蜘蛛の夢 |
光文社文庫、光文社 |
1990(平成2)年4月20日 |
1990(平成2)年4月20日初版1刷 |
1990(平成2)年4月20日初版1刷 |
一
人びとの話が代るがわるにここまで進んで来た時に、玄関の書生が「速達でございます。」といってかさ高の郵便を青蛙堂主人のところへ持って来た。主人はすぐに開封すると、それは罫紙に細かく書いた原稿ようのものに、短い手紙が添えてあるらしかった。主人はまずその手紙だけを読んでしまって、一座のわれわれの方へ再び向き直った。 「ちょっと皆さんに申上げたいことがございます。わたくしの友人のTという男――みなさんも御承知でございましょう、先度の怪談会のときに「木曽の旅人」の話をお聴きに入れた男です。――あの男が二、三日前に参りましたから、実は今夜の「探偵趣味の会」のことを洩らしますと、それは面白い、自分もぜひ出席するといって帰りました。それが今夜はまだ見えないので、どうしたのかと思っていますと、唯今この速達便をよこしまして、退引ならない用向きが起って、今夜は残念ながら出席することが出来ない。就いては、自分が今夜お話ししようと思っている事を原稿に書いて送るから、皆さんの前で読み上げてくれというのでございます。一体どんなことが書いてあるのか判りませんが、折角こうして送って来たのですから、その熱心に免じて、わたくしがこれから読み上げることに致します。御迷惑でも暫くお聴きください。」 一座のうちには拍手する者もあった。 「では、読みます。」と、言いながら主人はその原稿の二、三行に眼を通した。「ははあ、自叙体に書いてある。このうち私というのはT自身のことで、その友人の森君という人との交渉を書いたものらしく思われます。まあ、読んでいったら判りましょう。」 主人は原稿をひろげて読みはじめた。
「この降りに、出かけるのかい。」 わたしは庭の八つ手の大きい葉を青黒く染めている六月の雨の色をながめながら、森君の方を見かえった。森君の机のそばには小さい旅行カバンが置かれてあった。 「なに、ちっとぐらい降っても構わない。思い立ったら、いつでも出かけるよ。」と、森君は巻煙草をくゆらしながら笑っていた。 森君の旅行好きは私たちの友達仲間でも有名であった。暇さえあれば二日でも三日でも、時によればふた月でも三月でも、それからそれへと飛んであるく。したがって、ちっとぐらいの雨や風を念頭に置いていないのも当然であった。 「これからすぐに出掛けるのか。そうして今度はどっちの方角だ。」と、わたしも笑いながら訊いた。 「久しぶりで猪苗代から会津の方へ行ってみようと思っている。途中で宇都宮の友達をたずねて、それから……。」 「日光へでも廻るか。」 「日光……。」と、森君は急に顔をくもらせた。「いや、日光はもう十年以上も行ったことがない。あるいは一生行かないかも知れない。」 「ひどく見限ったね。日光はそれほど悪いところじゃあるまいと思うが……。」 「無論、日光の土地が悪いというわけじゃ決してない。僕も紅葉の時節になると、また行ってみたいような気になることもあるが、やはりどうも足が向かない。なんだか暗いような気分に誘い出されてね。」 「なぜだ。日光で何か忌なことでもあったのか。」と、わたしは一種の好奇心にそそのかされて訊いた。 「むむ。」と、森君は今ついたばかりの電燈の弱い光りを仰ぎながら溜息をついた。 「日光で一体どうしたんだ。」 「実はね。」と、言いかけて、森君は急に気がついたように懐中時計を出して見た。「や、こりゃいけない。もう三十分しかない。上野まで大急ぎだ。」 「いいじゃないか、ひと汽車ぐらいおくれたって……。別に急ぎの旅でもあるまい。」 森君は焦れったそうに衝と起ちあがって、本箱のなかを引っ掻きまわしていたが、やがて一冊の古い日記を持出して、投げ出すように私のまえに置いた。 「この日記の八月のところを見てくれたまえ。そうすれば大抵わかるよ。僕は急ぐから失敬する。」 客のわたしを置き去りにして、気の短い森君はカバンを引っ提げて、すたすたと玄関の方へ出て行ってしまった。森君は三十幾歳の今年まで独身で、老婢ひとりと書生一人の気楽な生活である。雑誌などへ時どき寄稿するぐらいで、別に定まった職業はない。多年懇意にしている私は、今夜もただ簡単に会釈しただけで彼を見送ろうともしなかった。老婢や書生が玄関でなにか言っているのをよそに聞きながら、わたしはその日記帳を手に取って、八月のところを探してみようとしたが、電燈の光線の工合が悪いので、わたしは初めて起ちあがって森君の机の前に坐り直した。あたかもその時に、縁側から内をのぞいている書生の顔が障子の硝子越しに黒く見えたので、わたしは笑いながら声をかけた。 「先生はもう行きましたか。」 「はあ。」 「僕はもう少しお邪魔をしていますよ。」 「どうぞごゆっくり。」と、書生の顔はすぐに消えてしまった。 わたしは書生のいう通り、ゆっくりとそこに坐り込んで森君の古い日記帳と向い合った。日記の表紙には今から十二、三年前の明治××年と記されてあった。わたしは急いでその八月のぺージを繰ってみた。月はじめの三日ばかりの間には別に変った記事を見つけ出されなかったが、とにかく森君は七月の末から日光の町に滞在して、ある小さい宿屋の裏二階の四畳半に泊っていたということだけは判った。その当時の森君は或る私立大学の文科の学生であったことをわたしは知っていた。わたしは日光の古い町にさまよっていた若い学生のおもかげを頭に描きながら、その日記をだんだん読みつづけてゆくと、八月四日の条に、こういう記事を発見した。
四日、晴。午前七時起床。散歩。例に依りて挽地物屋の六兵衛老人の店先に立つ。早起きの老人はいつもながら仕事に忙がしそう也。お冬さんは店の前を掃いている。籠の小鳥が騒々しいほどさえずる。お冬さんの顔色ひどく悪し、なんだか可哀そう也――。
六兵衛老人のことも、お冬という女のことも、前にはちっとも書いてないので、わたしも一時は判断に苦しんだが、その後の記事を読んでゆくうちに、お冬さんというのは老人のひとり娘で、ちょっと目をひく若い女であることが想像された。森君は毎日この店へ遊びに行って、親子と懇意になっていたらしい。
五日、晴。涼し。――お冬さんは別に身体が悪いのでもないよう也。ほかに何か苦労があるらしく思わる。予の隣りの大きい旅館に滞在せる二十六、七の青年紳士も、朝夕にたびたびここの店に立寄って、お冬さんに親しく冗談などいう。お冬さんの顔色の悪きは、あるいは彼になにかの関係があるのではないかとも疑わる。――午後六時ごろ再び散歩。六兵衛老人の店先に腰をかけていると、かの青年紳士は小せんという町の芸妓を連れて威張って通る。お冬さんの眼の色いよいよ嶮しくなる。これにて一切の秘密判明。紳士は磯貝満彦といいて、東京の某実業家の息子なる由。――
森君がこうしてお冬という娘のことを気にかけているのを見ると、その日記にいわゆる「なんだか可哀そう」という程度を通り越しているらしい。森君もおそらく眼を嶮しくして、彼女と青年紳士との行動に注意していたのであろう。しかし六日と七日の日記の上にはお冬さんに関する記事はなんにも見えない。もっともこの二日間は毎日おそろしい雷雨がつづいたので、森君もさすがに外出しなかったのであった。
八日、晴、驟雨。午前七時起床。けさはぬぐうがごとき快晴なり。食後散歩。挽地物屋の店にお冬さんの姿みえず、老人もめずらしく仕事を休みて店先にぼんやり坐っている。例のごとく挨拶したれど、老人なんの返事もせず。――午飯の時に宿の女中の話によれば、お冬さんはきのうの夕方に雷雨を冒して出でたるまま帰らずとのこと也。情夫でもあるのかと訊けば、お冬さんは町でも評判のおとなしい娘にて、浮いた噂などかつて聞いたこともないという。彼女が無断にて家出の子細は誰にもわからず。なんだか夢のようなり。――夕より俄かにくもりて、驟雨、雷鳴。お冬さんは今頃どうしているにや。夜に入って雨やみたれば、八時ごろ散歩。挽地物屋の店にはやはりお冬さんは見えず。老人が団扇づかいの唯さびしげなり。
九日、晴。虫が知らしたるか、けさは早く醒めると、雨戸をあけに来た女中から思いもつかない話をきく。お冬さんはゆうべの十一時過ぎに、ちらし髪の素足でどこからか帰って来たるよしにて、お山の天狗にさらわれたるならんとの噂なりとぞ。奇妙なこともあるものなり。食後すぐに行ってみると、お冬さんは真っ蒼な顔をして店に坐りいたり。声をかけても返事もせず、六兵衛老人の姿もみえず。さらに見まわせば、老人の道楽にてたくさんに飼いたるいろいろの小鳥の籠はひとつも見えず。お父さんはどうしたと重ねて問えば、お冬さんは微かな声で、奥に寝ていますという。鳥籠はどうしたときけば、鳥はみんな放してやりましたという。なにか子細がありそうなれど、この上の詮議もならねばそのままにして別れる。晴れて今日は俄かに暑くなる。――午後再び散歩。大谷川のほとりまで行って引っ返して来ると、お冬さんの店にはかの磯貝という紳士が腰をかけて、何か笑いながら話している。お冬さんの顔は鬼女のごとく、幽霊のごとく、たとえん方もなく物凄し。宿に帰れば宇都宮の田島さんより郵便来たり、今夜からあしたにかけて泊りがけで遊びに来いという。すぐに支度して行く。
田島さんというのは森君の友人で、宇都宮で新聞記者をしている人であった。森君も九日の午後の汽車で宇都宮に着いて、公園に近い田島さんの家に一泊したことは日記に詳しく書いてあるが、この物語には不必要であるからここに紹介しない。とにかく森君は翌十日も田島さんの家で暮らした。その晩帰るつもりであったところを、無理にひきとめられてもうひと晩泊った。森君が田島さん夫婦に歓待されたことは日記を見てもよく判る。こうして彼は八月十一日を宇都宮で迎えた。彼の日記のおそろしい記事はこの日から始まるのである。
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