市ヶ谷から(四)
* 伊藤野枝宛・大正八年八月一日 はじめての手紙だ。 まだ、どうも、本当に落ちつかない。いくら馴れているからと言っても、そうすぐにアトホオムとは行かない。監獄は僕のエレメントじゃないんだからね。まず南京虫との妥協が何とかつかなければ駄目だ。次には蚊と蚤だ。来た三晩ばかりは一睡もしなかった。警視庁での二晩と合せて五晩だ。しかし、いくら何だって、そうそう不眠が続くものじゃない。何が来ようと、どんなにかゆくとも痛くとも、とにかく眠るようになる。今では睡眠時間の半分は寝る。 どんなに汗が出てもふかずに黙っている僕の習慣ね、あれがこのかゆいのや痛いのにも大ぶ応用されて来た。手を出したくて堪らんのを、じっとして辛棒している。こういう難行苦行の真似も、ちょっと面白いものだ。蚊帳の中に蚊が一匹はいっても、泣っ面をして騒ぐ男がだ、手くびに二十数カ所、腕に十数カ所、首のまわりに二十幾カ所という最初の晩の南京虫の手創を負うたまま、その上にもやって来る無数の敵を、こうして無抵抗主義的に心よく迎えているんだ。僕にはこうしたことのちょっとした興味がある。 次には食物との妥協だ。監獄の御馳走なら、どんなものでも何の不平なしに、うまくと言うよりはむしろ心地よく食べる。それだのに、差入弁当となると、何とかかんとか難くせをつけたい。そして、こんなものが喰えるか、と独りで口に出して、大がい半分でよしてしまう。きのうからようやく昼飯の差入れがはいらなくなった。お蔭で監獄のうまい飯が食えた。久板が豆飯豆飯と言って喜んでいたが、その筈だ、いんげんがうんとはいっているんだ。この食物の具合からだろう、大便が二日か三日に一度しか出ない。監獄にはいるといつも、最初の間はそうだ。そして、それが、一日に一度と規則正しくきまるようになると、もう〆たものだ。その時には、何もかも、すっかり監獄生活にアダプトしてしまうのだ。 本だってそうだ。今の間はまだほんのひまつぶしに夢中になって読んでいるが、その時になれば、ちゃんと秩序だった本当の落ちついた読み方になる。 * 伊藤野枝宛・大正八年八月八日 シイツがはいってから何もかもよくなった。あれを広くひろげて寝ていると、今まで姿の見えなかった敵が、残らずみんな眼にはいる。大きなのそのそ匐っている奴は訳もなくつかまる。小さなぴょんぴょん跳ねている奴も、獲物で腹をふくらして大きくなっているようなのは、すぐにつかまる。こんな風で毎晩毎晩幾つぴちぴちとやっつけるか知れない。蚊の防禦法もいろいろと工夫した。 差入れの飯にもなれた。もう間違いなくみんな食べる。そしてかなりに腹へはいる。大便も日に一回になった。もうこれですべてがこっちのものになったのだ。 「あんなに痩せて、あんなに蒼い顔をしていちゃ」と大ぶ不平のようだったが、どうも致し方がない。あの暑い日に、二十人ばかりがすしのように押されて、裁判所まで持ち運ばれたのだ。途中僕は坐る場所がなくて、人の膝の上に腰かけていたくらいだ。 実際、向うへ着いた時には、自分で自分が死んでいるのか、生きているのか分らなかった。二、三時間ばかり寝て、ようやく正気がついた。それから一日狭い蒸し殺されるような室に待たされていたんだ。 きょうもまた裁判だ。ほんとうにいやになっちまう。面倒くさいことは何にも要らないから、何とでも勝手に定めて、早くどこへでもやってくれるがいいや。 ここまで書いたら、いよいよ出廷だと言って呼びに来た。さよなら。 * 伊藤野枝宛・大正八年八月十日 知れてはいるだろうと思うが、念のために言って置く。保証金弐拾円で保釈がゆるされた。今日は日曜で駄目だろうが、明朝早くその手続きをしてくれ。
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豊多摩から
* 伊藤野枝宛・大正九年一月十一日 この五日からようやく寒気凛烈。そろそろと監獄気分になって来た。例の通り終日慄えて、歯をガタガタ言わせながら、それでもまだ風一つひかない。朝晩の冷水摩擦と、暇さえあればの屈伸法とで奮闘している。屈伸法のお蔭か腹が大ぶ出て来た。 室は南向きの二階で、天気さえよければ一日陽がはいる。見はらしもちょっといい。毎日二時間ばかりの日向ぼっこもできる。この日向ぼっこで、どれだけ助かるか知れない。この監獄の造りは、今までいたどこのともちょっと違うが、西洋の本ではお馴染の、あのベルクマンの本の中にある絵、そのままのものだ。まだ新しいのできれいで気持がいい。 仕事はマッチの箱張りだ。煙草と一緒にもらうあの小さなマッチで、本所の東栄社という、ちょうどオヤジと僕との合名会社のような名のだ。僕のオヤジは大杉東と言った。一日に九百ばかり造らなければならぬのだが、未だその三分の一もできない。それでも、今日までで、二千近くは造ったろう。ちょっとオツな仕事だ。もし諸君がマズイ出来のを見つけたら、それは僕の作だと思ってくれ。 朝七時に起きて、午前午後三時間半ずつ仕事をして、夜業がまた三時間半だ。寝るのは九時。その間に本でも読める自分の時間というものは、三時の夕飯後、夜業にかかる前の二時間だ。夜業が一番いやだ。 本と言えば、あとの本はまだかな。いつかの差入れは去年中にすっかり読んでしまって、この正月の休みは字引を読んで暮した。何分もう幾度も監獄へお伴して来ている字引なので、どこを開けて見ても一向珍らしくない。あとを早く。 生れたそうだな。馬鹿に早かったもんだね。監守長からの伝言でちょっと驚いた。まだ碌に手廻しもできなかったろう。母子ともに無事だという話だったが、その後はいかが。実は大ぶ心配しいしいはいったのだが、僕がはいった翌日とは驚いたね。早く無事な顔を見たいから、そとでができるようになったら、すぐ面会に来てくれ。子供の名は、どうもいいのが浮んで来ない。これは一任しよう。 魔子はパパちゃんを探さないか。もっともあいつはいろんな伯父さんがよく出て来たりいなくなったりするのに馴れているから、さほどでもないかも知れんが。いいおみやを持って帰るからと、そう言って置いてくれ。 雑誌はいかが。新年号は無事だったかな。少々書きすぎたように思ったが。とにかくもうかれこれ、二月号の編集になるね。 吉田はいつ出るのか忘れたが、もう間もなかろう。罰金はできそうか。先生、ここでも元気すぎるくらい元気がいいそうだ。 世間は無事かな。 誰々によろしくと、一々名を並べるのも面倒だから、会う人にはみんなよろしく。 きょうは日曜で、午後から仕事が休みなので、この手紙書きで暮した。何分筆がいいので、書くのに骨が折れてね。さよなら。 * 伊藤野枝宛・大正九年二月二十九日 四、五日前の大雪で、ことしの雪じまいかと喜んでいたら、また降り出した。それでも、今朝は晴れたろうと起きて見ると、盛んに降っているのでがっかりした。きょうは手紙を書く筈なのに、こんなことでは手がかじかんでとても書けまいと悲観していた。しかしありがたいことには急に晴れた。そして今、豚の御馳走で昼飯をすまして、頭から背中まで一ぱいに陽を浴びながら、いい気持になってこの手紙を書く。 実際この陽が当るか当らんかで人生観がまったく一変するんだからね。それだのにこの二月は、本当に晴れた日と言ってはせいぜい二日か三日しかなかった。それに毎年こんなに降っただろうか、と思われるほど雪が降った。コタツにでもあたってちらちら雪の降るのを見ていたら、六花ヒンプンのちょっといい景色かも知れないが、牢屋ではとてもそんな眺めどころの話じゃない。ちょっと眼にはいっただけでも、背中の骨の髄からぞくぞくして来る。また、実によく風が吹いた。ほとんど毎日と言ってもいいくらいに、午後の二時頃になって、向側の監房のガラス戸がガタガタ言い出す。来たな、と思っている中に、芝居と牢屋とでのほかにあまり覚えのない、あのヒュッーというあらしの声が来る。本当にからだがすくむ恐ろしい声だ。 監獄の寒さというのも、こんど初めて本当に味わったような気がする。以前の味は忘れてしまったのか、それともそれほどまでに感じなかったのか、こんなにひどくはなかったように思う。僕はよく風をひくと風にあたるのが痛い痛いと言って笑われて居た。実際痛いのだ。それがここでは、そとに居た時のように人の皮膚の上っ面がヒリヒリするくらいでなく、肉の中までも、骨髄の中までもえぐられるような痛みなのだ。じっと坐っていて、手足の皮と肉との間がシンシン痛む。膝からモモにかけての肉がヒリヒリ痛む。腰の骨がゾクゾク痛む。顔の皮膚がひんむかれるようにピリピリする。頸から肩にかけて肉と骨が突き刺される。この痛みに腹の中や胸の中まで襲われちゃ大変だ。と思いながら、しっかりと腕ぐみをして、例の屈伸法で全身の力をこめて腹をふくらす。いい行だ。 毎日毎日こんな目に会っていて、それで一年の冬の半分以上も寝て暮すからだが、風一つひかない上に咳一つたん一つ出ない。ただ水っぱなだけは始終出ているが。毎週一度くらいは胸に聴診器をあてて貰うが別に異状はないようだ。不思議なくらいだ。こんなにからだの具合のいい冬はもう十年余りも覚えがない。 もっとも、腸の方ではちょっと弱った。入監の翌朝からうまく毎朝一度通じがあるんだ。さすがにまだ夏の監獄の気が抜けずにいるんだと思って心丈夫に思って居たら、大晦日の晩から下り出して、とうとう本月の初めまで下痢で通した。ひどいんじゃない。毎日ほんの一回か二回かのごく軽い下痢なのだ。しかしちょうどこれと同じ下痢にかつて千葉で半年間いじめられたのだ。それがあと三、四年もたたったのだ。またかと初めの間は実に悲観したが、これもとうとう屈伸法で、かどうかは知らないが、とにかく征服してしまった。 この屈伸法のきかないのは霜やけ一つだ。ずいぶん注意して予防していたんだが、とうとうやられた。そして一月の末から左の方の小指と薬指とがくずれた。小指はもう治りかけているが、薬指は出るまでに治りきるかどうか。この創が寒さに痛むのはちょうどやけどのあの痛みと同じだ。一日のうちのふところ手をして本を読んでいる間と寝床にはいっている間とのほかは、絶えずピリピリだ。 天気のせいもあったが、この霜やけのお蔭で、本月はまだ一度も運動にそとへ出ない。菜の畑のまわりの一丁ほどの間をまわるんだが、僕は毎日それを駆けっこでやった。初めは五分くらいで弱ったが、終いには二十分くらいは続いた。それ以上は眼がまわって来るので止した。朝早くこの運動に出て、一面に霜に蔽われながらなお青々と生長して行く、四、五寸くらいの小さな菜に、僕は非常な親しみと励みとを感じていたのだが、もうきっとよほど大きくなったに違いない。この監獄でシムパシイを感じたのはこの菜一つだけだ。 そんな、あれやこれやでこの二月は大分苦しんだが、日にちのたつのは存外早かった。ちっとも待たずに日が経って来た。一月はずいぶん長かったが、そして社のことや家のことがいろいろと[#「いろいろと」は底本では「いろと」]思出されて出ることばかり考えられたが、そして汽車の音や何かが気になって仕方がなかったが、二月になってからは、もう社や家がどうなっているのか、まるで見当がつかなくなった。そして娑婆っ気が抜けて監獄っ気ばかりになった。終日たべ物のことばかり考えて、三度三度の飯時を待つより外に、何の欲っ気もなくなった。毎夜二、三度はきっと眼を覚すが、気がついた時にはもう何かたべ物のことを考えている。寒くて眼がさめるのだか、腹がへって眼がさめるのだか、ちょっと分らない。 が、何のかんのと言ううちに、あすからはいよいよ放免の月だ。寒いも暑いも彼岸までと言うが、そのお中日の翌日、二十二日は放免だ。どうかあまり待たずに早くその日が来てくれればいいが。 下らんことばかり書いて、肝心の用事を書く場所がなくなってしまった。仕方がない。すぐ面会に来てくれ。そして、そちらからの手紙はそのあとにしてくれ。魔子、赤ん坊、達者か。 昨日は近藤を無駄に帰して済まなかった。手が凍えてとても書けないのと、あのペンにはもうインクがはいっていなかったのだ。本の背中の文字は野枝子に偽筆を頼む。 うちのみんなに宜しく。 今二時が鳴った。日向ぼっこももう駄目だ。また今から屈伸法だ。しかし寒さじゃない痛さの辛辣さも、先月の雪以来少しは薄らいだようだ。そしてまた飯を待つんだ。さよなら。
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