室の中央に投げ出された柳行李の中に、一杯女の裸体写真が詰まっていたのだ。それは主にサロンの安っぽい印刷になる絵葉書や、新聞雑誌の切抜らしいものばかりであったが、更にその奥の方からは、独逸文字の学術的な女の裸体研究書などが出て来た。が、それにも拘らず、目的の女の着衣は部屋の何処にも見当らなかった。 然し、斯うなると、由蔵に就ても余り軽々しく考えられなくなって来た。何故なら、それらの持物でも判るように、由蔵は立派な変態性慾者であるに違いなかったからである。 暫くして、又刑事は押入の隅から望遠鏡のサックを曳っ張り出した。――赤羽主任の頭は愈々混乱して来るのであった。…… と、其の時、釜場へやって来た人間が、やあと声をかけた。それは、赤羽主任のよく知っている警察医の山村であった。 「御苦労さまで、どうも。所で赤羽さん、あの感電騒ぎをやった井神陽吉という男ですな。大分意識も恢復して来たようですが、先生頻りに帰りたい帰りたいと言うのです。言ってきかせても解らないので閉口してますが、どうでしょうな、あんまりあの男の意志に逆らうと、心臓が昂進して悪いのですが、お差支えなかったら、あの男を一応帰らしたらと思うんですが――。ええ、もうそりゃ決して逃げられるような身体じゃありませんよ」 「じゃあ帰してやりましょう。警察の者を二三人附き添わしてやって下さい。然し一応身元調べをすましたんでしょうな?」 「身元調べでは先刻注射の後で、前の交番の村山巡査にやって貰っときましたよ。村山君、ちょっと先刻の調査を見せて呉れませんか?」 呼ばれて釜場へやって来たのは、制服の巡査村山辰雄であった。彼は、事件の最初から見張り番に当って、一向犯行の経路も、捜査の経緯も知らないのであった。 「村山君、他ではないが感電した男の身元調べをやって置いて呉れたそうですが――」 赤羽主任に問われて、規律的に「はい」と返事した彼は、懐中から手帖を出してぱらぱらめくっていたが、或る頁を読み上げて報告しようとした。 「おっと、ちょっと僕にだけ見せて呉れ給え!」 云われて、村山巡査は、四囲に湯屋の夫婦やその他役筋でない人間のいることを知って苦笑しながら、その頁を開いたまま手帖を赤羽主任に手渡した。 と、見る見る赤羽主任の面には輝くばかりの喜色が漲った。 「これだ、犯人は判った!」 「えッ、犯人が判りましたか? あの、井神陽吉が、では、犯人なのですか?」 キョトンと解せぬ面持で、村山巡査は反問した。 「いや、然うじゃない。樫田武平、あの男に違いない!」 断乎として云い放った赤羽主任の顔を、事情の判らない一同は不審そうに瞶めた。 「いや、有難う、村山君。君の手帖のお蔭で図らずも犯人、いや有力な嫌疑者が判明した。感謝する!」 益々意外な赤羽主任の言葉、しかしそれはこうであった。 初め赤羽主任は、村山巡査の手帖を受け取った時、感電被害者の井神陽吉の身元を一見するのが目的であったことに間違はなかった。が、それを見ようとして、図らずもその調査項目の前に記されてあった文字が、彼をして一道の光明を認めさせたのであった。それは――
微罪不検挙(始末書提出) 活動写真撮影業及び活動写真機械及附属品販売業並にフィルム現像、複写業
樫田武平(二四歳)
(住所) といった、今日の事件に関係なく記入された覚え書きであったのだ。 赤羽主任は、それをチラと見るや、忽ちにして脳裡に蟠っていた疑問を一掃し得ることが出来たのだ。というのは、樫田武平なる青年の住所が、村山巡査の管轄区域内の者であること、その職業がこの事件の謎を解くに最も有力なものであること、それに微罪ながらも交番巡査に始末書を取られるといったような行状などからして、直覚的に犯人推定を試みたのであった。 説明を聞いて、共に五里霧中にあった刑事連もひとしく同意見を陳べるに到った。 だが、何にせよ、その樫田武平の身柄を捜査してみなければ、或は現場不在証明などの懸念もあるので、色めき立った刑事連は、赤羽主任の命を待つものの様にその面を仰いだ。 と、赤羽主任は、何故か悠然と構えて急ぐことを欲せぬもののようである。 「非常線は張ってある。本署へ行けばきっと捕っているに違いないよ!」 先刻までの陰鬱そうな顔色にひき代えて、また何と云う暢気さだろう!
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