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錦染滝白糸(もみじぞめたきのしらいと)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-23 10:43:56 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语

底本: 泉鏡花集成7
出版社: ちくま文庫、筑摩書房
初版発行日: 1995(平成7)年12月4日
入力に使用: 1995(平成7)年12月4日第1刷

底本の親本: 鏡花全集 第二十六巻
出版社: 岩波書店
初版発行日: 1942(昭和17)年10月15日

 

場所。
  信州松本、村越の家
人物。
  村越欣弥(新任検事)
  滝の白糸(水芸の太夫)
  撫子(南京出刃打の娘)
  高原七左衛門(旧藩士)
  おその、おりく(ともに近所の娘)



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撫子なでしこ円髷まるまげ前垂まえだれがけ、床の間の花籠はなかごに、黄の小菊と白菊の大輪なるをつぼみまじり投入れにしたるをながめ、手に三本みもとばかり常夏とこなつの花を持つ。
かたわらにおりく。車屋の娘。
撫子 今日は――お客様がいらっしゃるッて事だから、籠も貸して頂けば、お庭の花まで御無心して、ほんとうに済みませんのね。
りく 内の背戸にありますと、ただの草ッ葉なんですけれど、奥さんがそうしておけなさいますと、お祭礼まつりの時の余所行よそゆきのお曠衣はれのように綺麗きれいですわ。
撫子 このほっそりした、(一輪をゆびさす)絹糸のような白いのは、これは、何と云う名の菊なんですえ。
りく 何ですか、あの……糸咲いとざき々々っておとっさんがそう云いますよ。
撫子 ああ、糸咲……の白菊……そうですか。
りく そして、あのその撫子はお活けなさいませんの。
撫子 おお、この花は撫子ですか。(手なる常夏を見る。)
りく ええ、返り咲の花なんですよ。枯れたすすきの根に咲いて、珍しいから、と内でそう申しましてね。
撫子 その返り咲がうれしいから、どうせお流儀があるんじゃなし、綺麗でさえあればい、去嫌さりぎらい構わずに、根〆《ねじめ》にしましょうと思ったけれど、白菊が糸咲で、私、常夏と覚えた花が、撫子と云うのでしたら、あの……ちょっと、台所の隅へでも、瓶に挿しましょう。
りく そう、見つけて来ましょう。(つ。)
撫子 (じっと籠なると手の撫子とを見較みくらぶ。)
りく これじゃいかが。
撫子 ああ結構よ。(瓶にさす時水なし)あら水がない。
りく んで来ましょう。
撫子 いいえ、撫子なんか、水がなくって沢山なの。
りく まあ、どうして?
撫子 それはね、南京流なんきんりゅうの秘伝なの。ほほほ。(寂しく笑う。)
おその、蓮葉はすはに裏口より入る。駄菓子屋の娘。
その 奥様。
撫子 おや、おそのさん。
その あの、奥様。お客様の御馳走ごちそうだって、先刻さっき、お台所だいどこで、魚のお料理をなさるのに、小刀ナイフでこしらえていらしった事を、私、帰ってお饒舌しゃべりをしましたら、おっかさんが、まあ、何というお嬢様なんだろう。どんな御身分の方が、お慰みに、お飯事ままごとをなさるんでも、それでは御不自由、これを持って行って差上げな、とそう言いましてね。(言いつつ、古手拭ふるてぬぐいほどく)いま研いだのを持って来ました。よく切れます……お使いなさいまし、お間に合せに。……(無遠慮に庖丁を目前めのさきに突出す。)
撫子 (ゾッと肩をすくめ、ひとみを見据え、顔色かわる)おそのさん、その庖丁はかりません。
その ええ。
撫子 出刃は私にたたるんです。早く、しまって下さいな。
その 何でございますか、田舎もので、飛んだことをしましたわ。御免なさい、おりくさん、おわびをして頂戴な。
りく お気に障りましたら、御勘弁下さいまし。
撫子 飛んでもない。お辞儀なんかしちゃあ不可いけません。おそのさん、おりくさん。
りく いいえ、奥様、私たちを、そんな、様づけになんかなさらないで、奉公人同様に、りくや。
その その、と呼棄てに、お目を掛けて下さいまし。
撫子 勿体もったいないわね、あなたがたはれっきとした町内の娘さんじゃありませんか。
りく いいえ、私は車屋ですもの。
その 親仁おやじ日傭取ひようとりの、駄菓子屋ですもの。
撫子 駄菓子屋さん立派、車屋さん結構よ。何の卑下する処があります。私はそれが可羨うらやましい。いぬの子だか、猫の子だか、掃溜はきだめぐらいの小屋はあっても、縁の下なら宿なし同然。このおやしきへ来るまでは、私は、あれ、あの、菊の咲く、垣根さえはばかって、この撫子と一所に倒れて、草の露に寝たんですよ。
りく あら、あんな事を。
その まあ……奥様。
撫子 その奥様と言われるのを、済まない済まない、勿体ない、と知っていながら、つい、浅はかに、一度が二度、三度めにはかすかに返事をしていました。その罰が当ったんです。いまの庖丁が可恐おそろしい。私はね、南京出刃打なんきんでばうちの小屋者なんです。
娘二人顔を見合わす。
 まないたの上で切刻きりきざまれ、はりつけにもかかる処を、神様のような旦那様に救われました。その神様を、雪が積って、あのこまヶ岳へあらわれる、清い気高い、白い駒、空におがんでいなければならないんだのに。女にうまれた一生の思出に、空耳でも、僻耳ひがみみでも、奥さん、と言われたさに、いい気になって返事をして、たしかに罰が当ったんです……ですが、この円髷まるまげは言訳をするんじゃありませんけれど、そんな気なのではありません。一生涯ほかへはお嫁入りをしない覚悟、私は尼になった気です。……(涙ぐみつつ)もう、今からは怪我けがにだって、奥さんなんぞとおっしゃるなよ。おりくさん、おそのさん、あらためてお詫をします。
りく それでも、やっぱり奥さんですわ。ねえ、おそのさん。
その ええ、そうよ。
撫子 いいえ、いま思知ったんです、まったく罰が当りますから、私を可哀想かわいそうだとお思いなすったら、このお邸のおさんどん、いくや、いくや、とおっしゃってね、豆腐屋、薪屋まきやの方角をお教えなすって下さいまし。何にも知らない不束ふつつかなものですから、余所よその女中にいじめられたり、毛色の変った見世物みせものだと、邸町やしきまちの犬にえられましたら、せめて、貴女方あなたがた御贔屓ごひいきに、私をかばって下さいな、後生ですわ、ええ。
その 私どうしたらいでしょう――こんなもの、掃溜へ打棄うっちゃって来るわ。(立つ。)
撫子 ああ、靴の音が。
りく 旦那様のお帰りですね。
村越欣弥むらこしきんや高原七左衛門たかはらしちざえもん。登場。道を譲る。
村越 ま、まあ、御老人。
七左 いや、まず……先生。
村越 先生は弱りました。(忸怩じくじたり)では書生流です、御案内。
七左 その気象! その気象!
撫子。出迎えんとして、ちょっと髷に手をり、台所へ下らんとするおりくの手を無理に取って、並んで出迎う。
撫子 お帰り遊ばせ。
村越 お客様に途中でったよ。
撫子 (一度あげたる顔を、黙ってまた俯向うつむき、手をつく。)
七左。よう、という顔色かおつきにて、兀頭はげあたまの古帽を取って高く挙げ、しわだらけにて、ボタン二つ離れたる洋服の胸を反らす。太きニッケル製の時計のひもがだらりとあり。
村越 さあ、どうぞ。
七左 御免、真平まっぴら御免。
腰をかがめ、摺足すりあしにて、撫子の前を通り、すすむる蒲団ふとんの座に、がっきと着く。
撫子 ようおいで遊ばしました。
七左 ははっ、奥さん。(とさかさになる。)
撫子 (手をつかえたるまま、つつと退すさる。)
村越 父、母の御懇意。伯父さん同然な方だ。――高原さん……それは余所よその娘です。
七左 (高らかに笑う)はッはッはッ、いずれ、そりゃ、そりゃ、いずれ、はッはッはッはッ。一度は余所の娘御には相違ないてな。いや、ばばあどのも、かげながら伝え聞いて申しておる。村越の御子息が、のあたり立身出世は格別じゃ、が、就中なかんずくえらいのはこの働きじゃ。万一この手廻しがのうてみさっしゃい、団子かじるにも、蕎麦そばを食うにも、以来、欣弥さんの嫁御の事で胸がつまる。しかる処へ、奥方連おくがたづれのお乗込みは、これは学問修業より、槍先やりさきの功名、ととなえてい、とこう云うてな。
この間に、おりく茶を運ぶ、がぶりとのむ。
 はッはッはッはッ。
撫子弱っている。
村越 (額に手を当て)いや、召使い……なんですよ。
七左 いずれそりゃ、そりゃいずれ、はッはッはッ、若いものの言う事はきまっておる。――奥方、気にせまい。いずれそりゃ、田鼠化為鶉でんそかしてうずらとなる雀入海中為蛤すずめかいちゅうにいってはまぐりとなる、とあってな、召つかいから奥方になる。――老人田舎もののしょうがには、山の芋を穿ってうなぎとする法を飲込んでいるて。拙者せっしゃ、足軽ではござれども、(真面目まじめに)松本の藩士、士族でえす。刀に掛けても、おっつけ表向おもてむきの奥方にいたす、はッはッはッ、――これげまい。
撫子、欣弥の目くばせに、一室ひとまにかくる。
 欣弥さんはお奉行様じゃ、むむ、奥方にあらず、御台所みだいどころと申そうかな。
撫子 お支度が。(――いいよし知らせる。)
村越 さあ、小父おじさん、とにかくあちらで。何からお話を申していか……なにしろまあ、那室あちらへ。
七左 いずれ、そりゃ、はッはッはッ、御馳走には預るのじゃ、はッはッはッ。遠慮は不沙汰ぶさた、いや、しからば、よいとまかせのやっとこな。(と云って立つ。村越に続いて一室ひとまらんとして、床の間の菊を見る)や、や、これは潔くさわやかじゃ。御主人の気象によく似ておる。
欣弥、莞爾にっこりして撫子の顔を見て、その心づかいを喜び謝す。撫子嬉しそうに胸を抱く。



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