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俊寛(しゅんかん)

作者:未知 文章来源:青空文库 点击数 更新时间:2006-8-16 9:24:17 文章录入:贯通日本语 责任编辑:贯通日本语



        三

 そのわたしは燈台とうだいの光に、御主人の御飯を頂きました。本来ならばそんな事は、恐れ多い次第なのですが、御主人のおおせもありましたし、御給仕にはこの頃御召使いの、兎唇みつくちわらべも居りましたから、御招伴ごしょうばんあずかった訳なのです。
 御部屋は竹縁ちくえんをめぐらせた、僧庵そうあんとも云いたいこしらえです。縁先に垂れたすだれの外には、前栽せんざいたかむらがあるのですが、椿つばきの油を燃やした光も、さすがにそこまでは届きません。御部屋の中には皮籠かわごばかりか、廚子ずしもあれば机もある、――皮籠は都を御立ちの時から、御持ちになっていたのですが、廚子や机はこの島の土人が、不束ふつつかながらも御拵おこしらえ申した、琉球赤木りゅうきゅうあかぎとかの細工さいくだそうです。その廚子の上には経文きょうもんと一しょに、阿弥陀如来あみだにょらいの尊像が一体、端然と金色こんじきに輝いていました。これは確か康頼やすより様の、都返りの御形見おかたみだとか、伺ったように思っています。
 俊寛しゅんかん様は円座わろうだの上に、楽々と御坐りなすったまま、いろいろ御馳走ごちそうを下さいました。勿論この島の事ですから、醤油しょうゆは都ほど、味がいとは思われません。が、その御馳走の珍しい事は、汁、なますつけ、果物、――名さえ確かに知っているのは、ほとんど一つもなかったくらいです。御主人はわたしがあきれたように、はしもつけないのを御覧になると、上機嫌に御笑いなさりながら、こう御勧おすすめ下さいました。
「どうじゃ、その汁の味は? それはこの島の名産の、臭梧桐くさぎりと云う物じゃぞ。こちらのうおも食うて見るがい。これも名産の永良部鰻えらぶうなぎじゃ。あの皿にある白地鳥しろちどり、――そうそう、あの焼き肉じゃ。――それもみやこなどでは見た事もあるまい。白地鳥と云う物は、背の青い、腹の白い、形はこうにそっくりの鳥じゃ。この島の土人はあの肉を食うと、湿気しっきを払うとかとなえている。そのいもも存外味はいぞ。名前か? 名前は琉球芋りゅうきゅういもじゃ。梶王かじおうなどは飯の代りに、毎日その芋を食うている。」
 梶王と云うのはさっき申した、兎唇みつくちわらべの名前なのです。
「どれでも勝手にはしをつけてくれい。かゆばかりすすっていさえすれば、得脱とくだつするように考えるのは、沙門にあり勝ちの不量見ふりょうけんじゃ。世尊せそんさえ成道じょうどうされる時には、牧牛ぼくぎゅう女難陀婆羅むすめなんだばらの、乳糜にゅうび供養くようを受けられたではないか? もしあの時空腹のまま、畢波羅樹下ひっぱらじゅかに坐っていられたら、第六天の魔王波旬はじゅんは、三人の魔女なぞをつかわすよりも、六牙象王ろくげのぞうおう味噌漬みそづけだの、天竜八部てんりゅうはちぶ粕漬かすづけだの、天竺てんじくの珍味をらせたかも知らぬ。もっとも食足くいたればいんを思うのは、我々凡夫のならいじゃから、乳糜を食われた世尊の前へ、三人の魔女を送ったのは、波旬もぱれ見上げた才子じゃ。が、魔王の浅間あさましさには、その乳糜をけんじたものが、女人にょにんじゃと云う事を忘れて居った。牧牛の女難陀婆羅、世尊に乳糜を献じ奉る、――世尊が無上の道へ入られるには、雪山せつざん六年の苦行よりも、これが遥かに大事だったのじゃ。『取彼乳糜かのにゅうびをとり如意飽食いのごとくほうしょくし悉皆浄尽しっかいじょうじんす。』――仏本行経ぶつほんぎょうきょう七巻のうちにも、あれほど難有ありがたい所は沢山あるまい。――『爾時菩薩食糜そのときぼさつびをしょくし已訖従座而起すでにおわりてざよりしてたつ安庠漸々あんじょうにぜんぜん向菩提樹ぼだいじゅにむかう。』どうじゃ。『安庠漸々あんじょうにぜんぜん向菩提樹ぼだいじゅにむかう。』女人にょにんを見、乳糜にかれた、端厳微妙たんごんみみょうの世尊の御姿が、のあたりにおがまれるようではないか?」
 俊寛様は楽しそうに、晩の御飯をおしまいになると、今度は涼しい竹縁ちくえんの近くへ、円座わろうだを御移しになりながら、
「では空腹が直ったら、みやこの便りでも聞かせて貰おう。」とわたしの話を御促おうながしになりました。
 わたしは思わず眼を伏せました。兼ねて覚悟はしていたものの、いざ申し上げるとなって見ると、今更のように心がおくれたのです。しかし御主人は無頓着に、芭蕉ばしょうの葉のおうぎを御手にしたまま、もう一度御催促ごさいそくなさいました。
「どうじゃ、女房は相不変あいかわらず小言こごとばかり云っているか?」
 わたしはやむを得ず俯向うつむいたなり、御留守おるすあいだ出来しゅったいした、いろいろの大変を御話しました。御主人が御捕おとらわれなすったのち御近習ごきんじゅは皆逃げ去った事、京極きょうごく御屋形おやかた鹿ししたにの御山荘も、平家へいけの侍に奪われた事、きたかたは去年の冬、御隠れになってしまった事、若君も重い疱瘡もがさのために、その跡を御追いなすった事、今ではあなたの御家族の中でも、たった一人姫君ひめぎみだけが、奈良なら伯母御前おばごぜ御住居おすまいに、人目を忍んでいらっしゃる事、――そう云う御話をしている内に、わたしの眼にはいつのまにか、燈台の火影ほかげが曇って来ました。軒先のすだれ廚子ずしの上の御仏みほとけ、――それももうどうしたかわかりません。わたしはとうとう御話なかばに、その場へ泣き沈んでしまいました。御主人は始終黙然もくねんと、御耳を傾けていらしったようです。が、姫君の事を御聞きになると、突然さも御心配そうに、法衣ころもの膝を御寄せになりました。
「姫はどうじゃ? 伯母御前にはようなついているか?」
「はい。御睦おむつましいように存じました。」
 わたしは泣く泣く俊寛様へ、姫君の御消息ごしょうそくをさし上げました。それはこの島へ渡るものには、門司もじ赤間あかませきを船出する時、やかましい詮議せんぎがあるそうですから、もとどりに隠して来た御文おふみなのです。御主人は早速さっそく燈台の光に、御消息をおひろげなさりながら、ところどころ小声に御読みになりました。
「……世の中かきくらして晴るる心地なくはべり。……さても三人みたり一つ島に流されけるに、……などや御身おんみ一人残り止まり給うらんと、……都には草のゆかりも枯れはてて、……当時は奈良の伯母御前の御許おんもとに侍り。……おろそかなるべき事にはあらねど、かすかなる住居すまいはかり給え。……さてもこの三とせまで、いかに御心みこころ強く、ともとも承わらざるらん。……とくとく御上おんのぼり候え。恋しとも恋し。ゆかしともゆかし。……あなかしこ、あなかしこ。……」
 俊寛様は御文を御置きになると、じっと腕組みをなすったまま、大きい息をおつきになりました。
「姫はもう十二になった筈じゃな。――おれも都には未練みれんはないが、姫にだけは一目会いたい。」
 わたしは御心中ごしんちゅうを思いやりながら、ただ涙ばかりぬぐっていました。
「しかし会えぬものならば、――泣くな。有王ありおう。いや、泣きたければ泣いてもい。しかしこの娑婆しゃば世界には、一々泣いては泣き尽せぬほど、悲しい事が沢山あるぞ。」
 御主人はうしろ黒木くろきの柱に、ゆっくり背中を御寄せになってから、寂しそうに御微笑なさいました。
女房にょうぼうも死ぬ。わかも死ぬ。姫には一生会えぬかも知れぬ。屋形やかたや山荘もおれの物ではない。おれは独り離れ島に老の来るのを待っている。――これがおれの今のさまじゃ。が、この苦艱くげんを受けているのは、何もおれ一人に限った事ではない。おれ一人衆苦しゅうくの大海に、没在ぼつざいしていると考えるのは、仏弟子ぶつでしにも似合わぬ増長慢ぞうじょうまんじゃ。『増長驕慢ぞうじょうきょうまんは尚非世俗白衣所宜なおせぞくびゃくえのよろしきところにあらず。』艱難かんなんの多いのに誇る心も、やはり邪業じゃごうには違いあるまい。その心さえ除いてしまえば、この粟散辺土ぞくさんへんどうちにも、おれほどの苦を受けているものは、恒河沙ごうがしゃかずより多いかも知れぬ。いや、人界にんがいに生れ出たものは、たといこの島に流されずとも、皆おれと同じように、孤独のたんらしているのじゃ。村上むらかみ御門みかど第七の王子、二品中務親王にほんなかつかさしんのう、六代の後胤こういん仁和寺にんなじ法印寛雅ほういんかんがが子、京極きょうごく源大納言雅俊卿みなもとのだいなごんまさとしきょうの孫に生れたのは、こう云う俊寛しゅんかん一人じゃが、あめしたには千の俊寛、万の俊寛、十万の俊寛、百億の俊寛が流されているぞ。――」
 俊寛様はこうおっしゃると、たちまちまた御眼おんめのどこかに、陽気な御気色みけしきひらめきました。
「一条二条の大路おおじの辻に、盲人が一人さまようているのは、世にもあわれに見えるかも知れぬ。が、広い洛中洛外らくちゅうらくがい、無量無数の盲人どもに、充ち満ちた所を眺めたら、――有王ありおう。お前はどうすると思う? おれならばまっ先にふき出してしまうぞ。おれの島流しも同じ事じゃ。十方じっぽう遍満へんまんした俊寛どもが、皆ただ一人流されたように、泣きつわめきつしていると思えば、涙のうちにも笑わずにはいられぬ。有王。三界一心さんがいいっしんと知った上は、何よりもまず笑う事を学べ。笑う事を学ぶためには、まず増長慢を捨てねばならぬ。世尊せそん御出世ごしゅっせいは我々衆生しゅじょうに、笑う事を教えに来られたのじゃ。大般涅槃だいはつねはん御時おんときにさえ、摩訶伽葉まかかしょうは笑ったではないか?」
 その時はわたしもいつのまにか、ほおの上に涙が乾いていました。すると御主人はすだれ越しに、遠い星空を御覧になりながら、
「お前が都へ帰ったら、姫にも歎きをするよりは、笑う事を学べと云ってくれい。」と、何事もないようにおっしゃるのです。
「わたしは都へは帰りません。」
 もう一度わたしの眼の中には、新たに涙が浮んで来ました。今度はそう云う御言葉を、御恨おうらみに思った涙なのです。
「わたしは都にいた時の通り、御側勤おそばづとめをするつもりです。年とった一人の母さえ捨て、兄弟にも仔細しさいは話さずに、はるばるこの島へ渡って来たのは、そのためばかりではありませんか? わたしはそうおっしゃられるほど、命が惜いように見えるでしょうか? わたしはそれほど恩義を知らぬ、人非人にんぴにんのように見えるでしょうか? わたしはそれほど、――」
「それほど愚かとは思わなかった。」
 御主人はまた前のように、にこにこ御笑いになりました。
「お前がこの島にとどまっていれば、姫の安否あんぴを知らせるのは、誰がほかに勤めるのじゃ? おれは一人でも不自由はせぬ。まして梶王かじおうと云うわらべがいる。――と云ってもまさかねたみなぞはすまいな? あれは便りのないみなし児じゃ。幼い島流しの俊寛じゃ。お前は便船のあり次第、早速さっそく都へ帰るがい。その代り今夜は姫への土産みやげに、おれの島住いがどんなだったか、それをお前に話して聞かそう。またお前は泣いているな? よしよし、ではやはり泣きながら、おれの話を聞いてくれい。おれは独り笑いながら、勝手に話を続けるだけじゃ。」
 俊寛様は悠々と、芭蕉扇ばしょうせんを御使いなさりながら、島住居しまずまいの御話をなさり始めました。軒先のきさきに垂れたすだれの上には、ともし火の光を尋ねて来たのでしょう、かすかに虫のう音が聞えています。わたしは頭を垂れたまま、じっと御話に伺い入りました。

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