あの大きな童女のような女をして眼を瞠らせ、五感から享け入れる人の世の満足以上のものを彼女をして無邪気に味い得しめたなら料理それ自身の手柄だ。自分なんかの存在はどうだってよい。彼はその気持から、夫人が好きだといった、季節外れの蟹を解したり、一口蕎麦を松江風に捏ねたりして、献立に加えた。ふと幼いとき、夜泣きして、疳の虫の好く、宝来豆というものを欲しがったとき老僧の父がとぼとぼと夜半の町へ出て買って来て呉れたときの気持を想い出した。鼈四郎は捏ね板へ涙の雫を落すまいとして顔を反向けた。所詮、料理というものは労りなのであろうか。そして労りごころを十二分に発揮できる料理の相手は、白痴か、子供なのではあるまいか。 しかし鼈四郎は夫人が通客であった場合を予想し、もしその眼で見られても恥しからぬよう、坂本の諸子川の諸子魚とか、鞍馬の山椒皮なども、逸早く取寄せて、食品中に備えた。 夫人は、大事そうに、感謝しながら食べ始めた。「この子附け鱠の美しいこと」「このえび藷の肌目こまかく煮えてますこと」それから唇にから揚の油が浮くようになってからは、ただ「おいしいわ」「おいしいわ」というだけで、専心に喰べ進んで行く。鼈四郎は、再び首尾はいかがと張り詰めていたものが食品の皿が片付けられる毎に、ずしんずしんと減って、気の衰えをさえ感ずるのだった。 夫人も健啖だったが、画家の良人はより健啖だった。みな残りなく食べ終り、煎茶茶椀を取上げながらいった。「ご馳走さまでした。御主人に申すが、この方が、よっぽど、あんたの芸術だね」そして夫人の方に向い、それを皮肉でなく、好感を持つ批評として主人に受取らせるよう夫人の註解した相槌を求めるような笑い方をしていた。夫人も微笑したが、声音は生真面目だった。「わたくしも、警句でなく、ほんとにそう思いますわ。立派な芸術ですわ。」 鼈四郎は図星に嵌めたと思うと同時に、ぎくりとなった。彼はいかにふだん幅広い口を利こうと、衷心では料理より、琴棋書画に位があって、先生と呼ばれるに相応わしい高級の芸種であるとする世間月並の常識を無みしようもない。その高きものを前日は味とされ、今日低きものに於て芸術たることを認められた。天分か、教養か、どちらにしろ、もはや自分の生涯の止めを刺された気がした。この上、何をかいおうぞ。 加茂川は、やや水嵩増して、ささ濁りの流勢は河原の上を八千岐に分れ下へ落ちて行く、蛇籠に阻まれる花芥の渚の緑の色取りは昔に変りはないけれども、魚は少くなったかして、漁る子供の姿も見えない。堤の芽出し柳の煙れる梢に春なかばの空は晴れみ曇りみしている。 しばらく沈黙の座に聞澄している淙々とした川音は、座をそのままなつかしい国へ押し移す。鼈四郎は、この川下の対岸に在って大竹原で家棟は隠れ見えないけれども、まさしくこの世に一人残っている母親のことを思い出す。女餓鬼の官女のような母親はそこで食味に執しながら、一人息子が何でもよいたつきの業を得て帰って来るのを待っている。しばらく家へは帰らないが、拓本職人の親方の老人は相変らず、小学校の運動会を漁り歩き遊戯をする児童たちのいたいけな姿に老いの迫るを忘れようと努めているであろうか。 鼈四郎は、笑いに紛らしながら、幼時、母子二人の夕餉の菜のために、この河原で小魚を掬い帰った話をした。「いままで、ずいぶん、いろいろなうまいものも食いましたが、いま考えてみると、あのとき母が煮て呉れた雑魚の味ほどうまいと思ったものに食い当りません」それから彼は、きょう、料理中に感じたことも含めて、「すると、味と芸術の違いは労りがあると、無いとの相違でしょうかしら」といった。 これに就き夫人は早速に答えず、先ず彼等が外遊中、巴里の名料理店フォイヨで得た経験を話した。その料理店の食堂は、扉の合せ目も床の敷ものも物音立てぬよう軟い絨氈や毛織物で用意された。色も刺激を抜いてある。天井や卓上の燭光も調節してある。総ては食味に集中すべく心が配られてある。給仕人はイゴとか男性とかいういかついものは取除かれた品よく晒された老人たちで、いずれはこの道で身を滅した人間であろう、今は人が快楽することによって自分も快楽するという自他移心の術に達してるように見ゆる。食事は聖餐のような厳かさと、ランデブウのようなしめやかさで執り行われて行く。今やテーブルの前には、はつ夏の澄める空を映すかのような薄浅黄色のスープが置かれてある。いつの間に近寄って来たか給仕の老人は輪切りにした牛骨の載れる皿を銀盤で捧げて立っている。老人は客が食指を動し来る呼吸に坩を合せ、ちょっと目礼して匙で骨の中から髄を掬い上げた。汁の真中へ大切に滑り浮す。それは乙女の娘生のこころを玉に凝らしたかのよう、ぶよぶよ透けるが中にいささか青春の潤みに澱んでいる。それは和食の鯛の眼肉の羮にでも当る料理なのであろうか。老人は恭しく一礼して数歩退いて控えた。いかに満足に客がこの天の美漿を啜い取るか、成功を祈るかのよう敬虔に控えている。もちろん料理は精製されてある。サービスは満点である。以下デザートを終えるまでのコースにも、何一つ不足と思えるものもなく、いわゆる善尽し、美尽しで、感嘆の中に食事を終えたことである。 「しかしそれでいて、私どもにはあとで、嘗めこくられて、扱い廻されたという、後口に少し嫌なものが残されました。」 「面と向って、お褒めするのも気まりが悪うございますから、あんまり申しませんが、そういっちゃ何ですが、今日の御料理には、ちぐはぐのところがございますけれど、まことというものが徹しているような気がいたしました。」 意表な批評が夫人の口から次々に出て来るものである。料理に向ってまことなぞという言葉を使ったのを鼈四郎は嘗て聞いたことはない。そして、まこと、まごころ、こういうものは彼が生れや、生い立ちによる拗ねた心からその呼名さえ耳にすることに反感を持って来た。自分がもしそれを持ったなら、まるで、変り羽毛の雛鳥のように、それを持たない世間から寄って蝟って突き苛められてしまうではないか。弱きものよ汝の名こそ、まこと。自分にそういうものを無みし、強くあらんがための芸術、偽りに堪えて慰まんための芸術ではないか。歌人の芸術家だけに旧臭く否味なことをいう。道徳かぶれの女学生でもいいそうな芸術批評。歯牙に懸けるには足りない。 鼈四郎はこう思って来ると夫妻の権威は眼中に無くなって、肩肘がむくむくと平常通り聳立って来るのを覚えた。「はははは、まこと料理ですかな」 車が迎えに来て、夫妻は暇を告げた。鼈四郎はこれからどちらへと訊くと、夫妻は壬生寺へお詣りして、壬生狂言の見物にと答えた。鼈四郎は揶揄して「善男善女の慰安には持って来いですね」というと、ちょっと眉を顰めた夫人は「あれをあなたは、そうおとりになりますの、私たちは、あの狂言のでんがんでんがんという単調な鳴物を地獄の音楽でも聞きに行くように思って参りますのよ」というと、良人の画家も、実は鼈四郎の語気に気が付いていて癪に触ったらしく「君おれたちは、善男善女でもこれで地獄は一遍たっぷり通って来た人間たちだよ。だが極楽もあまり永く場塞ぎしては済まないと思って、また地獄を見付けに歩るいているところだ。そう甘くは見なさるなよ」と窘めた。夫人はその良人の肘をひいて「こんな美しい青年を咎め立するもんじゃありませんわ。人間の芸術品が壊れますわ」自分のいったことを興がるのか、わっわと笑って車の中へ駈け込んだ。 鼈四郎はその後一度もこの夫妻に会わないが、彼の生涯に取ってこの春の二回の面会は通り魔のようなものだった。折角設計して来た自分らしい楼閣を不逞の風が浚い取った感じが深い芸術なるものを通して何かあるとは感づかせられた。しかし今更、宗教などという黴臭いと思われるものに関る気はないし、そうかといって、夫人のいったまこととかまごころとかいうものを突き詰めて行くのは、安道学らしくて身慄いが出るほど、怖気が振えた。結局、安心立命するものを捉えさえしたらいいのだろう。死の外にそれがあるか。必ず来て総てが帳消しされる死、この退っ引ならないものへ落付きどころを置き、その上での生きてるうちが花という気持で、せいぜい好きなことに殉じて行ったなら、そこに出て来る表現に味とか芸術とかの岐れの議論は立つまい。「いざとなれば死にさえすればいいのだ」鼈四郎は幼い時分から辛い場合、不如意な場合には逃れずさまよい込み、片息をついたこの無可有の世界の観念を、青年の頭脳で確と積極的に思想に纏め上げたつもりでいる。これを裏書するように檜垣の主人の死が目前に見本を示した。 檜垣の主人は一年ほどまえから左のうしろ頸に癌が出はじめた。始めは痛みもなかった。ちょっと悪性のものだから切らん方がよいという医師の意見と処法に従ってレントゲンなどかけていたが。癌は一時小さくなって、また前より脹れを増した。とうとう痛みが来るようになった。医者も隠し切れなくなったか肺臓癌がここに吹出したものだと宣告した。これを聞いても檜垣の主人は驚かなかった。「したいと思ったことでできなかったこともあるが、まあ人に較べたらずいぶんした方だろう」「この辺で節季の勘定を済すかな」笑いながらそういった。それから身の上の精算に取りかかった。店を人に譲り総ての貸借関係を果すと、少しばかり余裕の金が残った。「僕は賑かなところで死にたい」彼はそれをもって京極の裏店に引越した。美しい看護婦と、気に入りのモデルの娘を定まった死期までの間の常傭いにして、そこで彼は彼の自らいう「天才の死」の営みにかかった。 売り惜んだ彼が最後に気に入りの蒐集品で部屋の中を飾った。それでも狭い部屋の中は一ぱいで猶太人の古物商の小店ほどはあった。 彼はその部屋の中に彼が用いつけの天蓋附のベッドを据えた。もちろん贋ものであろうが、彼はこれを南北戦争時分にアメリカへ流浪した西班牙王属出の吟遊詩人が用いたものだといっていた。柱にラテン文字で詩は彫付けてあるにはあった。彼はそこで起上って画を描き続けた。 癌はときどき激しく痛み出した。服用の鎮痛剤ぐらいでは利かなかった。彼は医者に強請んで麻痺薬を注射して貰う。身体が弱るからとてなかなか注して呉れない。全身、蒼黒くなりその上、痩さらばう骨の窪みの皮膚にはうす紫の隈まで、漂い出した中年過ぎの男は脹れ嵩張ったうしろ頸の瘤に背を跼められ侏儒にして餓鬼のようである。夏の最中のこととて彼は裸でいるので、その見苦しさは覆うところなく人目を寒気立した。痛みが襲って来ると彼はその姿でベッドの上でき苦しむ。全身に水を浴びたよう脂汗をにじみ出し長身の細い肢体を捩らし擦り合せ、甲斐ない痛みを扱き取ろうとするさまは、蛇が難産をしているところかなぞのように想像される。いくら認め合った親友でも、鼈四郎は友の苦しみを看護ることは好まなかった。 苦しみなぞというものは自分一人のものだけでさえ手に剰っている。殊に不快ということは人間の感覚に染み付き易いものだ。芸術家には毒だ。避けられるだけ避けたい。そこで鼈四郎は檜垣の病主人に苦悶が始まる、と、すーっと病居を抜け出て、茶を飲んで来るか、喋って来るのであった。だが病友は許さなくなった。「なんだ意気地のない。しっかり見とれ、かく成り果てるとまた痛快なもんじゃから――」息を喘がせながらいった。 鼈四郎は、手を痛いほど握り締め、自分も全身に脂汗をにじみ出させて、見ることに堪えていた。死は惧ろしくはないが、死へ行くまでの過程に嫌なものがあるという考えがちらりと念頭を掠めて過ぎた。だがそういうことは病主人が苦悶を深め行くにつれ却って消えて行った。あまりの惨ましさに痺れてぽかんとなってしまった鼈四郎の脳底に違ったものが映り出した。見よ、そこに蠢くものは、もはやそれは生物ではない。埃及のカタコンブから掘出した死蝋であるのか、西蔵の洞窟から運び出した乾酪の屍体であるのか、永くいのちの息吹きを絶った一つの物質である。しかも何やら律動しているところは、現代に判らない巧妙繊細な機械仕掛けが仕込まれた古代人形のようでもある。蒼黒く燻んだ古代人形はほぼ一定の律動をもって動く、くねくね、きゅーっぎゅっといて、もくんと伸び上る。頽れて、そして絶息するようにふーむとく。同じ事が何度も繰返される。モデル娘は惨ましさに泣きかけた顔をおかしさで歪み返させられ、妙な顔になって袖から半分覗かしている。看護婦は少し怒りを帯びた深刻な顔をして団扇で煽いでいる。 鼈四郎は気付いた。病友はこの苦しみの絶頂にあって遊ぼうとしているのだ。彼は痛みに対抗しようとする肉体の自らなるきに、必死とリズムを与えて踊りに慥えているのだ。そうすることが少しでも病痛の紛らかしになるのか、それとも友だちの、ふだんいう「絶倫の芸術」を自分に見せようため骨を折っているのか。病友はまた踊る、くねくね、ぎゅーっ、きゅ、もくんもくんそして頽れ絶息するようにふーむとく。それは回教徒の祈祷の姿に擬しつつ実は、聞えて来る活動館の安価な楽隊の音に合わせているのだった。 鼈四郎が、なお愕いたことは、病友は、そうしながら向う側の壁に姿見鏡を立てかけさせ、自分の悲惨な踊りを、自ら映しみて効果を味っていることだった。映像を引立たせる背景のため、鏡の縁の中に自分の姿と共に映し入るよう、青い壁絨と壺に夏花までベッドの傍に用意してあるのだった。鼈四郎に何か常識的な怒りが燃えた。「病人に何だって、こんなばかなことをさしとくのだ」鼈四郎はモデルの娘に当った。モデル娘は「だって、こちらが仰しゃるんですもの」と不服そうにいった。病友はつまらぬ咎め立をするなと窘める眼付をした。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] 下一页 尾页
|