わたしは浄厳寺の裏へ来ると、一散に甚内へ追いつきました。ここはずっと町家のない土塀続きになっていますから、たとい昼でも人目を避けるには、一番御誂えの場所なのですが、甚内はわたしを見ても、格別驚いた気色は見せず、静かにそこへ足を止めました。しかも杖をついたなり、わたしの言葉を待つように、一言も口を利かないのです。わたしは実際恐る恐る、甚内の前に手をつきました。しかしその落着いた顔を見ると、思うように声さえ出て来ません。 「どうか失礼は御免下さい。わたしは北条屋弥三右衛門の倅弥三郎と申すものです。――」 わたしは顔を火照らせながら、やっとこう口を切りました。 「実は少し御願いがあって、あなたの跡を慕って来たのですが、……」 甚内はただ頷きました。それだけでも気の小さいわたしには、どのくらい難有い気がしたでしょう。わたしは勇気も出て来ましたから、やはり雪の中に手をついたなり、父の勘当を受けている事、今はあぶれものの仲間にはいっている事、今夜父の家へ盗みにはいった所が、計らず甚内にめぐり合った事、なおまた父と甚内との密談も一つ残らず聞いた事、――そんな事を手短に話しました。が、甚内は不相変、黙然と口を噤んだまま、冷やかにわたしを見ているのです。わたしはその話をしてしまうと、一層膝を進ませながら、甚内の顔を覗きこみました。 「北条一家の蒙った恩は、わたしにもまたかかっています。わたしはその恩を忘れないしるしに、あなたの手下になる決心をしました。どうかわたしを使って下さい。わたしは盗みも知っています。火をつける術も知っています。そのほか一通りの悪事だけは、人に劣らず知っています。――」 しかし甚内は黙っています。わたしは胸を躍らせながら、いよいよ熱心に説き立てました。 「どうかわたしを使って下さい。わたしは必ず働きます。京、伏見、堺、大阪、――わたしの知らない土地はありません。わたしは一日に十五里歩きます。力も四斗俵は片手に挙ります。人も二三人は殺して見ました。どうかわたしを使って下さい。わたしはあなたのためならば、どんな仕事でもして見せます。伏見の城の白孔雀も、盗めと云えば、盗んで来ます。『さん・ふらんしすこ』の寺の鐘楼も、焼けと云えば焼いて来ます。右大臣家の姫君も、拐せと云えば拐して来ます。奉行の首も取れと云えば、――」 わたしはこう云いかけた時、いきなり雪の中へ蹴倒されました。 「莫迦め!」 甚内は一声叱ったまま、元の通り歩いて行きそうにします。わたしはほとんど気違いのように法衣の裾へ縋りつきました。 「どうかわたしを使って下さい。わたしはどんな場合にも、きっとあなたを離れません。あなたのためには水火にも入ります。あの『えそぽ』の話の獅子王さえ、鼠に救われるではありませんか? わたしはその鼠になります。わたしは、――」 「黙れ。甚内は貴様なぞの恩は受けぬ。」 甚内はわたしを振り放すと、もう一度そこへ蹴倒しました。 「白癩めが! 親孝行でもしろ!」 わたしは二度目に蹴倒された時、急に口惜しさがこみ上げて来ました。 「よし! きっと恩になるな!」 しかし甚内は見返りもせず、さっさと雪路を急いで行きます。いつかさし始めた月の光に網代の笠を仄めかせながら、……それぎりわたしは二年の間、ずっと甚内を見ずにいるのです。(突然笑う)「甚内は貴様なぞの恩は受けぬ」……あの男はこう云いました。しかしわたしは夜の明け次第、甚内の代りに殺されるのです。 ああ、おん母「まりや様!」わたしはこの二年間、甚内の恩を返したさに、どのくらい苦しんだか知れません。恩を返したさに?――いや、恩と云うよりも、むしろ恨を返したさにです。しかし甚内はどこにいるか? 甚内は何をしているか?――誰にそれがわかりましょう? 第一甚内はどんな男か?――それさえ知っているものはありません。わたしが遇った贋雲水は四十前後の小男です。が、柳町の廓にいたのは、まだ三十を越えていない、赧ら顔に鬚の生えた、浪人だと云うではありませんか? 歌舞伎の小屋を擾がしたと云う、腰の曲った紅毛人、妙国寺の財宝を掠めたと云う、前髪の垂れた若侍、――そう云うのを皆甚内とすれば、あの男の正体を見分ける事さえ、到底人力には及ばない筈です。そこへわたしは去年の末から、吐血の病に罹ってしまいました。 どうか恨みを返してやりたい、――わたしは日毎に痩せ細りながら、その事ばかりを考えていました。するとある夜わたしの心に、突然閃いた一策があります。「まりや」様! 「まりや」様! この一策を御教え下すったのは、あなたの御恵みに違いありません。ただわたしの体を捨てる、吐血の病に衰え果てた、骨と皮ばかりの体を捨てる、――それだけの覚悟をしさえすれば、わたしの本望は遂げられるのです。わたしはその夜嬉しさの余り、いつまでも独り笑いながら、同じ言葉を繰返していました。――「甚内の身代りに首を打たれる。甚内の身代りに首を打たれる。………」 甚内の身代りに首を打たれる――何とすばらしい事ではありませんか? そうすれば勿論わたしと一しょに、甚内の罪も亡んでしまう。――甚内は広い日本国中、どこでも大威張に歩けるのです。その代り(再び笑う)――その代りわたしは一夜の内に、稀代の大賊になれるのです。呂宋助左衛門の手代だったのも、備前宰相の伽羅を切ったのも、利休居士の友だちになったのも、沙室屋の珊瑚樹を詐ったのも、伏見の城の金蔵を破ったのも、八人の参河侍を斬り倒したのも、――ありとあらゆる甚内の名誉は、ことごとくわたしに奪われるのです。(三度笑う)云わば甚内を助けると同時に、甚内の名前を殺してしまう、一家の恩を返すと同時に、わたしの恨みも返してしまう、――このくらい愉快な返報はありません。わたしがその夜嬉しさの余り、笑い続けたのも当然です。今でも、――この牢の中でも、これが笑わずにいられるでしょうか? わたしはこの策を思いついた後、内裏へ盗みにはいりました。宵闇の夜の浅い内ですから、御簾越しに火影がちらついたり、松の中に花だけ仄めいたり、――そんな事も見たように覚えています。が、長い廻廊の屋根から、人気のない庭へ飛び下りると、たちまち四五人の警護の侍に、望みの通り搦められました。その時です。わたしを組み伏せた鬚侍は、一生懸命に縄をかけながら、「今度こそは甚内を手捕りにしたぞ」と、呟いていたではありませんか? そうです。阿媽港甚内のほかに、誰が内裏なぞへ忍びこみましょう? わたしはこの言葉を聞くと、必死にもがいている間でも、思わず微笑を洩らしたものです。 「甚内は貴様なぞの恩にはならぬ。」――あの男はこう云いました。しかしわたしは夜の明け次第、甚内の代りに殺されるのです。何と云う気味の好い面当てでしょう。わたしは首を曝されたまま、あの男の来るのを待ってやります。甚内はきっとわたしの首に、声のない哄笑を感ずるでしょう。「どうだ、弥三郎の恩返しは?」――その哄笑はこう云うのです。「お前はもう甚内では無い。阿媽港甚内はこの首なのだ、あの天下に噂の高い、日本第一の大盗人は!」(笑う)ああ、わたしは愉快です。このくらい愉快に思った事は、一生にただ一度です。が、もし父の弥三右衛門に、わたしの曝し首を見られた時には、――(苦しそうに)勘忍して下さい。お父さん! 吐血の病に罹ったわたしは、たとい首を打たれずとも、三年とは命は続かないのです。どうか不孝は勘忍して下さい、わたしは極道に生まれましたが、とにかく一家の恩だけは返す事が出来たのですから、………
(大正十一年三月)
●表記について
- このファイルは W3C 勧告 XHTML1.1 にそった形式で作成されています。
- 「くの字点」をのぞくJIS X 0213にある文字は、画像化して埋め込みました。
- 傍点や圏点、傍線の付いた文字は、強調表示にしました。
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