三
お銀はその夜はおちおちと眠られなかった。あくる朝、再びせがれを自分の前によび付けて、この解決をどうするつもりかと詰問すると、友之助はただ恐れ入っているらしく、別にはかばかしい返事もしなかった。しかし昔気質のお銀としては、ひとの娘をきず物にして唯そのまま済むわけのものではないと思った。殊に自分がそれを知った以上、なおさら捨てて置くわけにはいかない。ともかくも溝口の奥さんに逢って、その事情を一切うちあけて、自分のせがれの不埒を詫びた上で、あらためて今後の処置を相談するよりほかはないと一途に思いつめたので、お銀はせがれが役所へ出勤したのを見とどけて、すぐに奥の家主をたずねた。 それについて、溝口医師は僕の叔父にむかって、こう話したそうである。 「あの一件はわれわれがまったく無考えでした。矢田の母がたずねて来たときは、わたしは急病人の往診をたのまれて不在でしたが、家内も矢田の母からその話をきかされて、寝耳に水でびっくりしたそうです。なにしろお蝶はまだ十七で、ほんとうの子供だと思っていたのですからね。勿論、家内の一存でどうすることも出来ない。矢田の母はむかし気質の物堅い人ですから、涙をこぼしてあやまって帰ったそうです。それから家内はすぐ娘をよび付けて詮議すると、娘は唯泣くばかりで何にも言いません。しかしそれを否認しないのを見ると、まったく覚えのあることに相違ない。実をいうと、この春からわたしの家に来ている上林吉之助は、人間も悪くないし、学問の成績もよし、殊に次男でもありますから、もう少しその成行きを見届けた上で、お蝶の婿にしようなどと、家内と内々相談をしていたのですが、もうこうなっては仕様がありません。ひとり娘を嫁にやるのは困るのですが、今更そんなことを言ってもいられないので、わたしは家内と相談して、思い切ってお蝶を矢田の家へやることに決めました。無理に生木をひきさいて、それがために又なにかの間違いでも出来て、結局は新聞の雑報種になって、近所隣りへ来て大きい声で読売りでもされた日には、飛んだ恥さらしをしなければなりませんから、家内にも因果をふくめて、とうとうそういうことに決めてしまったのです。 矢田も悪い人間ではないのですが、月給は十五円か十六円の安官員で、それが家内の気に入らないようでしたが、くどくもいう通り、もうこうなっては仕様がないと諦めさせて、あらためて家内から矢田の母に挨拶させると、こちらの不埒を御立腹もなくて、ひとり娘のお嬢さんをわたくし共のところへお嫁に下さるとは、まことに相済まないことでございますと言って、矢田の母は又もや涙をこぼして喜んだそうです。そこで、ことしももう余日がないので、来春になったらばいよいよお蝶を輿入れさせるということに取りきめて、まずこの一件も一埒明いたのでした。しかし物事にはすべて裏の裏がある。その詮索をおろそかにして、ただ月並の解決法を取って、それで無事に納まるものと思い込んでいたのは、まったくわれわれの間違いであったということを後日になって初めてさとったのです。」 こう決めた以上は、もとより隠すべきことでもないので、溝口家ではその年の暮れから婚礼の準備に取りかかった。溝口の細君は娘を連れて、幾たびか大丸や越後屋へも足を運んだ。そうしたあわただしいうちに年も暮れて、ことしは取り分けて目出たいはずの明治十五年の春が来た。二月の紀元節の夜にいよいよ婚礼ということに相談が進んで、溝口矢田の両家ではその準備もおおかた整った一月二十九日の夜の出来事である。やがて花嫁となるべきお蝶が薬局の劇薬をのんで突然自殺した。もちろん商売柄であるから、溝口もいろいろに手を尽くして治療を加えたが、それを発見した時がおくれていたので、お蝶はどうしても生きなかった。 婿と嫁と、この両家のおどろきは言うまでもない。婚礼の間ぎわになってお蝶がなぜ死んだのか、その子細は誰にも判らなかった。どの人もただ呆れているばかりで、暫くは涙も出ないくらいであったが、なんといってももう仕方がないので、溝口家からは警察へも届けて出て、正規の手続きを済ませてお蝶の亡骸を四谷の寺に葬った。溝口家からは警察にたのんで、事件を秘密に済ましてもらったので、お蝶の死は幸いに新聞紙上にうたわれなかった。 お蝶は一通の書置を残していたので、それが自殺であることは疑うべくもなかったが、その書置は母にあてた簡単なもので、自分は子細あって死ぬから不孝はゆるしてくれ、父上にもよろしくお詫びを願いたいというような意味に過ぎなかった。したがって、死ななければならない子細というのはやっぱり不明に終ったのである。それはそれとして、彼女の死が周囲の空気を暗くしたのは当然であった。矢田の母は気抜けがしたようにがっかりしてしまった。友之助もやけになって諸方を飲みあるいているらしく、毎晩酔って帰って来た。溝口の細君も半病人のようにぼんやりしていた。 こうなって来ると、誰からも好い感じを持たれないのはかのお筆という女の身の上で、彼女がお蝶と友之助とを結びあわせた為に、こんな悲劇が生み出されたらしくも想像されるのであった。お蝶の死因がはっきりしない以上、みだりにお筆を責めるわけにもいかないのであるが、そんな取持ちをしたというだけでも、彼女は良家の家庭に歓迎されるべき資格をうしなっていた。可愛い娘に別れてややヒステリックになっている溝口の細君は、お筆を放逐してくれと夫に迫った。 「あんな女を家へ入れた為にお蝶も死ぬようになったのです。一日も早く逐い出してください。」 それがお筆の耳にもひびいたとみえて、彼女は自分の方から身をひきたいと申し出た。しかし何処かに奉公口を見つけるまでは、どうかここの家に置いてくれというのである。それは無理のないことでもあり、今さら残酷に逐い出すにも忍びないので、溝口も承知してそのままにして置くと、お筆は矢田の母のところへ行って、どこにか相当の奉公口はあるまいかと相談したが、彼女を憎んでいるお銀は相手にならなかった。お筆はさらに近所の雇人請宿へ頼みに行ったが、右から左には思わしい奉公口も見いだせないらしく、二月の末まで溝口家にとどまっていた。 「お筆さんもずうずうしい。まだ平気でいるんですかねえ。」 細君が夫にむかって彼女の放逐をうながす声がだんだんに高くなるので、お筆も居たたまれなくなったらしく、三月のはじめ、お蝶の三十五日の墓参をすませると、いよいよ思い切って溝口家を立去ることになったが、その行く先をはっきりと明かさなかった。 「今度の奉公先は一時の腰掛けでございますから、いずれ本当におちつき次第、あらためてお届けにあがります。」と、お筆は言った。 いささか不安に思われないでもなかったが、溝口もその言うがままに出してやった。そのころの習いで、幾らかの食雑用を払えば請宿の二階に泊めてくれる。お筆も一時そうした方法を取って、奉公口を探すのではあるまいかと溝口は想像していた。 お蝶は死ぬ、お筆は去る。溝口家では俄かに二つの花をうしなった寂しさが感じられた。一方の男ふたりは無事で、友之助は自棄酒を飲みながら、相変らず役所へ勤めていた。吉之助はとどこおりなく学校にかよっていた。この年の五月はとかく陰り勝ちで、新暦と旧暦を取り違えたのではないかと思われるような五月雨めいた日が幾日もつづいた。その二十三日の火曜日の夜である。きょうは友之助がめずらしく早く帰ったので、お銀は夕飯を食ってから平河天神のそばに住んでいる親類をたずねた。久し振りの話が長くなって、午後九時ごろにそこを出ると、暗い空から又もや細かい雨がふり出して来た。前にもいった通り、番町辺は殊に暗いので、お銀は家から用意して行った提灯のひかりを頼りに、傘をかたむけて屋敷町の闇をたどってくると、向う屋敷の大銀杏が暗いなかにもぼんやりと見えた。 お銀のとなりの家は今も空家になっている。おととしの暮れに一旦借手が出来たが、その人はどうも陰気でいけないとかいって、去年の六月に立去ってしまった。その後にも二、三人の借手が見に来たが、どれも相談がまとまらなかった。 「高い声では言われませんけれど、どうもお家賃が高うござんすからねえ。」と、車夫の女房はお銀にささやいたことがある。 陰気でいけないのか、家賃が高いのか、いずれにしても隣りの貸家はその後もやはり塞がらなかった。しかしこの時代にはどこにも空家が多かったので、たとい小一年ぐらいは塞がらずにいても、誰も化物屋敷の悪い噂を立てる者もなかったのである。友之助もこの空家でお蝶に逢っていたことをお銀はあとで知った。 その空家が眼のまえに近づいた時、お銀はひとつの黒い影が音もなしに表の格子から出て来たのを認めた。すこし不思議に思って提灯をかざしてみると、その影は傘をかたむけて反対の方角へたちまちに消えて行った。そのうしろ影が、かのお筆によく似ているとお銀は思った。 自分の家へはいると、留守をしている友之助のすがたは見えなかった。二、三度呼んだが、どこからも返事の声はきこえなかった。もしやと思ってお銀は表へ出て、となりの空家をあらためると、錠をおろしてある筈の格子がすらりと明いた。なんだか薄気味が悪いので、内へ引っ返して提灯をとぼして来て、沓ぬぎからそっと照らしてみると、ひとりの男が六畳の座敷に倒れていた。いよいよ驚いて表へ飛び出して、門のそばの車夫の家へ駈け込むと、元吉は丁度居合せたので、すぐに一緒に出て来た。 座敷のまんなかに倒れているのは上林吉之助であった。そればかりでなく、矢田友之助が台所に倒れていた。友之助は水を飲もうとして台所まで這い出して、そのまま息が絶えたらしい。亭主のあとから怖ごわ覗きに来た元吉の女房は、ふだんのおしゃべりに引きかえて、驚いて呆れて声も出せなかった。お銀は夢のような心持で突っ立っていた。 元吉の注進をきいて、奥の溝口家からも皆かけ出して来た。溝口医師の診察によれば、かれらもお蝶とおなじ劇薬をのんだもので、もはや生かすべき術もなかった。家内を残らずあらためたが、別に怪しむべき形跡も見いだされないので、かれら二人がどうして死んだのか、その子細はちっとも判らなかった。 「あいつです、あいつです。きっとあいつが殺したのです。」と、お銀は泣きながら叫んだ。「わたしが今帰って来たときに、ここの家からぬけ出して行ったのは確かにお筆でした。」 お筆の名を聞いて、人びとも又おどろいた。
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