霊魂第十号の秘密(れいこんだいじゅうごうのひみつ)
帰国(きこく) 親子は、その後、バリ港を船で離れることができた。その船はノールウェイの汽船で、インドへ行くものだった。 コロンボで、船を下りなくてはならなかった。そしてそこで、更に東へ向う便船を探しあてることが必要だった。親子は、慣(な)れない土地で、新しい苦労を重ねた。 この二人を、ほんとの親子だと気のつく者はなかった。そうであろう、治明博士(はるあきはかせ)の方は誰が見でも中年の東洋人(とうようじん)であるのに対し、ロザレの肉体を借用している隆夫の方は、青い目玉がひどく落ちこみ、鼻は高くて山の背のように見え、その下にすぐ唇があって、やせひからびた近東人(きんとうじん)だ。頭巾(ずきん)の下からは、鳶色(とびいろ)の縮(ちぢ)れ毛がもじゃもじゃとはみ出している。パンツの下からはみ出ている脛(すね)の細いことといったら、今にもぽきんと折れそうだった。 しかし結局、隆夫のおかげで、治明博士はインドシナへ向う貨物船に便乗(びんじょう)することができた。それはロザレの隆夫を聖者に仕立て、すこしもものをいわせないことにし――しゃべれば隆夫は日本語しか話せなかった――治明博士はその忠実(ちゅうじつ)なる下僕(しもべ)として仕えているように見せかけ、そのキラマン号の下級船員の信用を得て、乗船が出来たのであった。もっとも密航するのだから、親子は船艙(せんそう)の隅(すみ)っこに窮屈(きゅうくつ)な恰好をしていなければならなかった。 キラマン号をハノイで下りた。 それからフランスの飛行機に乗って上海(シャンハイ)へ飛んだ。そのとき親子は、小ざっぱりとした背広に身を包(つつ)んでいた。 上海から或る島を経由(けいゆ)してひそかに九州の港についた。いよいよ日本へ帰りついたのである。バリ港を親子が離れてから八十二日目のことであった。「よくまあ、無事に帰って来られたものだ」「やってみれば、機会をつかむ運にも出会うわけですね」 親子は、休むひまもなく自動車を雇って、そこから山越えをして四十五キロ先にある大きな都市へ潜入(せんにゅう)した。汽車の便はあったのであるが、それは避(さ)けた。 三日ほど身体を休ませたのち、いよいよ親子は東京へ向った。 これからがたいへんであった。親子の間には、ちゃんと打合わせがついているものの、果してそのとおりうまく行くかどうか分らなかった。もしどこかで尻尾(しっぽ)をおさえられたが最後、えらいさわぎが起るにちがいなかった。ことに隆夫は、むずかしい大芝居を演(えん)じおおせなくてはならないのであった。それもやむを得ない。おそるべき妖力(ようりょく)を持つあの霊魂第十号をうち倒して、隆夫が損傷(そんしょう)なく無事に元の肉体をとり戻すためには、どうしてもやり遂げなくてはならない仕事だった。 親子は連れ立って、なつかしいわが家にはいった。それは日が暮れて間もなくのことであった。 隆夫の母は、おどろきとよろこびで、気絶(きぜつ)しそうになったくらいだ。しかしそれは、隆夫を自分のふところへとりもどした喜びではなくて、もはや亡(な)くなったものとあきらめていた夫の治明が、目の前に姿をあらわしたからであった。「まあ、わたし、夢を見ているのではないかしら……」「夢ではないよ。ほら、わしはこのとおりぴんぴんしている。苦労を重ねて、やっと戻ってきたよ」「ほんとですね。あなたは、ほんとに生きていらっしゃる。ああ、なんというありがたいことでしょう。神さまのお護(まも)りです」「隆夫は、どうしているね」 治明博士は、かねて考えておいた段取(だんどり)のとおり、ここで重大なる質問を発した。「ああ、隆夫……隆夫でございますが……」 と、母親はまっ青になって、よろめいた。治明博士は、すばやく手を貸した。「しっかりおしなさい。隆夫はどうかしたのですか」「それが、あなた……」「まさか隆夫は死にやすまいな」 治明博士の質問が、うしろの闇の中に立っている隆夫の胸にどきんとひびいた。もし死んでいたら、隆夫は再び自分の肉体を手にいれる機会を、永久に失うわけだ。母親は、どう応えるであろうか。「死にはいたしませぬ」 母親の声は悲鳴に似ている。 しかしそれを聞いて隆夫は、ほっと胸をなでおろした。機会は今後に残されているのだ。それなれば、ミイラのような醜骸(しゅうがい)を借りて日本へ戻って来た甲斐はあるというものだ。「……死にはいたしませぬが、少々不始末(ふしまつ)があるのでございます」「不始末とは」「ああ、こんなところで立ち話はなりませぬ。さ、うちへおはいりになって……」「待って下さい。わしにはひとりの連(つ)れがある。その方はわしの恩人です。わしをこうして無事にここまで送って来て下すった大恩人なんだ。その方をうちへお泊め申さねばならない」 母親はおどろいた。治明博士の呼ぶ声に、隆夫は闇の中から姿をあらわし、なつかしい母親の前に立った。(ああ、いたわしい) 母親は、しばらく見ないうちに別人のようにやせ、頭髪には白いものが増していた。「レザールさんとおっしゃる。日本語はお話しにならない。尊(とうと)い聖者でいらっしゃる。しかしお礼をのべなさい。レザールさんは聖者だから、お前のまごころはお分りになるはずである」 母親はおそれ入って、その場にいくども頭をさげて、夫の危難を救ってくれたことを感謝した。 隆夫はよろこびと、おかしさと、もの足りなさの渦巻(うずまき)の中にあって、ぼーッとしてしまった。 その後の物語 昔ながらの親子三人水いらずの生活が復活した。だが、それは奇妙な生活だった。これが親子三人水いらずの生活だということは、治明博士と隆夫だけがわきまえていることで、母親ひとりは、その外におかれていた。世間のひとたちも、一畑(いちはた)さんのお家は、ご主人が帰ってこられ、奥さんはおよろこびである。ご主人がインド人みたいなこわい顔のお客さんを引張ってこられて、そのひとが、あれからずっと同居している――と、了解(りょうかい)していた。 隆夫は、めったに主家(おもや)に顔を出さなかった。それは治明博士が隆夫のために、例の無電小屋を居住宅(すまい)にあてるよう隆夫の母親にいいつけたからである。そこに居るなら、隆夫は寝言(ねごと)を日本語でいってもよかった。なにしろ、事件がうまい結着(けっちゃく)をみせるまでは、母親をもあざむいておく必要があったから、隆夫はなるべく主家へ顔出しをしないのがよかったのである。隆夫には、たいへんつらい試練(しれん)だった。 もう一人の隆夫は、どうしていたろう。隆夫の肉体を持った霊魂第十号は、今どうしているか。 母親は、そのてんまつを治明博士に次のように語った。「隆夫が、あなた、急に女遊びをするようになってしまいましてね。監督の役にあるわたくしとしては、あなたに申しわけもないんですが。いくらわたくしが意見をしても、さっぱりきかないんですの。もっとも女遊びといっても悪い場所へ行って札つきの商売女をどうこうするというのではなく、隆夫のは、お友達の家のお嬢さんと出来てしまったわけで、下品(げひん)でも不潔(ふけつ)でもないんですけれど、やはり女遊びにちがいありません。まことに申しわけのないことになってしまいました。 そんなわけで、隆夫はわたくしと考えがあいませんで、今はこの家に居ないのでございます。早くいえば、家出をしてしまったんです。でも隆夫の居所ははっきりしています。それは今お話した相手のお嬢さんのお家なんですの。三木さんといいまして、隆夫と仲よしの健(けん)さんのお家なんです。相手のお嬢さんというのが、健さんの姉さんで名津子(なつこ)さんという方です。つまり同級生のお姉さまと恋愛関係に陥(お)ちてしまったわけですの。名津子さんは二十歳ですが、隆夫は十八歳なんですから、相手の方が二つも年齢が上になっています。いいことだと思いません。どうして隆夫が、そんな軟派青年(なんぱせいねん)になってしまったのか、もちろんわたくしにも監督上ゆだんがあったわけでございましょうけれど、まさしく悪魔に魅(みい)られたのにちがいありません。 二人が結びついたきっかけは、名津子さんの発病でございました。いいえ、名津子さんは、それまではたいへん健康にめぐまれた方でしたが、あるとき急におかしくなってしまいましてね、健さんもたいへんな心配、それよりもお母さんはもっとたいへんなご心配で、名津子さんといっしょにおかしくなってしまいそうに見えました。それを聞いた隆夫は、自分が研究して作った器械を使って、名津子さんの病気をなおしてあげたいといって、その器械を持って三木さんのお家へ出かけたのでございますよ。その日帰って来ての短い話に、『お母さん、どうやら病気の原因の手がかりをつかんだようですよ。二三日うちに、きっとうまく解決してみせます』と隆夫が申しました。それから隆夫は、いつもの通り、電波小屋へはいったわけですが、隆夫がおかしくなったとはっきり分ったのは、その翌朝のことでございました。 その朝、隆夫はいつもとはかわって、たいへん機嫌がよく、そして大元気で――すこしそのふるまいが乱暴すぎるようにも思われたこともありましたが――とにかくすばらしい上機嫌で、『これから三木さんのところへ行って、名津子さんの病気をなおします。病気がなおったらぼくは名津子さんと結婚します。ぼくはこの家よりも名津子さんの家の方が好きだから、あっちに住みます。では、行ってきます』と途方(とほう)もないことを口走ると、わたくしが追いすがるのをふり切って、家を出ていってしまったんです。それっきり、隆夫はうちへ戻って来なくなりました。そのときのことを思い出しますと、今も胸がずきずき痛んでなりません。 隆夫がおかしくなったので、わたくしはおどろきと悲しみのあまり、病人のようになって寝ついてしまって、一歩も歩けなくなりました。しかしわたくしよりも、もっとびっくりなすって、当惑(とうわく)なすったのは、名津子さんのお家の人々でした。とりわけお母さまの驚きは、お察し申しあげるだに、いたましいことでした。なにしろ、とつぜん隆夫が乗りこんでいって、名津子さんに抱きつき、そして『ぼくは只今から名津子さんと結婚します。そしてぼくは名津子さんと、ここに住みます』と宣言したというではございませんか。いくら顔見知りの青年であっても、こんなあつかましいことをいって、しかもそれを目の前で実行してみせる心臓っぷりには、お母さまが卒倒なすったというのも無理ではありません。 それ以来、隆夫はあのお家から離れないのです。誰から何といわれようと、隆夫はすこしも気にしていないらしく、にやにや笑うだけで言葉もかえさず、その代り、忠実な番犬のように名津子さんのそばから離れないのです。しかしふしぎなことに、名津子さんの病気は、ぴったりと癒(なお)ってしまいました。前のようにちゃんとおとなしくなり、いうこともへんではなくなりました。二人の仲は、たいへんいいのです。そのかわり、この事件のてんまつは世間にひろがり、すごい評判になりました。もちろん隆夫は、退校処分(しょぶん)にされました。でも隆夫は平気でいます。今の今も、わたくしは隆夫の気持が分らないで、悩んでいるのでございます」 隆夫の母親は目頭(めがしら)をおさえた。
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