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海城発電(かいじょうはつでん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-22 12:26:01 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



       七

「うむ、それでは神崎、現在ゐる、此処ここは一体何処どこだと思ふか。」
 海野はいたくあらたまりてさもものありげに問懸けたり。問はれて室内を※(「目+旬」、第3水準1-88-80)みまわしながら、
左様さよう、何処か見覚えてゐるやうな気持もするです。」
「うむ分るまい。それが分つてゐさへすりや、口広いことはいへないわけだ。」
 顔にこけむしたるひげでつつ、立ちはだかりたるたけ豊かに神崎を瞰下みおろしたり。
「此処はな、が家だ。貴様にれてゐる李花の家だぞ。」
 今経歴を語りたりし軍夫と眼と眼を見合はして二人はニタリと微笑ほほえめり。
 神崎は夢のうちなる面色おももちにてうつとりとそのまなこ※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはりぬ。
「ぼんやりするない。が住居だ。むすめの家だぞ。聞くことがありや何処でも聞かれるが、わざと此処ん処へ引張つて来たのには、何かわれわれに思ふ処がなければならない。その位なことは、いくら無神経な男でも分るだらう。家族はみんな追出してしまつて、李花はわれわれの手の内のものだ。それだけあらかじめ断つて置く、いいか。
 さ、断つた上でも、やつぱり看護員は看護員で、看護員だけのことをさへすればいい、むしろほかのことはしない方が当前あたりまえだ。敵情を探るのは探偵の係で、たたかいにあたるものは戦闘員に限る、いふて見れば、敵愾心てきがいしんを起すのは常業のない閑人ひまじんで、すすんで国家に尽すのは好事家ものずきがすることだ。人は自分のすべきことをさへすればいい、われわれが貴様を責めるのも、勿論のこと、ひまだからだ、とせんじ詰めた処さういふのだな。」
 神崎は猶予ためらはで、
左様さよう、自分は看護員です。」
 この冷かなる答を得え百人長は決意の色あり。
「しつかり聞かう、職務外のことは、何にもせんか!」
「出来ないです。余裕があれば綿繖糸めんざんしを造るです。」
 応答はこれにて決せり。
 百人長はいふこと尽きぬ。
 海野は悲痛の声を挙げて、
「駄目だ。殺しても何にもならない。よし、いま一ツの手段を取らう。ごん! きち! くま! 一件だ。」
 声に応じて三名の壮佼わかものは群を脱して、戸口に向へり。時に出口の板戸を背にして、木像の如く突立ちたるまま両手を衣兜かくしにぬくめつつ、身動きもせで煙草たばこをのみたるの真黒なる人物は、靴音高く歩を転じて、かれらを室外にいだしやりたり。三人は走り行きぬ。走り行きたる三人みたりの軍夫は、二人左右より両手を取り、一人うしろよりせなして、端麗たんれい多く世に類なき一個清国の婦人の年少としわかなるを、荒けなく引立て来りて、海野のかたえ推据おしすへたる、李花は病床にあれりしなる、同じ我家の内ながら、渠は深窓に養はれて、浮世の風は知らざる身の、しかくこの室に出でたるも恐らくその日が最初はじめてならむ、長きやまいおもかげやつれて、寝衣しんいの姿なよなよしく、かんざしの花もしぼみたる流罪るざい天女てんにょあわれむべし。
「国賊!」
 と呼懸けつ。百人長は猿臂えんぴを伸ばして美しき犠牲いけにえの、白きうなじ掻掴かいつかみ、そのおもてをばけざまに神崎の顔に押向けぬ。
 李花は猛獣に手を取られ、毒蛇どくじゃはだまとはれて、恐怖の念もあらざるまで、遊魂ゆうこん半ば天にちょうして、夢現の境にさまよひながらも、神崎を一目見るより、やせたるほおをさとあかめつ。またたきもせで見詰めたりしが、にわかそうの身をふるはして、
「あ。」と一声血をしぼれる、不意の叫声に驚きて、思はず軍夫が放てる手に、身を支えたる力を失して後居しりいにはたとたおれたり。
 看護員は我にもあらでとその椅子より座を立ちぬ。
 百人長は毛脛けずねをかかげて、李花の腹部を無手むずまへ、ぢろりと此方こなた流眄しりめに懸けたり。
「どうだ。これでも、これでも、職務外のことをせねばならない必要を感ぜんか。」
 同時に軍夫の一団はばらばらと立懸りて、李花の手足を圧伏おしふせぬ。
「国賊! これでどうだ。」
 海野はみづから手をろして、李花寝衣しんいはかますそをびりりとばかりつんざけり。

       八

 時に黒衣こくい長身の人物は、ハタと煙管きせるを取落しつ、其方そなたを見向ける頭巾ずきんうちに一双のまなこ爛々らんらんたりき。
 あはれ、看護員はいかにせしぞ。
 おもての色は変へたれども、胸中無量の絶痛は、少しも挙動にあらはさで、渠はなほよくせいを保ち、おもむろにその筒服ズボンを払ひ、頭髪のややのびて、白きひたいに垂れたるを、左手ゆんでにやをら掻上かきあげつつ、つくえの上に差置きたる帽を片手に取るとひとしく、粛然しゅくぜんと身を起して、
「諸君。」
 とばかり言ひすてつ。
 海野と軍夫と、軍夫と、軍夫と、軍夫と、軍夫のひまより、真白く細き手の指の、のびつ、かがみつ、れたるを、わずか一目ひとめ見たるのみ。靴音かろく歩を移して、そのまま李花に辞し去りたり。かくて五分時を経たりし後は、失望したる愛国の志士と、及びその腕力と、皆く室を立去りて、暗澹たる孤燈の影に、李花のなきがらぞあおかりける。この時までも目を放たで直立したりし黒衣の人は、濶歩かっぽ坐中にゆるいでて、燈火を仰ぎ李花して、厳然として椅子にり、卓子ていぶる片肱かたひじ附きて、眼光一閃いっせん鉛筆のさきすかし見つ。電信用紙にサラサラと、

 月 日  海城かいじょう
予は目撃せり。
日本軍の中には赤十字の義務をまっとうして、敵より感謝状を送られたる国賊あり。しかれどもまた敵愾心てきがいしんのために清国てきこくの病婦をとらへて、犯しはずかしめたる愛国の軍夫あり。委細はあとより。
じよんべるとん
英国ロンドン府、アワリー、テレグラフ社編輯へんしゅう




 



底本:「外科室・海城発電 他五篇」岩波文庫、岩波書店
   1991(平成3)年9月17日第1刷発行
   2000(平成12)年9月5日第18刷発行
底本の親本:「鏡花全集 別巻」岩波書店
   1976(昭和50)年3月26日第1刷発行
初出:「太陽」第二巻第一号
   1896(明治29)年1月
※本文中、「恁りつ」は「凭りつ」、「※(「目+旬」、第3水準1-88-80)」は「※(「目+句」、第4水準2-81-91)」の誤りと思われますが、底本の通りにしました。
※「読みにくい語、読み誤りやすい語には現代仮名づかいで振り仮名を付す。」との底本の編集方針にそい、ルビの拗促音は小書きしました。
入力:門田裕志
校正:鈴木厚司
2003年8月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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