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有喜世新聞の話(うきよしんぶんのはなし)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-26 18:22:30 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


     四

 お筆がここから出て行く姿を、お銀がたしかに見届けたとすれば、お筆もこの事件の関係者には相違ないが、果たして男ふたりを毒殺するほどの怖るべき兇行を敢てしたかどうかは疑問であった。さりとて男同士の心中でもあるまい。ほかに書置もなく、手がかりとなるべき遺留品も見あたらないので、警察でもこの事件の真相をとらえるのに苦しんだ。
「お筆という女はどうしてそんなにたたるんでしょう。」と溝口の細君はくやしそうに罵った。「ほんとうに飛んでもない悪魔にみこまれて、娘を殺されて、上林さんを殺されて、矢田さんを殺されて、しまいにはわたし達も殺されるかも知れません。」
 悪魔――あるいはそうかも知れない。お筆という女は、自分のむかしの家を乗っ取られたのを怨んで、悪魔となって入り込んで来たのかも知れないと溝口医師も思った。
 文明開化の世の中にそんな馬鹿なことがあるものかと一方には打消しながらも、お筆が相変らずここらを徘徊して、友之助と吉之助との死についても何かの関係をもっているらしいということが、何だか一種の不思議のように思われてならなかった。こういう場合にはどの人も素人探偵になる。溝口も家内や出入りの者などをいろいろに詮議して、この事件について何かの秘密をさぐり出すことに努力したが、どうも思わしい効果を得なかった。唯そのなかで薬局生の小野の口から一つの新しい事実を聞き出した。
 小野はことし十九で、東京へ出てから足かけ四年になるのであるが、元来が薄ぼんやりしたたちの男で、いつまで経っても山出しの田舎書生であった。その上に一体が無口の方で、これまでなんにも話したことはなかったのであるが、先生から厳重の詮議をうけて、彼はどもりながらこんなことを言った。
「あのお筆さんという人は上林君によほど恋着れんちゃくしていたようです。お嬢さんも上林君を慕っていたようでした。去年の暮れ頃からお筆さんと上林君とはいよいよ親密になって、夜になって上林君が散歩に出ると、そのあとからお筆さんもそっと出て行くことがありました。」
 それを早くに知らしてくれたら、なんとか方法もあったものをと、今更にかれを責めてももう遅かった。又それだけのことを知ったのでは、この事件の謎を解くにはまだ不十分であった。しかしこういうヒントをあたえられて、溝口医師は前後の事情を照らしあわせて、ともかくも一種の推断をくだすことが出来るようになった。
 小野のいう通り、お筆とお蝶とが上林吉之助に恋着していたのは恐らく事実であろう。小野が薄ぼんやりしているを幸いに、若い女たちは薬局へはいり込んで、かなり大胆に振舞っていたかも知れない。こうなると、二人の女のあいだに競争の起るのは当然である。殊にお蝶には両親という味方があって、ゆくゆくは吉之助を婿にしようかという意向のあることを、慧眼けいがんのお筆は早くも覚ったらしい。それを防ぐには何とかしてお蝶を遠ざけてしまう必要がある。お筆はその方法をかんがえているところへ、あたかも矢田友之助から恋をささやかれたので、彼女はそれを巧みに利用して、自分に対する友之助の恋をさらにお蝶に移したのである。
 友之助に対してお筆がなんと言ったか、それは男自身の口から母の前で説明されているが、お蝶に対して彼女がなんと言いこしらえたか、それは判らない。おそらく友之助をあざむいたと同じような口ぶりでお蝶をあざむいたのであろう。それに欺かれたお蝶は勿論あさはかであったに相違ない。お蝶は処女の好奇心から、うかうかとお筆に釣り出されて、自分に恋しているという友之助に招魂社で逢った。両者のあいだに立って、お筆が巧みにあやつったのは言うまでもない。こうして、恋ならぬ恋が不思議にむすび付けられて、友之助の隣りの空家が、二人の逢いびきの場所にえらばれた。かれらはその後もお筆のあやつるがままに動かされていたが、この二つの人形にはさすがに魂がある。形はたがいに結び付けられていても、友之助のたましいはやはりお筆にかよっていた。お蝶の魂はやはり吉之助にかよっていた。
 形とたましいとが離れ離れになっていたところに、この悲劇の根がわだかまっていたらしいが、お筆も魂の問題までは考えていなかったであろう。ともかくもお蝶を友之助に押し付けて、これで自分の競争者を追っ払ったとひそかに祝福していると、さらに友之助の母から自分に対する縁談を持ちかけられた。それはむしろ好機会であると思ったので、お筆はよんどころないような顔をして、お蝶と友之助との秘密をあばいてしまった。それがお銀をおどろかし、溝口夫婦をおどろかして、結局はお蝶と友之助との結婚を早めることになった。秘密が暴露した夜に、友之助が長い手紙をかいていたのは、おそらくお筆にあてたもので、自分たちの秘密をあばいたのを怨んだものか、あるいは自分の魂はいつまでもお筆のふところにはいっていると訴えたものか、又それに対してお筆がどんな返事をあたえたか、あるいはなんにも返事をしなかったか、それらの事情はもちろん判らない。
 いずれにしても縁談はすべるように進行して、結婚の吉日が切迫して来た。小野の話によって想像すると、お蝶の縁談がいよいよ決定すると共に、お筆はもう誰に遠慮することもないという風で、ますます吉之助の方へ接近して行ったらしい。それを見せつけられて、お蝶の胸の火は燃えあがった。しかも友之助にわが身を許してしまったという弱味がある以上、彼女は今更どうすることも出来なかった。彼女はお筆のわなにかかって、自分のほんとうの恋人を横取りされたことをさとったかも知れないが、今となっては恨みを呑んでその勝鬨の声を聞くのほかはなかった。そのうちに結婚の日は眼のまえに迫って来るので、一種の嫉妬と悔恨とに堪えかねて、お蝶はわれと我が若い命を縮めるようになったらしい。死後に父の医師が検査すると、彼女はもう妊娠三ヵ月になっていたのである。
 お蝶の書置は簡単なもので、お筆や吉之助の問題には何にも触れていなかったが、そのいたましい最後はお筆に対して、一種の復讐手段となった。お蝶がとどこおりなしに友之助と結婚すれば、お筆に取っては最も好都合であり、又そうなるのが当然であると信じていたところへ、思いもよらないお蝶の自殺という事件が突発して、お筆は溝口家に居たたまれないような羽目になってしまった。しかしお蝶の死後一ヵ月あまりの間に、彼女は確実に吉之助を自分の物にしてしまったので、思い切ってここの家を立ち退いた。その後お筆は何処にどうしていたか、それはちっとも判らないが、いずれにしても時どきに吉之助をよび出して、どこかで交情をつないでいたらしい。あるいはやはりお銀の隣りの空家を利用していたかも知れない。こうして、三、四、五の三月間をまず無事に送っていたが、いよいよ最後の破滅の時が来た。
 ここまで説明して来て、溝口医師は僕の叔父に言った。
「ここまでは私の推測がおそらくあたっているだろうと思うのですが、さていよいよの最後の問題です。矢田の母はあたかも不在であったので、前後の事情はよく判らないのですが、となりの空家でお筆と吉之助とが密会しているところへ、友之助がそれを発見して踏み込んで行ったのは事実でしょう。さあ、それからがなかなかむずかしい。お筆と吉之助は心中でもするつもりで劇薬を持ち込んだのか、それならば吉之助ひとりが飲むのもおかしい。あるいは吉之助がまず飲んだところへ、突然に友之助が押し込んで来たのか、それにしても、友之助がどうしてそれを飲んだか、飲まされたか。あるいは最初から心中などする料簡ではなく、単に吉之助の持っていた劇薬を、お筆が何かの邪魔になる友之助に飲ませようとして、吉之助もあやまって一緒に飲むような事になったのか、それとも何かの事情から男ふたりを一度に葬るつもりで、お筆が吉之助と友之助とに飲ませたのか、それらの秘密はお筆の白状を待つのほかはありません。したがって、永久の秘密に終るかも知れません。」
「お筆のゆくえはそれっきり知れないのですか。」と、叔父は訊いた。
「それから二、三日の後、有喜世新聞にあの記事が出て、築地河岸で夜網にかかった鯔の腹から破れた状袋があらわれた。その状袋には○之助様、ふでよりと書いてあったというのです。○之助だけでは、吉之助か友之助か判りませんが、差出人の名が「筆」とあるのをみると、どうもあのお筆の書いたものらしく思われたので、念のために京橋の警察へ行って聞きあわせたのですが、肝心の状袋は寿美屋の料理番が捨ててしまったというので、その筆蹟を見きわめることの出来なかったのは残念でした。」
「お筆は身でも投げたのでしょうか。」
「さあ、ふたりの男の死んだのを見て、お筆はそこを抜け出して、築地から芝浦あたりで身を投げた。そうして、帯のあいだか袂にでも入れてあった状袋が流れ出して、かの鯔の口にはいった――と、想像されないこともありません。あるいは単に不用の状袋を引裂いて川に投げ込んだのを、鯔がうっかり呑み込んだ――と、思われないこともありません。警察でも築地河岸から芝浦、品川沖のあたりまでも捜索してくれたのですが、それらしい死体は勿論、何かの手がかりになりそうな品も見付かりませんでした。お筆は死んだのか、生きているのか、それも結局判らずに終ったわけです。警察から静岡の方へも照会してくれましたが、そこには今でも久住弥太郎という士族が住んでいて、その家来の箕部五兵衛は先年病死、五兵衛の娘のお筆というのは親類をたずねて東京へ出たっきりで、その後の便りを聞かない。久住の屋敷は番町のしかじかというところだということで、総てがいちいち符合していますから、お筆の身許に嘘はないようです。してみると、お筆という女は自分の故郷に帰って来て、しかも自分の生れた家のなかでいろいろの事件を仕出来しでかして、そのまま生死不明になってしまったので、まったく不思議な女です。」
 S君の話はこれで終った。

 鯔の腹から状袋が出た――わたしはそれに一種の興味を感じて、その翌日近所の某氏をたずねた。某氏の土蔵の二階には、明治初年の古新聞がたくさんに積み込んであることをかねて知っていたからである。有喜世新聞があるかと訊くと、たしかにある筈だという。そこでだんだん調べてみると、果たして明治十五年五月十八日(日曜日)の有喜世新聞第千三百十号の紙上に、その記事が掲載されていた。その頃の雑報には標題がないので、ぶっ付けにこう書いてあった。

◎鯛を料理 鯉を割きて宝物や書翰を得るは稗史はいし野乗やじよう核子かくしなれどここに築地の土佐堀は小鯔いなの多く捕れる処ゆゑ一昨夜も雨上りに北鞘町の大工喜三郎が築地橋の側の処にて漁上とりあげたのは大鯔にて直ぐに寿美屋の料理番が七十五銭に買求め昨朝庖丁した処腹の中から○之助様ふでよりと記した上封うわふうじが出たといふがモウ一字知れたら艶原稿の続きものにでもなりさうな話。

 これでS君の話の嘘でないことが証拠立てられた。それと同時に、かのお筆という女のゆく末が知りたくなったが、何分にも今から四十年以上の昔のことであるから、その筋の本職の人ならば知らず、われわれ素人にはとうてい探索の方法を見いだし得られそうもない。





底本:「蜘蛛の夢」光文社文庫、光文社
   1990(平成2)年4月20日初版1刷発行
初出:「文藝倶楽部」
   1925(大正14)年8月
入力:門田裕志、小林繁雄
校正:花田泰治郎
2006年5月7日作成
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