三
森君の日記にはこれから先のことを非常に詳しく書いてあるが、わたしはその通りをここに紹介するに堪えないから、その眼目だけを掻いつまんで書くことにする。森君はお冬を追って行くと、果して含満ヶ渕で彼女のすがたを見つけた。彼女はここから身でも投げるらしく見えたので、森君はあわてて抱き止めた。お冬は泣いてなんにも言わないのを、無理になだめすかして訊いてみると、彼女の死のうとする子細はこうであった。 前にもいう通り、六兵衛という老人は小鳥を飼うことが大好きで、商売の傍らに種々の小鳥を飼うのを楽しみにしていた。磯貝は去年もこの町へ避暑に来て、六兵衛の店へもたびたび遊びに来るうちに、ある日小鳥の飼い方の話が出ると、六兵衛は大自慢で、自分が手掛ければどんな鳥でも育たないことはないと言った。その高慢が少し面憎く思われたのか、それとも別に思惑があったのか、磯貝はきっと相違ないかと念を押すと、六兵衛はきっと受合うと強情に答えた。それから五、六日経つと磯貝は一箇の薄黒い卵を持って来て、これを孵してくれといった。見馴れない卵であるからその親鳥をきくと、それは慈悲心鳥であることが判った。 日光山の慈悲心鳥――それを今さら詳しく説明する必要もあるまい。磯貝は途方もない物好きと、富豪の強い贅沢心とからで、その慈悲心鳥を一度飼ってみたいと思い立って、中禅寺にいる者に頼んでいろいろに猟らせたが、霊鳥といわれているこの鳥は声をきかせるばかりで形を見せたことはないので、彼は金にあかしてその巣を探させた。そうして、結局それは時鳥とおなじように、鶯の巣で育つということを確かめて、高い値を払ってその卵を手に入れたが、それをどうして育ててよいか見当がつかないので、彼は六兵衛のところへ持って来て頼んだのであった。頼まれて六兵衛もさすがにおどろいた。ほかの鳥ならばなんでも引受けるが、慈悲心鳥の飼い方ばかりは彼にも判らなかった。しかも生れつきの強情と、強い自信力とがひとつになって、彼はとうとうそれを受合った。育ったらば東京へ報らしてくれ、受取りの使いをよこすからと約束して、磯貝は二百円の飼育料を六兵衛にあずけて帰った。 名山の霊鳥を捕るというのが怖ろしい、更にそれを人間の手に飼うというのは勿体ないと、妻のお鉄と娘のお冬とがしきりに意見したが、六兵衛はどうしても肯かなかった。かれは深い興味をもってその飼い方をいろいろに工夫した。そうして、どうやらこうやら無事に卵を孵したが、雛は十日ばかりで斃れてしまったので、かれの失望よりも妻の恐怖の方が大きかった。お鉄はその後一種の気病みのように床について、ことしの三月にとうとう死んだ。磯貝から受取った二百円の金は、妻の長煩らいにみな遣ってしまって、六兵衛の身には殆ど一文も付かなかった。しかし慈悲心鳥の斃れたことを彼は東京へ報らせてやらなかった。磯貝の方からも催促はなかった。 そのうちに今年の夏がめぐってきて、磯貝は再びこの町に来た。かれは六兵衛の不成功を責めた。あわせて今日までなんの通知もしなかった彼の横着をなじって、去年あずけて行った二百円の金をかえせと迫った。その申訳に困って、六兵衛は更に新しい卵を見つけて来ると約束した。かれは三日ほど仕事を休んで、山の奥をそれからそれへと探しあるいたが、霊鳥の巣は見付からなかった。よんどころなしに彼は鶯の巣から時鳥の卵を捕って来て、磯貝の手前を一時つくろっておいたが、その秘密を知っている娘はひどく心配した。さりとて二百円の金を返す目当てはとてもないので、どうなることかと案じているうちに、卵は孵った。六兵衛は、その時鳥の雛を磯貝の旅館へ持って行ってみせると、なんにも知らない彼は非常に喜んだ。六兵衛が帰ったあとで、磯貝はこれを宿の者に自慢らしく見せると、おなじ鶯の巣に育ちながらもそれは慈悲心鳥でないことが証明されたので、彼はまた怒った。八月七日の午後に、磯貝はかの雛鳥の籠をさげて六兵衛の店へ押掛けて行って、再びその横着を責めた。かれは詐欺取財として六兵衛を告訴するといきまいて帰った。 お冬はもう堪らなくなった。このままにしておけば父が罪人にならなければならないので、彼女はすぐに磯貝のあとを追っていって、泣いて父の罪を詫びると、磯貝は少し相談があるから一緒に来いといって、無理に彼女を中禅寺の宿屋へ連れて行った。そうして、父の罪を救うのも救わないのもお前の料簡次第であると迫られた。その晩は山も崩れそうな大雷雨であった。お冬はそのあくる日も帰ることを許されなかった。夜になって磯貝が酔い倒れた隙をみて、彼女ははだしで宿屋をぬけ出して、暗い山路を半分夢中で駈け降りて帰った。可愛い娘がこれほどに凌辱されたことを知って、六兵衛は燃えるような息をついて磯貝を呪った。かれは仕事を投げ出してしまって、傷ついた野獣のように奥のひと間に唸りながら横になっていた。たましいも肉も無残にしいたげられたお冬は、幽霊のようになって空しく生きていた。 抑えられない憤怒と悔恨とに身をもがいて、六兵衛は自分の店に飼ってある小鳥をみな放してしまった。しかしこの事件の種である時鳥の雛だけは、どういう料簡かそのままに捨てて置いた。九日の午後に磯貝が中禅寺から帰って来て、もうこうなった以上はいっそ自分の妾になれとお冬に再び迫ったが、彼女はどうしても承知しなかった。それをきいて六兵衛のはらわたはいよいよ憤怒に焼けただれた。その翌晩の八時ごろに、磯貝が散歩に出て挽地物屋の前を通ると、六兵衛は籠のなかから時鳥の雛をつかみ出して、すぐに彼のあとを追って行った。そうして、二時間ほどの後に帰って来た。磯貝が冷たい死骸となって含満ヶ渕のほとりに発見されたのは、そのあくる朝であった。 「八日の晩にわたくしがいっそ中禅寺の湖水に飛び込んでしまえばよかったんです。なんだかむやみに家が恋しくなって、町まで帰って来たのが悪かったんです。」 お冬は泣いて悔んだ。彼女は自分の父が殺人の大きい罪を犯したのを悲しむと同時に、磯貝にしいたげられた自分のぬぐうべからざる汚辱を狭い町じゅうにさらすのを恐れた。彼女は父が今夜はいよいよ拘引されたのをみて、自分も決心した。磯貝の死に場所であった怖ろしい含満ヶ渕を、彼女も自分の死に場所と決めたのであった。 森君は無論お冬に同情した。身悶えして泣き狂っている彼女を慰めていたわって、再び挽地物屋の店へ連れて帰った。しかしお冬の家は親ひとり子ひとりで、その親は拘引されている。そのあき巣に娘ひとりを残して置いては、なんどきまた何事を仕出かすかも知れないという不安があるので、森君はお冬を自分の宿屋へ連れて帰って、主人にあらましの訳を話して、当分はここに置いてもらうことにした。 八月十二日の日記はこれで終っている。田島はその翌あさ帰った。それから十九日まで一週間の日記は甚だ簡単で、しかもところどころ抹殺してあるので殆ど要領を得ない。しかしお冬がその日まで森君の宿屋に一緒に泊っていたことは事実である。森君はあまり綿密に日記をつけている暇がなかったらしい。八月二十日以後の日記にはこういう記事が見えた。
二十日、晴。けさは俄かに秋風立つ。午後一時ごろに六兵衛老人は宇都宮から突然に帰って来る。おどろいてきけば、殺人の嫌疑は晴れたる由。老人はその以外には口をつぐんでなんにも言わず。お冬さんは嬉し涙をこぼして自分の家へ帰る。予も一緒に行く。近所の人たちも見舞に来る。めでたきこと限りなし。――夜七時頃にお冬さんがたずねて来て、二時間ほど語りて帰る。夜はもう薄ら寒きほどなり。当分当地に滞在する由をしたためて、東京の兄や友人らに郵書を送る。兄からは叱言が来るかも知れねど是非なし。
二十一、二十二の二日間の日記には別に目立った記事もない。ただ森君がお冬さんと親しく往来していた事実を伝えているのみである。二十三日には折井探偵が再びこの町に姿をあらわしたと書いてある。芸妓の小せんは再び拘引された。それは磯貝から預かっていた金をそのまま着服したことが露見した為である。二十四日は無事。
二十五日、陰。微雨。――宇都宮から田島さん来たる。磯貝殺しの犯人は、鹿沼町の某会社の職工にて、昨夜再び日光の町へ入り込みしところを折井刑事に捕縛されたりという。その職工は小せんの情夫にはあらず、情夫の朋輩にて小牧なにがしという者なり。田島さんの報告によれば、小牧は東京にて相当の生活を営みいたりしが、磯貝の父のために財産を差押えられ、妻子にわかれて流転の末に、鹿沼の町にて職工となりたる也。兇行の当夜は小せんの情夫と共に日光に来たり、ある料理店にて小せんと三人で遊んでいるうちに、小せんは二階から往来をみおろして、あれは東京の磯貝という客だと教えしより、泥酔していた小牧は、むかしの恨みを思い出してむらむらと殺意を生じ、納涼に行く振りをして表へ飛び出し、彼のあとをつけて含満ヶ渕まで行くと、磯貝は誰やらとしきりに言い争っている様子なり。それがいよいよ彼の反感を挑発して、突然に飛びかかって磯貝の咽喉を絞めつけ、そこへ突き倒して逃げ帰りしなりという。 磯貝の言い争っていた男は即ち六兵衛老人なり。老人も磯貝のあとを追っ掛けて、無理無体に含満ヶ渕の寂しいところまで連れて行き、娘を凌辱したる罪を激しく責め、その償いに貴様の命をわたすか、但しはこの時鳥を慈悲心鳥として更に三千円の飼養料を払うかと、腕まくりの凄まじい権幕に談判し、磯貝がこれだけで勘弁してくれと百円ほど入れたる紙入れを突き出したるに、彼は怒ってずたずたに引裂いて捨て、磯貝が更に金時計を差し出したるに、これも石に叩きつけて打毀し、どうでも三千円を渡せと罵るところへ、かの小牧が突然に飛び込みて一言の問答にも及ばず、すぐに磯貝を絞め殺してしまいたり。これには六兵衛も呆気にとられて少しぼんやりと突っ立っていたるが、自分の眼のまえに倒れている磯貝の死骸をみると、彼は俄かに言い知れぬ恐怖におそわれ、掴んでいたる雛鳥を投げ捨てて、これも早々に逃げ帰りしなり。これらの事情判明して六兵衛はゆるされ、小牧は捕わる。まことに不思議の出来事だと田島さんはいう。 真の犯人が逮捕されるまでは、この事件に関する新聞の記事を差止められていたが、あしたからは差止め解禁となって何でも自由にかけると田島さんは大得意なり。記事差止めが解除となれば、あしたからは各新聞紙上にこの事件の真相が詳しく発表せらるるならん。犯人の小牧はもちろん、被害者の磯貝のことも、嫌疑者の六兵衛老人のことも……お冬さんのことも……。田島さんは今夜一泊。
二十六日、雨。けさの新聞を待ちかねて手に取れば、宇都宮の新聞は一斉に筆をそろえて今度の事件を詳細に報道したり。八時頃お冬さんをたずねると、まだなんにも知らない様子なり。言って聞かせるのもあまりに痛々しければ黙っている。田島さんはいろいろの材料をあつめて昼頃に引揚げて行く。雨はびしょびしょと降りしきりて昼でも薄ら寒い日なり。月末に近づきて各旅館の滞在客もおいおいに減ってゆく。いつもながら避暑地の初秋は侘しきもの也。午後四時ごろに再びお冬さんを訪ねんとて、二階の階子を降りて行くと、たった今お冬さんがこの手紙をほうり込んで行ったとて、女中が半紙を細かく畳んだのを渡してくれる。急いで明けてみると、――もうあなたにはお目にかかりません――。
森君の日記には、その後お冬さんについては何も書いていない。いや、書いたらしいが、みな抹殺してあるのでちっとも解らない。しかしお冬さんも六兵衛老人も決して無事ではなかったことは、、九月二日の記事を見ても知られた。
九月二日。きょうは二百十日の由にて朝より暴れ模様なり。もう思い切って宿を発つことにする。発つ前に○○寺に参詣して、親子の新しい墓を拝む。時どきに大粒の雨がふり出して、強い風は卒塔婆を吹き飛ばしそうにゆする。その風の絶え間にこおろぎの声きれぎれにきこゆ。――午前十時何分の上りの汽車に乗る――。
森君が今日まで独身である理由もこれで大抵想像された。森君を乗せた汽車は今ごろ宇都宮に着いたかも知れない。森君の胸には旧い疵が痛み出したかも知れない。わたしは日記の上から陰った眼をそむけた。 今夜の雨はまだやまない。
●表記について
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