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桐花カスミは、ミス銀座といわれる美人売り子に、三原玲子の方は不良の情婦で、裏町の小さいカフェに女給をしているというしがない役割で、一人の大学生をめぐって物語が伸びてゆくという中々いいところで、試写映画はぷつんと切れてしまった……。 「如何です。もう一本かけましょうか」 木戸氏がにこにこして函から出てきた。私は帆村の顔を見た。――彼はじっと考えこんだ眼の焦点を急に合せ乍ら、 「……今の映画の終りの方に、変なところがありましたね。カフェの場、三原玲子さんなどの女給連総出で花見がえりらしい酔っぱらいをがやがや送って出るところで、画面がいきなり飛んで不連続になるところがありましたよ」 と云い出した。 「そうですか」と木戸氏は怪訝な顔をして云った。「はてな、すると先刻のやつと間違って接いでしまったのかな」 木戸氏は函の中に入って、フィルムの入った丸い缶を持ちだした。そして手馴れた調子でぴらぴらとフィルムを伸ばしては窓の方に透してみるのであった。 「ああ判りましたよ」木戸氏は、急に手を停めて云った。 「数日前、誰かフィルムの一節を切取って行った奴がいるのです、そしてそのまま後を接いで置いたものだから、あんな風に不連続なのです。これに私も気がついたものだから、別にして置いたのですが、誰かが間違えて編集ズミのフィルムへ接いでしまったというわけです」 「フィルム切取りですって?」と帆村は体を乗り出して、 「そんなにいい場面が映っていたのですか」 「そんなんじゃないんです。酔っぱらいをがやがや云って女給が送りだすところですから、何のいいところがありましょう」 「可怪しいじゃありませんか」 「ええ、可怪しいと云えば、可怪しくないこともないのですが……」 「なんですって?」 「木戸君、この人は探偵趣味があってね、そういう変なことを面白がるのだよ、訳を話してやり給え」 と、私が説明してやると、木戸は、それなれば――と云って非常に真面目くさった顔で、フィルム切取り異変について語りだした。 ――このフィルムは四月二十九日の撮影にかかるものであるが(二十九日というと、玲子が刑事に取調べられた日ではないか!)すっかり現像がこの編集部へ廻って来たのが、三十一日の朝だった。そこで彼はそれを映写機にかけて、台本と較べながら、音画校正をやったのであった。ところが例の「カフェの送り出し」のところで、玲子の云う台辞がまるで違っている個所があった。そこで彼は台本の上に赤い傍線をつけると共に、「カフェの送り出し」の一節のフィルムを別にして、監督へ報告の手続をして置いた。 監督は電話をかけてきて、(その場面は、物語の筋と直接関係のない個所だから、その儘で差支えない)と返事してきた。そしてフィルムは、あとで給仕が持って来たのであった。監督はそれでいいとして、尚も旅行中の脚本係長に相談するつもりで、その儘別にしてあったところ、今朝気がついて見ると、あのようにフィルムの一節が切り取られてあった。 「私の合点がゆかないことはですね」と木戸は言葉尻に力を入て、「不思議にもフィルムの切取られた箇所と、台辞の間違っている箇所が一致しているのです。偶然の暗合にしてはあまりに合いすぎるので、これは誰かの故意の切取りと見ました。監督にも云って置きましたから、今日は後ほど、台辞の当人である三原玲子氏にも訊いてみることになっています……如何です、不思議でしょう」 「…………」帆村は余程感動したらしく、無言で頤をつねっていた。 私は、わが三原玲子が、たった半日の間に不思議な噂の中に浮きつ沈みつするようになったことを恐ろしく思った。果して彼女は「暁団」の団員であろうか。そして一体何のために、台辞を間違えたり、それからそのフィルムを盗まれたりするのだろう。それが何か錨健次の非業な最期や、暁団対黄血社の闘争に関係があるのだろうか。奇怪といえば奇怪であった。彼女に搦まる「獏鸚」の謎は、どこまで拡がってゆくのだろう。 「木戸さん、三原さんの間違えたという台辞は今お判りでしょうか」と帆村が突然口を開いた。 木戸は肯くと、室を出ていったが、間もなく一冊の仮綴の台本を持ってきた。その表紙には「銀座に芽ぐむ」と大書せられてあった。 「ここですよ――」 彼が拡げたところを見ると、ガリ版の文字が赤鉛筆で消されていた。その文句は、玲子役の女給ナオミの台辞として、 「……まっすぐに帰るのよ。またどっかへ脱線しちゃいけないわよ。もしそうだったら、こんどうんと窘めてやるから……」 と与えられているのに、トーキーで彼女が実際に喋った台辞の方は、「あらまそーお、マダム居ないの、騙したのね。外は寒いわ、正に。おお寒む」 というのであった。なるほど、これでは前後の台辞の続き工合がすこし変であった。 「これは面白い……」と帆村は手帖に書きとめて、 「……アラマソーオ、マダムイナイノ、ダマシタノネ、ソトハサムイワ、マサニ、オオサム……。これは面白いぞ」 としきりに面白がって、同じ文句を読みかえすのであった。 「帆村君、どうして台辞なんか間違えたんだろう」 「なあにこれは一種の暗号だよ。……『獏鸚』以上の隠し文句なんだ」帆村がそう云ったとき、俄かに入口の方にがやがやと人声がして、誰かこっちへ跫音も荒く、近づいて来る者があった。……。私は扉の方へ、振りかえった。 と、そこへ扉を排して現れたのは、私もかねて顔見知りの警視庁の戸沢刑事だった。 「これは……」と戸沢名刑事は帆村の方を呆れ顔で眺めてから、ぶっつけるように云った。 「帆村君、えらいことが起ったよ」 「えらいことって何です。戸沢さん」と帆村もちょっと突然の戸沢刑事の来訪に駭きの色を見せた。 「江東のアイス王、田代金兵衛が失踪したんだよ、今日解ったんだがね」 「あッ、あの田代がですか」 「ほんとに迂濶だった。失踪したのは、取調べの結果、先月の二十九日、つまり三日前だった。そいつに誰も気がつかなかった……」と口惜しそうだ。 「旅行でもないんでしょうネ」 「どうして、旅行じゃない。表の締りもないしさ、居間も寝室も、それから地下道への入口も開いていて、彼が其処に居なければならない家の中の様子だのに、姿が見えない」 「例の地下にある田代自慢の巨人金庫は如何です」 「ほう、君も巨人金庫のことを知っているんだね」と戸沢刑事はにやりと笑い、「金庫は外見異常なしだ。あの複雑なダイヤルの上にも鉄扉にも、怪しい指紋は残っていない。内部を見たいのだが、暗号が見当らないので弱ってしまう」 「ああ、暗号ですか」と帆村は何気なく聞きかえした。 「あいつは黄血社と暁団とで狙っていたものだ。黄血社はあの金庫の真上にあたる地上に家を建てて、地下道を掘ろうと考えている。……今度とうとう尻尾をつかんでやったがね。しかし金兵衛の失踪は、前の番頭である錨健次殺しと共に、暁団の演出に違いないと思うんだ。……本庁ではいま暁団を追いまわしているんだが、敏捷な奴で、団長の江戸昌をはじめ団員どもがすっかり何処かへ行ってしまった。こんなことは前代未聞さ。不良少年係でそろと、俺はもう威張っていられなくなったよ……」名刑事は白髪のだいぶん目立つ五分刈の頭を抑えて、淋しい顔をした。 「そうですか。では田代老人の金庫を廻って、暁団と黄血社の死にもの狂いの闘争が始まったんですね」 「で、貴方の此処へお出になった御用は……」と帆村は訊ねた。 「俺かい。俺は暁団の一味として、三原玲子を捕えにやって来たんだが……」 「三原玲子がどうかしましたか」 「先刻まで居ったそうだが、どこかへ隠れてしまったよ。はっはっ、なっちゃいない、全く」 名刑事は空ろな笑い声をあげて、自らを嘲笑した。私は老刑事の心中を思いやって眼頭が熱くなるのを覚えた。 「……私が探し出しましょう、戸沢さん」 帆村は決然として云い出した。 「君が探す?」と刑事は帆村を見て、「そうか、頼むよ。……だが、江戸昌も死にもの狂いだ。気をつけたがいい」
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