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電気風呂の怪死事件(でんきぶろのかいしじけん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-25 12:51:25 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


「おい、女の着衣きものが見えないぞ、箱を探して呉れ」
 刑事達は、箱のを片っ端から開いてみた。が、どの箱にもそれは見当らなかった。殺されている女湯の客の着衣きものが見当らないなんて、そんなおかしい訳はある筈がないと、一同は一様に不審のおもてを見合せた。もしや先刻さっきの混雑に紛れて、誰かがその女の着物をかすめたとしても、足袋一足、湯文字ゆもじ一枚も残さぬという筈はなかった。
「じゃあ、下駄はどうだ?」
 赤羽主任は躍起やっきとなって、番台横の三和土たたきを覗いてみたが、その下駄も片方すら見当らないではないか?
「一体、此の女は何処から入って来たんだろう?」
 赤羽主任は脳髄のしびれるのを感じた。が、その疑問は疑問として、とにかく天井裏の屍体も、差当り放っては置けなかった。
 やがて、発見者の刑事を先頭に赤羽主任や刑事連は、釜場の梯子を上って行った。向井湯の主人も、命ぜられて兢々きょうきょうと一同の後に続いて昇って行った。
 由蔵の部屋は、わずか三畳敷の小室こべやであった。西に小窓が一つあって、不完全な押入が設けられてあった。その押入の中には、柳行李やなぎごうりやら鞄やらが入っている。そして、成程なるほど、天井の板が一枚めくられていた。一同はゴソゴソとその穴から天井裏へ抜けて出た。
 懐中電灯の光芒ひかりが縦横に飛び動いて、四辺あたりの状態をそれぞれの眼にはっきりと映して呉れた。そこは、上って見ると、こうも広々としているものかと思われる程、ゆったりとした天井裏であった。頑丈な棟木むねぎ交錯こうさくして、奇怪な空間を形作かたづくっている。と、十間ばかりの彼方に、まさしく俯臥せに倒れている屍骸が認められた。
 主人の証言によって、それはの疑いもなく由蔵の屍体であると判明した。
 赤羽主任は、殆んど迷宮に途惑とまどった人間のように、はなはだしく焦立いらだちながらも、決して検証をおこたらなかった。
 由蔵の屍体は、女湯の惨殺体と同様に、咽喉笛の処に鋭い吹矢が立っていた。そして、四辺あたり一面の血の海は、次々と発見された事件の衝動に麻痺まひされた一同の心に、只燃えつつある絨鍛じゅうたんの如くに映った。
 しかし、次に、一同は異様なものの落ちていることを発見した。それは筒状つつじょうの望遠鏡と、もう一つは脚のない活動写真撮影機であった。更に、犯人が兇行に使用したに違いない吹矢や、吹矢の筒も片隅の方に発見された。パンの食いかけ、蜜柑みかんの皮、それらも決しておろそかには出来ぬ発見物と見做みなされた。
 赤羽主任は懐中電灯をりて、由蔵の屍体の周囲を丹念に調べてみたのち、ちょっと首をかしげて云った。
「おい、誰かちょっと手を借して呉れないか。この屍体の頸を左へ、四五寸ばかし動かしてみるんだ」
 心得顔に一人が屍体の頭髪を掴んでズルズルと左へ曳き寄せた。と、赤羽主任は、吹矢の一本を取上げて、その尖端さきで由蔵の頭のあった辺を探っていたが、暫くすると、コツンと音がして、ポカリと眼の前に一つの穴が開いた。
「これだな!」
 赤羽主任は、その丸い穴から下を覗いてみた。果せるかな、眼眩めまいを感ずる程遥かの真下に、先刻さっきまで取調べていた女の屍体が横っている。――まぎれもなく、其処は女湯の天井裏だったのだ。
 やがて、赤羽主任は、その節穴ふしあなをふさいでいた血染ちぞめのせんを、吹矢の先に刺して懐中電灯の光を借りて、じいっと見つめた。それは、決して単なる木栓や、材木の節ではなく、実に巧妙に作り上げられた蓋様ふたようのものであった。そして、その金属の蓋の真ん中を打ち抜いて、円いセルロイドの小板がめ込んであるものであった。が、それも矢張り血潮に染っていた。


     2


 次から次へと、意外な事件の連続と、それにも増して奇怪な事実の発見に依って、居合せた刑事連は、ひとしく驚愕きょうがくまなこみはった。が、誰よりも彼よりも、歯の根も合わない程おどろいたのは、向井湯の主人であった。
 自分の家の天井に、うした油断のならぬ節穴ふしあながあったことさえ、夢にも知らない事であったのに、その上、誰が持ち込んだものか、望遠鏡やら、活動写真の撮影機やら、吹矢やら、またパンの欠片かけら蜜柑みかんの皮といった食物まで運ばれていた――など、何が何やら、彼にとって薩張さっぱり訳の判らないことであった。しかも、日頃忠実であって、深い信頼をけていた由蔵が、僅々きんきんの時間に、場所もあろうにこんな所に屍骸と化してよこたわっているとは!
 彼は、天井裏にペタンと坐ったまま、情ないのと恐怖とで涙に暮れていた。と、泣けて泣けて仕方がない程の気持の中にも、何か異常を感じたのだろう、ひょいと立上った彼は、今迄坐っていた足の下をぞろりとでてみたのち、何かに触れて声を上げた。
「何だ何だ!」
 懐中電灯の光線が、さっと飛んで来た。刑事たちの注視が一様に其処そこへ集った。
「やッ! 電線だ、こりゃ電線だぜ!」
 主人は、一条の細い電線の上に坐っていたのだ。それが足の肉に喰い込んでいた痛みが偶然発見をもたらしたのである。
「電線!」という声に、一同は先刻さっきの感電騒ぎのあったことを思い出した。そうだ、井神陽吉が男湯の中で感電して卒倒そっとうした事件は、今の今迄、恐らく皆の脳裡のうりから忘却ぼうきゃくされていたのであろう。それほど、一同は異常にれていた。それを今、電線の発見から、再び一同の頭には関係づけられて考えられて来た。
 赤羽主任は、つかつかとその電線の所在箇所しょざいかしょに近寄って色々と調べてみた。と、それは蝋引ろうびきのベル用の電線で、この天井裏をい廻っている電灯会社の第四種電線とは、全然別種のものであることが判明した。又、それは大して古いものではないという様なことも判って来た。赤羽主任が、なおもその先を辿たどって見ると、その電線の一端いったんは、電灯線の所謂いわゆる第四種線にからまって由蔵の屍骸の傍に終ってい、他の一端を探ってみると、棟木むねぎの上に、ベルに用いるようなマグネットがあって、更に下部かぶへ降りて男湯の天井を匍って電気風呂の男湯の配線の中へ喰い込んでいた。専門外のこととてはっきりしたことは判らなかったが、とにかく、簡単ながら、男湯の電気風呂へ、何かの仕掛けがほどこされていることだけは、誰にも首肯しゅこうされたのであった。
 赤羽主任の脳裡には、ようやく事件のあやが少しずつ明瞭になってくるのを覚えた。そして、此の事件の犯人は、この天井裏に潜伏していて、望遠鏡と活動写真撮影機とを使用して、女湯の天井から、犯人の恋人ででもあるらしい肉体美の女を殺し、その藻掻もが苦悶くもんして死んでゆく所を、活動写真に撮影しようと思ったのでもあろうか。つまり一種の変態性慾者である。そして、その犯行をげるために、最初、男湯に強烈な電流を通じて、浴客の一人を感電せしめ、その混乱から人々の注意が男湯の方に集っている機に乗じ、犯人はその女を吹矢で殺して、その目的である活動写真撮影を完成し、ねて恋愛の復讐か何かを遂行すいこうしたものであろう。――と、これが、赤羽主任が匆々そうそうにまとめ上げた推理の筋道であった。
 赤羽主任は考える。――それから由蔵は、何かの異常に気がついて、此の天井裏に上ってみたが、逸早いちはやくそれと知った犯人のために、物蔭から吹矢で射殺いころされたに違いがない。それが証拠に、由蔵の屍体には、明かに格闘をした形跡が残っていないではないか。――
 だが、これだけではまだき足りない謎が大分沢山残されてある。
 第一は犯人が一向いっこうげ出した様子がないことである。此の風呂場で感電騒ぎが起ったとき、向井湯の直ぐ向う側にある交番の警官が、バタバタと飛び出して来た浴客の女達のあられもない姿を認めて、彼女等を訊問じんもんしたことに依って早くも事件を知って、時を移さず表口や裏口に手配をしたことが報告されている。感電事件に居合せた浴客の男達も、陽吉の手当している間に、警官に堅く禁足きんそくを命ぜられていた。後から飛び込んで来た近所の連中や通行人さえ、みんな留め置かれている。猫の子一匹だって表へ出たものがないとしたら、犯人は必ず此の向井湯の中に、依然として現在も居る筈に違いない。万一その犯人が由蔵の室の窓から外へ飛び出したとしても、見張りの警官に認められぬということはあり得ない。
 第二に、由蔵が、何故なにゆえにこの天井裏に異常のあることを認めて、此処ここまで上って来たかということである。いくら気が顛倒てんとうしていた場合とは云え、他の人間に知らせずに、こんな所へ一人で上って来る筈はない。
 第三に、最も不審なことと云えば、女湯で惨殺ざんさつされた彼の婦人の着衣も下駄も一物として発見されぬ事である。仮に当時の女湯の客で、手の長い人間か、狼狽者ろうばいしゃが居たとして、その女の着衣を持ち出したとしても、足袋たびの片足や、湯文字ゆもじの一枚までも残さぬなどという大胆不敵な行動が、あの際出来るものでなく、下駄の無いことに至っては、もはやそんな生暖なまぬるい想像はくつがえされるべきことであろう。
 最後に疑問として残ることは、当時数人居たと想像される、いや、居たに相違ない女湯の客が逃げ出す時、どうしてこの女が殺されたことを誰一人として知っていないのであろうか。いくら女は気が弱いと云っても、その辺のことを考えると怪しむべき余地は充分にあろう。が、これも、殺された女が事件をよそに悠々と落ついて、たった一人で何時までも湯槽ゆぶねつかっているなり、流しているふりしていたと考えれば、幾分合理性も認められるが、浴客中に、もしもその様に落ついた女が一人も居らなかった場合を考えると、天井裏に穏れて、かねて計画の機会を待っていた犯人が人知れず或る女を殺したり、活動写真を撮影したりすることも不可能となって来るから、此のへんも尚不審である。
 赤羽主任は考え疲れて、頭がフラフラするのを覚えながら、一同と共に再び階下に降りて来た。
 由蔵の部屋から釜場かまばへと梯子はしごを降りている時、赤羽主任は、奥の居間から、湯屋の女房が茶盆ちゃぼんを持って出て来るのを見た。と、同時に、彼は、ハッタと、忘れていた或事に気がついた。先刻さっき、女房が云ったことには、釜場の下で変な裸体の女に突き当った。その女が「女湯の方は何事もない」と云ったのにもかかわらず、僅か幾分と云わせずして、女の屍体が発見されたではないか。女が、女湯の方へ入った時には、女の屍体はどうしても其処にあった筈である。それなのにの疑問の女は何事も言わなかった。ひょっとすると、その女が、惨殺された女の着衣や下駄を自分の身につけて、ました顔で表戸から出て行ったのではなかろうか? だが、もしそうだとすると、その女は一体何処から来て、彼女の真実ほんとうの着衣や下駄は何処にあるだろうか。仮に、その女が犯人だとしても、まさか女が裸体で天井裏にいたのもおかしいし、また女が女湯から活動をるなども変な話である。
 ――そう考えながらも、赤羽主任は、いずれにしろ、その惨殺された女の着衣と下駄を探すことが、事件の解決に最も役立つものであることを知って、後ろに続いて来た部下の一人に命じた。
「由蔵の部屋の持物を全部洗ってみろ、女の持物が出て来るかも知れないからな」
 梯子を降りかかった刑事の一人は、そう云われてただちに再び部屋へ取って返した。
 やがて五分も経ったと思われる頃、その刑事は由蔵の部屋から顔を出していきおいよく答えた。
「主任、ありました。何だか、おかしなものが出ましたぜ!」
「ふむ、そうか、何だね?」と主任の声。
「ま、ちょいと来て御覧なさい!」
 刑事は頬のあたりを変にゆがめて、いやらしい笑いを見せた。赤羽主任は云われるままに梯子を昇って行ってみた。

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