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俊寛(しゅんかん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-16 9:24:17 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



        四

「おれがこの島へ流されたのは、治承じしょう元年七月の始じゃ。おれは一度も成親なりちかきょうと、天下なぞを計った覚えはない。それが西八条にしはちじょうめられたのち、いきなり、この島へ流されたのじゃから、始はおれも忌々いまいましさの余り、飯を食う気さえ起らなかった。」
「しかし都のうわさでは、――」
 わたしは御言葉をさえぎりました。
僧都そうず御房ごぼう宗人むねとの一人に、おなりになったとか云う事ですが、――」
「それはそう思うに違いない。成親の卿さえ宗人の一人に、おれを数えていたそうじゃから、――しかしおれは宗人ではない。浄海入道じょうかいにゅうどうの天下がいか、成親の卿の天下が好いか、それさえおれにはわからぬほどじゃ。事によると成親の卿は、浄海入道よりひがんでいるだけ、天下の政治には不向きかも知れぬ。おれはただ平家へいけの天下は、ないにかぬと云っただけじゃ。源平藤橘げんぺいとうきつ、どの天下も結局あるのはないにかぬ。この島の土人を見るがい。平家のでも源氏の代でも、同じようにいもを食うては、同じように子を生んでいる。天下の役人は役人がいぬと、天下も亡ぶように思っているが、それは役人のうぬれだけじゃ。」
「が僧都そうず御房ごぼうの天下になれば、何御不足にもありますまい。」
 俊寛しゅんかん様の御眼おめの中には、わたしの微笑が映ったように、やはり御微笑が浮びました。
成親なりちかの卿の天下同様、平家へいけの天下より悪いかも知れぬ。何故なぜと云えば俊寛は、浄海入道じょうかいにゅうどうより物わかりがい。物わかりが好ければ政治なぞには、夢中になれぬ筈ではないか? 理非曲直りひきょくちょくわきまえずに、途方とほうもない夢ばかり見続けている、――そこが高平太たかへいだの強い所じゃ。小松こまつ内府ないふなぞは利巧なだけに、天下を料理するとなれば、浄海入道より数段下じゃ。内府も始終病身じゃと云うが、平家一門のためをはかれば、一日も早く死んだがい。その上またおれにしても、食色じきしきの二性を離れぬ事は、浄海入道と似たようなものじゃ。そう云う凡夫ぼんぷの取った天下は、やはり衆生しゅじょうのためにはならぬ。所詮人界しょせんにんがいが浄土になるには、御仏みほとけ御天下おんてんかを待つほかはあるまい。――おれはそう思っていたから、天下を計る心なぞは、微塵みじんも貯えてはいなかった。」
「しかしあの頃は毎夜のように、中御門高倉なかみかどたかくら大納言様だいなごんさまへ、御通いなすったではありませんか?」
 わたしは御不用意を責めるように、俊寛様の御顔を眺めました、ほんとうに当時の御主人は、きたかたの御心配も御存知ないのか、夜は京極きょうごく御屋形おやかたにも、滅多めったに御休みではなかったのです。しかし御主人は不相変あいかわらず、澄ました御顔をなすったまま、芭蕉扇ばしょうせんを使っていらっしゃいました。
「そこが凡夫の浅ましさじゃ。ちょうどあの頃あの屋形には、つるまえと云う上童うえわらわがあった。これがいかなる天魔の化身けしんか、おれをとらえて離さぬのじゃ。おれの一生の不仕合わせは、皆あの女がいたばかりに、って湧いたと云うてもい。女房に横面よこつらを打たれたのも、鹿ししたにの山荘をしたのも、しまいにこの島へ流されたのも、――しかし有王ありおう、喜んでくれい。おれは鶴の前に夢中になっても、謀叛むほん宗人むねとにはならなかった。女人にょにんに愛楽を生じたためしは、古今の聖者にもまれではない。大幻術の摩登伽女まとうぎゃにょには、阿難尊者あなんそんじゃさえ迷わせられた。竜樹菩薩りゅうじゅぼさつも在俗の時には、王宮の美人をぬすむために、隠形おんぎょうの術を修せられたそうじゃ。しかし謀叛人になった聖者は、天竺震旦てんじくしんたん本朝を問わず、ただの一人もあった事は聞かぬ。これは聞かぬのも不思議はない。女人にょにんに愛楽を生ずるのは、五根ごこんの欲を放つだけの事じゃ。が、謀叛むほんを企てるには、貪嗔癡どんしんちの三毒を具えねばならぬ。聖者は五欲を放たれても、三毒の害は受けられぬのじゃ。して見ればおれの知慧ちえの光も、五欲のために曇ったと云え、消えはしなかったと云わねばなるまい。――が、それはともかくも、おれはこの島へ渡った当座、毎日忌々いまいましい思いをしていた。」
「それはさぞかし御難儀ごなんぎだったでしょう。御食事は勿論、御召し物さえ、御不自由勝ちに違いありませんから。」
「いや、衣食は春秋はるあき二度ずつ、肥前ひぜんの国鹿瀬かせしょうから、少将のもとへ送って来た。鹿瀬の荘は少将のしゅうとたいら教盛のりもりの所領の地じゃ。その上おれは一年ほどたつと、この島の風土にも慣れてしまった。が、忌々いまいましさを忘れるには、一しょに流された相手が悪い。丹波たんばの少将成経なりつねなどは、ふさいでいなければ居睡いねむりをしていた。」
「成経様は御年若でもあり、父君の御不運を御思いになっては、御歎きなさるのもごもっともです。」
「何、少将はおれと同様、天下はどうなってもかまわぬ男じゃ。あの男は琵琶びわでもき鳴らしたり、桜の花でも眺めたり、上臈じょうろう恋歌れんかでもつけていれば、それが極楽ごくらくじゃと思うている。じゃからおれに会いさえすれば、謀叛人の父ばかり怨んでいた。」
「しかし康頼やすより様は僧都そうず御房ごぼうと、御親しいようにうかがいましたが。」
「ところがこれが難物なのじゃ。康頼は何でもがんさえかければ、天神地神てんじんちじん諸仏菩薩しょぶつぼさつ、ことごとくあの男の云うなり次第に、利益りやくを垂れると思うている。つまり康頼の考えでは、神仏も商人と同じなのじゃ。ただ神仏は商人のように、金銭では冥護みょうごを御売りにならぬ。じゃから祭文さいもんを読む。香火をそなえる。このうしろの山なぞには、姿のい松が沢山あったが、皆康頼にられてしもうた。伐って何にするかと思えば、千本の卒塔婆そとばこしらえた上、一々それに歌を書いては、海の中へほうりこむのじゃ。おれはまだ康頼くらい、現金な男は見た事がない。」
「それでも莫迦ばかにはなりません。都の噂ではその卒塔婆が、熊野くまのにも一本、厳島いつくしまにも一本、流れ寄ったとか申していました。」
「千本の中には一本や二本、日本にほんの土地へも着きそうなものじゃ。ほんとうに冥護みょうごを信ずるならば、たった一本流すがい。その上康頼は難有ありがたそうに、千本の卒塔婆そとばを流す時でも、始終風向きを考えていたぞ。いつかおれはあの男が、海へ卒塔婆を流す時に、帰命頂礼きみょうちょうらい熊野三所くまのさんしょ権現ごんげん、分けては日吉山王ひよしさんおう王子おうじ眷属けんぞく、総じてはかみ梵天帝釈ぼんてんたいしゃくしも堅牢地神けんろうじしん、殊には内海外海ないかいげかい竜神八部りゅうじんはちぶ応護おうごまなじりを垂れさせ給えととなえたから、そのあとへ並びに西風大明神にしかぜだいみょうじん黒潮権現くろしおごんげんも守らせ給え、謹上再拝きんじょうさいはいとつけてやった。」
「悪い御冗談ごじょうだんをなさいます。」
 わたしもさすがに笑い出しました。
「すると康頼やすよりおこったぞ。ああ云う大嗔恚だいしんいを起すようでは、現世利益げんぜりやくはともかくも、後生往生ごしょうおうじょう覚束おぼつかないものじゃ。――が、その内に困まった事には、少将もいつか康頼と一しょに、神信心を始めたではないか? それも熊野くまのとか王子おうじとか、由緒ゆいしょのある神を拝むのではない。この島の火山には鎮護ちんごのためか、岩殿いわどのと云うほこらがある。その岩殿へ詣でるのじゃ。――火山と云えば思い出したが、お前はまだ火山を見た事はあるまい?」
「はい、たださっき榕樹あこうこずえに、薄赤い煙のたなびいた、禿げ山の姿を眺めただけです。」
「では明日あすでもおれと一しょに、頂へ登って見るがい。頂へ行けばこの島ばかりか、大海の景色は手にとるようじゃ。岩殿の祠も途中にある、――その岩殿へ詣でるのに、康頼はおれにも行けと云うたが、おれは容易よういには行こうとは云わぬ。」
「都では僧都そうず御房ごぼう一人、そう云う神詣でもなさらないために、御残されになったと申して居ります。」
「いや、それはそうかも知れぬ。」
 俊寛様は真面目まじめそうに、ちょいと御首を御振りになりました。
「もし岩殿に霊があれば、俊寛一人を残したまま、二人の都返りを取り持つくらいは、何とも思わぬ禍津神まがつがみじゃ。お前はさっきおれが教えた、少将の女房を覚えているか? あの女もやはり岩殿へ、少将がこの島を去らぬように、毎日毎夜詣でたものじゃ。所がそのがんは少しも通らぬ。すると岩殿と云う神は、天魔にも増した横道者おうどうものじゃ。天魔には世尊御出世せそんごしゅっせいの時から、諸悪を行うと云う戒行かいぎょうがある。もし岩殿の神の代りに、天魔があの祠にいるとすれば、少将は都へ帰る途中、船から落ちるか、熱病になるか、とにかくに死んだのに相違ない。これが少将もあの女も、同時に破滅させる唯一のみちじゃ。が、岩殿は人間のように、諸善ばかりも行わねば、諸悪ばかりも行わぬらしい。もっともこれは岩殿には限らぬ。奥州名取郡おうしゅうなとりのこおり笠島かさじま道祖さえは、都の加茂河原かもがわらの西、一条の北のほとりに住ませられる、出雲路いずもじ道祖さえ御娘おんむすめじゃ。が、この神は父の神が、まだむこの神も探されぬ内に、若い都の商人あきゅうど妹背いもせちぎりを結んだ上、さっさと奥へ落ちて来られた。こうなっては凡夫も同じではないか? あの実方さねかたの中将は、この神の前を通られる時、下馬げばはいもされなかったばかりに、とうとう蹴殺けころされておしまいなすった。こう云う人間に近い神は、五塵を離れていぬのじゃから、何を仕出かすか油断はならぬ。このためしでもわかる通り、一体神と云うものは、人間離れをせぬ限り、あがめろと云えた義理ではない。――が、そんな事は話の枝葉えだはじゃ。康頼やすよりと少将とは一心に、岩殿詣でを続け出した。それも岩殿を熊野くまのになぞらえ、あの浦は和歌浦わかのうら、この坂は蕪坂かぶらざかなぞと、一々名をつけてやるのじゃから、まずわらべたちが鹿狩ししがりと云っては、小犬を追いまわすのも同じ事じゃ。ただ音無おとなしたきだけは本物よりもずっと大きかった。」
「それでも都の噂では、奇瑞きずいがあったとか申していますが。」
「その奇瑞の一つはこうじゃ。結願けちがんの当日岩殿の前に、二人が法施ほっせ手向たむけていると、山風が木々をあおった拍子ひょうしに、椿つばきの葉が二枚こぼれて来た。その椿の葉には二枚とも、虫の食ったあとが残っている。それが一つには帰雁きがんとあり、一つには二とあったそうじゃ。合せて読めば帰雁二きがんにとなる、――こんな事が嬉しいのか、康頼は翌日得々とくとくと、おれにもその葉を見せなぞした。成程二とは読めぬでもない。が、帰雁きがんはいかにも無理じゃ。おれは余り可笑おかしかったから、次の日山へ行った帰りに、椿の葉を何枚も拾って来てやった。その葉の虫食いを続けて読めば、帰雁二どころのさわぎではない。『明日帰洛みょうにちきらく』と云うのもある。『清盛横死きよもりおうし』と云うのもある。『康頼往生おうじょう』と云うのもある。おれはさぞかし康頼も、喜ぶじゃろうと思うたが、――」
「それは御立腹なすったでしょう。」
「康頼は怒るのに妙を得ている。まいも洛中に並びないが、腹を立てるのは一段と巧者じゃ。あの男は謀叛むほんなぞに加わったのも、嗔恚しんいかれたのに相違ない。その嗔恚のみなもとはと云えば、やはり増長慢ぞうじょうまんのなせるわざじゃ。平家へいけ高平太たかへいだ以下皆悪人、こちらは大納言だいなごん以下皆善人、――康頼はこう思うている。そのうぬれがためにならぬ。またさっきも云うた通り、我々凡夫は誰も彼も、皆高平太と同様なのじゃ。が、康頼の腹を立てるのがいか、少将のため息をするのが好いか、どちらが好いかはおれにもわからぬ。」
成経なりつね様御一人だけは、御妻子もあったそうですから、御まぎれになる事もありましたろうに。」
「ところが始終蒼い顔をしては、つまらぬ愚痴ぐちばかりこぼしていた。たとえば谷間の椿を見ると、この島には桜も咲かないと云う。火山の頂の煙を見ると、この島には青い山もないと云う。何でもそこにある物は云わずに、ない物だけ並べ立てているのじゃ。一度なぞはおれと一しょに、磯山いそやま※(「蠧」の「虫」二つに代えて「木」、第4水準2-15-30)つわみに行ったら、ああ、わたしはどうすればいのか、ここには加茂川かもがわの流れもないと云うた。おれがあの時吹き出さなかったのは、我立つそま地主権現じしゅごんげん日吉ひよし御冥護ごみょうごに違いない。が、おれは莫迦莫迦ばかばかしかったから、ここには福原ふくはらひとやもない、平相国へいしょうこく入道浄海にゅうどうじょうかいもいない、難有ありがたい難有いとこう云うた。」
「そんな事をおっしゃっては、いくら少将でも御腹立ちになりましたろう。」
「いや、おこられれば本望じゃ。が、少将はおれの顔を見ると、悲しそうに首を振りながら、あなたには何もおわかりにならない、あなたは仕合せなかたですと云うた。ああ云う返答は、怒られるよりも難儀じゃ。おれは、――実はおれもその時だけは、妙に気が沈んでしもうた。もし少将の云うように、何もわからぬおれじゃったら、気も沈まずにすんだかも知れぬ。しかしおれにはわかっているのじゃ。おれも一時は少将のように、眼の中の涙を誇ったことがある。その涙にかして見れば、あの死んだ女房にょうぼうも、どのくらい美しい女に見えたか、――おれはそんな事を考えると、急に少将が気の毒になった。が、気の毒になって見ても、可笑おかしいものは可笑しいではないか? そこでおれは笑いながら、言葉だけは真面目まじめに慰めようとした。おれが少将に怒られたのは、跡にも先にもあの時だけじゃ。少将はおれが慰めてやると、急に恐しい顔をしながら、嘘をおつきなさい。わたしはあなたに慰められるよりも、笑われる方が本望ですと云うた。その途端とたんに、――妙ではないか? とうとうおれは吹き出してしもうた。」
「少将はどうなさいました?」
「四五日の間はおれにうても、挨拶あいさつさえろくにしなかった。が、そののちまた遇うたら、悲しそうに首を振っては、ああ、都へ返りたい、ここには牛車ぎっしゃも通らないと云うた。あの男こそおれより仕合せものじゃ。――が、少将や康頼やすよりでも、やはり居らぬよりは、いた方がい。二人に都へ帰られた当座、おれはまた二年ぶりに、毎日寂しゅうてならなかった。」
「都のうわさでは御寂しいどころか、御歎きにもなさり兼ねない、御容子ごようすだったとか申していました。」
 わたしは出来るだけ細々こまごまと、その御噂を御話しました。琵琶法師びわほうしの語る言葉を借りれば、
「天に仰ぎ地にし、悲しみ給えどかいぞなき。……なおも船のともづなに取りつき、腰になり脇になり、たけの及ぶほどは、引かれておわしけるが、丈も及ばぬほどにもなりしかば、またむなしきなぎさに泳ぎ返り、……是具これぐして行けや、われ乗せて行けやとて、おめき叫び給えども、ぎ行く船のならいにて、跡は白浪しらなみばかりなり。」と云う、御狂乱ごきょうらんの一段を御話したのです。俊寛様は御珍しそうに、その話を聞いていらっしゃいましたが、まだ船の見えるあいだは、手招てまねぎをなすっていらしったと云う、今では名高い御話をすると、
「それは満更まんざら嘘ではない。何度もおれは手招てまねぎをした。」と、素直すなお御頷おうなずきなさいました。
「では都の噂通り、あの松浦まつら佐用姫さよひめのように、御別れを御惜しみなすったのですか?」
「二年の間同じ島に、話し合うた友だちと別れるのじゃ。別れを惜しむのは当然ではないか? しかし何度も手招ぎをしたのは、別れを惜しんだばかりではない。――一体あの時おれの所へ、船のはいったのを知らせたのは、この島にいる琉球人りゅうきゅうじんじゃ。それが浜べから飛んで来ると、息も切れ切れに船々と云う。船はまずわかったものの、何の船がはいって来たのか、そのほかの言葉はさっぱりわからぬ。あれはあの男もうろたえた余り、日本語と琉球語とをかわがわる、饒舌しゃべっていたのに違いあるまい。おれはともかくも船と云うから、早速浜べへ出かけて見た。すると浜べにはいつのまにか、土人が大勢おおぜい集っている。その上に高い帆柱ほばしらのあるのが、云うまでもない迎いの船じゃ。おれもその船を見た時には、さすがに心がおどるような気がした。少将や康頼やすよりはおれより先に、もう船の側へ駈けつけていたが、この喜びようも一通りではない。現にあの琉球人なぞは、二人とも毒蛇どくじゃまれた揚句あげく、気が狂ったのかと思うたくらいじゃ。その内に六波羅ろくはらから使に立った、丹左衛門尉基安たんのさえもんのじょうもとやすは、少将に赦免しゃめんの教書を渡した。が、少将の読むのを聞けば、おれの名前がはいっていない。おれだけは赦免にならぬのじゃ。――そう思ったおれの心のうちには、わずか一弾指いちだんしあいだじゃが、いろいろの事が浮んで来た。姫やわかの顔、女房にょうぼうののしる声、京極きょうごく屋形やかたの庭の景色、天竺てんじく早利即利兄弟そうりそくりきょうだい震旦しんたん一行阿闍梨いちぎょうあじゃり、本朝の実方さねかた朝臣あそん、――とても一々数えてはいられぬ。ただ今でも可笑おかしいのは、その中にふと車を引いた、赤牛あかうしの尻が見えた事じゃ。しかしおれは一心に、さわがぬ容子ようすをつくっていた。勿論少将や康頼は、気の毒そうにおれを慰めたり、俊寛も一しょに乗せてくれいと、使にも頼んだりしていたようじゃ。が、赦免のくだらぬものは、何をどうしても、船へは乗れぬ。おれは不動心を振い起しながら、何故なぜおれ一人赦免にれたか、その訳をいろいろ考えて見た。高平太たかへいだはおれを憎んでいる。――それも確かには違いない。しかし高平太はにくむばかりか、内心おれを恐れている。おれはさき法勝寺ほっしょうじ執行しゅぎょうじゃ。兵仗へいじょうの道は知る筈がない。が、天下は思いのほか、おれの議論に応ずるかも知れぬ。――高平太はそこを恐れているのじゃ。おれはこう考えたら、苦笑くしょうせずにはいられなかった。山門や源氏げんじの侍どもに、都合つごうい議論をこしらえるのは、西光法師さいこうほうしなどのはまり役じゃ。おれはびょうたる一平家へいけに、心を労するほど老耄おいぼれはせぬ。さっきもお前に云うた通り、天下は誰でも取っているがい。おれは一巻の経文きょうもんのほかに、つるまえでもいれば安堵あんどしている。しかし浄海入道じょうかいにゅうどうになると、浅学短才の悲しさに、俊寛も無気味ぶきみに思うているのじゃ。して見れば首でもねられる代りに、この島に一人残されるのは、まだ仕合せの内かも知れぬ。――そんな事を思うているあいだに、いよいよ船出と云う時になった。すると少将の妻になった女が、あの赤児を抱いたまま、どうかその船に乗せてくれいと云う。おれは気の毒に思うたから、女はとがめるにも及ぶまいと、使の基安もとやすに頼んでやった。が、基安は取り合いもせぬ。あの男は勿論役目のほかは、何一つ知らぬ木偶でくの坊じゃ。おれもあの男は咎めずともい。ただ罪の深いのは少将じゃ。――」

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