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木の子説法(きのこせっぽう)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-22 13:03:35 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 前々から、ちゃら金が、ちょいちょい来ては、昼間の廻燈籠まわりどうろうのように、二階だの、濡縁ぬれえんだの、薄羽織と、兀頭はげあたまをちらちらさして、ひそひそと相談をしていましたっけ。
 当日は、小僧に一包み衣類を背負しょわして――損料です。黒絽くろろの五つ紋に、おなじく鉄無地のべんべらもの、くたぶれた帯などですが、足袋まで身なりが出来ました。そうは資本もとでが続かないからと、政治家は、セルの着流しです。そのかわり、この方は山高帽子で――おやおや忘れた――鉄無地の旦那にかぶせる帽子を。……そこで、小僧のを脱がせて、鳥打帽です。
 ――覚えていますが、その時、ちゃら金が、ご新姐に、手づくりのお惣菜、麁末そまつなもの、と重詰の豆府滓とうふがら、……の花をったのに、せん生姜しょうがで小気転を利かせ、酢にした※(「魚+是」、第4水準2-93-60)しこいわしで気前を見せたのを一重。――きらずだ、つなぐ、見得けんとくがいいぞ、吉左右きっそう! とか言って、腹がいているんですから、五つ紋も、仙台ひらも、手づかみの、がつがつぐい。……
 で、それ以来――事件の起りました、とりわけ暑い日になりますまで、ほとんど誰も腹にたまるものは食わなかったのです。――……つもっても知れましょうが、講談本にも、探偵ものにも、映画にも、名の出ないほどの悪徒なんですから、その、へまさ加減。一つ穴のおけらどもが、反対に鴨にくわれて、でんぐりかえしを打ったんですね。……夜になって、炎天のねずみのような、目も口も開かない、どろどろで帰って来た、三人のさくらの半間さを、ちゃら金が、いや怒るの怒らないの。……儲けるどころか、対手方あいてかたに大分のかりが出来た、さあどうする。……で、損料……立処たちどころに損料を引剥ひっぱぐ。中にも落第の投機家なぞは、どぶつで汗ッかき、おまけに脚気かっけを煩っていたんだから、このしみばかりでも痛事いたごとですね。その時です、……洗いざらい、お雪さんの、蹴出しと、数珠と、短刀の人身御供ひとみごくうは――
 まだその上に、無慙むざんなのは、四歳よッつになる男のがあったんですが、口癖に――おなかがすいた――おなかがすいた――と唱歌のようにうたうんです。
(――かなしいなあ――)
 お雪さんは、その、きっぱりした響く声で。……どうかすると、雨が降過ぎても、
(――かなしいなあ――)
 と云う一つ癖があったんです。尻上りに、うら悲しい……やむ事を得ません、得ませんけれども、悪い癖です。心得なければ不可いけませんね。
 幼い時聞いて、前後あとさきうろ覚えですが、私の故郷の昔話に、(椿つばきばけ――ばたり。)農家のひとり子で、生れて口をきくと、(椿ばけ――ばたり。)とおしの一声ではないけれども、いくら叱っても治らない。弓が上手で、のちにお城に、もののけがあって、国のかみ可恐おそろし変化へんげに悩まされた時、自から進んで出て、奥庭の大椿に向っていきなり矢をつがえた。(椿ばけ――ばたり。)と切って放すと、枝も葉も萎々なえなえとなって、ばたり。で、国のやみがあかるくなった――そんな意味だったと思います。言葉は気をつけなければ不可いけませんね。
 食不足で、ひくひく煩っていた男のが七転八倒します。私は方々の医師いしゃへ駆附けた。が、一人も来ません。お雪さんが、抱いたり、さすったり、半狂乱でいる処へ、右の、ばらりざんと敗北した落武者が這込はいこんで来た始末で……その悲惨さといったらありません。
 食あたりだ。医師いしゃのお父さんが、診察をしたばかりで、やぶだからどうにも出来ない。あくる朝なくなりました。きらずに煮込んだ剥身むきみは、小指を食切るほどのいきおいで、私も二つ三つおすそわけに預るし、皆も食べたんですから、看板の※(「魚+是」、第4水準2-93-60)しこのせいです。幾月ぶりかの、お魚だから、大人は、坊やに譲ったんです。その癖、出がけには、坊や、晩には玉子だぞ。お土産は電車だ、と云って出たんですのに。――
 お雪さんは、歌磨の絵の海女あまのような姿で、あわび――いや小石を、そッと拾っては、鬼門をよけた雨落あまおちの下へ、積み積みしていたんですね。
(――かなしいなあ――)
 めそめそ泣くようなたちではないので、石も、日も、少しずつ積りました。
 ――さあ、その残暑の、朝から、りつけます中へ、端書はがきが来ましてね。――落目もこうなると、めったに手紙なんぞのぞいた事のないのに、至急、と朱がきのしてあったのを覚えています。ご新姐あてに、千葉から荷が着いている。お届けをしようか、受取りにおいで下さるか、という両国辺の運送問屋から来たのでした。
 品物といえば釘の折でも、屑屋くずやへ売るのにほしい処。……返事を出す端書が買えないんですから、配達をさせるなぞは思いもよらず……急いで取りに行く。この使つかいの小僧ですが、二日ばかりというもの、かたまったものは、漬菜つけなの切れはし、黒豆一粒入っていません。ほんとうのひもじさは、話では言切れない、あなた方の腹がすいたは、都合によってすかせるのです。いいえ、何も喧嘩をするのじゃありません、おわかりにならんと思いますから、よしますが。
 もっとも、その前日も、金子かね無心の使に、芝の巴町ともえちょう附近あたりまで遣られましてね。出来ッこはありません。勿論、往復とも徒歩てくなんですから、帰途かえりによろよろ目がくらんで、ちょうど、一つ橋を出ようとした時でした。午砲どん!――あの音で腰を抜いたんです。土を引掻ひッかいて起上がる始末で、人間もこうなると浅間しい。……行暮れた旅人が灯をたよるように、山賊のでも、いかさま碁会所でも、気障きざな奴でも、路地が曲りくねっていても、何となく便たよる気が出て。――町のちゃら金の店を覗くと、出窓の処に、忠臣蔵の雪の夜討の炭部屋の立盤子たてばんこを飾って、碁盤が二三台。客は居ません。ちゃら金が、碁盤の前で、何だか古い帳面を繰っておりましたっけ。(や、お入り。)金歯で呼込んで、家内が留守で蕎麦そばを取る処だ、といって、一つ食わしてくれました。もり蕎麦は、滝の荒行ほど、どっしりと身にこたえましたが、そのかわり、ご新姐――お雪さんに、(おい、ごく内証ないだぜ。)と云って、手紙をことづけたんです。菫色すみれいろの横封筒……いや、どうも、その癖、言う事は古い。(いい加減に常盤御前ときわごぜんが身のためだ。)とこうです。どの道そんな蕎麦だから、伸び過ぎていて、ひどく中毒あたって、松住町まつずみちょう辺をうなりながら歩くうちに、どこかへ落してしまいましたが。
 ――今度は、どこで倒れるだろう。さあ使いに行く。着るものは――
 私の田舎の叔母が一枚送ってくれた単衣ひとえを、病人に着せてあるのをぐんです。その臭さというものは。……とにかく妻恋坂下の穴を出ました。
 こんなにしていて、どうなるだろう。やぐらのような物干を見ると、ああ、いつの間にか、そこにも片隅に、小石が積んであるんです。何ですか、明神様の森の空が、雲で真暗まっくらなようでした。
 鰻屋うなぎやの神田川――今にもその頃にも、まるで知己ちかづきはありませんが、あすこの前を向うへ抜けて、大通りを突切つっきろうとすると、あの黒い雲が、聖堂の森の方へとはしると思うと、頭の上にかぶさって、上野へ旋風つむじかぜきながら、灰を流すように降って来ました。ひょろひょろの小僧は、叩きつけられたように、向う側の絵草紙屋の軒前のきさきへ駆込んだんです。濡れるのをいといはしません。吹倒されるのが可恐おそろしかったので、柱へつかまった。
 一軒隣に、焼芋屋がありましてね。またこの路地裏の道具屋が、私の、東京ではじめて草鞋わらじを脱いだ場所で、泊めてもらった。しかもその日、晩飯を食わせられる時、道具屋が、めじの刺身を一臠ひときれはしで挟んで、鼻のさきへぶらさげて、東京じゃ、これが一皿、じゃあない、一臠、若干金いくらにつく。……お前たちの二日分の祭礼まつりの小遣いより高い、と云って聞かせました。――その時以来、腹のくちい、という味を知らなかったのです。しかし、ぼんやり突立つったっては、よくこの店をのぞいたものです。――横なぐりに吹込みますから、古風な店で、半分ひよけをおろしました。暗くなる……薄暗い中に、さっと風にあおられて、なまめかしいおんなもすそが燃えるのかと思う、あからさまな、真白まっしろな大きな腹が、あおざめた顔して、宙にさかさまにぶら下りました。……御存じかも知れません、芳年よしとしの月百姿の中の、安達あだちヶ原、縦絵二枚続にまいつづき孤家ひとつやで、店さきには遠慮をするはず、別の絵を上被うわっぱりに伏せ込んで、窓の柱に掛けてあったのが、暴風雨あらしで帯を引裂いたようにめくれたんですね。ああ、吹込むしぶきに、肩もかかとも、わなわな震えている。……
 雨はかぶりましたし、裸のご新姐の身の上を思って……」
(――語ってここを言う時、その胸を撫でて、目を押える、ことをする。)
「まぶたをあふれて、鼻柱をつたう大粒の涙が、唇へ甘く濡れました。甘い涙。――いささか気障きざですが、うれしい悲しいを通り越した、辛い涙、渋い涙、鉛の涙、男女の思迫おもいせまった、そんな味は覚えがない、ひもじい時の、芋の涙、豆の涙、あんぱんの涙、金鍔きんつばの涙。ここで甘い涙と申しますのは。――結膜炎だか、のぼせ目だか、何しろ弱り目にたたり目でしょう。左の目が真紅まっかになって、渋くって、辛くって困りました時、お雪さんが、乳を絞って、つぎ込んでくれたのです。
(――かなしいなあ――)
 走りはしません、ぽたぽたぐらい。一人児ひとりっこだから、時々飲んでいたんですが、食が少いかられがちなんです。私を仰向あおむけにして、横合から胸をはだけて、……まだあわせ、お雪さんの肌にはかすかにくれないのちらついた、春の末でした。目をはずすまいとするから、弱腰をひねって、まげびんもひいやりと額にかかり……白い半身が逆になって見えましょう。……今時……今時……そんな古風な、療治を、禁厭まじないを、するものがあるか、とおっしゃいますか。ええ、おっしゃい。そんな事は、まだその頃ありました、精盛薬館、一二おいちにを、掛売で談ずるだけの、余裕があっていう事です。
 このありさまは、ちょっと物議になりました。主人あるじの留守で。二階から覗いた投機家が、容易ならぬ沙汰をしたんですが、若い燕だか、小僧の蜂だか、そんな詮議せんぎは、飯を食ったあとにしようと、徹底した空腹です。
 それ以来、涙が甘い。いまそのこぼれるにつけても、さかさに釣られた孤家ひとつやの女の乳首が目に入って来そうで、従って、ご新姐の身の上に、いつか、おなじ事でもありそうでならなかった。――予感というものはあるものでしょうか。
 その日のうちに、果しておなじような事が起ったんです。――それは受取った荷物……荷はかごで、きのこです。初茸はつたけです。そのために事が起ったんです。
 通り雨ですから、すぐに、かっと、まぶしいほどに日が照ります。甘い涙のあめめたいきおいで、あれから秋葉ヶ原をよろよろと、佐久間町の河岸かし通り、みくら橋、左衛門橋。――とあの辺から両側には仕済しすました店の深い問屋が続きますね。その中に――今思うと船宿でしょう。天井に網を揃えて掛けてあるのが見えました。故郷の市場の雑貨店で、これを扱うものがあって、私の祖父じじい――地方いなかの狂言師が食うにこまって、手内職にすいた出来上がりのこの網を、使つかいで持って行ったのを思い出して――もう国に帰ろうか――また涙が出る。とその涙が甘いのです。餅か、団子か、お雪さんが待っていよう。
(一銭五厘です。端書代が立替えになっておりますが。)
(つい、あの、持って来ません。)
些細ささいな事ですが、店のきまりはきまりですからな。)
 年のわかい手代は、そっぽうを向く。小僧は、げらげらと笑っている。
(貸して下さい。)
(お貸し申さないとは申しませんが。)
(このしるしを置いて行きます。貸して下さい。)
 私は汗じみた手拭を、懐中ふところから――空腹すきはらをしめていたかどうかはお察し下さい――懐中から出すと、手代が一代の逸話として、よい経験を得たように、しかし、きたならしそうに、つまんでひろげました。
(よう!)とりかえった掛声をして、
(みどり屋、ゆき。――荷は千葉と。――ああ、万翠楼だ。……医師いしゃげた、この別嬪べっぴんさんの使ですかい、きみは。……ぼくは店用で行って知ってるよ。……果報ものだね、きみは。……可愛がってくれるだろう。雪白肌の透綾娘すきあやむすめは、ちょっと浮気ものだというぜ。)
 と言やあがった……
 その透綾娘は、手拭の肌襦袢はだじゅばんから透通った、肩を落して、裏の三畳、濡縁の柱によっかかったのが、その姿ですから、くくりつけられでもしたように見えて、ぬの一重の膝の上に、小児こどもの絵入雑誌を拡げた、あの赤い絵の具が、腹から血ではないかと、ぞっとしたほど、さし俯向うつむいて、顔を両手でおさえていました。――やっと小僧が帰った時です。――
(来たか、荷物は。)
 と二階から、力のない、鼻のつまったおおきな声。
(初茸ですわ。)
 と、きっぱりと、投上げるように、ご新姐が返事をすると、
(あああ、ぜににはならずか――食おう。)
 と、また途方もない声をして、階子段はしごだん一杯に、おおきなな男が、ふんどし真正面まっしょうめんあらわれる。続いて、足早にきざんで下りたのは、政治狂の黒い猿股さるまたです。ぎしぎしと音がして、青黄色に膨れた、投機家が、豚を一匹、まるで吸ったひるのように、ずどうんと腰でり、欄干に、よれよれの兵児帯へこおびをしめつけたのを力綱にすがって、ぶら下がるようにかじを取って下りて来る。脚気かっけがむくみ上って、もう歩けない。
 小児こどものつかった、おかわを二階に上げてあるんで、そのわきに西瓜すいかの皮が転がって、蒼蠅あおばえたかっているのをた時ほど、なさけない思いをした事は余りありません。その二階で、三人、何をしているかというと、はなをひくか、あの、泥石の紙の盤で、碁を打っていたんですがね。

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