「はア、困っていますんで……」 「困っている? それは何か」 「痔でござんす。痛みますんで、夜もオチオチ睡れません」 「睡れないのは、誰でも入りたてはちと睡れぬものさ。痔だなんて、つまらん芝居をするなよ」 「芝居じゃありませんです。じゃそこで看守さんは見て居て下さい。いま此処で股引を脱いで、御覧に入れますから」 そういって私は柿色の股引に手をかけた。 「ば、ば、馬鹿」と看守は慌てて呶鳴った。「おれが見ても判らん。上申してやるから一両日待っとれッ」 ガチャンと窓に蓋をして、看守は向うへ行ってしまった。 私は顔を顰めながら、茣蓙だけが敷いてある寝台の上にゴロリと横になった。 ――思いかえしてみると、痔の悪くなるのも無理がなかった。あの病院へ行っていたころ、本当に悪かったのである。あれからこっち、汗をかくほどの活動を、それからそれへとした上に、ラジウムの隠しどころとして、あの肉ポケットを利用した時間が実に相当の量にのぼったのだった。その結果、患部は悪化した。いじりまわしたのが悪かったのか、それともラジウムを長い時間、患部に接して置いたのが悪かったのか。 そういえば、ハッキリ刑務所の人間となるときに、私は千番に一番のかね合いという冒険をしたのだった。あのとき、私のあらゆる持ちものは没収され、素ッ裸にして抛り出されたのだ。それまではラジウムを、あっちのポケットからこっちのポケットへと、頻繁に出し入れしていた。同じところに永く入れて置くと、たとい洋服だの襯衣だのを透してでも、ラジウムの近くにある皮膚にラジウム灼けを生ずるからだ。ところが、この素ッ裸にされ、そしてやがて襟に番号の入った柿色の制服を与えられる場合になっては、最早ラジウムはそのままにして置けなかった。洋服の一部分に入れて置けばよいようなものであるが、五年も同じところに入れて置くと、洋服の生地がボロボロになり、その隙間からラジウムは自然に下に転がり落ちるだろうと考えられたからだ。釦に穴を明けて置いて、その中にラジウムを嵌めこむ方法も考えたが、ラジウムの偉力は、洋服の生地も馬蹄で作った釦も、これをボロボロにすることは、まったく同じことだった。――結局、柿色の制服を着る際には、どうしてもラジウムを、あの肉ポケットに入れて、うまく独房の中へ持ち込むより外に、いい手はなかった。 こんな風で、私の肉ポケットの疾患は、更に悪化したのだった。ラジウムも適当なる時間を限って患部に当てれば、吃驚するほど治癒が早いが、度を過ごすと飛んだことになるのだった。 「おい一九九四号、出てこい」 「はア。――」 「医務室へ連れてゆくから出て来い」 「はア。――」 私はラジウムを、清掃用の箒のモジャモジャした中に隠してそれから看守に連れられて外に出た。 (おオ、おオ) と向いの一二二二号が小窓から顔を出して、私にサインを送った。彼はこの刑務所へ入って出来た最初の友達であり先輩だった。本名は五十嵐庄吉といい、罪状は掏摸だとのことだった。 さて私は、その日から、痔の治療をうけることになった。何かにつけ、娑婆とは段違いに惨めな所内ではあるが、医務室だけは浮世並みだった。 「少し痛いが、辛抱しろよ」 と医務長は云った。なるほど手術は痛くて、蚕豆のような泪がポロポロと出た。 独房へ帰って来ても、痛くて起上れなかった。このままでは、腰が抜けてしまうのではないかと思った。私はそのとき、箒の中に隠してあるラジウムを思い出した。私は朝と夜との二回、ラジウムを取り出して患部にあてた。そして毎日それを繰返した。 「どうだ、吃驚するほど、早くよくなったじゃないか」 と医務長は得意の鼻をうごめかせて云った。 「へーい」 私は感謝をしてみせたが、肚の中ではフフンと笑った。医務長の腕がいいのではない。私のやっているラジウム療法がいいのだ。――こんなわけで、痔の方は間もなく癒ってしまった。 それからは、まことに単調な日が続いた。 初めのうちは、刑務所ほど平和な、そして気楽な棲家はないと思って悦んでいた。しかし何から何まで単調な所内の生活に、遂に愛想をつかしてしまった。 尤も、私達は手を束ねて遊んでいるわけではない。私達の一団は、紙風船を貼っているのである。広い土間の上に、薄い板が張ってあって、その一隅に、この風船作業が四組固まって毎日のように、風船を貼っているのだった。それは刑務所の中での一番華かな手仕事だった。赤と青と黄、それから紫に桃色に水色に緑というような強烈な色彩の蝋紙が、あたりに散ばっていた。何のことはない、陽春四月頃の花壇の中に坐ったような光景だった。向うの隅で、麻の糸つなぎをやっている囚人たちは、絶えず視線をチラリチラリと紙風船の作業場へ送って、快い昂奮を貪るのであった。 風船をつくるには、色とりどりの蝋紙の全紙を、まずそれぞれの大きさに随って、長い花びらのように切り、それを積み重ねておく。それから小さいオブラートのような円形を切り抜いて積み重ねる。これは風船の、呼吸を吹きこむところと、その反対のお尻のところとの両方に貼る尻あて紙である。呼吸を吹きこむ方のには、小さい穴を明けて置く、これだけが風船の材料であるが、それを豊富にとりそろえて置く。 紙風船の作業は、一番初めに、あの花びらのような材料の組み合わせを作る。たとえば赤と黄との二色を、一つ置きに張った風船をつくるのであると、そのような二種の花びらを揃える。それから一枚一枚、すこしずつ外して並べ、ゴム糊を塗る。それが一役。 次へ廻ると、ゴム糊の乾かぬほどの速度で、その花びらを一つ置きに張ってゆく。すると台のない提灯のようなものが出来る。これが一役で、四五人でやる。 今度はそれの乾いた分から取って、半分に折り、丁度お椀のような形にする。これも一役。 次は私と五十嵐庄吉とのやっている作業であるが、二人の間に、張型のフットボールの球に足をつけたようなものが置いてある。まず五十嵐の方が、二つに折られて来た紙風船をとって、いきなりこのフットボールの上にパッと被せる。すると私は、オブラートに糊をつけたものを持っていて、その風船の肛門のようなところへ円い色紙をペタリと貼りつける。すると間髪を入れず、五十嵐の方が風船をフットボールから外すと、素早くお椀みたいなのを裏返しにして、もう一度フットボールの上に載せる、すると反対の側の風船の肛門が出てくるから、私は小さい穴のあいている方のオブラートをペタリと貼るのである。それで紙風船の作業は終った。 あとは五十嵐が、出来上った紙風船を、お椀を積むように、ドンドン積み重ねてゆく。すると、ときどき検査係が廻って来て、その風船の山を向うへ搬んでいってしまう。 私と五十嵐とは、うまく呼吸を合わせて、 「はッ、――」ポン。 「いやア。――」ポン。 と、まるで鼓を打っているように、紙風船の肛門を貼ってゆくのであった。――だがこんな仕事は、せいぜい一と月もやれば、いやになるものだった。
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