花の名随筆6 六月の花 |
作品社 |
1999(平成11)年5月10日 |
1999(平成11)年5月10日第1刷 |
岡本かの子全集 第一巻 |
冬樹社 |
1974(昭和49)年9月 |
根はかち/\の石のやうに朽ち固つてゐながら幹からは新枝を出し、食べたいやうな柔かい切れ込みのある葉は萌黄色のへりにうす紅をさしてゐた。 枝さきに一ぱいに蕾をつけてゐる中に、半開から八分咲きの輪も混つてゐた。その花は媚びた唇のやうな紫がかつた赤い色をしてゐた。一歩誤れば嫉妬の赤黒い血に溶け滴りさうな濃艶なところで危く八重咲きの乱れ咲きに咲き止まつてゐた。 牡丹の大株にも見紛ふ、この芍薬は周囲の平板な自然とは、まるで調子が違つてゐて、由緒あり気な妖麗な円光を昼の光の中に幻出しつゝ浮世離れて咲いてゐた。 国史国文学の研究家であり、好事家である村瀬君助が小野の小町の手植ゑと言ひ伝へられるこの芍薬の傍へ来たときにはかなり疲れて汗を垂らしてゐた。しかし杖を立てゝ美しい花をぢつと眺め入ると、君助の深く閉した憂愁の顔色がうす明るんで 「おゝ、全く小町が植ゑたものゝやうだ」 といった。 彼は四五日前から横堀駅に泊りがけで、この界隈に在る、小町の父親小野良実の居城の跡の桐木田やら小町の母親の実家町田氏の居館の跡の泉沢やら、およそ小町に因みのある雄勝郡内の古蹟を踏査してみた。最後にこの芍薬だけを残して置いた。これは史実のためといふよりも詩的な感慨に耽るべきものである。 歴史家の立場よりは軽蔑し、好事家の立場からは楽しみになる材料である。さういふ意味から見物は後廻しとなつた。 北国の六月は晩春の物悩ましさと初夏の爽かさとをこき混ぜた陽気である。梨の花も桃も桜も一時に咲く。冬中、寒さに閉ぢ籠められてゐた天地の情感が時至つて迸り出るのだが鬱屈の癖がついてゐるかして容易には天地の情感が開き切らない。開けばじつくり人に迫る。空の紺青にしても野山の緑にしても、百花の爛漫にしても、くゞめた味の深さがあつて濃情である。真昼の虻の羽音一つにさへ蜜の香が籠つてゐた。 芍薬の咲いてゐる所は小さい神祠の境内になつてゐた。庭は一面に荒れ寂れて垣なども型ばかり、地続きの田圃に働く田植の群も見渡せる。呟くやうな田植唄が聞えて来た。 君助はやつと気がついたやうに芍薬の花から眼を離し、空やあたりの景色を見廻した。彼の顔は、はじめて季節の好意を無条件で受け容れる寛ぎを示してゐた。 彼は妻に悩んだ男であつた。妻の方からいへば妻を悩ました夫で彼はあつたかも知れない。 多情多感で天才型のこの学者は魅惑を覚えるものを何でも溺愛する性質であつた。対象に向つて恋愛に近い気持ちで突き進むのであつた。 「魂を吸ひ取るやうな青白い肌色をなしてゐる」かういつて青磁の鉢に凝つたことがある。 「いのちが溶けて流れるやうな絵だ」かういつて浮世絵の蒐集にかかつたことがある。 時には古雛を買ひ集めてみたり、時には筆矢立を漁り歩いたり、奇抜だつたのは昔の千両箱の蒐集であつた。これはよく絵に描いてある見事なものとは反対に、実物は粗末でよごれ朽ちてゐた。 彼の凝り性は、彼の学問の助けにはなつたが経済上の浪費には違ひなかつた。相当に残つてゐた奈良の郷里の不動産はだん/\売り減らされ、妻のいはゆる所ふさげのがらくたものと形を替へた。 妻はしきりに苦情をいつた。妻の心配には理由があつた。まだ幼ない発育不良の一人息子の教育資金も他に出どころはなし、自分たちの老後の生活費も気に懸つた。家門の体面といふ事もある。それやこれやで夫の郷里の資産は出来るだけ崩潰を喰ひ止めて置き度い。わがまゝな夫は、将来、どんなに窮しても学問を金に替へることなどしさうもない柄であつた。 も一つ、妻の苦労の種は、夫の凝り性が、もし生ける女性にでも向けられるとなつたときの惧れである。今こそ夫は物に溺れることを知つて、人に溺れることを知らないから無事なやうなものゝ、全然異性に対して免疫性の人間ではなささうだ。 どつちからいつても早く夫の性分のマニアを癒して、家庭的の常識人になつて貰ふことは一家の浮沈にも係る大事であつた。 夫と妻の闘争は根気よく続いた。夫が物事に偏愛執着の気振りを見せると妻は傍から引離した。夫が陶酔に入らうとすると妻は覚まして水をかけて 「何です、たかゞ土でひねつた陶ものぢやありませんか、おまけにひゞの入つてゐる――」 「こんな虫喰ひ人形、どこがいゝんでせう」 君助はその度に夢の世界から現実の世界へ引戻される気がして、功利一方の妻の醜くさを感ずると共に、酔ふものを奪はれたあとの世の中の落寞に白け切つた。 彼はだん/\精神のまはりに灰色の殻を厚めて行つた。彼の情熱は書籍上の研究に集中された。いつとなく夫と妻とは闘ひ疲れて、無為を望む消極的の平和が家庭に幕を降したのである。 その時妻は死んでしまつた。病身の一人息子も死んでしまつた。彼だけが在野の国史国文に関する権威者の一人となつて残つた。 孤独の身となつて見ると彼には何事も判るやうな気がした。うるさいと思つた妻も、やはり弱い一箇の女であつたのだ。家のため、子のため老いのために、これはどうしても闘つたのが当然であると思はれて来た。妻が平凡な女だつただけに彼には却つて憐れみが残つた。 彼はまだ壮年だつたが、再婚する気は全然無かつた。何といつても妻といふものには懲りた上、精神のまはりに附いてゐる厚い殻はさういふ現実上の繋縛に再び牽かれることをすつかりおつくうがつてゐた。 しかしながら彼のやうな性質の人間が全く枯淡な冷灰の生活に諦め切つて生きて行けるものではなかつた。寂しさを増したため却つて埋み火のやうに心の奥へ封じ込められてゐた情感がうづいて、何等かのあたたかみを求めるのであつた。彼は始めて女性の魅力といふものに真から恋ひ出した。死んだ妻とは単なる媒妁結婚だつた。 生きた女もなま/\しく嫌だ。さればとて歴史上の女に慰められるにはまた史実に固定され過ぎて彼女等は干からびてゐる。縹渺とした伝説の女こそ、今の彼の心を慰める唯一の資格者だ。しかも彼女が飽くまで美しく、魅惑を持つ性格として夢みられ、彼に臨んで来なければ、彼のやうな灰人を動すには足りなかつた。彼は小野小町を考へ当てた。初恋の女のやうに夢中になつて弘仁朝の美女の研究に取付いた。 頃は明治二十八九年日清の戦役が終つた頃である。戦役中に起つた古典復活の勢はなほしばらく彼の調査に便宜を与へた。珍らしい史料や典拠も手に入つた。
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