芥川龍之介全集4 |
ちくま文庫、筑摩書房 |
1987(昭和62)年1月27日 |
1993(平成5)年12月25日第6刷 |
1996(平成8)年7月15日第8刷 |
筑摩全集類聚版芥川龍之介全集 |
筑摩書房 |
1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月 |
阿媽港甚内の話
わたしは甚内と云うものです。苗字は――さあ、世間ではずっと前から、阿媽港甚内と云っているようです。阿媽港甚内、――あなたもこの名は知っていますか? いや、驚くには及びません。わたしはあなたの知っている通り、評判の高い盗人です。しかし今夜参ったのは、盗みにはいったのではありません。どうかそれだけは安心して下さい。 あなたは日本にいる伴天連の中でも、道徳の高い人だと聞いています。して見れば盗人と名のついたものと、しばらくでも一しょにいると云う事は、愉快ではないかも知れません。が、わたしも思いのほか、盗みばかりしてもいないのです。いつぞや聚楽の御殿へ召された呂宋助左衛門の手代の一人も、確か甚内と名乗っていました。また利休居士の珍重していた「赤がしら」と称える水さしも、それを贈った連歌師の本名は、甚内とか云ったと聞いています。そう云えばつい二三年以前、阿媽港日記と云う本を書いた、大村あたりの通辞の名前も、甚内と云うのではなかったでしょうか? そのほか三条河原の喧嘩に、甲比丹「まるどなど」を救った虚無僧、堺の妙国寺門前に、南蛮の薬を売っていた商人、……そう云うものも名前を明かせば、何がし甚内だったのに違いありません。いや、それよりも大事なのは、去年この「さん・ふらんしすこ」の御寺へ、おん母「まりや」の爪を収めた、黄金の舎利塔を献じているのも、やはり甚内と云う信徒だった筈です。 しかし今夜は残念ながら、一々そう云う行状を話している暇はありません。ただどうか阿媽港甚内は、世間一般の人間と余り変りのない事を信じて下さい。そうですか? では出来るだけ手短かに、わたしの用向きを述べる事にしましょう。わたしはある男の魂のために、「みさ」の御祈りを願いに来たのです。いや、わたしの血縁のものではありません。と云ってもまたわたしの刃金に、血を塗ったものでもないのです。名前ですか? 名前は、――さあ、それは明かして好いかどうか、わたしにも判断はつきません。ある男の魂のために、――あるいは「ぽうろ」と云う日本人のために、冥福を祈ってやりたいのです。いけませんか?――なるほど阿媽港甚内に、こう云う事を頼まれたのでは、手軽に受合う気にもなれますまい。ではとにかく一通り、事情だけは話して見る事にしましょう。しかしそれには生死を問わず、他言しない約束が必要です。あなたはその胸の十字架に懸けても、きっと約束を守りますか? いや、――失礼は赦して下さい。(微笑)伴天連のあなたを疑うのは、盗人のわたしには僭上でしょう。しかしこの約束を守らなければ、(突然真面目に)「いんへるの」の猛火に焼かれずとも、現世に罰が下る筈です。 もう二年あまり以前の話ですが、ちょうどある凩の真夜中です。わたしは雲水に姿を変えながら、京の町中をうろついていました。京の町中をうろついたのは、その夜に始まったのではありません。もうかれこれ五日ばかり、いつも初更を過ぎさえすれば、必ず人目に立たないように、そっと家々を窺ったのです。勿論何のためだったかは、註を入れるにも及びますまい。殊にその頃は摩利伽へでも、一時渡っているつもりでしたから、余計に金の入用もあったのです。 町は勿論とうの昔に人通りを絶っていましたが、星ばかりきらめいた空中には、小やみもない風の音がどよめいています。わたしは暗い軒通いに、小川通りを下って来ると、ふと辻を一つ曲った所に、大きい角屋敷のあるのを見つけました。これは京でも名を知られた、北条屋弥三右衛門の本宅です。同じ渡海を渡世にしていても、北条屋は到底角倉などと肩を並べる事は出来ますまい。しかしとにかく沙室や呂宋へ、船の一二艘も出しているのですから、一かどの分限者には違いありません。わたしは何もこの家を目当に、うろついていたのではないのですが、ちょうどそこへ来合わせたのを幸い、一稼ぎする気を起しました。その上前にも云った通り、夜は深いし風も出ている、――わたしの商売にとりかかるのには、万事持って来いの寸法です。わたしは路ばたの天水桶の後に、網代の笠や杖を隠した上、たちまち高塀を乗り越えました。 世間の噂を聞いて御覧なさい。阿媽港甚内は、忍術を使う、――誰でも皆そう云っています。しかしあなたは俗人のように、そんな事は本当と思いますまい。わたしは忍術も使わなければ、悪魔も味方にはしていないのです。ただ阿媽港にいた時分、葡萄牙の船の医者に、究理の学問を教わりました。それを実地に役立てさえすれば、大きい錠前をじ切ったり、重い閂を外したりするのは、格別むずかしい事ではありません。(微笑)今までにない盗みの仕方、――それも日本と云う未開の土地は、十字架や鉄砲の渡来と同様、やはり西洋に教わったのです。 わたしは一ときとたたない内に、北条屋の家の中にはいっていました。が、暗い廊下をつき当ると、驚いた事にはこの夜更けにも、まだ火影のさしているばかりか、話し声のする小座敷があります。それがあたりの容子では、どうしても茶室に違いありません。「凩の茶か」――わたしはそう苦笑しながら、そっとそこへ忍び寄りました。実際その時は人声のするのに、仕事の邪魔を思うよりも、数寄を凝らした囲いの中に、この家の主人や客に来た仲間が、どんな風流を楽しんでいるか?――そんな事に心が惹かれたのです。 襖の外に身を寄せるが早いか、わたしの耳には思った通り、釜のたぎりがはいりました。が、その音がすると同時に、意外にも誰か話をしては、泣いている声が聞えるのです。誰か、――と云うよりもそれは二度と聞かずに、女だと云う事さえわかりました。こう云う大家の茶座敷に、真夜中女の泣いていると云うのは、どうせただ事ではありません。わたしは息をひそめたまま、幸い明いていた襖の隙から、茶室の中を覗きこみました。 行燈の光に照された、古色紙らしい床の懸け物、懸け花入の霜菊の花。――囲いの中には御約束通り、物寂びた趣が漂っていました。その床の前、――ちょうどわたしの真正面に坐った老人は、主人の弥三右衛門でしょう、何か細かい唐草の羽織に、じっと両腕を組んだまま、ほとんどよそ眼に見たのでは、釜の煮え音でも聞いているようです。弥三右衛門の下座には、品の好い笄髷の老女が一人、これは横顔を見せたまま、時々涙を拭っていました。 「いくら不自由がないようでも、やはり苦労だけはあると見える。」――わたしはそう思いながら、自然と微笑を洩らしたものです。微笑を、――こう云ってもそれは北条屋夫婦に、悪意があったのではありません。わたしのように四十年間、悪名ばかり負っているものには、他人の、――殊に幸福らしい他人の不幸は、自然と微笑を浮ばせるのです。(残酷な表情)その時もわたしは夫婦の歎きが、歌舞伎を見るように愉快だったのです。(皮肉な微笑)しかしこれはわたし一人に、限った事ではありますまい。誰にも好まれる草紙と云えば、悲しい話にきまっているようです。 弥三右衛門はしばらくの後、吐息をするようにこう云いました。 「もうこの羽目になった上は、泣いても喚いても取返しはつかない。わたしは明日にも店のものに、暇をやる事に決心をした。」 その時また烈しい風が、どっと茶室を揺すぶりました。それに声が紛れたのでしょう。弥三右衛門の内儀の言葉は、何と云ったのだかわかりません。が、主人は頷きながら、両手を膝の上に組み合せると、網代の天井へ眼を上げました。太い眉、尖った頬骨、殊に切れの長い目尻、――これは確かに見れば見るほど、いつか一度は会っている顔です。 「おん主、『えす・きりすと』様。何とぞ我々夫婦の心に、あなた様の御力を御恵み下さい。……」 弥三右衛門は眼を閉じたまま、御祈りの言葉を呟き始めました。老女もやはり夫のように天帝の加護を乞うているようです。わたしはその間瞬きもせず、弥三右衛門の顔を見続けました。するとまた凩の渡った時、わたしの心に閃いたのは、二十年以前の記憶です。わたしはこの記憶の中に、はっきり弥三右衛門の姿を捉えました。 その二十年以前の記憶と云うのは、――いや、それは話すには及びますまい。ただ手短に事実だけ云えば、わたしは阿媽港に渡っていた時、ある日本の船頭に危い命を助けて貰いました。その時は互に名乗りもせず、それなり別れてしまいましたが、今わたしの見た弥三右衛門は、当年の船頭に違いないのです。わたしは奇遇に驚きながら、やはりこの老人の顔を見守っていました。そう云えば威かつい肩のあたりや、指節の太い手の恰好には、未に珊瑚礁の潮けむりや、白檀山の匂いがしみているようです。 弥三右衛門は長い御祈りを終ると、静かに老女へこう云いました。 「跡はただ何事も、天主の御意次第と思うたが好い。――では釜のたぎっているのを幸い、茶でも一つ立てて貰おうか?」 しかし老女は今更のように、こみ上げる涙を堪えるように、消え入りそうな返事をしました。 「はい。――それでもまだ悔やしいのは、――」 「さあ、それが愚痴と云うものじゃ。北条丸の沈んだのも、抛げ銀の皆倒れたのも、――」 「いえ、そんな事ではございません。せめては倅の弥三郎でも、いてくれればと思うのでございますが、……」 わたしはこの話を聞いている内に、もう一度微笑が浮んで来ました。が、今度は北条屋の不運に、愉快を感じたのではありません。「昔の恩を返す時が来た」――そう思う事が嬉しかったのです。わたしにも、御尋ね者の阿媽港甚内にも、立派に恩返しが出来る愉快さは、――いや、この愉快さを知るものは、わたしのほかにはありますまい。(皮肉に)世間の善人は可哀そうです。何一つ悪事を働かない代りに、どのくらい善行を施した時には、嬉しい心もちになるものか、――そんな事も碌には知らないのですから。 「何、ああ云う人でなしは、居らぬだけにまだしも仕合せなぐらいじゃ。……」 弥三右衛門は苦々しそうに、行燈へ眼を外らせました。 「あいつが使いおった金でもあれば、今度も急場だけは凌げたかも知れぬ。それを思えば勘当したのは、………」
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