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将軍(しょうぐん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-16 9:25:28 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



     四 父と子と

 大正七年十月のある夜、中村なかむら少将、――当時の軍参謀中村少佐は、西洋風の応接室に、火のついたハヴァナをくわえながら、ぼんやり安楽椅子によりかかっていた。
 二十年余りの閑日月かんじつげつは、少将を愛すべき老人にしていた。殊に今夜は和服のせいか、禿あがった額のあたりや、肉のたるんだ口のまわりには、一層好人物じみた気色けしきがあった。少将は椅子いすもたれたまま、ゆっくり周囲を眺め廻した。それから、――急にため息を洩らした。
 室の壁にはどこを見ても、西洋のの複製らしい、写真版のがくけてあった。そのある物は窓にった、寂しい少女の肖像しょうぞうだった。またある物は糸杉のあいだに、太陽の見える風景だった。それらは皆電燈の光に、この古めかしい応接室へ、何か妙に薄ら寒い、厳粛げんしゅくな空気を与えていた。が、その空気はどう云うわけか、少将には愉快でないらしかった。
 無言むごんの何分かが過ぎ去ったのち、突然少将は室外に、かすかなノックの音を聞いた。
「おはいり。」
 その声と同時に室の中へは、大学の制服を着た青年が一人、背の高い姿を現した。青年は少将の前に立つと、そこにあった椅子に手をやりながら、ぶっきらぼうにこう云った。
「何か御用ですか? お父さん。」
「うん。まあ、そこにおかけ。」
 青年は素直すなおに腰をおろした。
「何です?」
 少将は返事をするために、青年の胸の金鈕きんボタンへ、不審ふしんらしい眼をやった。
今日きょうは?」
「今日は河合かわいの――お父さんは御存知ないでしょう。――僕と同じ文科の学生です。河合の追悼会ついとうかいがあったものですから、今帰ったばかりなのです。」
 少将はちょいとうなずいたのち、濃いハヴァナの煙を吐いた。それからやっと大儀たいぎそうに、肝腎かんじんの用向きを話し始めた。
「この壁にあるだね、これはお前が懸け換えたのかい?」
「ええ、まだ申し上げませんでしたが、今朝けさ僕が懸け換えたのです。いけませんか?」
「いけなくはない。いけなくはないがね、N閣下の額だけは懸けて置きたい、と思う。」
「この中へですか?」
 青年は思わず微笑した。
「この中へ懸けてはいけないかね?」
「いけないと云う事もありませんが、――しかしそれは可笑おかしいでしょう。」
肖像画しょうぞうがはあすこにもあるようじゃないか?」
 少将はの上の壁を指した。その壁には額縁の中に、五十何歳かのレムブラントが、悠々と少将を見下していた。
「あれは別です。N将軍と一しょにはなりません。」
「そうか? じゃ仕方がない。」
 少将は容易に断念した。が、また葉巻の煙を吐きながら、静かにこう話を続けた。
「お前は、――と云うよりもお前の年輩のものは、閣下をどう思っているね?」
「別にどうも思ってはいません。まあ、偉い軍人でしょう。」
 青年は老いた父の眼に、晩酌ばんしゃくよいを感じていた。
「それは偉い軍人だがね、閣下はまた実に長者ちょうじゃらしい、人懐ひとなつこい性格も持っていられた。……」
 少将はほとんど、感傷的に、将軍の逸話いつわを話し出した。それは日露戦役後、少将が那須野なすのの別荘に、将軍を訪れた時の事だった。その日別荘へ行って見ると、将軍夫妻は今し方、裏山へ散歩にお出かけになった、――そう云う別荘番の話だった。少将は案内を知っていたから、早速さっそく裏山へ出かける事にした。すると二三町行った所に、綿服をまとった将軍が、夫人と一しょにたたずんでいた。少将はこの老夫妻と、しばらくのあいだ立ち話をした。が、将軍はいつまでたっても、そこを立ち去ろうとしなかった。「何かここに用でもおありですか?」――こう少将が尋ねると、将軍は急に笑い出した。「実はね、今さいはばかりへ行きたいと云うものだから、わしたちについて来た学生たちが、場所を探しに行ってくれた所じゃ。」ちょうど今頃、――もう路ばたに毬栗いがぐりなどが、転がっている時分だった。
 少将は眼を細くしたまま、嬉しそうに独り微笑した。――そこへ色づいた林の中から、勢のい中学生が、四五人同時に飛び出して来た。彼等は少将に頓着とんちゃくせず、将軍夫妻をとりかこむと、口々に彼等が夫人のために、見つけて来た場所を報告した。その上それぞれ自分の場所へ、夫人に来て貰うように、無邪気な競争さえ始めるのだった。「じゃあなた方にくじを引いて貰おう。」――将軍はこう云ってから、もう一度少将に笑顔えがおを見せた。……
「それは罪のない話ですね。だが西洋人には聞かされないな。」
 青年も笑わずにはいられなかった。
「まあそんな調子でね、十二三の中学生でも、N閣下と云いさえすれば、叔父おじさんのようになついていたものだ。閣下はお前がたの思うように、決して一介の武弁ぶべんじゃない。」
 少将は楽しそうに話し終ると、また炉の上のレムブラントを眺めた。
「あれもやはり人格者かい?」
「ええ、偉い画描えかきです。」
「N閣下などとはどうだろう?」
 青年の顔には当惑の色が浮んだ。
「どうと云っても困りますが、――まあN将軍などよりも、僕等に近い気もちのある人です。」
「閣下のお前がたに遠いと云うのは?」
「何と云えばいですか?――まあ、こんな点ですね、たとえば今日追悼会ついとうかいのあった、河合かわいと云う男などは、やはり自殺しているのです。が、自殺する前に――」
 青年は真面目まじめに父の顔を見た。
「写真をとる余裕よゆうはなかったようです。」
 今度は機嫌のい少将の眼に、ちらりと当惑の色が浮んだ。
「写真をとってもいじゃないか? 最後の記念と云う意味もあるし、――」
「誰のためにですか?」
「誰と云う事もないが、――我々始めN閣下の最後の顔は見たいじゃないか?」
「それは少くともN将軍は、考うべき事ではないと思うのです。僕は将軍の自殺した気もちは、幾分かわかるような気がします。しかし写真をとったのはわかりません。まさか死後その写真が、どこの店頭にもかざられる事を、――」
 少将はほとんど、憤然ふんぜんと、青年の言葉をさえぎった。
「それはこくだ。閣下はそんな俗人じゃない。徹頭徹尾至誠の人だ。」
 しかし青年は不相変あいかわらず顔色かおいろも声も落着いていた。
「無論俗人じゃなかったでしょう。至誠の人だった事も想像出来ます。ただその至誠が僕等には、どうもはっきりのみこめないのです。僕等よりのちの人間には、なおさら通じるとは思われません。……」
 父と子とはしばらくのあいだ、気まずい沈黙を続けていた。
「時代の違いだね。」
 少将はやっとつけ加えた。
「ええ、まあ、――」
 青年はこう云いかけたなり、ちょいと窓の外のけはいに、耳を傾けるような眼つきになった。
「雨ですね。お父さん。」
「雨?」
 少将は足を伸ばしたまま、嬉しそうに話頭を転換した。
「また※(「木+孛」、第3水準1-85-67)マルメロが落ちなければいが、……」

(大正十年十二月)




 



底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
   1996(平成8)年7月15日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月~1971(昭和46)年11月
入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1999年1月12日公開
2004年3月9日修正
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