記録秘録
桝形探険隊事務所では、帆村たちを、防弾天井越しに青空の見える円天井広間へ招じ入れた。 桝形隊長は、帆村とは前々から或る仕事に関して同僚であったことがあり、しかもその当時帆村の並々ならぬ尽力によって、彼が危機を救われたこともあって、帆村に対しては最大級の礼をもってしなければならない立場にあった。だが、彼が心の底から帆村に感謝しているかどうか、それは分ったものでない。こういう場合、世間では先に自分を救った者を煙ったく思って敬遠したり、又ひどい例では、隙があらば恩人の足をすくって川の中へ放り込もうとする者さえある。 桝形は、五十がらみの、でっぷり肥ったりっぱな体躯の男だったが、帆村たちの待っている青空の間へ足を踏み入れると、急ににこにこ顔になって、親しげな声をかけた。 「きょうは、この前の火星探険のことについて少し教えてもらいたくてね」 帆村は、ぶっきら棒にいった。 「何だ、仕事かい。まさか新しい利益配当の提訴事件じゃないんだろうね。もう隊には、儲けはちっとも残っていないんだから」 「そんなことじゃない。或る探険隊員について知りたいのだ。碇曳治という人がいたね。新聞やラジオで、宇宙の英雄ともちあげられた男だ」 「ははあ、又縁談の口かね。あの男ならもう駄目だよ。七年越しの岡惚れ女と今は愛の巣を営んでいるからね」 「谷間シズカという女のことをいっているんだね」 「おや、もうそれを知っているのか。それでないとすると、どういう事件だい」 「僕の仕事は依頼者のために秘密を守る義務を負わされているのでね。……ところであのときの記録綴を見せて貰いたいんだ。いつだかもすっかり見せて貰ったが、書庫へ行った方が、少しは君たちの邪魔にならなくていいだろうね」 桝形は苦がり切っていた。図々しい探偵の要求をはねつけることはむずかしい。 「隊員といえども閲覧禁止という規定にしてあるんだが、まあ君だからいいだろう。こっちへ来給え」 書庫は地階十三階にあって、隊長室の後隣の部屋になっていた。桝形は帆村たちの傍から一秒間も目を放そうとしなかった。 「どうも変だね。始めの方には、隊員名簿の中に碇曳治の名がない、途中から以後には彼の名がある。これはどういうわけかね」 「はははは。そんなことかい。名探偵にそれ位のことが分らないのか」 「最初の隊員総数三十九名。帰還したときには四十名となっている。碇曳治は、始めつけ落されている。なぜだろう。隊長たる君が勘定から洩らしている隊員。ああ、そうか碇曳治は密航者なんだ。そうだろう」 「もちろん、そういうことになる」 桝形は冷静を装って、事もなげに言った。帆村はそれには目もくれず、立上って別の書類を棚から下ろして来た。それは「航空日誌」であった。彼は最初の頁から、熱心に目を落として行った。 「あった。○八月三日(第三日)総員起シノ直前、第五倉通路ニ於テ密航者ヲ発見ス。随分簡単な記録だ。それから後は……」 帆村は頁の上を指先で突きながら、先をさぐって行った。同じ日の終りの方に、もう一つ記事があった。 「各部長会議ハ食糧、空気、燃料等ノ在庫数量ヲ再検討シタル結果、隊員ヲ今一名増員可能ト認ムル者五名、不可能ト認ムル者四名トナリタリ。(数字抹消)事ハ決マリタリ。抽籤ノ結果、碇曳治ヲ隊員第四十号トシテ登録スルコトヲ、本会議ハ承認セリ。余事ハ交川博士ニ一任シ、処理セシム。――なるほど、三日目に碇は隊員の資格を得たんだ。そして定員は三十九名から一名増加して四十名になったんだ」 桝形の目が、凍りついたように帆村の横顔を見ている。帆村は相変らずそんなことには無礼者だ。(彼の甥が、忠実なる監視灯の役目をつとめて、情報を靴の音で知らせている) 「この日誌の文句は写して置こう」 と、帆村は手帖の中に連記する。 「桝形君。ここのところに抹消されたる文字があるが、これはどう読むんだろう」 「抹消、すなわち読まなくていい文字だ」 「だってこれを読まないと文章が舌足らずだぜ」 「文芸作品じゃないからそれでもよかろう」 「記録文学の名手が、ここでだけ手をぬくのは変だね。とにかくこの碇洩治が密航者としての処断を受けないで一命を助かり、隊員に編入せられたのに彼は大感激し、あとで大冒険を演じ流星号の危機を救い、一躍英雄となった――というわけなんだね」 「そのとおりだ。実際彼の活躍ぶりは……」 と、桝形は俄かに雄弁になり、あの当時のことを永々と喋り出した。帆村はふんふんと、しきりに感心している。しかし彼の手は、別冊の頁をしきりに開いていた。それは交川博士の手記にかかる「通信部報告書」だった。同じ八月三日の記載に、次のような文句があった。 「……密航者一名ヲ法規ニ照シテ処理ス。二十三時五分開始、同五十五分終了」 それからその欄外に鉛筆書で「23XSY」“畜生、イカサマだ云々”、「要警戒勝者」と、三つの文句が横書になっている。帆村の顔は硬ばった。 「密航者は一名かと思ったら、そうじゃなく、二名居たんだね。」 帆村は叫んだ。 「君の解釈は自由だ」 桝形は太々しく言い放った。 「ちゃんとここに書いてある。この『通信部報告書』に。これは交川博士の筆蹟だ」 帆村は「密航者一名ヲ法規ニ照ラシテ処理ス云々」のところを指した。そのとき別の書類が、欄外の鉛筆書きの文字を隠蔽していた。それは偶然か故意か、明らかではない。 「これを読んでから、もう一度『航空日誌』に戻ると、密航者が二名あったことがはっきり推定される。なかなか狡い――いや、巧妙な記載だね」 桝形は帆村の言葉を聞き流している。 「抽籤で、碇曳治が流星号の中に残されることとなった。そして他の一名は、法規に照らして交川博士の手により処理された。それに違いない。――他の一名は何者か。どういう処理をしたのか。説明して貰えないかしら」 「その判断は君の常識に委そう」 「分っていることは、姓名不詳の密航者は流星号の中に停ることを許されず、その日の二十三時に、外へ追放されたんだ。そうだね。それは死を意味するのかね」 「艇外のことについて、僕は責任を持っていないんだ。だからどうなったか知らない」 「それはどうかと思うが、しかし今君を糾弾するつもりはない。僕の知りたいのは、姓名不詳氏がどう処理されたかということだ。交川博士に聞けば分るんだが、博士は今何処に――」といいかけて帆村は突然電撃を受けたようにぶるぶると慄えた。「……交川博士は探険の帰途、不慮の最期を遂げたんだったね」 「君は何でも知っているじゃないか」 「いずれ全部を知るだろう――。しかし今は知りつくしていない。――博士と話をすることが出来ないなら、通信部の誰かに会って訊いてみたい。紹介してくれたまえ」 「もう解散してしまって、誰も居ないよ。通信部は完全に解散してしまったのだ」 「そうか。それは残念だ。しかし名簿は残っているだろうから、それを手帖へ控えて行こう」
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