いて、ようように
跨いで通るのであった。
それが初めは順に進み、さらに曲がって行き、逆に行き、百回も二百回も繰り返しているうちに、彼は疲れ切って倒れ伏してしまった。やがて夜が明けたので、友達はその男を堂の上に連れて来て、おまえは何しに来たのかと詰問すると、彼はあやまり入って答えた。
「わたくしは泥坊でございます。お宅へ忍び込みますと、低い垣が幾重にも作られて居ります。それを幾たび越えても、越えても、果てしがないので、閉口して引っ返そうとしますと、帰る路にもたくさんの垣があって、幾たび越えても行き尽くせません。結局、疲れ果てて捕われることになりました。どうぞ御存分に願います」
友達は笑って彼を放してやった。そうして、宋にむかって言った。
「きのうあの泥坊が来ることを占い知ったので、たわむれに小術を用いたのです」
「その術はなんですか」
「奇門の法です。他人が迂闊におぼえると、かえって禍いを招きます。あなたは謹直な人物である。もしお望みならば御伝授しましょうか」
折角であるが、自分はそれを望まないと宋は断わった。友達は嘆息して言った。
「学ぶを願う者には伝うべからず、伝うべき者は学ぶを願わず。この術も
終に絶えるであろう」
彼は
悵然として宋を送って別れた。