建築競争
「一坪館だって三階建で地下室もあるんだ。こちとらも、ぼんやりしていられないぜ」 一坪館の建設にあおられて、銀座かいわいの商人たちも、これまでの平家建や二階建では、気がひけるというので、今までの店をばらばらにこわして、また新しく建設をはじめた。そしてこんどはだんぜん三階建が多くなった。 もちろん、銀座をあるく人のみなりも、ずっとよくなってきた。むかしのようなゲートルに戦闘帽の人なんか、どこにもみられなくなった。モンペもすがたをけした。女はスカートのついた服をきてあるいた。男たちのズボンのおり目はきちんとついていたし、靴はぴかぴかにみがかれていた。それはぼろ靴でほうぼうが修理してあったが……。 時代は、すばやくうつっていくのだ。平和が来て、ひとびとは安心して文化のみちをふんですすむのだ。そして銀座かいわいは、どこよりもまっ先にきれいになり、りっぱになり、そしてあっと目をうばうようなものがあらわれるのだった。 銀座をあるいていても、もう靴にほこりがつかなくなった。一丁目で靴をみがいて、銀座八丁をぐるぐると二回ぐらいまわっても、靴はやはりぴかぴか光っていた。文化の光は、ようやく銀座からかがやきはじめたのである。「ふーン、もう目につかなくなっちゃった。これじゃしようがない」 源一は、一坪館の向い側に立って、こっちを見ながら、大きなためいきをついた。 建てたときは、あたりからずばぬけて背の高い三階建の一坪館だったけれど、今はもうあたり近所にかなりりっぱなものが建ってしまって、一坪館なんか下の方にひくく首をちぢめてしまったかたちだ。 ヘーイ少佐はそのころアメリカへ連絡にかえって不在だった。 「どうしたもんだろうね、犬山さん」 源一は、相談相手といって、ほかにないから犬山画伯に相談をかけた。 「しんぱいすることはないよ。そのうちに、いい運がむいてくるよ」 画伯はなぐさめる顔でいった。しかし画伯は何を建てるにしても、まず先立つものは金と資材とであることを思い、源一も自分も、そういう方にはあまりえんがない人間だとさびしく思った。 それから四五日のちのこと、店の前に一人の老婦人が立って、しきりに中をのぞきこんでいたが、そのとき源一は地下室からあがって来て、ひょいとその老婦人と顔を見あわせた。源一は、あっとおどろいた。 「あっ、矢口家のおかみさんじゃありませんか。ぼく、源一ですよ」 「まあ、まあ……」老婦人もおどろきに目をまるくして、 「やっぱり、そうだったのね。源どん、お前さん、ほんとうに、ここに店を出しておくれだったのね」と、うれし涙であった。
とびだした名案
源一がうれし涙でむかえた老婦人こそ、この一坪の店を源一にゆずって東京を去った矢口家のおかみさんだった。焼けるまでは、おかみさんは、ここに煙草店をひらいていた。 「おかみさん。どうしてかえって来たのですか。樺太へいっていたんでしょう」 「いいえ、それが源どん。あたしが途中で病気になったもんだから、樺太へは渡れなくて、仙台の妹の家に今までやっかいになっていたのさ」 「へえーッ、それはかえってよかったですね。で、まだ病気はなおらないのですか」 「もういいんだよ。このごろは元気で働いているくらいだから大丈夫よ。そればかりか、妹のつれあいにすすめられて山を買ってね、それがセメントの原料になるんで、あたしゃ大もうけをしちまったよ。病人どころじゃないやね」 「へえーッ、大したもんだな。じゃあ、このお店もおかみさんにかえしましょう」 源一は、とっさに決心をしてそういった。 「な、なにをおいいだね。この店はきれいに源どんにあげたんじゃないか。とりかえすなんて、そんなけちな考えは持っちゃいないよ。それよりもね、源どん。あたしがこんど東京へ出て来たのは、一つはこの店のあとが今どうなっているかを知りたいこと、それからもう一つには、やっぱり東京へ出て、新しい時代にふさわしい商売をはじめたいと思ってね、それで出て来たのさ、お金なら二、三百万はあるし、セメントならいくらでもあるんだが、なにかいい商売ないだろうかねえ、源どん」 「はっはっはっ。これはおそれいった。やっぱり商売の腕は、矢口家のおかみさんにはかなわねえや」と、源一は頭をかいて、 「その新しい商売ですがね、じつは、私も考え中なんですが、ひとつ私の方の仕事へのってくれませんかね」 「どんな仕事だい、お前さんのもくろんでいるのは……」 「じつは、この一坪館を建てなおして、もっと上へのばしたいのですがね。つまり十階か二十階ぐらい高いものにしたいのです。そして各階に、いろいろ楽しい店を開くのです。どうです、おもしろいでしょう」 「でも大丈夫かね、そんなにひよろ高い煙突みたいな建物がつくれるかしらん」 「きっと出来ますよ、大丈夫です。二十階の一坪館ができてごらんなさい。銀座の新名物になりますよ。どうです、おかみさん。これをいっしょにやりませんか」 「おもしろそうだけれどね、台風が来たら吹きとびやしないかね。あたしゃ心配だよ」 「たぶん大丈夫です。このことはいずれ、よくしらべておきます」 源一は、ヘーイ少佐が日本へかえって来たら相談しようと思った。少佐は建築工学に明るいのだったから。 「しかし、なにしろたった一坪だから、二十階つくってみたところが、いくらの広さでもありやしないやね」 矢口家さんのおかみさんの心は、だんだん源一の話の方へうごいてくる様子だ。
りっぱな土産
一坪館を十階または二十階にするという考えは、源一が矢口家のおかみさんと話をしているときにふっと思いついた企画だった。 しかし源一は、その思いつきが自分でもたいへん気に入った。なにしろ銀座に今二十階建の家なんかありはしないのだ。そういう高層建築物――たとえ一坪しかないにしろ――を建て、そのてっぺんから下を見下ろしたらさぞゆかいなことであろうと思った。ぜひ、つくりたいものだ。 だが、なんとかもっと店の広さを大きくする工夫はあるまいか。せめて店が四坪ぐらいの広さをもっていたら、どんなに便利だかしれない。お隣りでは地所を売って下さらないか、一つあたってみようと思い、さっそくたずねてまわった。 「とんでもない。うちの地所を売るつもりは、絶対にないね。それよりも、君のところの地所をうちへ売ってくれませんか。うんと高く買いますぜ」 両隣りでも、裏の家でも、みんな同じようなへんじであった。売ってくれるどころか、はんたいに一坪館の地所を買いたいというのであった。一万円ではどうかと、すぐ金額をきりだす者もあった。 これでは源一の望みもだめだ。 「源どん、かえって来たよ。けさ東京についた。源どん、元気かわりないか」 ヘーイ少佐が、血色のいい顔をぬっと店の中へ入れた。 「やあ、おかえりなさい。待ってましたよ」 源一は少佐にとびついて手をにぎってふった。 「ほう、源どんへおみやげだ。この本、気にいるだろう」 そういってヘーイ少佐が源一の手にわたしたのはアメリカ版のりっぱな大形の本だった。 「英語の本ですね。ぼく、はずかしいけれど、きっぱり英語は読めないんです」 「心配いらない。本をひらいてごらん」 源一は少佐にいわれたとおりにした。どのページにも建築物の図と設計図とがついていた。すばらしい美本の建築設計集であった。 「なるほど。画なら分りますよ」 「それ、みたまえ。はははは」 四百ページもあるその本には、各種類の近代建築物がのっていた。源一は少佐がそばにいるのもわすれて、ねっしんに各ページを見ていった。 「これはおもしろい。こんなことができるのかなあ。ねえヘーイさん」 源一が少佐の方へさしだした図面は、塔の形をした建物で、下の方が細く上へいくにしたがってひろがっている。 「できるね。つまり鉄のビームを組んで、横にはりだせばいい。鉄橋や無線局の鉄塔で、そうなっているものが少くない。ほら、ここに出ている」 「よし、これ式の一坪館をつくろうや」 源一は、一つのヒントをつかんだ。
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