鏡花全集 巻二十八 |
岩波書店 |
1942(昭和17)年11月30日 |
1988(昭和63)年12月2日第3刷 |
金澤の正月は、お買初め、お買初めの景氣の好い聲にてはじまる。初買なり。二日の夜中より出立つ。元日は何の商賣も皆休む。初買の時、競つて紅鯛とて縁起ものを買ふ。笹の葉に、大判、小判、打出の小槌、寶珠など、就中、緋に染色の大鯛小鯛を結付くるによつて名あり。お酉樣の熊手、初卯の繭玉の意氣なり。北國ゆゑ正月はいつも雪なり。雪の中を此の紅鯛綺麗なり。此のお買初めの、雪の眞夜中、うつくしき灯に、新版の繪草紙を母に買つてもらひし嬉しさ、忘れ難し。 おなじく二日の夜、町の名を言ひて、初湯を呼んで歩く風俗以前ありたり、今もあるべし。たとへば、本町の風呂屋ぢや、湯が沸いた、湯がわいた、と此のぐあひなり。これが半纏向うはち卷の威勢の好いのでなく、古合羽に足駄穿き懷手して、のそり/\と歩行きながら呼ぶゆゑをかし。金澤ばかりかと思ひしに、久須美佐渡守の著す、(浪華の風)と云ふものを讀めば、昔、大阪に此のことあり――二日は曉七つ時前より市中螺など吹いて、わいたわいたと大聲に呼びあるきて湯のわきたるをふれ知らす、江戸には無きことなり――とあり。 氏神の祭禮は、四五月頃と、九十月頃と、春秋二度づゝあり、小兒は大喜びなり。秋の祭の方賑し。祇園囃子、獅子など出づるは皆秋の祭なり。子供たちは、手に手に太鼓の撥を用意して、社の境内に備へつけの大太鼓をたゝきに行き、また車のつきたる黒塗の臺にのせて此れを曳きながら打囃して市中を練りまはる。ドヾンガドン。こりや、と合の手に囃す。わつしよい/\と云ふ處なり。 祭の時のお小遣を飴買錢と云ふ。飴が立てものにて、鍋にて暖めたるを、麻殼の軸にくるりと卷いて賣る。飴買つて麻やろか、と言ふべろんの言葉あり。饅頭買つて皮やろかなり。御祝儀、心づけなど、輕少の儀を、此は、ほんの飴買錢。 金澤にて錢百と云ふは五厘なり、二百が一錢、十錢が二貫なり。たゞし、一圓を二圓とは云はず。 蒲鉾の事をはべん、はべんをふかしと言ふ。即ち紅白のはべんなり。皆板についたまゝを半月に揃へて鉢肴に裝る。逢ひたさに用なき門を二度三度、と言ふ心意氣にて、ソツと白壁、黒塀について通るものを、「あいつ板附はべん」と言ふ洒落あり、古い洒落なるべし。 お汁の實の少ないのを、百間堀に霰と言ふ。田螺と思つたら目球だと、同じ格なり。百間堀は城の堀にて、意氣も不意氣も、身投の多き、晝も淋しき所なりしが、埋立てたれば今はなし。電車が通る。滿員だらう。心中したのがうるさかりなむ。 春雨のしめやかに、謎を一つ。……何枚衣ものを重ねても、お役に立つは膚ばかり、何?……筍。 然るべき民謠集の中に、金澤の童謠を記して(鳶のおしろに鷹匠が居る、あつち向いて見さい、こつち向いて見さい)としたるは可きが、おしろに註して(お城)としたには吃驚なり。おしろは後のなまりと知るべし。此の類あまたあり。茸狩りの唄に、(松みゝ、松みゝ、親に孝行なもんに當れ。)此の松みゝに又註して、松茸とあり。飛んだ間違なり。金澤にて言ふ松みゝは初茸なり。此の茸は、松美しく草淺き所にあれば子供にも獲らるべし。(つくしん坊めつかりこ)ぐらゐな子供に、何處だつて松茸は取れはしない。一體童謠を收録するのに、なまりを正したり、當推量の註釋は大の禁物なり。 鬼ごつこの時、鬼ぎめの唄に、……(あてこに、こてこに、いけの縁に茶碗を置いて、危いことぢやつた。)同じ民謠集に、此のいけに(池)の字を當ててあり。あの土地にて言ふいけは井戸なり。井戸のふちに茶碗ゆゑ、けんのんなるべし。(かしや、かなざもの、しんたてまつる云々)これは北海道の僻地の俚謠なり。其處には、金澤の人多人數、移住したるゆゑ、故郷にて、(加州金澤の新堅町の云々)と云ふのが、次第になまりて(かしや、かなざものしんたてまつる。)知るべし、民謠に註の愈々不可なること。 新堅町、犀川の岸にあり。こゝに珍しき町の名に、大衆免、木の新保、柿の木畠、油車、目細小路、四這坂。例の公園に上る坂を尻垂坂は何した事? 母衣町は、十二階邊と言ふ意味に通ひしが今は然らざる也。――六斗林は筍が名物。目黒の秋刀魚の儀にあらず、實際の筍なり。百々女木町も字に似ず音強し。 買物にゆきて買ふ方が、(こんね)で、店の返事が(やあ/\。)歸る時、買つた方で、有がたう存じます、は君子なり。――ほめるのかい――いゝえ。 地震めつたになし。しかし、其のぐら/\と來る時は、家々に老若男女、聲を立てて、世なほし、世なほし、世なほしと唱ふ。何とも陰氣にて薄氣味惡し。雷の時、雷山へ行け、地震は海へ行けと唱ふ、たゞし地震の時には唱へず。 火事をみて、火事のことを、あゝ火事が行く、火事が行く、と叫ぶなり。彌次馬が駈けながら、互に聲を合はせて、左、左、左、左。 夏のはじめに、よく蝦蟆賣りの聲を聞く。蝦蟆や、蝦蟆い、と呼ぶ。又此の蝦蟆賣りに限りて、十二三、四五位なのが、きまつて二人連れにて歩くなり。よつて怪しからぬ二人連れを、畜生、蝦蟆賣め、と言ふ。たゞし蝦蟆は赤蛙なり。蝦蟆や、蝦蟆い。――そのあとから山男のやうな小父さんが、柳の蟲は要らんかあ、柳の蟲は要らんかあ。 鯖を、鯖や三番叟、とすてきに威勢よく賣る、おや/\、初鰹の勢だよ。鰯は五月を季とす。さし網鰯とて、砂のまゝ、笊、盤臺にころがる。嘘にあらず、鯖、鰡ほどの大さなり。値安し。これを燒いて二十食つた、酢にして十食つたと云ふ男だて澤山なり。次手に、目刺なし。大小いづれも串を用ゐず、乾したるは干鰯といふ。土地にて、いなだは生魚にあらず、鰤を開きたる乾ものなり。夏中の好下物、盆の贈答に用ふる事、東京に於けるお歳暮の鮭の如し。然ればその頃は、町々、辻々を、彼方からも、いなだ一枚、此方からも、いなだ一枚。 灘の銘酒、白鶴を、白鶴と讀み、いろ盛をいろ盛と讀む。娘盛も娘盛だと、お孃さんのお酌にきこえる。 南瓜を、かぼちやとも、勿論南瓜とも言はず皆ぼぶら。眞桑を、美濃瓜。奈良漬にする淺瓜を、堅瓜、此の堅瓜味よし。 蓑の外に、ばんどりとて似たものあり、蓑よりは此の方を多く用ふ。磯一峯が、(こし地紀行)に安宅の浦を一里左に見つゝ、と言ふ處にて、 (大國のしるしにや、道廣くして車を並べつべし、周道如砥とかや言ひけん、毛詩の言葉まで思ひ出でらる。並木の松嚴しく聯りて、枝をつらね蔭を重ねたり。往來の民、長き草にて蓑をねんごろに造りて目馴れぬ姿なり。) と言ひしはこれなるべし。あゝ又雨ぞやと云ふ事を、又ばんどりぞやと云ふ習ひあり。 祭禮の雨を、ばんどり祭と稱ふ。だんどりが違つて子供は弱る。 關取、ばんどり、おねばとり、と拍子にかゝつた言あり。負けずまふは、大雨にて、重湯のやうに腰が立たぬと云ふ後言なるべし。 いつぞや、同國の人の許にて、何かの話の時、鉢前のバケツにあり合せたる雜巾をさして、其の人、金澤で何んと言つたか覺えてゐるかと問ふ。忘れたり。ぢぶきなり、其の人、長火鉢を、此れはと又問ふ。忘れたり。大和風呂なり。さて醉ぱらひの事を何んと言つたつけ。二人とも忘れて、沙汰なし/\。 内證の情婦のことを、おきせんと言ふ。たしか近松の心中ものの何かに、おきせんとて此の言葉ありたり。どの淨瑠璃かしらべたけれど、おきせんも無いのに面倒なり。 眞夏、日盛りの炎天を、門天心太と賣る聲きはめてよし。靜にして、あはれに、可懷し。荷も涼しく、松の青葉を天秤にかけて荷ふ。いゝ聲にて、長く引いて靜に呼び來る。もんてん、こゝろウぶとウ―― 續いて、荻、萩の上葉をや渡るらんと思ふは、盂蘭盆の切籠賣の聲なり。青竹の長棹にづらりと燈籠、切籠を結びつけたるを肩にかけ、二ツ三ツは手に提げながら、細くとほるふしにて、切籠ゥ行燈切籠――と賣る、町の遠くよりきこゆるぞかし。 氷々、雪の氷と、こも俵に包みて賣り歩くは雪をかこへるものなり。鋸にてザク/\と切つて寄越す。日盛に、町を呼びあるくは、女や兒たちの小遣取なり。夜店のさかり場にては、屈竟な若い者が、お祭騷ぎにて賣る。土地の俳優の白粉の顏にて出た事あり。屋根より高い大行燈を立て、白雪の山を積み、臺の上に立つて、やあ、がばり/\がばり/\と喚く。行燈にも、白山氷がばり/\と遣る。はじめ、がばり/\は雪の安賣に限りしなるが、次第に何事にも用ゐられて、投賣、棄賣り、見切賣りの場合となると、瀬戸物屋、呉服店、札をたてて、がばり/\。愚案ずるに、がばりは雪を切る音なるべし。 水玉草を賣る、涼し。 夜店に、大道にて、鰌を割き、串にさし、付燒にして賣るを關東燒とて行はる。蒲燒の意味なるべし。 四萬六千日は八月なり。さしもの暑さも、此の夜のころ、觀音の山より涼しき風そよ/\と訪づるゝ、可懷し。
[1] [2] 下一页 尾页
|