鬼影
泉州の人が或る夜、ともしびの前で自分の影をみかえると、壁に映っているのは自分の形でなかった。
不思議に思ってよく視ると、大きい首に長い髪が乱れかかって、手足は鳥の爪のように曲がって尖っている。その影はたしかに一種の鬼であった。しかも、その怪しい影は自分の形に伴っていて、自分の動く通りに動いているのである。大いにおどろいて家内の者を呼びあつめると、その影は誰の眼にも怪しく見えるのであった。
それが毎晩つづくので、その人も怖ろしくなった。家内の者もみな
懼れた。しかしその子細は判らないので、唯いたずらに憂い懼れていると、となりに住んでいる塾の先生が言った。
「すべての妖はみずから
興るのでなく、人に因って興るのである。あなたは人に知られない悪念を
懐いているので、その心の影が
羅刹となって現われるのではあるまいか」
その人は
慄然として、先生の前に
懴悔した。
「実はわたくしは或る人に恨みを含んでいるので、近いうちにその一家をみな殺しにして、ここを逃げ去って、賊徒の群れに投じようかと考えていたところでした。今のお話でわたくしも怖ろしくなりました。そんな企ては断然やめます」
その晩から彼の影は元の形に
復った。
茉莉花
中の或る人の娘はまだ嫁入りをしないうちに死んだ。それを葬ること
式のごとくであった。
それから一年ほど過ぎた後、その親戚の者がとなりの県で、彼女とおなじ女を見た。その顔かたちから
声音までが余りによく
肖ているので、不意にその幼な名を呼びかけると、彼女は思わず振り返ったが、又もや足を早めて立ち去った。
親戚は郷里へ帰ってそれを報告したので、両親も怪しんで娘の塚をあけてみると、果たして棺のなかは
空になっていた。そこで、そのありかを
尋ねてゆくと、女は両親を識らないと言い張っていたが、その
腋の下に大きい
痣があるのが証拠となって、彼女はとうとう恐れ入った。その相手の男をたずねると、もうどこへか姿をかくしていた。
だんだんその事情を取調べると、
中には
茉莉花を飲めば仮死するという伝説がある。茉莉花の根を
磨って、酒にまぜ合わせて飲むのである。根の長さ一寸を用ゆれば、仮死すること一日にして蘇生する。六、七寸を用ゆれば、仮死すること数日にしてなお蘇生することが出来る。七寸以上を用ゆれば、本当に死んでしまうのである。かの娘はすでに約束の婿がありながら、他の男と情を通じたので、男と相談の上で茉莉花を用い、そら死にをして
一旦葬られた後に、男が棺をあばいて連れ出したものであることが判った。男もやがて捕われたが、その申し立ては娘と同様であった。
の県官
呉林塘という人がそれを裁判したが、棺をあばいた罪に照らそうとすれば、その人は死んでいないのである。薬剤をもって子女を惑わしたという罪に問おうとすれば、娘も最初から共謀である。さりとて、財物を奪ったとか、
拐引を働いたとかいうのでもない。結局、その娘も男も
姦通の罪に処せられることになった。
仏陀の示現
景城の南に古寺があった。あたりに人家もなく、その寺に住職と二人の
徒弟が住んでいたが、いずれもぼんやりした者どもで、わずかに仏前に香火を供うるのほかには能がないように見られた。
しかも彼等はなかなかの
曲者で、ひそかに
松脂を買って来て、それを粉にして練りあわせ、紙にまいて火をつけて、夜ちゅうに高く飛ばせると、その火のひかりは四方を照らした。それを望んで村民が駈けつけると、住職も徒弟も戸を閉じて熟睡していて、なんにも知らないというのである。
又あるときは、
戯場で用いる仏衣を買って来て、菩薩や羅漢の形をよそおい、月の明るい夜に家根の上に立ったり、樹の蔭にたたずんだりする事もある。それを望んで駈け付けると、やはりなんにも知らないというのである。或る者がその話をすると、住職らは合掌して答えた。
「飛んでもないことを仰しゃるな。み仏は遠い西の空にござる。なんでこんな田舎の
破寺に
示現なされましょうぞ。お
上ではただいま
白蓮教をきびしく禁じていられます。そんな噂がきこえると、われわれもその邪教をおこなう者と見なされて、どんなお
咎めを
蒙るかも知れません。お前方もわれわれに恨みがある訳でもござるまいに、そんなことを無暗に言い触らして、われわれに迷惑をかけて下さるな」
いかにも殊勝な申し分であるので、諸人はいよいよ仏陀の示現と信じるようになって、檀家の
布施や
寄進が日ましに多くなった。それに付けても、寺があまりに荒れ朽ちているので、その修繕を勧める者があると、僧らは、一本の柱、一枚の瓦を換えることをも承知しなかった。
「ここらの人はとかくにあらぬことを言い触らす癖があって、
後光がさしたの、菩薩があらわれたのと言う。その矢さきに堂塔などを
荘厳にいたしたら、それに就いて又もや何を言い出すか判らない。どなたが寄進して下さるといっても、寺の修繕などはお断わり申します」
こういうふうであるから、諸人の信仰はいや増すばかりで、僧らは十余年のあいだに大いなる富を作ったが、又それを知っている賊徒があって、ある夜この寺を襲って師弟三人を殺し、貯蓄の財貨をことごとく
掠めて去った。役人が来て検視の際に、古い箱のなかから
戯場の衣裳や松脂の粉を発見して、ここに初めてかれらの巧みが露顕したのであった。
これは
明の
崇禎の末年のことである。
強盗
斉大は献県の地方を横行する強盗であった。
あるとき味方の者を
大勢連れて或る家へ押し込むと、その家の娘が
美婦であるので、賊徒は
逼ってこれを
汚そうとしたが、女がなかなか応じないので、かれらは女をうしろ手にくくりあげた。そのとき斉大は家根に登って、近所の者や捕手の来るのを見張っていたが、女の泣き叫ぶ声を聞きつけて、降りて来てみるとこの
体たらくである。彼は刃をぬいてその場に
跳り込んだ。
「貴様らは何でそんなことをする。こうなれば、おれが相手だぞ」
餓えたる虎のごとき眼を
晃らせて、彼はあたりを睨みまわしたので、賊徒は恐れて手を引いて、女の節操は幸いに救われた。
その後に、この賊徒の一群はみな捕えられたが、ただその頭領の斉大だけは不思議に逃がれた。賊徒の申し立てによれば、逮捕の当時、斉大はまぐさ
桶の下に隠れていたというのであるが、捕手らの眼にはそれが見えなかった。まぐさ桶の下には古い竹束が転がっていただけであった。
張福の遺書
張福は
杜林鎮の人で、荷物の運搬を業としていた。ある日、途中で村の豪家の主人に出逢ったが、たがいに路を譲らないために喧嘩をはじめて、豪家の主人は従僕に指図して張を石橋の下へ突き落した。あたかも川の氷が固くなって、その
稜は刃のように尖っていたので、張はあたまを撃ち割られて半死半生になった。
村役人は平生からその豪家を憎んでいたので、すぐに
官に訴えた。官の役人も相手が豪家であるから、この際いじめつけてやろうというので、その詮議が甚だ厳重になった。そのときに重態の張はひそかに母を豪家へつかわして、こう言わせた。
「わたしの代りにあなたの命を取っても仕方がありません。わたしの亡い後に、老母や幼な児の世話をして下さるというならば、わたしは自分の
粗相で滑り落ちたと申し立てます」
豪家では無論に承知した。張はどうにか文字の書ける男であるので、その通りに書き残して死んだ。何分にも本人自身の書置きがあって、豪家の無罪は証明されているのであるから、役人たちもどうすることも出来ないで、この一件は無事に
落着した。
張の死んだ後、豪家も最初は約束を守っていたが、だんだんにそれを怠るようになったので、張の老母は怨み憤って官に訴えたが、張が自筆の生き証拠がある以上、今更この事件の審議をくつがえす事は出来なかった。
しかもその豪家の主人は、ある夜、酒に酔ってかの川べりを通ると、馬がにわかに
駭いたために川のなかへ転げ落ちて、あたかも張とおなじ場所で死んだ。
知る者はみな張に背いた報いであると言った。世の訴訟事件には
往々こうした秘密がある。獄を断ずる者は深く考えなければならない。