消えた無電
「飛行島の工事は思いのほか早く出来あがることがわかった。多分三週間ののちと思われる。本日二十インチの大砲八門を積んでいることを発見した。川上」 受信時間をみると今日の午後十時着となっている。 なんという驚くべき電文だ。 長谷部大尉は、紙片を手にしたまま、「うーむ」とうなった。 「そうでしたか。艦長、川上の奴がもうこれ程の役をつとめていたとは、知りませんでした。そうとわかれば、さきほどから申し上げた言葉も、この際ひとまずひっこめます」 艦長は、大尉の前のコップに、手ずから酒を注いでやりながら、 「川上のことは、いつか君に話したいと思い、わしはすでに司令官のおゆるしを得てあったのだ。司令官もよく諒解せられ、明日にでもなったら、頃を見て話をしてやれといわれた。――なあ、長谷部大尉。これは艦隊の主だった者の間にだけ打合せのあったことであるが、実は飛行島の秘密をさぐるため、川上機関大尉に特命を出したのだ。彼は帝国軍人たる者の無上の栄誉だと感涙にむせんで司令官の前を去ったそうだ。川上としてはどんなに君にいいたかったかしれないが、極秘の命令だから、彼は堅く護って、何もいわないで出かけたのだ。長谷部、川上を恨むな」 「ええ、誰が恨みましょう。しかし……」 「しかし――どうした」 「川上の奴は武運のいい男ですな!」 長谷部大尉は、そういいながら、羨しそうに、太い自分の腕をなでまわした。 「うむ、そうじゃろう。だが君のいうとおりなにごとも運ものじゃ。運ものじゃから、いつまた思いもかけぬ大きな武運が転がりこんでくるかもしれんのだ。わしとても同じ思いじゃ」 艦長加賀大佐も、また瞳を若々しく輝かせた。 「そうだ、長谷部大尉。もう一つ下の電文も読んでみたまえ」 「はっ、そうでありますか」 その電文には、どんな通信がのっていたであろうか。 長谷部大尉は、受信紙をみつめて、呆然としながら、 「いやあ、私もちかごろ焼が廻ったことがわかりました。杉田二等水兵にも、先んじられてしまったんだ」 と無念そうに唇をかんだ。 その電文には、 「スギタニスイヒコートウニツク。マモナクヨコハマジヤツクトイウワルモノニツカマツタ。カワカミ」 とあった。 「艦長。これから川上機関大尉と連絡して、どんなことをおやりになるつもりですか」 艦長は尤もな質問だという風にうなずいて、 「すべて今後の川上からの通信に待つことにしている。川上は命のつづくかぎり、飛行島の秘密を知らせてよこす筈だ。情況によっては、或いは君が喜びそうな新しい帝国海軍の行動がはじまるかもしれない。それまでは鋭気をやしないながら、飛行島の様子を通じて相手国の出ようをにらんでいなければならぬ。しかしわしの見るところでは、一般に考えられているところとはちがって、目下の事態は刻々悪い方へ動きつつあるように思う」 「ええっ、悪い方へ?」 長谷部大尉は、思わず短剣の柄を力いっぱいぎゅっと握りしめた。 南シナ海の波浪は、誰知らぬ間に、刻一刻荒くなってゆきつつあるのだ。 そのとき入口の扉がこつこつと鳴った。 「おう、入れ」 すると扉が開いて、思いがけなく副長が入って来た。その手には一枚の受信紙を持って――。 長谷部大尉は直ちに直立して、挙手の礼をささげた。 「只今これを受信いたしました」 さしだす紙片を艦長は手にとって、読み下した。 「コンヤハンドレペイジチヨウジユウバクゲキキ五ダイトウチヤクシタ。トウサイバクダンハ――トツゼンキケンセマル、ムセンキカイハツケンセラレタ……」 艦長の顔色が変った。 「うむ、『今夜ハンドレペイジ超重爆撃機五台到着した。搭載爆弾は――』のところで本文が切れている。それから先は本文ではなくて警報だ。『突然危険迫る。無線機械発見せられた……』とあるから、さては川上もその場で捉まってしまったか。ざ、残念だ」 艦長室の三人の士官は、無念そうに互の眼と眼を見合わせた。 大任を帯びて飛行島に渡った川上機関大尉も、遂に使命半ばにして斃れてしまったのであろうか。 途中で切れた無線電信は、そも如何なる波瀾が飛行島に巻きおこったことをものがたるのであろうか。
不思議な看護人
話は、すこし前にもどる。 杉田二等水兵が自殺を決心して、手錠をはめられたまま飛行島の甲板から海中にとびこもうと走るうち、うしろからスミス中尉がピストルを撃ったことは、みなさん御存じのとおりである。 杉田二等水兵の体はもんどりうって海中へ墜ちてゆくうち、不意に下の甲板から、その体をうけとめた不思議な中国人のペンキ屋さんがあったことも、よく憶えていられるであろう。 杉田二等水兵は、あれから一たいどうなったのであろうか。 なぜその中国人のペンキ工は、命がけの冒険までして、杉田二等水兵の体をうけとめたのであろうか。 もともとそのペンキ工は、怪しい奴であった。飛行島建設団長のリット少将が起き伏ししている「鋼鉄の宮殿」の塔の上で、いつまでも同じところばかり塗っていた。そしてスミス中尉が持っている秘密電報の文面をそっと読んで、あとは知らぬ顔をしていた。まったく変なペンキ工だった。だがその正体のいよいよわかる時が来た。 杉田二等水兵は、何分の間か、それとも何十分にもなるか、とにかく相当の時間夢うつつの状態の中をさまようた後、ふと気がついた。 「うーん」 彼はうなりながら、自分の声にびっくりした。気がつくと、全身の痛みを激しく感じ出した。 彼の頭の中には、ヨコハマ・ジャックの憎々しい形相や、一癖も二癖もあるようなリット少将のぶくぶくたるんだ顔などが浮かんだ。何くそと思って、立ち上った――つもりであったが、 「しずかに、しずかに」 と制する低い人の声に眼をあいてみれば、自分は見たこともない薄暗い室の隅に寝ているのであった。 誰かしらぬが二本の手が、杉田の肩をやわらかく下におさえつけているではないか。 低い声は、杉田の頭の上で二度三度とくりかえされた。 彼はいわれるままに静かに手足を伸ばした。 一たい何人であろう。 「どうもすまんです。いつの間に私はどうしてこんなところに来たのですか。教えてください」 すると低い声は軽く笑って、 「そんなことは後でいい。また出血をすると困るから、なにも考えないで、もう暫くじっとしていたまえ」 とやさしくいった。 杉田はぼんやりした頭の中で、ふとその声音に聞耳をたてた。それはたしかに、どこかで聞きおぼえのある声だった。しかも懐かしい日本語! あのような声で話した人は……? 「だ、誰です、あなたは……」 「しずかにしていなきゃいけないというのに。お前さんの言葉が誰かの耳に入ると、そのときはもうどうにも助りっこないぜ」 「あっ! そういう声は――ああ川上機関大尉だ。か、川上……」 杉田はわめいた。そして自分の肩をおさえている手をふりはらって、がばと起きあがった。 と同時に、彼の枕許にうずくまっていたやさしい声の主と、ぱったり顔を合わした。それは外ならぬ怪しい中国人のペンキ工の姿であった。 「おおあなたが」 杉田はそう叫ぶと、傷の痛みも忘れて、その胸にしっかり抱きついた。 「おお杉田。お前はよくやって来たな」 まぎれもない川上機関大尉の声だった。 「す、杉田は、う、う、嬉しいです。も、もう死んでも、ほ、本望だっ」 あとは涙に曇って聞きとれない。 「な、泣くな杉田――。お前が来てくれて、俺も嬉しいぞ」 中国人のペンキ工に変装した川上機関大尉と半裸の杉田二等水兵とは、薄暗い室の隅にしっかりと抱きあったまま、はりさけそうな胸をおさえてむせび泣いた。
すわ曝露?
怪しいペンキ工の謎は解けた。 密命を帯びたわが川上機関大尉は、巧みに変装して、リット少将の身辺をひそかにうかがっていたのであった。 彼がいつも片手にぶら下げているペンキを入れた缶の底には、精巧をきわめた短波無線電信機がかくされてあったのである。 彼は苦心に苦心をして、いろいろなことを探った。そして、たえず暗号無電で、軍艦明石の無電班と連絡をとっていたのであった。 彼は杉田二等水兵の到着に早くから気がついていた。上官の身の上を案じてひそかに南シナ海を泳ぎわたってきた部下の情を知って、どんなに嬉しく思ったことだろう。が同時にまた苦しくもあったのだ。なぜなら、自分ひとりでさえ隠れるのに骨が折れるのに、日本語しかわからない杉田が来たのでは、とうてい永く秘密にしておけるものではない。これは困ったことになったと思った。果せるかな、それは意外にも早くやって来たのだ。 「おい杉田。もう泣くな。いま俺たちのうしろには、敵の眼が数百となく迫っているのだ。わが帝国のためを思えば泣いているときじゃない。涙を拭って、すぐさま敵と闘わねばならないのだ。――ほら、誰かこっちへやってくる」 「えっ、――」 「黙っていろ。動くな。どんなことが起っても動いちゃならん」 高い声でしゃべりながら、どやどやとこっちへやってくる人の足音。 「どうしても、この付近だ。わが英国製の方向探知器に狂いはないんだ」 「よし、そんなら部屋を壊してもいいから、徹底的にしらべあげろ」 「こんどは、こっちだこっちだ」 早口の英語が、すぐ傍まで来た。 ここは何かの物置らしい。 隙だらけの入口の板戸をとおして、強い手さげ電灯の光がいたいほど明るくさしこんでくる。 「ここが臭いぞ」 「開けてみろ」 「なんだ、この部屋は――」 扉がぎーいと開く音がした。 それにつづいて、数個の眩しい電灯が室内を照らしつけた。 「なあんだ、ここは殺した牛や豚の置場じゃないか」 奥に寝ていた杉田二等水兵は、ここがそんな場所だとはまだ気がつかない。あたりには累々と、殺された家畜の首がない体が横たわっているのであった。 突然だだだーんと、ピストルが鳴った。 杉田はあっと叫ぼうとした声を、のどの奥にのみこんだ。 (とうとう見つかったか)と思った時、 「誰もいやしないよ。いればいまのピストルの音におどろいて、跳ねだしてくる筈だ」 「さあ、先へ急ごうぜ」 乱暴な捜索があったものである。ピストルを放って何の手ごたえもないところから、一行は安心してそこを出ていった。 二人は、ほっと吐息をついた。 しばらくしてから、川上機関大尉は隅からのっそり立ちあがって、杉田二等水兵の寝ているところへやってきた。 「おい杉田。大丈夫か」 「はっ、私は大丈夫であります。機関大尉はいかがでありますか」 「なあに、どこもやられはしない。ときに杉田。俺は時間が来たから、ちょっと外へ出て、艦隊へ無電をうってくる。俺がかえってくるまでそこにじっと寝ているのだぞ。ここはちょっと普通の人間には踏みこめないところだから、安全な場所だ」 杉田はすこし心細く感じたが、何事も国家のためだと思い、機関大尉の出てゆく男らしい後姿を見送った。 すると一旦外に出かけた彼は、なにを思いだしたか、つかつかと室内へ戻ってきた。そして杉田の耳許に口をつけると、 「おい杉田、万一お前が捕らえられるようなことがあったら、そのときは官姓名をはっきり名乗ったがいいぞ。もう向こうにはわかっているのだ。そうすれば殺される心配がない。そういうことになれば俺はきっとお前を救い出しにゆくから、さっきみたいに、自殺しようなどと考えてはいけないぞ。皇国のため、どんな苦しい目にあっても生きていろ。いいか」 そういうと、川上機関大尉はペンキの入った缶をぶら下げて、外へ出ていってしまった。
血路
ペンキ工の機関大尉は、暗がりの中をとことこと歩いていった。 あたりの様子をうかがいながら、狭い廊下の角をいくつか曲った。そしてやがて辿りついたのは、飛行島の舷だった。深夜の海面には祖国の夜を思い出されるような月影がきらきらとうつっていた。 川上機関大尉は、あたりに人気のないのを見すますと、ペンキの缶の底をひらいて、二条の針金をひっぱりだした。その針金の先についている小さい物挟を、舷の梁上に留めると、針金は短波を送るためのアンテナとなった。 そこで彼は、小さな受話器を耳にかけ、同じく缶の底にとりつけてある電鍵をこつこつ叩いて、軍艦明石の無電班を呼んだ。 相手は、待っていましたとばかりにすぐ出てきて、暗号化したモールス符号で応答してきた。 機関大尉は溜めておいた重大な報告を一つ一つ電鍵を握る指先にこめて打ちはじめた。 その時、頭の上で、ごそりと人の気配がした。 彼は、はっと驚いて上を見た。梁の上にピストルがきらきらと光って、その口がこっちを向いていた。 「はっはっはっ。日本のスパイ君。君はとうとう秘密のお仕事を始めからすっかり見せてくれたね。さあ手をあげるんだ。こら、なぜあげないのだ。あげないか。撃つぞ」 だだーん。 梁の上から、銃声がとどろいた。 ピストルの弾丸は、川上機関大尉の抱えていたペンキの缶にあたった。 缶は、あっという間もなく舷を越えて下にころげ落ちた。 とたんにひらりと身を飜して、逃げだした。 「待て、スパイ」 梁上からは、英国士官がとびおりた。そして警笛をぴりぴりと吹いた。 それに応じて、どやどやと駈けよってくる捜査隊の入りみだれた足音! 「ちぇっ、しまった」 と機関大尉は舌うちしながら、足音と反対の方へ、狭い通路を走りだした。 「こら、待たんか」 ぱぱーん、だだーん。 銃声は背後間近に鳴りひびく。 ひゅーん、ひゅーんと弾丸は機関大尉の耳もとを掠めるが、運よく当らない。 が、そのうちに彼は、通路の両方から挟まれてしまった。 「ええい、逃げるだけ逃げてみよう。攻勢防禦だ」 と人数の少い方の通路を見きわめると、猛然矢のように突入した。 敵のひるむところを、よしきたとばかり猛進して、相手を投げとばし、敵の体をのり越えて走り続けたが、とうとう袋小路の中にとびこんでしまった。そこから先は路がない。ただ行当りをさえぎっている塀は、そう高くはない。 「よし来た」 彼は咄嗟に、つつーっと走って弾みをつけると、機械体操の要領で、えいと叫んで塀にとびついた。 下は海――かと思ったが、そうではなくて一段だけ狭い甲板であった。暑くるしい夜をそこに涼んでいたらしい一人の苦力がびっくりしてとびおきた。 川上機関大尉はえいっと懸声して、塀を向こうにとび越えた。と同時にうわーっという叫が下におちていったかと思うと、やがてどぼーんと大きな水音が遥か海面から聞えてきた。 そのとき追跡隊がおいついて塀によじのぼった。 「あっ、あそこに! とうとうとびこみやがったんだ」 呼笛が高く吹かれた。人々は集ってきた。泡だつ波紋を目がけて探照灯が何条も照らした。 その真中に浮かびでた人間の頭。 だだだーん、ぱぱぱーんとはげしい銃声が波紋の中の人間に集中された。 海面はとびこむ弾丸のためにしぶきをあげた。やがて人間の頭は、その下に沈んでしまった。 「あっはっはっ、大骨を折らせやがった」 追跡隊の人々は、面白そうに笑いあった。 ああ、川上機関大尉は壮途半ばにして遂に南海の藻屑と消え去ってしまったのであろうか。その謎を包んだまま、波紋はどこまでもどこまでもひろがってゆく。 だが、波紋が消えてしまうころ、その謎もまたとけるであろう。
無電は飛ぶ
(突然危険迫る。無線機械発見せられた――) という悲壮な秘密無線電信を最後として、わが練習艦隊と川上機関大尉との連絡は、ぷつりと切れてしまった。 月光ひとり明るい南シナ海の夜であった。軍艦須磨明石の二艦は、この驚きをのせたまま、あいかわらず北へ北へと航進を続けていた。 飛行島に忍びこんでいた川上機関大尉はどうなったか――憂いの色につつまれた二番艦明石の艦長室では、艦長加賀大佐と副長と、それから川上機関大尉の仲よしである長谷部大尉との三人が、黙りこくって、じっと時計の針のうごきを見つめている。 「副長――」 と、突然加賀大佐が叫んだ。 「はあ。お呼びになりましたか」 「うむ。――どうじゃ、旗艦からの報告がたいへん遅いではないか」 「だいぶん遅うございますな。ちょっと無電室へ様子を見に行ってまいりましょう」 そういって副長は、籐椅子から腰をあげると、艦長室を出ていった。 あとには艦長と長谷部大尉の二人きり、しかし二人とも一語も発しようとはしなかった。 これより先、川上機関大尉の発した例の悲壮なる尻切無電が入ると、加賀大佐は直ちに旗艦須磨の艦隊司令官大羽中将のもとへ知らせたのであった。 艦隊司令官からは、「すこし考えることがあるから、暫く待っておれ」と返電があった。それからもう二十分あまりの時間がすぎたのに旗艦からは何にもいってこない。 × × × だが艦隊司令官は、いたずらに考えこんでいるのではなかった。 旗艦の上では幕僚会議が開かれた。そして遂に艦隊司令官の決意となった。 旗艦須磨の無電室は、その次の瞬間から俄かに活溌になった。 当直の通信兵は、送受信機の前に前屈みとなって、しきりに電鍵をたたきつづけていた。そして耳にかけた受話器の中から聞えてくる返電を、紙の上にすばやく書きとっては、次々に伝令に手渡していた。 その受信紙の片隅には、どの一枚にも「連合艦隊発」の五文字が赤鉛筆で走り書されてあった。それでみると、須磨は、多分太平洋のどこかにいる連合艦隊の旗艦武蔵と、通信を交わしているものらしかった。 一たいなにごとにつき、連合艦隊と打合わす必要があったのであろうか。 そのうちに、この無電連絡は終った。 旗艦須磨の通信兵は、電鍵から手を放した。しかし彼の耳に懸っている受信器には、しきりに連合艦隊の旗艦武蔵がホ型十三号潜水艦を呼んでいる呼出符号が聞えていた。 モールス符号はトン、ツー、トン、トン、ツー……と絶間なく虫のような鳴声をたてていた。相手のホ型十三号はどうしているのか、なかなか出てこない。 そのうちに、違った音色の無電が、微かな応答信号をうちはじめた。 「ホ潜十三、ホ潜十三、……」 戦艦武蔵が呼んでいた相手がいよいよ現れたのだった。 そこで連合艦隊の無電が、さらにスピードを加えてまた鳴りだした。こんどは長文の暗号電信であった。ホ型十三号潜水艦は、いまどこの海面に浮きあがっているのであろうか。双方のアンテナから発する無電は、刻々と熱度を加えていった。まるで美しい音楽のようだ。やがてその交信ははたとと絶えた。 代って、再び練習艦隊旗艦須磨が呼びだされた。 通信兵は、再び部署について、送信機の電鍵に手をかけた。 「練習艦隊旗艦須磨はここにあり!」 すると、すぐさま本文が被さってきた。 「連合艦隊は、貴艦の要請によりて、只今ホ型十三号潜水艦に出動を命じたり」 すわ潜水艦の出動! ホ型潜水艦といえば、わが帝国海軍が持つ最優秀の潜水艦だった。連合艦隊は、潜水艦に、そもいかなることを命じたのであろうか。それよりも、練習艦隊司令官大羽中将は何事を連合艦隊宛に頼んだのであろうか。 × × × こちらは元の軍艦明石の艦長室である。 一旦出ていった副長が、電文をかきつけた紙片を手にして、急ぎ帰ってきた。長谷部大尉は、また椅子から立ちあがって、副長に注目した。 「副長、どうした」 と、艦長加賀大佐は平常に似あわず、せきこんで声をかけた。 「はい、艦長。連合艦隊はわれわれのために潜水艦を出動させました。これがその電文です」 「そうか――どれ」 加賀大佐は副長の手から紙片をうけとると、その上に忙しく眼を走らせ、うーむとうなった。 「まず、こういうところだろうなあ」 加賀大佐は通信長を呼出し、ホ型十三号潜水艦との連絡を手落なくとるように命じた。 ホ型十三号潜水艦は、一たいこれからいかなる行動にうつろうとするのであろうか。
飛行島の欠陥?
飛行島の夜は明けはなれた。 熱帯地方の海は、毎日同じ原色版の絵ハガキを見るような晴天がつづく。今日も朝から、空は紺碧に澄み、海面は油を流したように凪いでぎらぎら輝く。 飛行島建設団長リット少将は、たいへん早起であった。提督は起きるとすぐ最上甲板の「鋼鉄の宮殿」をすっかりあけはなち、特別に造らせた豪華な専用プールにとびこみ、海豚のように見事に泳ぎまわる。それがすむと、一時間ばかり書類を見て、それからやっと軽い朝食をとるのが習慣になっていた。 「いやあ、お早いですな」 と声をかけながら、白麻の背広にふとった体を包んだ紳士が、甲板の方から入ってきた。それは外ならぬソ連のハバノフ特使であった。 「やあお早う、ハバノフさん。私は煙草が吸いたくなって、それで朝早く眼が覚めるのですよ。眠っている間は、煙草を吸うわけにゆかないですからねえ」 「いや私は、第一腹がへるので、眼が覚めますわい。どっちも意地のきたない話ですね。あっはっはっ。――ときにちょっとここにお邪魔をしていいですか」 と、ハバノフ特使は傍の籐椅子を指さした。 「さあどうぞ。いまセイロンの紅茶をいいつけましたから、一しょにやりましょう」 とリット少将は上機嫌である。 ハバノフ特使は籐椅子をリット少将の方へひきよせると、 「ねえ、リット少将。――」 と改った口調で、上眼をつかう。 「おお何か御用件でしたか。それは失礼しました。どうぞおっしゃってください」 「――実は、昨日貴官からお話のあった英ソ両国間の協定のことですが、国の方へ相談してみたのです」 「ほほう、それはそれは。お国ではどういう御意見ですかね」 「それがどうも、申し上げにくいが、ちと冴えない返事でしてね。要点をいいますと、日中戦争以後、英国が日本に対して非常に遠慮をするようになったので、あまり頼みにならぬと不満の色が濃いのです」 「なに、日本に対してわが大英帝国が遠慮ぶかくなったという非難があるのですか。それはそう見えるかもしれません。いや、そう見えるように、わざとつとめているのだといった方がいいでしょう。それも相手を油断させるためなんです。ですが、実は、われ等は極東において絶対的優勢の地位に立とうと、戦備に忙しいのです。わが大英帝国は、東洋殊に中国大陸を植民地にするという方針を一歩も緩めてはいない。これまで中国に数億ポンドの大金を出しているのですよ。そのような大金がどうしてそのまま捨てられましょう」 とリット少将の言葉は、次第に火のように熱してきた。日本人が聞いたら誰でもびっくりするにちがいない恐しい言葉だ。 「駄目です、駄目です。貴官の国の戦備はまだなっていません。本当にそれをやるつもりなら、なぜもっと極東に兵力をあつめないのです」 とソ連の密使ハバノフ氏は叫ぶ。 それを聞くとリット少将は、むっとした顔付にになって、 「ハバノフさんこそ何をいいますか。われ等は十分にそれをやっている。だから昨日も説明したではありませんか。いま建設中のこの飛行島などは、世界のどこにもない秘密の大航空母艦である。しかもそれを南シナ海に造っているというのは、何を目標にしているか、よくわかっているではありませんか」 「いやリット少将。貴官はこの飛行島がたいへん御自慢のようだが、今朝わが国の専門家から来た返事によると、どうも頗るインチキものだということですよ」 「なにインチキだ。この飛行島がインチキだというのですか」 とリット少将は、怒の色をあらわして、椅子からすっくと立ちあがった。 そのとき可愛らしい中国服の少女が、紅茶器を銀の盆にのせて、部屋に入ってきた。
狼対熊
「おお梨花、そこへ置いておけばいいよ」 と、リット少将は額の汗をふきながら、やさしく中国服の少女にいった。梨花は福建省生れの美しい少女で、少将の大のお気に入りの女給仕だ。 「では、ここに――」 と、梨花は紅茶器の盆を卓子の上におくと、そのまま客間を出ていった。 「じ、実に怪しからん。この飛行島がインチキとは」 リット少将の眼がふたたび、三角にとがった。 「私がインチキといったのではない。私の国の専門家がそういったのです」 「なにをインチキというのだ。いいたまえ。私は建設団長として、貴君の説明を要求する」 「では――」とハバノフ氏は大熊のように落着きはらって、 「さしあたり飛行甲板のことですよ」 「飛行甲板がどうしたというんです」 「そう貴官のように怒っては困る。まあ私のいうことをおききなさい。いいですかね。飛行甲板から重爆がとびだすのに、滑走路が短すぎるから、甲板は戦車の無限軌道式になっていて、そいつは飛行機のとびだす方向と逆に動くとかいいましたね」 「そのとおりです」 「いやそれがインチキだというのです。甲板が無限軌道で後方へ動いても、飛行機の翼はそのために前方から空気の圧力を余計に受けるわけではない。だから、とびだしやすくはならないというのです。結局そんなものがあってもなくても同じことだ。インチキだという証明は、これでも十分だというのです。さあどうですか」 「なあんだ、そんなことですか。それは一を知って二を知らぬからのことです。後方に動く無限軌道の甲板は十分役に立ちます。停っている飛行機が、出発を始めたからといって、摩擦やエンジンの性能上すぐ全速力を出せるものではありません。ですから無限軌道の上で全速力を出せるまで準備滑走をやるのです。飛行島の外から見ているとそれまでは飛行機が甲板の同じ出発点の位置でプロペラーを廻しているように見えるでしょう。そして全速力に達したところで、無限軌道をぴたりと停めるのです。すると飛行機は猛烈な勢いでもって飛行島の上を滑走して進みます。そして全甲板を走りきるころにはうまく浮きあがるのです。どうです。これでもインチキですか」 「いや、私がインチキだといったわけではないのです。くれぐれも誤解のないように。私にはよくわかりませんから、またそれをいってやりましょう。専門家がまた何か意見をいってくるかもしれません。私としてはこの飛行島がインチキでないことを祈っています。いや、貴官を怒らしたようで恐縮です」 と、ハバノフ氏は掌をかえしたように、しきりにリット少将の機嫌をとりだしたものである。 「わかってくだされば、私はいいのです」とリット少将も言葉を和らげ、 「とにかくこの飛行島は世界にはじめて現れたものだから、誰しも性能をうたがいたくなるのは無理ありません。私としては、この飛行島が完成した上で、試運転するところを黙って見てくださいといいたい。その時にこの浮かぶ飛行島がどんな目覚しい働きをするか、まず腰をぬかさないように見物していただきたいと申したい。しかし貴国との共同作戦をきめるのは、試運転の時ではもう遅い。敵の日本艦隊は、かなわないと知っても決してぐずぐずしてはいませんからね。その前に、貴国とわが英国とは手を握って、共同戦線を張らなければ、この戦争は大勝利を得るというわけにはいかないでしょう。もっともわが軍は、単独で日本と戦っても勿論十分勝つ自信はありますがね。しかし貴国もどうせ日本に対して立つのなら、わが国と一しょに立った方がお互に利益ですからね」 リット少将は、嚇したりすかしたりして、ハバノフ氏を口説きおとすのに大車輪の態だった。老獪とは、こういうところをいうのだろう。 しかしハバノフ氏は、更に役者が一枚上と見えて、嚇されてもすかされても、一向感じないような顔をしていた。リット少将は、心中じりじりとあせってくるばかりであった。 そこで少将は、急に思い出したという風に、銀盆の上の紅茶器をとりよせ、すこし冷えかかったセイロン茶を注ぐと、ハバノフ氏の前にすすめた。 「セイロン茶ですか。なかなかいい香だ」とハバノフ氏は犬のように鼻をならして、茶碗を口のところへ持っていった。 「お気に入ったら、まだありますよ」 「ええ気に入りましたね。大英帝国は、世界中いたるところ物産にめぐまれた熱帯の領土を持っていますね。まったく羨ましいことです。しかるにわが国は、いつも氷に閉ざされている。せめて一つでもいいから、冬にも凍らない港が欲しいと思う。いかがですな。大英帝国はわがソ連のため、アフリカあたりに植民地をすこし分けてくれませんか」 「あっはっはっ、なにを冗談おっしゃる。冬でも凍らない港なら、東洋にいくらでもあるではありませんか。大連、仁川、函館、横浜、神戸など、悪くありませんよ。なにもかも、貴国の決心一つです」 と、リット少将は、うまく相手の話をはぐらかした。 「しかし大英帝国は――」 と、なおもハバノフ氏が突込もうとすると、 「おおそうだ、ハバノフさん。昨夜捕虜にした日本海軍の水兵をあなたに見せましょうか。さあ、これから御案内しますよ」 と、リット少将は椅子から立ちあがった。 この巨弾は、少将の思ったとおり、ハバノフ氏の好奇心をたいへんうごかした。 「ああ、昨日貴官の前から逃げだした杉田とかいう日本の水兵が、また捕まったのですか。それは一つ、ぜひ見せていただきたい」 ハバノフ氏は無礼にも、まるで見世物を見るような口のききかたをした。 杉田二等水兵といえば、川上機関大尉に助けられて倉庫の中に身をひそめていたはずだった。彼は探し出されてまた捕らえられたらしいが、なぜまたおめおめと敵の手に落ちてしまったものだろうか。 「さあ、私について、こっちへいらっしゃい」 リット少将はハバノフ氏をうながして、客間から奥に通ずる扉を押して入ってゆく。
悩ましき捕虜
杉田二等水兵は、飛行島の最上甲板にある「鋼鉄の宮殿」の一室の豪華な寝台の上に寝かされていた。 そこはリット少将の居室からへだたることわずか六部屋目の近さにあった。 彼はすっかり体を清められ、そしてスミス中尉のピストルに撃たれた胸部は、白い繃帯でもって一面にぐるぐる捲きつけられていた。 枕許には、英人のドクトルが容態をみまもり、そのほか二人の英国生れの金髪の看護婦がつきそっていた。 またその広い部屋の隅には、やはり白い長上衣を着たもう一人の白人の男がいた。彼にはこの白い長上衣が一向似合っていなかった。それも道理、この白人の男こそは、この飛行島の無頼漢ヨコハマ・ジャックなのだ。ジャックがこんなところに詰めているわけは、読者諸君もすでにお気づきのとおり、日本語しかわからない杉田二等水兵の通訳をするためだった。ジャックは永いこと横浜に暮していて、べらんめえ調の歯切のいい日本語――というよりも東京弁というかハマ言葉というかを上手にしゃべった。 だがこの新米の通訳先生は、手もちぶさたの態で、ぼんやりと杉田水兵の枕許にある美しい花の活けてある瓶をみたり、そしてまた若い看護婦の顔を穴のあくほどじろじろ見たりしていた。それも道理、彼の用事は一向出てこないのだ。というのは、寝台の上に横たわっている杉田二等水兵が、まるで黙ったきりで、何を話しかけてもうんともすんともいわないからである。 ジャックは、さっきから怪しい手つきばかりを繰返している。彼は右手をポケットへ持っていっては、そこから何かを引張りだそうとしては、急に気がついたようにはっと手を元へかえすのである。そのポケットの中には、煙草の箱が入っていた。煙草を吸いたくて手がひとりでにポケットにゆくが、この病室では煙草を吸ってはいけないというきついお達しを急に思いだしては手を戻すのであった。 「ああ辛い。とんだ貧乏籤をひいたものだ。あの日本の小猿め、早くくたばっちまえばいいものを。そうすれば俺はこの部屋から出ていっていいことになるからなあ」 などと小さい声でつぶやいては、ちぇっと舌打ちをする。 寝台の上では、杉田二等水兵が相変らず黙りこくっている。 看護婦がスプーンで強壮剤をすくって口のところへ持っていってやると、杉田は切なそうにぎろりと眼玉をうごかしては、仕方がないというような顔でもって口を開ける。そこを見はからって、看護婦はその黄色い液体を杉田の口の中に流しこむ。 杉田は、眼をとじたまま、それを苦そうにのむ。 「どうも変な日本人ね。このお薬ときたら、とても甘いのにねえ」 「ほんとだわね。日本人たら、甘い時にはあんな風に顔をしかめる習慣かしらと思ったけれど、そんなことないわねえ」 傷ついた体を敵の手にゆだねていなければならぬ杉田の胸中がわからないのか、看護婦たちは勝手なことばかりしゃべっている。――杉田のとじた二つの瞼の間から、どっと涙が湧いてきて、頬の上をころころと走りだした。 彼は、はりさけるような思いをじっとこらえた。が、あふれ出る口惜し涙はどうすることも出来なかった。 彼は、生きて恥ずかしめを受けるより、舌を噛んで死んでしまいたかったのだ。 しかし彼は死ぬわけにゆかなかった。彼は川上機関大尉から別れ際にいい渡された言葉にそむくことが出来なかった。 (決して死んじゃならぬ。お前が捕まっても、きっと救いにいってやる。死ぬではないぞ) 杉田は、その命令をかたく守って、我慢しているのだった。その苦しさは、また格別だ。死ぬことの方が、生きるよりはるかに楽なことを、杉田はつくづくと感じた。 そこへ扉があいて、リット少将がハバノフ氏をしたがえて入ってきた。 ドクトルをはじめ、室内にいた一同はすっくと立って、うやうやしく敬礼をした。 「どうじゃね。日本の水兵は、連のことを白状したか」 「いえ、何にも返事をしませぬ。医者には、こういう訊問は得意でありません」 とドクトルは頭をふった。 すると隅にいたヨコハマ・ジャックがのっそり進み出て、 「この日本の小猿めは、しぶとい奴ですよ。かまうことはありませんよ。素裸にして、皮の鞭で百か二百かひっぱたいてやれば、すぐに白状してしまいますよ」 「そういう乱暴は許されない。そんなことをすれば、私はこの水兵の生命をうけあうわけにはゆかない」 とドクトルが反対した。 リット少将は、賛成とも反対ともいわず、寝台の上に歯をくいしばっている杉田二等水兵の顔をじっと見下していた。
上一页 [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] 下一页 尾页
|