「この大地は、島山になっております。蜻蛉の形をしたこの島山の胴のまん中に、岩と岩との幅広い断れ目の溝があって、そのあわいから、わたくしは生い立たせられつつあるのを見出したのでした」 西の海を越えて、うねって来た二つの大きな山の脈系、それは島山の胴の裂け目を界にして南北に分けられる。そのおのおのには、内側のものと外側のものとの脈帯の襞が違っている。それすら、複雑蟠纏を極めているのに、下より突き上げ上から展し重なるよう、十一の火山脈が縦横に走る。 かくて、この島山は、潮の海から蜻蛉型に島山の肩を出すことが出来たのであった。重ね重ねの母胎の苦労である。その上、重く堅い巌を火の力により劈き、山形にわたくしを積み上げさせたということは、仇おろそかのすさびに出来る仕事ではない。非情の自然が、自らその頑な固定性に飽いて、抗い出た自己嫌悪の旗印か、または非生の自然に却って生けるものより以上の意志があって、それを生けるものに告げようとする必死の象徴ででもあるのであろうか。 あるべきもののある理由は、そのものになり切ったものにしてはじめて頷けるほど、深刻なものであるのであった。山一つさえその通り―― 「まだそのときのわたくしは、きしゃな細火を背骨にし、べよべよ撓るほどの溶岩を一重の肋骨として周りに持ち、島山の中央の断れ目から島地の上へ平たく膨れ上っただけの山でした」 世の中は、ただうとうとと、あま葛の甘さに感じられた。ただひとりぽっちが寂しかった。 幼い青春が見舞った。「環境」と「誰」を感じた。突き上げて来た物恋うこころ。自らによって他を焼き度く希う情熱をはじめて自分は感じた。 自分は眩暈がして裂けた。息を吹き返して気が付いたときに、自分は見る影もない姿に壊れていた。胸から噴き流れて凝った血が、岩となって二枚目の肋骨としてまわりに張っていた。 自分は泣く泣く砂礫を拾って、裸骨へ根気よく肉と皮を覆うた。 しばらく、爽かで湛えた気持の世の中が見廻わせた。自分は第二の青春を感じた。 同じく物恋うるこころ、それには、「疑い」と「恥かしさ」が、厚い殻となって冠っていた。それをしも押しのけて、自らによって他を焼き尽そう情熱、自分はまたしても眩暈いがした。裂けた。息を吹き返して気が付いたときに、自分は醜い姿に壊れていた。けれども自分の胸から噴き流れて凝った血は、三枚目の肋骨となって、まわりに張っていた。自分は泣く泣く砂礫を拾って裸骨へ根気よく砂礫の肉と皮を覆った。 しばらく、物憂く、嫉たく、しかも陽気な世の中が自分に見えた。自分は娯しい中に胸迫るものを感じ続けて来た。 第三の青春を感じた。 同じく物恋うるこころに変りはないけれども、自分はそれにも増して、「知る」ということの惧ろしさとうれしさを始めて感じ出した。これほどに壊れても裂けても、また立上って来る自分。蘇っては必死に美しさに盛返そうとするちから。これは一体何だろう。他と競いごころを起すこの自分は一体何だろう。自分を自分から離して、冷やかに眺めて捌き、深く自省に喰い入る痛痒い錐揉みのような火の働き、その火の働きの尖は、物恋うるほど内へ内へと執拗く焼き入れて行き、絶望と希望とが膜一重となっている胸の底に触れたと思ったとき、自分はまた裂けた。蘇って壊れた自分を観ると、そこにはまた第四の肋骨が出来上っていた。 自分はそれに砂礫の肉と皮をつけた。 しばらく、明暗が渦雲のように取り組む世の中に眺められる。自分を剖き分けて、近くへ寄ってみれば、焼石、焼灰の醜い心と身体、それは自分ながら吐き捨ててしまい度いようである。けれども、やっと取り纏めて、離れて眺めみれば、芙蓉のように美しく、「誰」を魅する力があるもののようでもある。それにつれて、希望という虹がうつらうつら夢みられて来る。 美しくも力強い希望。だが果して、その希望を実現し得られる力が自分の中にあるのだろうか。その力としてありそうに思える火の背梁だけは確に逞しくなっている。 しかしまたこの大きな虹のような希望を捉えようと考え出したことがおおそれた想いのようでもあり、身体に激しい慄えが来る。かくてまたもや自分は裂けた。 「わたくしは只今、最初から数えて八枚目の肋骨まで出来ております。わたくしの身体の根は、この島山の北の海岸にひき、また南は遠い南の海の硫黄を吐く島までひいています。わたくしの身体の続きの上で同じく火を吐く幾つかの眷属。この島山に小さいながらも姿は等しい三十余の山々。それ等はみなわたくしを母のようにしております。わたくしに較ぶ山はございません。わたくしは確かに選まれたという自覚を今更どう取り消しようもございません。それにつれて、幼ない競い心も除かれました。選まれたということの孤独の寂しさ、また晴れがましさ、責任の重苦しさと権利の娯しさ。 ですが、折角ここまで育ち上ったものに、またもや成長の破壊が来て、これからさき何度も死ぬような思いをするのはまだしものこと、女の身として、一度々々あの醜さになるのを自分の眼でまざまざと見なければならないということは、考えてもぞっといたしますわ」 可哀そうに唖のような自然、それでいて、意志だけは持っている。その意志を人によって表現したがっている。一体、人というものは懶けもので、小楽をしたがる性分である。驚異を与えないでは動かない。この島山に住む人は、山のわたくし同様、驚異でいのちに傷目をつけられ、美しさにいのちの芽を牽出され、苦悩に扱かれて、希望へと伸び上がらせられなければならない。 「わたくしは、それを人に伝えるために選まれました。 父よ。あなたが、山の神の眷属としてわたくしを、ただ眷属中での褒められ者として育つのを望んだ娘は、この福慈岳に籠れる選まれた偉大ないのちの中に綯い込められ、いまや天地大とも久遠劫来のものとなってしまいました。いまや娘はあなたの望まれる程度に程良くなることも、娘子として可愛らしくあることも出来ません。それはどんなにか悲しいことでしょうが、運命です。仕方ありません。おとうさま、あなたはもう一度娘を東国へ思い捨てた気持になって、わたくしを思い捨てて下さい。さあ、暁が白みかけました。わたくしは、暁の祭りにいそしまねばなりません。早く、取って差上げた村の宿屋へおいでになって、お寝って下さいまし。いつでもそうしておいでては身体にお毒ですわ。あしたは、もっとゆっくり、これに就てのお話も出来ましょうから」 「わしゃ、偉大なものへ生命を賭けることは大好きなのじゃよ。わしは最愛のこどもでそれをした。その愛別離苦の悲しみや壮烈な想いで、わしの腸はこんなに螺の貝のように捻じ巻いたのじゃないか」と山の祖神の翁は負けん気の声を振り立てていった。「だが、親子の縁は切り度くないもんじゃよ」 とその言葉の下から縋り声で寄り戻した。 「あなたは生みの親、わたくしのいのちの親は、このあめつちと、この島山の人々。もはやあなたとわたくしを継ぐとか切るとかいうせきは放れております」と女神は淡々としていった。 「あなたが、わたくしを思い捨てなさるほど、わたくしはあなたに親しい愛娘になりましょう。その反対に、あなたが一筋でも低い肉親の血をわたくしにおつなぎのつもりがあったら、それは却ってわたくしから遠ざかりなさることになるのです。お判りになりませんか」 「わしが、おまえを東国へ思い捨てた歳からいま娘になるまでの歳月を数えてみるのに、いくら山の神々の歳月は人間の歳月と違うにしろ、数えて額が知れている。それを何十万年何百万年の生い立ちの話をするなんて、あんまり親をばかにし過ぎるぞ。……いくらこの山の座り幅が広いたって、三国か四国に亙っているに過ぎまい。それを海山遠く取入れた話をするなんて、あんまり大袈裟だぞ。女の癖に」 山の祖神のこういうたしなめ方に対し福慈の女神はもう何ともいわなかった。 「おい、娘、何とかいわんかい」 と催促されてもうそ寒そうに袖の中に手を入れ合して立っているだけだった。 山の祖神は 「こいつ氷のように冷たいおなごじゃねえ」 といった。 「よし、きさまがそういう料簡なら、こっちにもこっちの料簡がある」 といい放った。 山の祖神の翁に、噎返るような怒りと愛惜の念、また、不如意の口惜しさ、老いて取残されるものの寂しさがこもごも胸に突き上げて来た。 翁はじっとしていられなくなって廻された独楽のように身体のしん棒で立上った。娘をはたっと睨み、焦げつく声でいった。 「よし、こうなったら、やぶれかぶれ。おれはきさまを詛ってやる。金輪際まで詛ってやる。今更、この期になってびくつくまいぞ」 娘の冴えまさる美しい顔を見ると、その毒心もつい鈍るので翁は眼を娘から外らしながら声を身体中から振り絞るべく、身体を揉み揺り地団太踏みながら叫んだ。 「福慈の山、福慈の神、おまえは冷たい。骨の髄に浸みるまで冷たい。えい、冷たいままで勝手におれ、年がら年中冷たい雪を冠っておるのがいいのさ。草木も懐かぬ裸山でおれ。凍るものから、餌食を見出して来やがれ」 ぺっぺっぺっと唾を三度、庭に吐き去りかけたが、ふとそこに落ちている小石の一つを拾って手早く懐に納め、 「ざまを見よ。やあいやあい」 といって出て行った。 この山の祖神の福慈の神に対する呪詛の言葉を常陸風土記では、 汝所レ居山、生涯之極、冬夏雪霜、冷寒重襲、人民レ不登、飲食勿レ奠者 という文字で叙している。またこれにより富士は常に白雪を頂き、寒厳の裸山になったのだ、と古常陸地方の伝説は構成している。
東国へ思い捨てたこどもに邂逅う望みを、姉の福慈岳の女神に失望した山の祖神は、せめて弟に望みを果し度いものだと、なおも東の方を志して尋ね歩るき出した。姉に訊いたら、あるいは消息を知ったかも知れないが、薄情を怒るどさくさ紛れに、つい訊くのを忘れたのを今更残念に思うものの、取って返して訊き直すこともならない。山の祖神の翁は行き合う人に訊ねることを唯一の手がかりにしてひたすら東の方にある山を望んで足を運ばせた。 行糧の料はすでに尽き、衣類、履ものも旅の責苦に破れ損じた。この身なりで物乞うては餓を満たして行く旅の翁を誰も親切には教えて呉れなかった。 足柄の真間の小菅を踏み、箱根の嶺ろのにこ草をなつかしみ寝て相模へ出た。白波の立つ伊豆の海が見ゆる。相模嶺の小嶺を見過し、真砂為す余綾の浜を通り、岩崩のかげを行く。 東の国へ行くには二手の道があった。一つは山寄りの道を辿るのと、一つは海を越えて廻って行く道とであった。 山寄りの道を行く方が山の岳神を探すに便利は多いようなものの、それ等の山は多く未開の山で、ちょっと人に訊いただけでも、山の主は、百足であるとか、猿であるとか、鷲であるとか、気の利いた山の神ではなかった。これでは訪ねずとも判っている。翁は身に疲れも出たことなり、漸く舟人に頼み込み、舟の隅に乗せて貰って浪路を辿った。 海路は相模国三浦半島から、今の東京湾頭を横断して房総半島の湊へ渡るのが船筋だった。 土地不案内に加えて、右往左往した上、乗った船もここにはやてを除け、かしこに凪ぎを待つという進み方なので山の祖神の翁の上に人間の歳月の半年以上は早くも経ってしまった。 夏麻挽く、海上潟の、沖つ州に、船は停めむ、さ夜更けにけり。 しとしとと来た雨の夜泊の船中で、寝ねがてた苫の雫の音を聞いていると翁の胸はしきりに傷んだ。翁は拾って来た娘の家の庭の小石を懐から取出して船燈のかげで検めみる。普通の石とは違っている。 すべすべして赤く染った細長く固い石である。頭と尾は細く胴は張っている。背及び腹に鰭のようなものが附いている。魚の形と見られぬこともないが、より多く涙が結晶した形と見る方が生きて眼に映る石の形であった。それは福慈岳が噴き出した火山弾の一つであるのだった。 「娘が変っているだけに、庭の小石も変っていら」 翁はそういって、なおも燈のかげで小石を捻っていた。 傷むこころに、きらりと白銀の丸のような光りが刺した。 「おれはいま娘の涙を手に弄んでいるのではあるまいか」 すると、娘がいったことであのときは不服のあまり胸に受けつけなかった意味のことが、まざまざと暗んじ返されてく来るのだった。 「庭の小石まで涙の形になってやがる。ひどい苦労は確にしたのだな」 それに凝りずに、娘はなおも苦労を迎えてそれを支えた成長の肋骨を増やす積りでいる。凍るほど冷く感じられたおんなだったが、執拗く逞しく激しい火の性を籠らしている。その現れのようにこの涙型の石が血の色に赤く染っていることよ。石が尾鰭まで生やして、魚になっても生き上らんいのちの執拗さを示している。娘が何度も青春を迎えるといった言葉が思い出される。 翁は掌の上に載せた火山弾にだんだん切ない重みを感じながら、その娘に対し氷にもなれというような呪詛をかけたことのおよそ見当違いでもあり、無慈悲な仕打ちであることが悔まれた。 今頃、娘はどうしているだろう。福慈岳には夏に入るので白雪でも頂いていやしないか知らん。 翁はすごすごと小石をまた懐へ入れた。苫に当る雨音を聞きながら一夜を寝苦しく船中に明した。
房総半島に上り、翁は再び望多の峰ろの笹葉の露を分け進む身となった。葛飾の真間の磯辺から、武蔵野の小岫がほとり、入間路の大家が原、埼玉の津、廻って常陸の国に入った。
筑波嶺に、雪かも降らる、否諾かも、愛しき児等が、布乾さるかも
山の祖神は、平地に禿立している紫色の山を望み、それは筑波という山であって、それには人身の形をした山神が住んでいることを聞き知った。
その山は全山が森林で掩われて鬱蒼としていた。麓の方は樫の林であり、中腹へかかるとそれが樅の林に代る。頂に近いところは山毛欅となった。山の祖神の翁はまだ山に近付かないさきから山の林種はこれ等で装われていることを、陽に映ゆる山緑の色調で見て取った。この様子の山なら草木の種類はまだ他にたくさん宿っている筈だ。 「豊な山だな」 翁は手を翳してほほ笑んだ。
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