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報恩記(ほうおんき)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-17 15:01:06 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语


 わたしは浄厳寺じょうごんじの裏へ来ると、一散いっさんに甚内へ追いつきました。ここはずっと町家ちょうかのない土塀どべい続きになっていますから、たとい昼でも人目を避けるには、一番御誂おあつらえの場所なのですが、甚内はわたしを見ても、格別驚いた気色けしきは見せず、静かにそこへ足を止めました。しかもつえをついたなり、わたしの言葉を待つように、一言ひとことも口をかないのです。わたしは実際恐る恐る、甚内の前に手をつきました。しかしその落着いた顔を見ると、思うように声さえ出て来ません。
「どうか失礼は御免下さい。わたしは北条屋弥三右衛門ほうじょうややそうえもんせがれ弥三郎やさぶろうと申すものです。――」
 わたしは顔を火照ほてらせながら、やっとこう口を切りました。
「実は少し御願いがあって、あなたの跡をしたって来たのですが、……」
 甚内はただうなずきました。それだけでも気の小さいわたしには、どのくらい難有ありがたい気がしたでしょう。わたしは勇気も出て来ましたから、やはり雪の中に手をついたなり、父の勘当かんどうを受けている事、今はあぶれものの仲間にはいっている事、今夜父のうちへ盗みにはいった所が、はからず甚内にめぐり合った事、なおまた父と甚内との密談も一つ残らず聞いた事、――そんな事を手短てみじかに話しました。が、甚内は不相変あいかわらず黙然もくねんと口をつぐんだまま、冷やかにわたしを見ているのです。わたしはその話をしてしまうと、一層膝を進ませながら、甚内の顔をのぞきこみました。
北条一家ほうじょういっかこうむった恩は、わたしにもまたかかっています。わたしはその恩を忘れないしるしに、あなたの手下てしたになる決心をしました。どうかわたしを使って下さい。わたしは盗みも知っています。火をつけるすべも知っています。そのほか一通りの悪事だけは、人におとらず知っています。――」
 しかし甚内は黙っています。わたしは胸を躍らせながら、いよいよ熱心に説き立てました。
「どうかわたしを使って下さい。わたしは必ず働きます。京、伏見ふしみさかい、大阪、――わたしの知らない土地はありません。わたしは一日に十五里歩きます。力も四斗俵しとびょうは片手にあがります。人も二三人は殺して見ました。どうかわたしを使って下さい。わたしはあなたのためならば、どんな仕事でもして見せます。伏見の城の白孔雀しろくじゃくも、盗めと云えば、盗んで来ます。『さん・ふらんしすこ』の寺の鐘楼しゅろうも、焼けと云えば焼いて来ます。右大臣家うだいじんけの姫君も、かどわかせと云えば拐して来ます。奉行の首も取れと云えば、――」
 わたしはこう云いかけた時、いきなり雪の中へ蹴倒けたおされました。
莫迦ばかめ!」
 甚内じんないは一声叱ったまま、元の通り歩いて行きそうにします。わたしはほとんど気違いのように法衣ころもすそすがりつきました。
「どうかわたしを使って下さい。わたしはどんな場合にも、きっとあなたを離れません。あなたのためには水火にも入ります。あの『えそぽ』の話の獅子王ししおうさえ、ねずみに救われるではありませんか? わたしはその鼠になります。わたしは、――」
「黙れ。甚内は貴様なぞの恩は受けぬ。」
 甚内はわたしを振り放すと、もう一度そこへ蹴倒しました。
白癩びゃくらいめが! 親孝行でもしろ!」
 わたしは二度目に蹴倒された時、急に口惜くやしさがこみ上げて来ました。
「よし! きっと恩になるな!」
 しかし甚内は見返りもせず、さっさと雪路ゆきみちを急いで行きます。いつかさし始めた月の光に網代あじろかさほのめかせながら、……それぎりわたしは二年のあいだ、ずっと甚内を見ずにいるのです。(突然笑う)「甚内は貴様なぞの恩は受けぬ」……あの男はこう云いました。しかしわたしはの明け次第、甚内の代りに殺されるのです。
 ああ、おん母「まりや様!」わたしはこの二年間、甚内の恩を返したさに、どのくらい苦しんだか知れません。恩を返したさに?――いや、恩と云うよりも、むしろうらみを返したさにです。しかし甚内はどこにいるか? 甚内は何をしているか?――誰にそれがわかりましょう? 第一甚内はどんな男か?――それさえ知っているものはありません。わたしがった贋雲水にせうんすいは四十前後の小男です。が、柳町やなぎまちくるわにいたのは、まだ三十を越えていない、あから顔にひげの生えた、浪人だと云うではありませんか? 歌舞伎かぶきの小屋をさわがしたと云う、腰の曲った紅毛人こうもうじん妙国寺みょうこくじ財宝ざいほうかすめたと云う、前髪の垂れた若侍、――そう云うのを皆甚内とすれば、あの男の正体しょうたいを見分ける事さえ、到底とうてい人力には及ばない筈です。そこへわたしは去年の末から、吐血とけつの病にかかってしまいました。
 どうかうらみを返してやりたい、――わたしは日毎にせ細りながら、その事ばかりを考えていました。するとある夜わたしの心に、突然ひらめいた一策があります。「まりや」様! 「まりや」様! この一策を御教え下すったのは、あなたの御恵みに違いありません。ただわたしの体を捨てる、吐血とけつの病に衰え果てた、骨と皮ばかりの体を捨てる、――それだけの覚悟をしさえすれば、わたしの本望は遂げられるのです。わたしはその嬉しさの余り、いつまでも独り笑いながら、同じ言葉を繰返していました。――「甚内の身代みがわりに首を打たれる。甚内の身代りに首を打たれる。………」
 甚内の身代りに首を打たれる――何とすばらしい事ではありませんか? そうすれば勿論わたしと一しょに、甚内の罪もほろんでしまう。――甚内は広い日本にっぽん国中、どこでも大威張おおいばりに歩けるのです。その代り(再び笑う)――その代りわたしは一夜の内に、稀代きだい大賊たいぞくになれるのです。呂宋助左衛門るそんすけざえもん手代てだいだったのも、備前宰相びぜんさいしょう伽羅きゃらを切ったのも、利休居士りきゅうこじの友だちになったのも、沙室屋しゃむろや珊瑚樹さんごじゅかたったのも、伏見の城の金蔵かねぐらを破ったのも、八人の参河侍みかわざむらいを斬り倒したのも、――ありとあらゆる甚内の名誉は、ことごとくわたしに奪われるのです。(三度さんど笑う)云わば甚内を助けると同時に、甚内の名前を殺してしまう、一家の恩を返すと同時に、わたしのうらみも返してしまう、――このくらい愉快な返報へんぽうはありません。わたしがその嬉しさの余り、笑い続けたのも当然です。今でも、――このろうの中でも、これが笑わずにいられるでしょうか?
 わたしはこの策を思いついた後、内裏だいりへ盗みにはいりました。宵闇よいやみの浅い内ですから、御簾みす越しに火影ほかげがちらついたり、松の中に花だけほのめいたり、――そんな事も見たように覚えています。が、長い廻廊かいろうの屋根から、人気ひとけのない庭へ飛び下りると、たちまち四五人の警護けいごの侍に、望みの通りからめられました。その時です。わたしを組み伏せた鬚侍ひげざむらいは、一生懸命になわをかけながら、「今度こそは甚内を手捕りにしたぞ」と、つぶやいていたではありませんか? そうです。阿媽港甚内あまかわじんないのほかに、誰が内裏だいりなぞへ忍びこみましょう? わたしはこの言葉を聞くと、必死にもがいているあいだでも、思わず微笑びしょうを洩らしたものです。
「甚内は貴様なぞの恩にはならぬ。」――あの男はこう云いました。しかしわたしはの明け次第、甚内の代りに殺されるのです。何と云う気味きみ面当つらあてでしょう。わたしは首をさらされたまま、あの男の来るのを待ってやります。甚内はきっとわたしの首に、声のない哄笑こうしょうを感ずるでしょう。「どうだ、弥三郎やさぶろうの恩返しは?」――その哄笑はこう云うのです。「お前はもう甚内では無い。阿媽港甚内はこの首なのだ、あの天下に噂の高い、日本にっぽん第一の大盗人おおぬすびとは!」(笑う)ああ、わたしは愉快です。このくらい愉快に思った事は、一生にただ一度です。が、もし父の弥三右衛門やそうえもんに、わたしのさらし首を見られた時には、――(苦しそうに)勘忍して下さい。お父さん! 吐血の病にかかったわたしは、たとい首を打たれずとも、三年とは命は続かないのです。どうか不孝は勘忍して下さい、わたしは極道ごくどうに生まれましたが、とにかく一家の恩だけは返す事が出来たのですから、………

(大正十一年三月)




 



底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
   1993(平成5)年12月25日第6刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月19日公開
2004年3月10日修正
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