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富士(ふじ)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-26 8:09:48 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 山の頂は二つに岐れていた。尋常な円錐形の峯に対し、やや繊細かぼそく鋭い峯が配置よく並び立っている。この方は背丈けは他より抽んでているが翁には女性的に感じられる。翁はこの山には人身の岳神が住み守ると聞いたが、それにしたら、その岳神は結婚していて、恐らくその妻は良人より年長のいわゆる姉女房であるであろうと山占いをした。
 東国の北部の平野は広かった。茅草ちがや・尾花の布きなびく草の海の上に、ならはりの雑木林が長濤のようにうち冠さっていた。榛の木は房玉のような青い実をつけかけ、風が吹くと触れ合ってかすかな音を立てた。丸く見渡せる晴れ空をしら雲が一日じゅうゆるくわたって過ぎた。
 その山は北の方から南へ向けて走る大きな山脈の、脈端には違いないのだが、繋がる脈絡の山系はあまりに低いので、広い野に突禿とつとくとしてもたげ出された独立の山塊にしか見えない。母体の山脈は、あとに退き、うすれ日に透け、またはむれ雲の間から薔薇色に山襞やまひだを刻んで展望図の背景を護っていた。
 平野のどこからも眺められるその山は、朝は藍に、昼はよもぎ色に、夕は紫に色を変えた。山の祖神の翁は、夕の紫の山をいちばん愛した。
 翁が、草のしとねに座って、しずかにその暮山を眺めやるとき、山のむらさきから、事実、ほのかで甘く、人に懐き寄る菫の花の匂いを翁の嗅覚は感じた。
 翁は眼を細めて
「山近し、山近し」
 と呟いた。
 その言葉は、翁が福慈神に近付くとき胸に叫んだと同じ言葉ではあるが、翁はただ呟いただけで山に急ぐこころは無かった。その山は急いで近寄らなければ様子が判らないというような山容ではなかった。離れて眺めているだけでも懐しみは通う山の姿、色合いだった。むしろ近付いたら却って興醒めのしそうな懸念もある遠見のよさそうな媚態びたいがこの山には少しあった。
 広野の中に刀禰とねの大河が流れていた。こも水葱なぎに根を護られながら、昼は咲き夜は恋宿こいするという合歓ねむの花の木が岸に並んで生えている。翁はこの茂みの下にしばらく憩って、疲れを癒やして行こうと思った。何に疲れたのか。もちろん旅の疲れもある。しかしもっと大きいのは娘に対する疲れであった。
 福慈岳で女神の娘と訣れてから旅の中にすでに半歳以上は過ぎた。訣れは憤りと呪いを置土産にいで立ったものの、渡海の夜船の雨泊中に娘の家の庭から拾って来た福慈岳の火山弾を取出してみて、それが涙痕の形をしており、魚の形をしており、また血の色をしているところから福慈岳神としての娘の苦労を察し、決意のほどもほぼうかがえた。それにつれて一時それなりにし去れたと思えた娘の主張が再び心情を襲うて来て、手脚の患い以上に翁を疲らすのであった。
 娘のいったことは自然の意志としたならあまりに生きて情熱に過ぎている。もちろん人間の考えだけであれだけの超越の霜は帯ばれない。娘はいのちということをいったがそれは自然と人間を合せて中から核心を取出したそのものをいうのであろうか。翁は今までの生涯に生きとし生けるものの逃れず考えることは生活と幸福と生死ということであると思っていた。そしてこれ等のことは人間が山に冥通する力を得て二つの山の岳神となり得たとき総ては解決されるとまた思っていた。山の生活、山の幸福、そこに何一つ充ち足らわぬものがあろうか。命終せんとして雲に化しいわおに化す。そこに生死を解脱げだつして永世に存在を完うしようとする人間根本の欲望さえ遂げ得られるのではないか。
 それに引代え娘はいくたたびの生死を語り、その生死毎に苦悩と美への成長を語り、生活とも幸福ともいわない。いてそれらしいものを娘の言葉の中から捕捉するなら娘がいったいくたたびか迎える辛くも新鮮な青春、かくてついに老ゆることを知らずして苦しくも無限に華やぎ光るいのち。娘にしたらこれをこう生活とも幸福ともいうのだろうか。おう!
 山と人間を冥通するところの力に座して世に経るを岳神という。岳神も神には神である。だがこの程の生き方を望もうとも経られようとも思わぬ。
 それは人界の理想というものに似ている。現実に遠く距るほど理想である。しかもあの娘はその遠く距るものを現実にけ生かそうとするものではなかろうか。
 娘は祭の儀を説いて神の中なる神に相逢うといった。
 思えば思うほどひとり壁立万仭ばんじんの高さに挺身ていしんして行こうとする娘の健気けなげな姿が空中でまぼろしと浮び、娘の足掻あがく裳からはうら哀しいしずくが翁の胸にしたたって翁を苦しめた。
 取り付きようもない娘の心にせめて親子の肉情を繋ぎ置き度い非情手段から、翁はのろいという逆手ぎゃくてで娘の感情に自分を烙印らくいんしたのだったが、必要以上に娘を傷けねばよいが。
「どうしたらいいだろうなあ」
 山の祖神の翁は螺の如き腹と、えび蔓のように曲がった身体を岸のくさむらもたせて、ぼんやりしていた。道々も至るところで富士の嶺は望まれたが見れば眼が刺されるようなので顧ってみなかった。
 岸の叢の中には、それを着もののひもにつけると物を忘れることができるという萱草わすれぐさも生えていたが、翁はそれも摘まなかった。せめて悩んでいてやることが娘に対する理解の端くれになりそうに思えた。
 前には刀禰とねの大河が溶漾ようようと流れていた。上つ瀬には桜皮かにわの舟に※(「楫+戈」、第3水準1-86-21)おがいを操り、藻臥もふじ束鮒つかふなを漁ろうと、狭手さで網さしわたしている。下つ瀬には網代あじろ人が州の小屋にこもって網代にすずきのかかるのを待っている。
 翁はときどき、ひょんなところで、ひょんな憩い方をしていると、苦笑して悩みつつある一人ぼっちの自分を見出すのであったが、なかなか腰は上げにくかった。
 東国のこのわたりの人は言葉や気は荒かったが、根は親切だった。餓えて憩っている老翁のために魚鳥の獲ものの剰ったのを持って来て呉れたり、菱の実や、黒慈姑えぐを持って来て呉れたりした。雨露を凌ぐこもの小屋さえ建てて呉れた。
 昼は咲き夜は恋宿こいするという合歓の木の花も散ってしまった。翁は寂しくなった。翁がこの木の下にしばし疲れを安めるために憩うたのは、一つは、葉の茂みの軟かさにもあるのだろうが一つは微紅とき色をした房花に、少女として自分の膝元に育て上げていた時分の福慈の女神の可憐な瞳の面かげを見出していたのではあるまいか。ぱっと開いてしかも煙れるような女神の少女時代の瞳を、翁は娘の成長に伴う親の悩みに悩まされるほど想い懐しまれて来るのだった。
 刀禰とねの流れは銀色を帯び、渡って来た、秋鳥も瀬のに浮ぶようになった。筑波山の夕紫はあかあかとした落日に謫落たくらくの紅を増して来た。稲の花の匂いがする。
「山近し、山近し」
 山の祖神の翁は今は使い古るしになっているこの言葉を呟いた。そしてやおら立上った。その山は確に葉守はもりの神もいそしみ護る豊饒な山に違いない。そしてまた、そこに鎮まる岳神も、かつて姉の福慈の女神と共に、東国へ思い捨てたわが末の息子が成長したものであろうという予感は沁々しみじみとある。それでいてなお急ぐこころは湧き出でない。
 河口に湖のようになっている入江の秋水に影をひたすその山の紫をもう一度眺め澄してから翁は山に近付いて行った。

 山麓ふもとの端山の千木ちぎたかしる家へ山の祖神の翁は岳神を訪ねた。
 一年は過ぎたが不思議とその日は翁が福慈岳の女神を訪ねたと同じ頃で、この辺の新粟を嘗むる祭の日であった。岳神の家は幄舎あくしゃに宛てられていた。神楽かぐらの音が聞えて来る。
 山の祖神の予感に違わず、この筑波の岳神は、自分の息子の末の弟だった。
 しかし息子は、父親の神の遥々の訪れをそれと知るや、直ちに翁を家の中へ導き入れ、紹介ひきあわせたその妻もろとも下へも置かない歓待に取りかかった。そうしながら祭の儀も如才じょさいなく勤めた。
 その妻は翁の山占い通り、いささか良人より年長で良人の岳神を引廻し気味だった。彼女はいった。
「ふだん、どんなにか、お父上のことを二人して語り暮らしておりましたことでしょう。有難いことですわ。これで親孝行をさして頂けますわ」
 家の中のいちばんよい部屋を翁のために設けて呉れた。この山にるものの肥えて豊なさまは部屋の中を見廻しただけでも翁にはすぐそれと知れた。
 黒木の柱、梁、また壁板の美事さ、結んでいる葛蔓の逞しさ、簀子すのこの竹材の肉の厚さ、翁は見ただけでも目を悦ばした。敷ものの獣の皮の毛は厚く柔かだった。
 壁の一側に※(「木+若」、第3水準1-85-81)しもとづくえを置き、皿や高坏たかつきに、果ものや、乾肉がくさぐさに盛れてある。一甕の酒も備えてある。
 狩の慰みにもと長押なげしに丸木弓と※(「たけかんむり/録」、第3水準1-89-79)やなぐいが用意されてあった。
 息子の夫妻は朝夕の間候を怠らず、食事どきの食事はいつも饗宴のような手厚さであった。
 息子夫妻のそつの無い歓待振りはまことに十二分の親孝行に違いなかった。普通にいえばこれで満足すべきであろう。だが父の祖神の翁には物足りないものがあった。
 息子夫妻が父の祖神の翁に顔を合すとき、大体話は山の生産の模様、山民の生活の状況、それ等をたばねて行く岳神としての支配の有様、そのようなものであった。それは誰が聴いても円満で見上げたものであった。山民間に起った面白そうな出来事を噂話のように喋っても呉れた。だが、それだけだった。
 親子関係を離れて誰に向っても話せる筋合いの事柄ばかりである。折角、親子がたまにめぐり合うのは、もっと心情に食い込んだ、親子でなければできないという気持の話はないものか。人知れない苦労というものが息子の岳神にはないのか、囁いて力付けて貰ったり、慰めて貰ったりしたい秘密性の話はないのか。
 気を付けてみるのに、息子の岳神のこの公的な円満性は、妻に対してでもそうであった。
 夫妻はむつまじくて仲が良い。良人を引廻し気味に見える才女の姉女房も、良人を立てるところには立派に立てた。岳神の家としての事務の経営は少しの渋滞もなく夫妻共に呼吸は合っている。それでいて何となく夫妻の間に味がない、お人良しでしかも根がしっかり者の良人の岳神が少しにやにやしながら、
「働けそうな女なので、共稼ぎにはいいと思いましてね、この奥地の八溝やみぞ山の岳神の妹だったのをもらって来ましたのです。これでも求婚の競争者が相当ございましてね」
 という意味のようなことを話しかけると、妻は
「まあまあ、そんなお話、どうでもいいじゃございませんか」
「それよりかまだ山の中でおとうさまがお見残しのとこもございましょう。幸いよい天気でございますから、あなたご案内して差上げたら」
 と、とかくに事物の歓待の方へ気を利かして行くのであった。
 翁の方からは何もいい出せなかった。いい出せる義理合いではないと翁は思っていた。すでに東国へ思い捨てた子である。それが自力でかかる豊饒な山の岳神ともなっていて呉れてるのだから何もいうことはない。山の祖神としては、この分身によって自分にも豊かさという性格を附け加え得られ、眷属けんぞくの繁栄を眼に見ることである。感謝すべきだ。
 姉娘に対してはとかく恋々たる山の祖神の翁も弟の岳神に対してはどういうものかこの点は諦めがよかった。
 ただ一言この弟の岳神の口から聞かして貰い度いのは姉娘の福慈岳の女神の批評だった。翁はそれを聞いて、もし悪罵あくばの声でも放って呉れるなら不思議に牽かれる娘の女神への恋々の情を薄めてでも貰えるようにさえ感ずるのだった。
 翁はここに於てはじめて姉娘に就いての口を切った。
「来る道で、実は福慈岳へも寄ってみたよ」
 弟の岳神は顔の色も動かさず
「それは何よりでございました。姉さんもお歓びでございましたでしょう」
「ところが生憎あいにくと祭の日だったのでね。泊めて貰うこともできなかったよ」
 翁はこういって弟の岳神の顔を見た。弟はうなずいたが声はあっさりしていた。
「そりゃお気の毒なことでございました。あちらはこちらと違って諸事、厳しいところもございましょう」
 翁はいらだつように訊いた。
「おまえ等は、福慈とは交際つきあっていないのかい」
 すると弟の岳神は言訳らしく
「なにしろ自分の持山のことで忙しく、ついついご無沙汰をしております」
 そのとき岳神の妻が傍から、ちょっと口を入れた。
「前にはお姉さまのところへも、ときどき伺ってみましたのですが、ああいうお偉い方のことですから、すぐこっちに話の接穂つぎほが無くなってしまう場合も多く、それにああいうご勉強家のことですから、お邪魔しましても、何かお妨げするような気もいたしますので、ついついご無沙汰勝ちになってしまったのでございますわ」
 それからちょっと間を置き、
「ずいぶん、普通の女の子とは変っていらっしゃいますわね」
 その言葉につれて良人の岳神も
「どういうものか、あの人の前へ出ると、威圧される気がするところから、つい心にもない肩肘の張り方をしてしまう。どうも姉弟ながらうち解けにくい」
 とこぼした。
 山の祖神が息子夫妻から衷情を披瀝したらしい言葉を聴いたのは、この姉娘に対する非難めく口振りを通してだけだった。
 山の祖神はこれを聴くと、息子夫妻と一しょになって姉娘を非難したい気持なぞは微塵みじんもなくなった。腹の中で、「この平凡な若夫婦に、何であの福慈の女神のことなぞが判るものか」と想いながら、こういう言葉で姉娘に関る話は打切りにした。
「なに、あれで、なかなか女らしいところもあるんだよ」と。

 この山は人間がなじみ易い山だった。水無みなの川を越えて山腹にかけ山民の部落があった。石も多いがしかしそれに生え越して瑞々みずみずと茂った、赤松、もみ山毛欅ぶなの林間を抜けて峯と峯との間の鞍部に出られた。そこはのびのびとしていて展望も利いた。
 二つに分れている峯にはどちらにも登れた。岳神の息子夫妻の象徴のように一方は普通の峯かたちで、一方はいくらか繊細きゃしゃで鋭くけも高かった。山の祖神の老いの足でも登れた。

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